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フフ~屋根の上の天使~



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  目次

1 天使が来た!        23 彼のこと Ⅲ 
2 フフ        24 カルマの解消
3 父       25 エリオット先生の実験授業
4 光の河       26 心の中の天秤 
5 窓辺のフフ       27 東京カテドラル
6 隠されたもの        28 富士山 
7 前世について        29 神秘体験 
8 エジプト        30 とまどい 
9 砂漠の像       31 証明できない世界
10 輪廻        32 心の弱さ
11 2009年のお正月        33 ミカエルとともに 
12 ミカエル        34 右脳と左脳 
13 自動書記        35 バランス
14 天使という存在        36 プライドとコンプレックス
15 創世記        37 心の自立 
16 いくつかの疑問        38 それぞれの宇宙
17 地球は人間の自治区        39 なりたい自分、なれる自分 
18 人生はオリエンテーリング        40 スフィア 
19 春うらら        41 さよなら、紘子さん 
20 彼のこと Ⅰ       42 神 
21 彼のこと Ⅱ        43 フフ ~心の中の天使~ 
22 分裂      

    
 
第1章

     天使が来た!

 今から十数年前、バリ島に二週間滞在していたとき、それは現われた。

 ホテルの玄関先や、寺の中庭などで、絶え間なく奏でられるガムランの音。熱せられた空気。町のあちこちにある、小さなお堂の前で焚かれる線香の匂い。強烈な色彩を放つ、ややグロテスクなバリ絵画。そういうものに囲まれて過ごしているうちに、日本の、ふだんの暮らしの中で身につけている現実感覚や常識が、少しずつ薄れていった。

「神様を信じますか?」

 寺のお祭に行ったとき、隣にいたインドネシア人にそう質問したときの、相手の反応が忘れられない。彼は目を瞠り、このような質問をすることじたいが、まったく馬鹿げている、あり得ないことだ、といわんばかりの表情で、こう言った。

「神様はいますよ。当たり前のことじゃないですか」

 そうなのだ。この土地の人々にとって、神様の存在は、足の下に地面があるのと同じくらい、当然のことなのだ。ごく自然に神の存在を信じている彼らが、日本人より幸せな人々に思えた。

 そういう信心深い空気に心地よく影響され、私の心はあの世的なものを素直に受け入れるようになっていたのだろう。

 ある晩、こわい夢を見た。バリ絵画に描かれている、極彩色の鬼のようなものが、私の亡くなった母親を、頭からばりばり食べているのだ。血だか臓物だかが、周りに飛び散っていたような気がする。あまりの怖さに縮み上がっていると、突然、何ものかが私のベッドに舞い降りてきた。それは、そのときの私の感覚からすると、小柄な人間くらいの大きさで、体は引き締まって硬く、ヨーロッパの街にある天使の彫像のように、いかつい感じがした。背中には大きな翼が生えており、それは私の体の上にしばらく留まっていたかと思うと、次の瞬間、ひらりと隣のベッドに飛び移っていった。隣のベッドには友人が寝ていた。

 これを夢と言い切ってしまうこともできる。母親を食べている鬼の夢の続きに、天使が出てきたのだ。この話をバリ島の人に話したら、天使があなたを守ってくれたのだと言うだろうし、日本人に話したら、天使の夢を見たのだと言うだろう。

 私がこれを夢だと思っているのなら、ここで文章にはしない。夢ではない、確かなものを感じたから、いまだにそのときのことをありありと覚えているのだ。

 大きな翼を持った天使が、あのとき、確かにやって来た。


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第2章

       フフ

 天使が現われたのを実感したのは、あとにも先にもあのときだけだ。バリ島から戻った私は、東京の街の煩雑で気ぜわしい渦に呑み込まれ、日常生活に流され、バリ島で味わった、素朴に神を受け入れる気持ちは、どこかへ消し飛んでしまった。これでは天使が現われる余地はないだろう。

 その後、さまざまなことがあり、私は陶芸を志して、山梨に引越しをした、雄大な富士山を目の当たりにし、豊かな自然に触れながら暮らしている。

 富士山は霊山と言われるが、確かに“神の山”なのかもしれない。富士山に登っているとき、不思議な、内面的な、体験をした。その体験を境に、自分がとても変わったと感じている。そのあと、“神”というものを本当に、ありありと、感じた瞬間も訪れた。その瞬間に得たことは、その後のものの考え方を、また変えた。そのことについては、いずれ書こうと思う。

 私は、バリ島を訪れた頃よりずっと、あの世的なことについての理解を深め、神の存在を当然のことと思うようになっているのだが、天使はやって来ない。

 別に、天使にこだわっているわけではないのだが、心の奥のどこかで、あのときのように天使に守ってもらいたいと思っているのかもしれない。心細いとき、不安でいっぱいになっているとき、自分を守ってくれるものが、確かにいるのだと信じられたら、どんなにいいだろう。

 で、私は天使を作りだすことにした。むろん、これは一種の心の遊びだ。守ってくれるもの、導いてくれるもの、心を温かくしてくれるもの、私達を見ていてくれる、目に見えないそういう存在は、宇宙のどこかに必ずいるのだから、私が作り出した天使は、まったくの虚構とは言えないだろう。

 とはいえ、私の天使は、バリ島のホテルに現われた本物の天使に比べると、ずっとマンガチックで、メルヘンチックだ。これは、私という人間の子供っぽさと軽さの反映でしょう。馬鹿馬鹿しいと言えば、まったくその通りなので、あんまり真面目に読まないでください。

 私の天使は、小さい。背丈は、2~3歳の子供くらい。髪はばさばさで、トウモロコシの穂先のような色をしている。顔はふっくらと下ぶくれで、色が白く、頬は健康的なピンク色。眉は細い三日月が垂れ下がったような感じで、目は小さく、目尻が下がっている。鼻は大きめでやや長く、唇は薄くて、いつも半開きのように見える。服は天使の定番である、白いふわっとしたワンピース。羽根はもちろんあるけれど、向こうが透けて見えるほど薄く、時には羽根がほとんど見えないこともある。

 天使に性はないのだが、私には、この天使はどちらかというと男の子に見える。名前を、フフという。フフのお気に入りの場所は、屋根のてっぺんだ。富士山の方を向き、家の守り神という風情で、フフは屋根の上にふんわりと立っている。


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第3章


           父

 フフは、2年前に、光の流れに乗って、天から舞い降りてきた。8月の猛暑の午後、気温が40度に達し、空気が熱く揺らめき、整然と列を成す墓石が、皆一様に白く輝いて見えた。父と母が眠る霊園に、フフは舞い降りて来た。墓参りに行くのは、十数年ぶりだった。「お墓に霊はいない、お墓に行かなければ、肉親や祖先の霊に会えないというものではない、心をこめれば、自宅で祈っても、亡くなった人の魂に充分思いは通じる」私に精神世界を教えてくれた友人は、そう語った。その言葉を素直に受けとめて、というよりは、言い訳にして、両親の墓に詣でることを怠けていた。

 墓参りに行くことにしたのは、ある女性のチャネラーに、それを勧められたからだ。音楽家でもあるその女性は、私に占いをしてもらいに来た青年の知り合いで、その青年は私と話をしたあと、その女性と私を会わせたいと思ったのだそうだ。私とその女性がどんな話をするのか、興味があったらしい。


 その女性は、占いを希望していたので、いつものように占星術とタロットカードで占いをした。テーブルの上でカードを両手で混ぜているとき、カードが妙にふわふわと浮き上がるような感じがした。カードはテーブルの上をすべるように動き、そのうちの一枚は勢い余って床に落ちてしまった。

「困ったわ、カードがふわふわする」

「あっ、ごめんなさい。カードに気持ちを集中しないようにするわ」

 そう言って彼女は、体の向きを変え、カードから目をそらした。カードが浮き上がるように感じるのは、彼女が持っているパワーのせいらしい。

 占いが終わって雑談をしているうちに、私は自分のことを彼女の霊感で見てもらいたくなった。彼女は名前の文字を見ると、いろいろなことがわかるのだそうだ。漢字の字画で占う、いわゆる姓名判断ではなく、文字に触発されて霊感が動き出すのだ。

 紙に書いた私の名前をじっと見ながら、彼女は私が抱えている問題について、いくつかの核心をついたことを言った。その内容については、後日、触れることになるかもしれないが、この章の本題からそれるので、ここでは割愛する。話の最後に、彼女は私の亡くなった父について語った。
「お父さんは、成仏をしていないということではないのだけれど、自分の死に方について、納得のいかない思いをされているわ。その思いが引っ掛かりになって、パワーが落ちているというか、すっきりしない状態におられるの。お父さんのお墓参りに行きなさい。お父さんに光を与えなさい。それができるのは、ご家族の中で、あなただけなの」

 父が納得のいかない死に方をした、という言葉は充分すぎるほど理解できた。父は、私が
12歳のときに、他界した。私の両親は晩婚だったので、父は50代半ばで亡くなったのだが、仕事は充実し、やりたい仕事もまだまだあり、意気盛んだった。インフルエンザか何かに罹り、その数年前に肋膜炎を患ったこともあってか、こじらせて入院したのだが、私の記憶では、病院に入って数日で亡くなってしまった。「注射が原因で……」と、母と叔母が小声で話しているのを、耳にした。


「僕は残念だ」と言って、父は亡くなったそうだ。男としてチャレンジしたい仕事があり、娘達の成長を見守りたく、母とののどかな老後も思い描いていただろう。絵に描いたような、幸福な家庭と、私の小学校の先生が評したことがあるそうだ。そういう家庭を築いていた父の人生は、一本の注射器で、あっけなく幕が下ろされてしまった。今なら、医療ミスを訴えることもできる。当時、患者側は泣き寝入りをするしかなかった。いや、現代でも、たとえ訴訟に勝ったとしても、死なされてしまった側は、泣き寝入りなのだ。賠償金を得ても、亡くなった人は生き返らない。医療ミスは、生命を奪うだけではない。つつがなく人生を続けるはずだった本人の、夢と願望を奪うのだ。

 チャネラーの女性は、私の前世についても触れた。私は前世でも、巫女のような、霊感を使う仕事をしていたそうだ。現世でも、霊感を使って、占いという仕事をしている。こういう能力を使うことが、天から与えられた私の役目なのかもしれない。

「だから、お父さんに光を与えて、助けるのは、あなたなのよ」
 彼女はそう締めくくった。
「不思議ね。今朝、叔母と父の話をしてたんです。叔母が父の話をするなんて、滅多にないんですよ。パパは亡くなる間際に、ママと子供達をよろしく頼むって、私に言ったのよ、って。突然そんなことを言い出したんです」
「私が今日ここに来た本当の目的は、あなたにお父さんの力になるように言うことだったのね」
 彼女は微笑みながら、そう言った。

 高校1年か2年のとき、一度だけ、父の魂を見たことがある。見たと言っても、物体を見るように見たのではない。空中に現れた、イメージのようなもの、と言ったほうがいいかもしれない。しかし、それは決して空想ではない。イメージのようではあっても、私の心が作り出した空想の産物ではなく、確かにそこに存在していた。

 夜、自分の部屋で勉強していたときのことだ。何かの拍子にふと顔を上げたとき、父の魂が現われた。生前の父の姿が見えたのではない。勉強部屋にいきなり父の幽霊が出現したら、いくら父親でも、私は恐怖のあまり気を失ったかもしれない。
 父は、一本の線という形で現われた。空中に、水平に伸びる一本の線が浮かんでいた。真ん中に区切り目の印があった。区切り目の左側は生の領域で、右側は死の領域だ。父であるその線は、生の領域から区切り目を通過して、死の領域へ入り、さらにどこまでも真っ直ぐに変わることなく続いていた。
 その線が父だということは、すぐわかった。区切り目が、生と死の境であることも、当たり前のように、わかった。後で振り返って考えると、何故そういうことを一瞬で理解できたのか、不思議なのだが、私は、恐怖におびえることも、なつかしさで胸がいっぱいになることもなく、ごく冷静に、その線と区切り目の意味を受け止めていた。

 父は死に、肉体は滅んだが、線という形で表わされている父の核、父の実体は、生死に関わりなく、生死を超えて、変わらず、揺るぎなく、永遠に続いているのだ。人間とは、そういうものなのだ、と、私は思った。生と死は、表面の現象にすぎない、人間の核の部分は、生死を超えて、厳然と存在し続けるのだ、と。

 よく覚えていないのだが、目からウロコが落ちる思いだったのだろう。その後、授業で作文の宿題が出されたので、私はこの“大発見”について、意気込んで書いた。生と死は、表面の現象にすぎない、ということを、特に強調したように思う。だってそうでしょう、父は生きているときと同じように、死んでしまってからも、変わらず存在しているのだから! 父の核は、死という恐ろしいものの影響を、全く受けていないのだから! この“真実”を知れば、みんな死の恐怖から解放されるでしょう!

 私の幼い思考からひねり出された言葉は、私の発見と心情を、正確に伝えなかったようだ。亡き父について書くことで、可哀相だと思われたくないと、心のどこかで思っていた私は、ことさら乾いた、理屈っぽい言葉を並べ立てた。父が、死んでも消滅しておらず、堂々と存在し続けていることを知って、どれほど安堵しているかを、素直に言葉にできなかった。
 目を通されて戻ってきた原稿用紙の余白には、赤ペンで、かなり多い行数の、先生のコメントが書いてあった。生きることを大事にしなさい、死を厳粛に受け止めなさいという内容の、その文章の裏側に、突飛なことを書いて寄越した生徒への、先生の心配が見え隠れした。
 気遣われていることはわかったが、理解されなかったという落胆も大きかった。死んでも存在し続けるなどということは、そうたやすく理解してもらえることではない。「世の中、こんなもんさ」という思いで、私はこの一件を締めくくり、今後このことを人に話すのはやめようと心に決めた。

 
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第4章
        

 
           光の河


 焼けつくような陽射しの下、広い霊園の中で、道に迷った。何区画の何番という、お墓の住所(?)を記した紙をなくしてしまったので、うろ覚えの記憶を頼るしかなかった。前もって霊園事務所で確認すればよかったのだが、なあに、行けばわかるさ、という持ち前のおおざっぱさが災いして、私は汗だくになりながら、途方に暮れていた。

 すっかり嫌気がさし、もう墓参りなんかやめて帰ろうかと思い始めた時、道を一本間違えたことに気付いた。曲がるべき道を素通りして、その先の道を曲がったために、別の区画に来てしまったのだ。間違いに気付いた後は、ウチのお墓のある区画を探し当てるのに、たいして時間はかからなかった。お墓を洗ったり、花を生けるための水を汲んだりする水道がみつかり、たしかこの水道から数メートル先の右側、と目をやると、はたして、浦山の名を刻んだ、ピンクがかった御影石が、目に飛び込んできた。


 よかった……。
 心底、ホッとした。嬉しくなった。家に帰り着いたような安堵感があった。
 ピンクの墓石が、本当に、自分の家のように思えたのだ。墓石の奥は、私達家族の住まいで、父と母がそこにいる。「パパ、ママ、ただいま」額の汗を拭いながら、私は家族の団欒に溶け込んでゆく。まるで食卓の用意をしているような気分で、私は墓石をていねいに洗い、花を生け、線香に火をつけた。


 道に迷い、迷子の心細さを味わったおかげで、お墓を家のように感じることができたのだ。時間を無駄にし、体力を消耗したが、道に迷ったことは正解だったかもしれない。今日の墓参は、いつもの墓参とは違う。子供の気持ちに戻って、父と母をありありと思い出すことは、これから始める、父にパワーを与えるという仕事の導入部として、必要なことだったのだろう。

 遠くで蝉が鳴いていた。芝生は焼けつくようだった。活けられた花を眺め、ペットボトルのお茶を飲み、呼吸を整えて、私は瞑想に入った。


 初めは多少人目を気にしたが、暑いせいもあってか、そういう雑念はすぐ消えた。猛暑は、よけいなことに気を回すゆとりを、私から奪っていた。空のかなた、遥かかなたの虚空にいる父に、意識を集中する。「パパに光を、パパに光を」心の中で何度もつぶやき、額から天に向かって、光が送り出される様をイメージした。黄色やオレンジ色や、白熱して白く輝く光の粒々が、天高く昇っていく。無数の光の粒子は、集まって川となり、流れはしだいに太く、強く、勢いを増していった。きらめく光の川は、やがて、こちらから向こうへ流れるだけでなく、天のかなたから私に向かう、もうひとつの流れを作り出した。双方向の流れを持つ、光の河。強いエネルギーの奔流に、私は圧倒され、体はじんじんと熱くなっていった。

 そして、瞑想は終わった。体の内部で高まっていたエネルギーが、徐々に鎮まり、現実的な感覚が戻ってきた。強い陽射しにさらされていたジーンズの膝と太ももが、異様に熱くなっているのに気付いた。そろそろ引き上げなければ、熱中症になってしまう……。

 駅前の花屋で借りてきたバケツや柄杓、空のペットボトルなどを取りまとめ、もう一度お墓に向かって、「さよなら」とつぶやいた。父にパワーは届いただろうか。本当に父を助けることができただろうか。


 霊園の入り口に向かう並木道に、風が舞っていた。酷暑が少しおさまり、木々の梢が、涼しげに揺れていた。私の心も、涼やかだった。体の中心に、すがすがしい空気の通り道ができたように感じ、豊かに呼吸ができた。
 父に、光は届いた。天のかなた、広大な宇宙空間に存在する父を、はっきりと感じることができた。父と私は、今、一本の太い糸でつながっている。そう思えた。勉強部屋に現われた父の魂が、生死の境を越えて、悠然と存在し続けたように、あの世の父と、地上の私は、生死の境を越えて、ひとつに連なることができた。これからは、いつも父と一緒だ。父は私を見守り、助けてくれるだろう。そう思うと、深い安心感が心の隅々にまで満ちた。


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第5章



          窓辺のフフ


 フフは、私が墓地で、父に向かって瞑想をしていた時、光の流れに乗ってやって来た。フフの登場を、私はそんなふうに想像した。遊園地のウォータースライダーで遊んでいる子供のように、はしゃぎながら、笑いながら、ものすごいスピードでフフは地上に降りてきた。


 しばらくの間、私はフフの存在に気付かなかった。
 そういえば、掃除機をかけたり、あれこれ考え事をしながら、部屋を歩き回ったりしている時、空中にごく小さな光を見ることはあったのだ。それは白く、時には青く、一瞬きらっと光って、消えてしまう。頭上にほのぼのと温かく、何かおかしなものがいて、そのものが自分を眺めているように感じたこともある。でも、そんなことは、すぐ忘れてしまう。私の日常は、占いや陶芸教室の仕事をしたり、陶器の製作に没頭したり、お金の計算をしたり、うまくいかない人間関係に頭を痛めたりすることで、大半が埋めつくされているからだ。

 夏が終わり、秋の虫の声が、家のまわりの草むらから聞こえ始めた頃、突然フフはその姿を現わした。秋の展示会に出品する作品の目途が立ったので、ホッとしてひとりでビールを飲んでいる時だった。開け放した窓から、虫の声とともに、草の香りが漂い、心地よい酔いに身を任せて、私は数分うとうとした。

 そして……。コトンというかすかな物音に目をあけると、窓辺に不思議なものがいた。
 雑然と並べてある陶芸作品の間に、足をブラブラさせながら、フフは腰かけていた。その時のフフは、身長が30センチくらいで、まるで人形作家が作った人形のようだった。下ぶくれのほっぺたは可愛かったが、バサバサの髪と細い目は、ちょっとシュールな感じがしたし、薄茶色の瞳は、どこを見ているのかわからない、謎めいた光を帯びていた。

「フフ」
 私の胸の中心から、声にならないささやきのようなものが聞こえてきた。そのささやきと同時に、フフはゆっくりと私のほうに顔を向け、わずかに首をかしげて、今度は前よりも焦点の定まった目で、じっと私をみつめた。


 柔らかな薄茶色の瞳は、信じられないほどの強い力を持っていた。その瞳の前では、私の心はガラス張りも同然で、人に知られたくない弱点も、隠しておきたい汚さも、嘘もごまかしも、すべて見透かされていた。

 フフの瞳をみつめながら、同時に私は、自分の心をみつめていた。私の心の透明な部分、柔らかな、温かい部分、曖昧な濁った部分、どす黒い塊のような部分、それらがくっきりと映像のように見えていた。それはけっして嫌な感覚ではなかった。すがすがしいと言ってもいいくらいの冷静さで、私は自分の心を、あたかも別の生き物を見るかのように、眺めていた。

 自分の心の汚さ、醜さを見ても、苦しくならなかったのは、フフの瞳が愛にあふれていたからだと思う。澄み切ったその瞳は、可憐なその姿は、愛そのものだった。

 不思議な感動に包まれて、私は深く息を吸った。その呼吸とともに、フフはにっこり笑ったかと思うと、すうっと消えていった。



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第6章



         隠されたもの


 オカルトという言葉を百科事典で調べると、「隠されたもの」という意味のラテン語の言葉が語源であると書いてある。事典によると、オカルトとは、「隠されたもの。目で見たり、手で触れて感じたりすることのできないもの」である。オカルトという言葉はまた、何か怪しげなもの、邪道と思われることを非難する時、しばしば使われた。常識に反する、新しい理論や、異端の宗教などを攻撃する時、オカルトという言葉を非難のレッテルのように使ったのである。そのためか、オカルトという言葉には、暗いイメージがつきまとう。不気味な心霊現象を扱った映画を、オカルト映画と言うが、この手の怖い映画も、オカルトという言葉のイメージダウンにひと役買っている。


 手で触れたり、目で見たりして、存在を確かめることができるのは、物体である。この世の現実は、物質、物体で構成されているから、すべて目で見、手で触って確認できる。しかし、オカルトという言葉が大昔から存在することでもわかるように、現実というのは、物質、物体だけて構成されているのではない。物質、物体ではないもので構成されている、もうひとつの世界がある。よく考えれば、心というものも、肉眼で見たり、体で触れたりすることのできないものである。長い人生の、すべての喜びと苦しみの源である、心というものは、隠されたもうひとつの世界、オカルトの世界に属しているとも言えるだろう。

 勉強部屋で父の魂を見てから、私は、目に見える現実がすべてではないと思うようになっていった。テーブルクロスをめくると、テーブルの板が現われるように、私達が普通に認識している現実というものの下に、本当の、本物の、“真実”が隠れているのだと思い込むようになった。目に見える現実とは、テーブルクロスのように薄っぺらいもので、その下に存在するもうひとつの世界こそ、はかり知れないスケールと重みを持ったもののように思えた。

 二十歳前の夢見がちな頭で、私はいろいろな想像をめぐらした。仮に自分の部屋から屋根を突き抜け、どんどん上へ昇っていったらどうなるだろう。まずはこの家の屋根が見え、それからこの町の密集した家々の屋根や道路を俯瞰し、さらに東京都を眼下に眺め、さらに上昇して日本列島や中国大陸や太平洋を見、どんどん昇って雲を突き抜け、ついに地球の外に出る。私は遥か下の青い地球を眺めながら、漆黒の宇宙空間に漂っている。そうなったら、物質で構成されている現実の下に隠れている、もうひとつの世界、揺るぎない真実を、あますところなく理解できるだろう……!


 そうなりたいと思った次の瞬間、これは死ぬことだと気付いた。広大な宇宙空間に漂うのは、私の肉体ではなく、魂なのだ。隠された、揺るぎない真実の世界を、あますところなくわかった時、私は霊魂になっている、と。

 宇宙空間に、奈良の大仏より大きい、巨大な仏様が浮かんでいる様を想像したこともある。菩薩だか、如来だかわからないが、とにかく仏像の姿をしたその仏様は、両性具有で、なんと男女の性器をそなえているのだ。体の中に春の芽吹きのようなむらむらしたものを感じ、多分に色気づいていた当時の私は、その仏様が男性でも女性でもない、中性の存在と考えるのが、つまらなかったのである。中性の存在から、生命は生まれない。両性具有の巨大な仏は、自分で子作りのための営みをし、歓喜に浸りながら、ダイナミックに、おおらかに、新しい命を次々に誕生させるのだ。

 目に見える現実の下に隠れている世界について、もっと知りたいと思ったが、どうしていいかわからなかった。真理の探究をするには、哲学か宗教に関する本を読むのがいいだろうとは思ったが、何故か手が出なかった。そういう種類の本は、文章が難解で、眠くなるのがオチだろうと思ったし、私は隠された世界について、知識を深めたり、論理的に理解したりしたいのではなかった。父の魂を見た時のように、その存在を理性だけではなく、感覚で納得したかったのだ。

 隠された世界を、真に理解することができたら、もう死んでもいい……。本気で死んでもいいと思ったわけではないが、隠された世界を理解することは、私の人生の究極の目的のように思えた。
 20代半ば頃まで、私の頭の片隅には、常に、このような思いがこびりついていた。23、4歳の時に知り合った恋人が、老子、荘子といった東洋の思想家について造詣があり、彼の話を聞いているうちに、こういった東洋の哲学書を読みたくなった。

 このテの書物はやはり難解で、私の知力が不足していることもあり、言葉の迷路に迷いこんでゆくような、自分が本当に知りたいことから、少しずつ遠ざかってゆくような感じがあったが、ただ一行、強烈に目に飛び込んできた文章があった。
『死生は一条』
 それは荘子が書き残した言葉だった。

 一条とは、ひとすじという意味だ。死生はひとすじ。死と生は、一本の線として、連なっているもの……。

 私は目をまるくして、本の活字をまじまじとみつめた。勉強部屋の空間に、一本の線という形で現われた父の魂は、まさにこの言葉通りだったからだ。真ん中に生と死を分ける区切り目を持つ、一本の線。生の領域から死の領域へと、変わることなく続く父の魂。死と生は一条であると、父の魂は語っていた。

 高名な思想家の言葉と、自分が見た光景が一致していることで、私は、死んでも人間の魂は存在し続けるという自分の考えに、いよいよ確信を持った。「私は、正しかったのだ!」心の中でそう叫んでいた。

 荘子をきちんと理解していたわけではないが、人生をひとつの夢としてとらえているのが、荘子の思想なのではないかと、私は思った。生まれてから死ぬまでの何十年という人生は、長い長い夢の時間なのだ。私達は日々、さまざまな出来事にぶつかり、目をしっかり開けて現実と格闘しているつもりだが、実はそれは夢の中の出来事なのだ。では、いつ夢から醒めるのか。死んであの世に行った時、人は長い夢から醒め、本来の自分に戻るのだ。
?……!
 頭の中に大きな疑問符を浮かべながら、一方でこの考え方に奇妙な親しみを感じた。目に見える現実がすべてではない、その下に隠れている世界が、本来の世界。私のこの考えと、人生を夢とする荘子の考えには、通じるものがあるように思えた。

 仏教にも、これに似た考え方がある。来世を信じ、現世を仮の世とする考え方だ。現実は常に移り変わり、不確かで不安定なものだ。出会いがあれば、必ず別れがあり、幸福は長続きせず、肉体は老いて、死に至る。あの世にこそ、永遠の平安があると考えるのだ。
 シェークスピアも似たようなことを言っている。シェークスピアは、人生は劇場だと言う。人はそれぞれ、人生という舞台で“自分”という役を演じ、そして去っていくのだ。死を迎えて、舞台を下り、“役”ではない本来の自分に返るということなのだろう。

 隠されたもうひとつの世界から、私達はやって来て、“夢を見る”にしろ、“役を演じる”にしろ、物質という不確かなものに囲まれた“仮の世”で、何十年かの人生を送り、そして、もとの世界に帰っていく……。


 20
代後半にさしかかる頃から、どういうわけか、私はこういうことをあまり考えなくなっていった。理由はまったくわからないが、真理を確かめたいという欲求はどんどん薄れ、父の魂を見たことすら、記憶のかなたに遠ざかっていった。恋人と一緒に暮らすようになったことで、生活が大きく変わったからかもしれない。母を裏切り、家を出、彼のもとに走り、その後母が急死し……と、激烈な出来事が続いたからかもしれない。
 人生は“夢”と呼ぶにはあまりにも強烈であり、自身が招いたこととはいえ、現実は過酷だった。自分の思いを、無理やりにでも貫き、幸福を手にしたが、代償も大きかった。

 私は“目に見える現実の世界”に没頭した。彼との愛に酔い痴れ、彼を失うことを恐れ、自分がきれいで色っぽいかどうかが、常に気になり、洋服やバッグをたくさん欲しがり、仕事や才能に関してコンプレックスを抱き、その他さまざまな欲望を募らせた。“隠された、もうひとつの世界”は、私の脳裏からどんどん消えていった。




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第7章



          前世について


 昨今のスピリチュアル・ブームのおかげで、魂は永遠であること、人は何度も生まれ変わることを、信じている人は多いだろう。

 人間は、みずからの魂をより良いものにするために、突きつめて言えば、愛というものを学ぶために、時代を変え、場所を変えて、何度もこの地上の生を経験する。人類の平均値として、いったい何回ぐらい生まれ変わるのか、知りたいような気もするが、確実な値を言える人は、おそらくいないだろう。相当数の地上の生を、それぞれの人が経験するのだろうと思う。

 今でこそ、前世や生まれ変わりについての話を、気楽にできるようになったが、私が10代、20代を過ごした頃は、世の中に、今のようなスピリチュアルな風潮はなかった。その当時、世の中の中心となって、時代を作っていた世代、我々の親の世代は、ほとんどの人が無神論で、現実的で、死後の世界を否定する考えを持っていたように思う。どうして彼らが、現実重視に傾いたかと考えると、そこには戦争と敗戦が関係しているように思われる。

 
私達の親の世代は、感受性の豊かな若い時代に、戦争の悲惨さと敗戦がもたらした貧しさを経験している。私は母から、東京が空襲に遭ったあとの話や、着物を農家に持っていって、お米に変えてもらったりと、食料がなくて苦労した話など、いろいろ聞いているが、もし自分がそういう体験をしたらと考えると、身の毛がよだつ。

 頭上を敵の飛行機が飛び交い、爆弾が雨あられと落とされ、目の前で次々に人が死んでいく。広島と長崎には原子爆弾が落ち、想像を絶する地獄が出現する。天皇が敗戦を認め、鬼畜米英と憎み、恐れた、アメリカ軍が乗り込んでくる。そういう苛烈な出来事が、息つく暇もなく、次から次へと襲いかかってくるのだ。このような状況にいて、それでもなお神の存在を信じられるとしたら、その人はよほど強い精神力の持ち主ではないだろうか。たいていの人は、神などというものは存在しないと、それは人間の弱さが作り出した幻想にすぎないと、心の底から思うのではないだろうか。


 首都が焼け野原になり、すべてを失ったところから這い上がっていくとき、神や魂のことを考えている暇はないだろう。聖書に出てくる神は、天からパンを降らせてくれたが、どんなに信心をしても、空中からご飯が現われるわけではない。物がないとはどういうことかを、骨身に染みて知っている、私達の親の世代は、物が豊かにあることこそが幸せなのだと信じた。それは当然のことだ。空腹のつらさを日々味わっていたら、おいしい物をお腹いっぱい食べられる暮らしは、夢のような生活に思えるだろう。

 物の豊かさを求めて、私達の親の世代は、高度経済成長の時代に突入する。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、クーラー、車……、今ではあるのが当たり前になっている、そうした品々を、私達の親の世代は、ひとつひとつ手に入れ、一歩ずつ、着実に、夢を実現してきたのだ。明日のご飯もままならなかった状態から、わずか20年足らずの間に、日本は、ほとんどの人が家電に囲まれた生活をするようになった。これは驚くべきことだ。この素晴らしい発展は、物とお金が人生に幸せをもたらすという、強い信念がなければ、実現しなかっただろう。

 神は何もしてくれないが、お金は幸福をもたらす……。

 技術のめざましい進歩は、科学は万能であるという、一種の信仰を生み出す。実際には科学のカの字もよくわかっていない人々が、「○○は科学的である」とか、「○○は科学的に証明された」とかいう言葉を聞くと、納得した顔をする。科学の何たるかを知っている、科学者のほうが、よほど謙虚なのではないだろうか。

 神は玉座を追われ、科学がその後釜に座った。
 
 科学は物質を扱う学問なので、物質ではない神や魂や心といったものは、脇へ除けられてしまった。もちろん、どのような宗教にしろ、篤い信仰を持ち続けている人はたくさんいる。しかし、信仰を持つことは、尊敬の対象とはならなくなった。真面目くさって神に祈りを捧げるのは、どこか野暮ったく、お金をかけてお洒落をし、おいしい物を食べ歩き、自由に恋愛をすることが、カッコいい生き方に見えたのである。


 魂は永遠であり、人は何度も生まれ変わるという考えは、迷信とされた。科学万能、物質中心の世の中では、魂というものの存在すら、疑わしいことになってしまう。肉体イコール自分自身なのだから、肉体が滅んだときは、自分も消滅する。自分が消える……。なんと恐ろしいことだろう! 私は幼い頃、「死んだら、自分は消える」という考えに取りつかれ、心底怯えた時期があった。死ぬことを考えると、いてもたってもいられないほど恐ろしくなり、必死になって、死を考えまいとしていた。

 父の魂を見て、死後も父は存在していることを知り、魂が永遠であることがわかったが、輪廻転生については、まったく信じていなかった。多くの人と同じように、生まれ変わり、輪廻転生は、迷信だと思っていた。一人の人間が、あるときは日本人になり、別の人生ではアメリカ人になり、中世に生まれたり、現代に生まれたりして、いくつもの人生を送るなどということは、どう考えても馬鹿げた作り話としか思えなかったのである。



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第8章



           エジプト


 27~8歳の頃だと思う。同棲していた恋人が、仕事がらみの旅行でエジプトに行った。私達は、アメリカ、シンガポール、ハワイ、グアム、サイパン……と、いろいろな所へ行ったが、この時の旅は仕事が中心なので、私はついて行くことができなかった。それに、エジプトには何の興味もなかった。

 ピラミッドとスフィンクスとミイラの国。熱く、埃っぽく、古代の墓がたくさんあって、どこか死の匂いが漂う国。エジプトには、そういう印象しかなかった。

 彼は、アラバスターで作ったエジプトの神様の人形や、パピルスに描かれた絵や、刺繍のしてあるブラウスなど、いろいろなみやげ物とともに、満足げな顔で帰ってきた。その時、彼が何を話したかは覚えていないが、とにかくエジプトをとても面白いと言っていた。

 彼の旅行は一週間ほどだったが、彼が不在の間に思ったのか、彼から旅の話を聞いて思ったのか、さだかではないが、私は、突然、自分もエジプトへ行こうと思い立った。彼の話に大きな影響を受けたというわけではない。これをしたい、これを見たいという、明確な目的を持ったのでもない。よくわからないが、突如として、エジプトへ行くんだと決め、その日からエジプトに関する本を読みあさり、古代の歴史についての知識を頭に詰め込み、旅行の手続きをし、一ヶ月後には機上の人となっていた。

 エジプトへ行くに当たって、どうしてむさぼるように古代エジプト史の勉強をしたのか、わからない。歴史の知識があるとないとでは、旅の楽しさや充実の度合いが大きく違ってくる。だから本を読みあさったのだが、それにしても私は、試験勉強でもするかのように、真剣に知識を頭に叩き込もうとしていた。
 本を読み進むうちに、一人のファラオに強く興味を抱いた。黄金のマスクが日本にも来たことのある、あのツタンカーメンの父で、アクナトンという王だ。

 アクナトン(イクナテンとも言う)は、宗教改革と遷都を実行し、芸術に新しい様式を取り入れ、武力によって国を守るのではなく、平和主義を貫こうとした、異色のファラオだ。古代エジプトは、多神教だが、アクナトンはそれを改めて、太陽を崇拝する一神教を、国の宗教のありかたとした。それとともに、首都をテル・エル・アマルナに移し、宮殿や神殿の建築、装飾に、新しい芸術様式を取り入れ、芸術の振興に力を注いだ。都がアマルナにあったので、アクナトンの時代の芸術を、アマルナ芸術と呼ぶ。物質的繁栄よりも、精神性を大切にする、この理想に燃えたファラオは、しかし王として、政治家としての現実的な手腕には欠けていたようだ。強引な宗教改革や遷都をしたため、職や既得権益を失った者が多数現われ、多くの人々の反感を買い、わずか20年足らずで、その統治は終わってしまう。宗教と政治をもとの姿に戻そうとする人々によって、国は運営され、アクナトンの子である、まだ幼いツタンカーメンが、飾り物の王として玉座に座るのだ。

 古代エジプトでは、象形文字が使われており、ファラオの名を記した象形文字をカルトゥーシュと呼ぶが、アクナトンのカルトゥーシュはことごとく削り取られている。この王を憎み、排斥した人々は、神殿や墓の壁に、アクナトンの名前が少しでも残ることすら、許せなかったのだろう。削られたカルトゥーシュの跡は、渦巻く憎悪と熾烈な権力闘争を物語っているようだ。王の座を追われたアクナトンは、まもなく病気か何かで亡くなり、子のツタンカーメンも、若くしてこの世を去る。

 アマルナ時代の彫刻や壁画は、人物の頭が異様に長かったり、腰や太腿が不自然に肥大していたりと、デフォルメされているように見える。それ以前、またはそれ以後のレリーフや彫像と比べると、非常に個性的である。そのためにアマルナ芸術と呼ばれるのだが、これは美術の手法としてのデフォルメではなく、アクナトンの体に病的な異常があったからだという説もある。

 アクナトンが病弱だったかどうかはわからないが、少なくともこのファラオは、とても繊細な神経の持ち主ではないかと、私は思った。頭脳明晰で思索的で、純粋な心の持ち主。友達と外を走り回る、スポーツ少年ではなく、木陰で本を読むのが好きな、内気な少年。その内気さは大人になっても変わらず、優しさも情熱も人一倍持っているのだけれど、自己表現があまりうまくない。純粋な心は成人しても曇ることがなく、純粋ゆえに高い理想を求め、理想の実現に、熱狂的なまでに力を注ぐ。あまりに熱を入れるので、まわりの人々の気持ちが見えなくなり、自分が成そうとしていることが、或る人々を窮地に陥れることになるということに気がつかない。というより、金や物や権力にしがみつく人間は嫌いなので、そういう人々の身の上を思いやることがない。


 デフォルメされたファラオのレリーフの写真を眺めながら、アクナトンという人物について、私は勝手に想像をめぐらせていた。僅かの間、地上に存在したアマルナの都が、一輪の白い花のように、優しく美しい都市であったように思えた。アクナトンの人柄と理想を反映した、それは清らかさを感じさせる街であったに違いない。
 いつのまにか、私はアクナトンとアマルナの都を、好きになっていた。



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第9章



      砂漠の像


 ナイル河を、ゆっくりと帆船が行き交う。遠くのモスクから、朝の祈りの声が聞こえてくる。河の上にかかる靄を、太陽が金色に染め、モスクの丸い屋根も輝き始める。
 ホテルの部屋のベランダから、私はルクソールの朝の風景をうっとりと眺めていた。エジプトは、幻想的な国だった。
 
 砂漠に点在する、ピラミッドや巨大な神殿。紀元前千数百年の風景が、二十世紀の風景にミスマッチに入り混じっている。首都のカイロは、ビルが並び、車がひしめき、市場は活気に溢れ、喧騒に包まれているが、カイロを出れば、そこはもう砂漠で、遠くにクフ王のピラミッドが見え、とたんに紀元前の時代の匂いが漂ってくる。

 数千年前のファラオの時代が残したものは、あまりにも強烈なので、私達は現代を生きているはずなのに、いつのまにか意識がはるか古代へと引き戻されてしまう。現代という時間軸と、紀元前のファラオの時代の時間軸と、ふたつの時間軸を持つ国。あまたの墓と遺跡を抱え、死の匂いを漂わせ、ファラオの呪縛から逃れることができないでいる国。一週間の旅のあいだに、私はこのような感想をこの国に対して持ち、もやもやと違和感や不思議さを感じ続けていた。

 エジプトへ行こうと思い立った時は、何をしにエジプトへ行くのかという、はっきりした目的はなかったが、カイロ空港に降り立った時の私には、ひとつの目的があった。それは、可能な限り、アクナトンの足跡を辿ることだった。
 英語が苦手で、海外の女の一人旅にはまるで自信がなかったので、私はツアー旅行に一人で参加することにした。グループ旅行なので、スケジュールが全て決まっており、どれだけアクナトンの跡に触れることができるかわからなかったが、カイロ博物館は旅程に入っており、そこでアマルナ時代の美術品を見ることができると、ひそかに胸を躍らせていた。

 カイロ博物館の陳列品をていねいに見ようと思ったら、一日では足りないだろう。興味を惹かれるものはさまざまあったが、時間に限りがあるので、あのツタンカーメンの黄金の副葬品やマスクすら、ちらっと眺めただけで、私はまっすぐアマルナ時代のコーナーに向かった。
 展示室の入り口を入ると、まず目に飛び込んできたのは、高さが4メートルくらいはありそうな、アクナトンの石像だった。それは本に載っている写真の像と同じもので、何度も目にしていたが、実物は写真よりもずっと異様に見えた。長すぎる顔、ややつりあがった、大きな切れ長の目、細くとがった顎、はれあがったように見えるほどの、分厚い唇。上半身はほっそりしているが、腰から下は太く、腿が異様にふくらんでいる。人間の体の均衡を、限界まで崩したような作品。美を追求するというよりは、どこまでアンバランスなものを作れるかと、ただそのことだけに熱意を注いだような彫像だ。

 この極端なデフォルメが、アマルナ芸術というものなのか。それともアクナトンの体は、奇形だったのだろうか。疑問符が頭の中に点滅する。
 太陽を崇拝しているファラオ一家の絵も、皆、頭部が異様に細長い。あまり美しくないなと、少しがっかりしながら見て回るうち、やっと文句なく美しいと言える像に出会った。それは王妃ネフェルティティの、色鮮やかな頭部の像だった。
 顔料で彩色された木像で、絵の具がほとんどそのまま残っている。端正な顔立ちで、このまま現代に持ってきても、女優になれそうなくらいの美人だ。この像は、デフォルメではなく、写実の手法で作られている。くっきりとした眉と、気の強そうな、大きな眼。高い鼻。きりっと引き結んだ唇には、意志の強さが感じられる。夢や理想を追い求め、とかく現実離れしがちな夫のかたわらで、この王妃は国を統治するための、さまざまな仕事を一手に引き受け、時には策を弄し、時には権力をふるい、日々、現実と格闘していたのではないだろうか。そんな想像をかきたてるような顔だ。

 この王妃は、アクナトンが何を願い、何を望み、どういう心を持って生きていたのか、本当に理解していただろうか。ふと、反感にも似た思いが、胸をよぎった。この王と王妃は、性格も人格もまったく違う、相通ずるものがとても少ない夫婦だったのではないだろうか。美しいネフェルティティの像からは、強さは感じられても、女性の柔らかさや包容力は、まるで感じられなかった。アクナトンは孤独ではなかったか……。そんな思いが、じわじわと心の底に広がっていた。
 アマルナ時代の物は、後代のファラオによって壊されたり、捨てられたりしたのか、あまりたくさんは残っていない。陳列品の少なさにも少し失望しながら、展示室を出ようとした時、ふと目にとまったものがあった。
 高さ20センチくらいの、小さな石の像。柔らかい石で出来ているらしく、像といっても、目も鼻も顔の輪郭も、体の線も、磨り減って定かではない。説明書きを見ないと、これが何なのか、よくわからない。
 表示板のタイトルには、“娘を抱くアクナトン”と記してあった。
 なるほど、幼い我が子を膝に抱いている姿に見える。顔を俯けて、娘の顔をのぞきこむようにしている。我が子がいとしくて、いとしくて、たまらないといった風情が、丸みを帯びた肩のあたりに感じられる。
 と……、突然、涙がこみ上げてきた。涙で視界がかすみ、白くぼやけた石像をみつめながら、なんと優しく、なんと温かい姿だろうと思った。娘に対する、このファラオの愛の深さに感動していた。
 デフォルメされた彫像は、何も伝えなかったが、この磨耗した小さな石像は、アクナトンの生の心を伝えていた。

 この旅行を後になって振り返ると、自分が毎日、不思議なほどいきいきしていたことに気がつく。エジプトの神秘の力が、私の体と心に作用したのか、砂漠の暑さにも疲れず、水が悪いのでツアー仲間の多くが下痢をしても、私の腸は健康に働き、ホテルの近くの村を一人で訪ねて、日干しレンガの家でお茶をごちそうになるなど、好奇心にあふれて行動していた。
 遺跡は、どれもこれも面白かった。廃墟にしか見えない、崩れかけた神殿は、かえって想像力をかきたてた。砂漠の風にさらされているこの道は、昔は立派な参道だったのだ。女神を祭る神殿に、参拝のために多くの人が集い、参道は行き交う人々で、あふれ返っていた。道の両側には、参拝客をあてこんで、小さな店が軒を連ね、物売りの声や、品物を値切ったり、ひやかしたりする声が、飛び交っていた。神殿は、鮮やかな色彩の壁画で飾られていた。絶え間なく香が焚かれ、その匂いと、女達が髪や体につける香料のきつい匂いが混ざり合い、むせ返るほどだった……。
 想像力は翼を広げ、私にはこのような光景が、まるで現実のものであるかのように、ありありと感じられた。本で得た知識が助けとなり、紀元前のエジプトが頭の中によみがえった。エジプトは繁栄していた。そして当時のエジプトは、砂漠の国ではなく、都市や街の周囲には、豊かな緑が広がっていた。
 
 旅の後半は、ルクソールの観光だった。ルクソールは、古代エジプトが最も栄えた頃、テーベという名の首都があった所だ。アクナトンの治世の時、テル・エル・アマルナに遷都されたが、アクナトンが失脚した後、都は再びテーベに戻った。
 巨大な円柱が立ち並ぶ、ルクソール神殿があり、ナイル河の対岸には、歴代のファラオが眠る王家の谷がある。カルナック神殿、ハトシェプスト女王の葬祭殿など、有名な遺跡が多い。砂漠は焼けつくように暑いが、ナイルの河畔は涼しく、丈の高いマストに白い帆を張った帆船が、ゆったりと往来している。時計がなくても暮らしていけるような、のんびりしたところだ。
 神殿や王族の墓の見学の合間に、ルクソール博物館を訪れた。カイロ博物館に比べると、規模はぐっと小さい。ルクソール博物館のことを、私は全く知らなかったので、何を見ようという目的意識も期待もなく、皆の後についてなんとなく館内に入っていった。神様の壁画やヒエログリフもそろそろ見飽きていた。

 正直言って、ひとつの物を除いて、ルクソール博物館に何が展示されていたか、全く覚えていない。一階の展示室をざっと見て、二階への階段を上った。と、そのときだった。いきなり高さ2メートルくらいはありそうな、大きな石の顔が、目の前に現われた。階段を上りきったところに、アクナトンの頭部だけの石像が陳列されていた。
 …………。
 このとき、心の中に湧き上がった思いを、どう説明していいかわからない。思いは真実だが、言葉にすると、荒唐無稽な印象を与えるかもしれない。
「やっと、会えた……」

 石の顔を見た瞬間、ふいにこのような言葉が、胸の中心に湧き上がってきた。会いたい人に会えたという思いに浸ったのではない。分厚い唇と大きな目の、アクナトンの石像は、これまでにさんざん見てきている。「会えた」というのは、アクナトンの像をまた見ることができて、嬉しい、という意味ではない。
 ただ、「やっと、会えた」という言葉だけが、唐突に、心の中に浮かんできたのだ。現実の私自身とは無関係なところで、心が勝手にそうつぶやいていたと言ったほうがいいかもしれない。

 私は、まじまじと石像をみつめた。不思議な感覚にとらわれていた。私にはその像が、硬い石で出来ていると思えなかったのだ。石の壁の向こうに、血の通った、生身の男がいた。石を透かして、私の心は、温かい肌と広い胸を持った、生身のアクナトンを見ていた。石の向こうに、確かにいるその男は、私がよく知っている男だった。肌の温もりと匂いを、深い息遣いを、私は知っていたし、彼の喜びや悲しみや苦しみについても、おそらく、少しは知っていた。
 男は今にも、石から抜け出てくるのではないかと思われた。それほどのなまなましさで、アクナトンは私の前に立っていた。
 しかし、その感覚は、ほんの数秒のものだった。ハッと我に返った時、目の前には硬い石の顔しかなく、裸のアクナトンの幻影は、脳裏から跡形もなく消えていた。

「今のは何だったのだろう」
 そう思うしかなかった。あまりにも理解を超えたことだったので、またほんの僅かの間の出来事だったので、私はこのことをほとんど心に留めることはなかった。エジプトの旅は、日々刺激的で、このことについてゆっくり考える時間も心のゆとりもなかった。旅が終わり、成田空港に到着した頃には、このルクソール博物館での出来事は、記憶からほとんど消えていた。

 エジプトから戻って、数日たった頃。お風呂に入っていたときのことだ。お湯にゆっくりと浸かりながら、旅の思い出に耽っていた。スフィンクスやら、ピラミッドやら、神々の壁画やらの鮮明な映像が、頭の中を走馬灯のようにぐるぐる回っている。帰りの飛行機の中で、エジプト人の乗務員が、コックピットの中を見せてくれた。あれは貴重な体験だったな、などと思っていたそのとき……。
「私は、あそこにいた」
 いきなり言葉が胸の中心から湧き出てきた。あそこ……紀元前のエジプト、遺跡が遺跡ではなく、“現役の”神殿として栄えていた、紀元前千数百年のエジプト……。その古代エジプトに、いた、生きていた、という意味で、「私は、あそこにいた」という言葉が、胸から聞こえてきた。
 ………えっ…?
 ………?……?……!
「私は、あそこにいた。紀元前のエジプトに、いた」

 言葉はしつこく繰り返された。
 そんな馬鹿な……。私は、何を考えてるんだろう。そんなわけないじゃない……。懸命に否定した。しかし、必死で否定すればするほど、言葉はしつこく湧いてくる。
「私は、あそこに、いた」
 正直、自分は気が狂ったかと思った。紀元前のエジプトに自分が生きていたという考えを持つことが、まず正気の沙汰ではないし、それ以前に、まるで胸の奥にもう一人、別の、見知らぬ自分がいて、言葉を発しているような、この状態がそもそもおかしい。
 おかしい……、狂ってる……。しかし、そう思ったのはほんの少しの間で、私は自分の今の状態が、狂っているのではないことを、心の底で気付き始めていた。否定しても、否定しても、紀元前のエジプトに自分は生きていたと言い続ける、もう一人の自分の主張が正しいことも、何故か、心の底でわかり始めていた。

 そうなのだ。私は古代エジプトに生まれ、人生を送っていたのだ。おそらく、いや確実に、アクナトンの時代に。アクナトンのそばで、私は生きていたのだ。
 ルクソール博物館での出来事が、カイロ博物館で、磨耗した小さな石像に涙したことが、すべてひとつにつながった。そうなのだ……。
 否も応もなく、私は前世というものを認めざるを得なくなった。
 でも……、こんなこと、とても人には言えない……。
 「あたし、紀元前のエジプトにいたのよ」なんてことを、友達や彼氏にしゃべったら、それこそ気ちがい扱いされてしまう……。


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第10章



      輪廻


 自分の前世についての“発見”を、私は心の奥深くにしまい込み、封印をした。
 この“発見”について、疑いを差しはさむことは、その後一度もなかった。自分が古代エジプトで生きていたことを、私の心は、明確にわかっていたからだ。
 同時に、これを人に話したら、どんな反応が返ってくるかも、充分に推測できた。信じてもらえないし、わかってもらえないだろう。恋人は不安そうな、困ったような顔で私をなだめ、話題をそらそうとするだろう。皆の反応が怖くて、この発見についてしゃべりたいという欲求は、全く湧かなかった。
 一人だけ、霊の話をよくする友人に、思い切って話してみたことがある。彼女は霊感が強く、霊を見たり感じたりするらしいので、私の話を受け入れてくれると思ったのだ。あの世のことに詳しい人の意見を聞いて、確信を得たかった。
 話を聞くと、彼女は何度もうなずき、目を輝かせて、そうよ、あなたはエジプトにいたのよ、と言った。あなたの背後に、エジプト風の髪型をした女の人が見えるわ……と。
 彼女があまりにもたやすく私の話を信じたので、かえって私は疑いを持った。この人は本当に私の話を理解しているのだろうか……。

 輪廻転生についての書物を読もうという気は、どういうわけか全く起きなかった。生まれ変わることの意味については、何の興味もなかったからだ。自分は古代エジプトにいた。それがわかっただけで充分だった。自分の前世を感じ取っているにもかかわらず、輪廻転生という言葉には、なんとも言えないうさんくささを感じていたので、その種の書物を毛嫌いしていたという事情もある。
 月日は流れ、私はしだいにこのことを考えなくなった。

 前世について、明確な答えを得ることができたのは、それから何年もたってからのことだ。私の恋人は、交際範囲が広く、彼を介してのつきあいの中から、私は一人の霊能者に出会った。彼女は、私が出会った当時は、自分の霊能を自覚していなかったが、後に霊と交信をするチャネラーになり、私は彼女がコンタクトをとっている霊的な存在から、さまざまなことを教わるようになる。そのいきさつは複雑で、いろいろな葛藤もあり、今、詳しく述べるのは控えるが、ともかく、私はその霊的な存在から、輪廻転生の意味と、エジプトでの前世についての情報を、教えられた。

 人は、何度も生まれ変わる。なぜ生まれ変わるのか。
 人間の魂は、もともと不完全なものだからだ。ほころびや歪みやシミがいっぱいある、いびつな魂。それが美しい円形の、澄み切った魂になるために、何度も地上に生を享け、言ってみれば修業をする。人生は、生れ落ちてから息を引き取るまで、勉強の場なのだ。魂の歪みを直し、美しくバランスのとれたものにするのは、とても困難な仕事なので、一回の人生では足りない。輪廻転生の原則とは、こういうものなのだ。
 
 美しい魂、言い換えれば、美しい心を得るために、生きているはずなのに、人間は逆の方向へ突っ走る。人を傷つけ、泣かせる。不幸に陥れ、地獄を味わわせることもある。生きている間に、償いきれない場合が多い。自分の魂、自分の心を、美しくバランスのとれたものにすることが、人間がやりとげなければならない、絶対的な目的なのだから、自分が傷つけた相手に対しては、必ずその償いをしなければならない。ある人生で、誰かを不幸に陥れたら、次の人生で、その人が幸せになるように努めるのだ。相手の幸せを願い、助けたり支えたりするのは、自分の心をバランスのとれた美しいものにすることなのだから、突きつめれば、すべて自分のためにやっていることだ。歪みを直し、相手の傷も自分の傷も癒し、豊かな心を得て、精神的に幸福になるためのしくみが、輪廻転生なのだ。

 理路整然と、その霊的な存在は、輪廻転生について語った。輪廻転生について抱いていた、怪しげな暗いイメージ……因果応報、前世で犯した罪が、現世に降りかかり、こんなに苦しむのだ、といったたぐいの……は、完全に払拭された。スコンと晴れた、どこまでも青い空のように、“人間が生きる”ということが、明るく前向きなことだと思えた。その霊的な存在は、明快に言った。人は、幸せになるために、存在しているのです、と。

 私はエジプトでの体験を話し、自分が感じ取ったことが、本当かどうか尋ねた。霊的な存在は、チャネラーの女性を通して、私が感じたことが全て真実であると言った。
「和代は、古代エジプトで生きていた。アクナトンの愛妾だったそうよ。廃墟のような神殿跡を見て、その神殿の当時の様をいきいきと想像できたのも、和代が実際にそれを知っていたからですって。あなたが言う通り、当時のエジプトは、豊かな緑に囲まれていたそうよ。砂漠になったのは、森を伐採したからですって」

 文明による自然破壊は、古代エジプトでも行なわれていたのか……。紀元前の時代に、先進国であったエジプトで人生を送り、今また、技術大国と言われる日本に生きて、文明による自然破壊の問題に直面している。
「古代エジプトで人生を送っていた人間のうち、多くの人が、現代に生まれてきているそうよ。文明と自然保護という問題が、その人達にとって、クリアーしなければならない課題のひとつだから」
恨みや憎悪、執着など、人間関係や自分に関する問題だけでなく、環境破壊といった全体に関する問題も、乗り越えなければならない人生のテーマだと、その霊的存在は言った。


 それにしても、アクナトンの愛妾だったとは……。日本に置きかえれば、大名の側室のような立場だったのかしら……。カイロ博物館で、王妃ネフェルティティの像を見た時、反感にも似た思いを抱いたことを思い出した。王の愛人なら、王妃を好きにはなれない……。
 チャネラーの女性は、サインペンを手に取り、するすると絵を描きだした。しばらくして、エジプト風の髪型をし、華やかな胸飾りをつけた、女性の肖像が描き出された。
「これが、その時の和代よ」
「美人ね」
「だったみたいね……。もうひとつ、あなたの前世を教えてもらえそうよ」
 そう言うと、彼女は再びペンを走らせた。今度は、着物を重ねて着た上に、長い打掛をまとった、髪の長い女性の絵が現われた。平安時代か、鎌倉、室町時代の、貴族か武家の女性の姿だった。
この前世については、しかし、この絵を描いてくれただけで、他には何も教えてもらえなかった。どの時代に生きていたのかも、どのような階級で、何をしていたのかも、全くわからなかった。
 ただ、打掛姿の絵を眺めながら、私は自分が平安時代にいたのではないかと思っていた。ティーンエイジの頃から、私は平安時代の風俗、衣装が、たまらなく好きだった。絢爛豪華な十二単はもとより、男性の正装である、衣冠束帯、御簾をおろした牛車、貴族の館が並ぶ、町の様子、中庭や渡り廊下があり、自然とひとつに溶け合うかのような、開放的な建物の風情。その頃放映していた、NHKの大河ドラマ『平家物語』を、毎週欠かさず、むさぼるように見た。
 二十歳を過ぎても、平安時代への憧れは消えなかったが、歳を重ねるにつれて、甘美な陶酔に、微妙な嫌悪感が混ざり始めた。平安時代の風俗を見ると、妙に血が騒ぐ。その魅力にうっとりするが、同時に、唾を吐きたくなるような、嫌なものを感じるようになっていった。この時代を題材にした小説や歴史の本から得た知識が、陰惨な想像をかきたてる。十二単の内側から、すえた臭いが漂ってくるような感じ。外側はまばゆいばかりの美しさだが、中は腐っており、腐敗を防ごうともせずに、人々は無力に、怠惰に、暮らしているだけだ。男と女のなまなましい営み、体液や精液の臭いすら、高価な打掛の下から漂ってくる。愛のための性ではなく、権力をつかみ、家を繁栄させるための道具として、女の体が使われる……。道具として使われる悲運の中にありながら、いつのまにか、性欲の虜になっていく女達……。
 きっと、そのような貴族社会の内側を、むごたらしく、汚らしい内情を、自分は知っていたのだ。打掛姿の絵を眺めながら、私はぼんやりと、そんなことを考えていた。


「前世については、和代にとって、今、知っておいたほうがいいと思われることしか、教えてもらえないのよ」
 チャネラーの女性は言った。
 彼女に現われる、霊的存在は言う。基本的に、前世を知る必要はないのだ、と。
 「仮に、あなたが前世で人を殺したとして、今の人生で、そのことをありありと覚えていたら、あなたは希望を持って生きていくことができますか?」
 人間の精神はそんなに強くないと、霊的存在は言った。これまで生きた、いくつもの過去生の記憶を持ったまま、今の人生を送ったら、人間の脳は混乱して、気が狂ってしまう。なので、この世に生まれ出る時に、前世の記憶は全て消される。全部忘れ、心を文字通り白紙の状態にして、私達は生まれてくる。まっさらの画用紙に、どんな絵を、文字を、書いていくのか。過去生の記憶に引っ張られないほうが、よりスムーズに、私達は前へ進めるのだ。

 前世で、深く傷つけた相手と、現世で夫婦になるかもしれない。相手を傷つけたという負の遺産を解消し、相手の魂に残っている傷を消し、正常な人間関係に戻すために。そのとき、相手を傷つけた記憶が、くっきりと残っていたら、後悔とうしろめたさでいっぱいになり、素直に相手を愛することができない。相手も、自分に優しくしてくれる人が、過去生で自分をめちゃめちゃにしたことを知ったら、愛されることが逆にうとましく感じられたりするだろう。それでは、輪廻転生の目的は達成されない。
 いちいち覚えていなくても、出会う必要のある相手とは、自然に出会うらしい。この人生で、その相手との関係、心のつながりを、より良いものにしなければならないのなら、そういう課題を持って生まれてきたのなら、必ず、何らかの形で関わることになるのだ。

 この会話をしている時、私は10年ほどともに暮らした恋人と、すでに別れていた。そして、次の恋愛をしていた。霊的存在は、別れた恋人も、次に好きになった男性も、前世で関わった人で、現世で出会う必要があった人達だと言った。
 ………。
 私は彼らに、何をしなければならないのだろう。どういう課題を背負っているのだろう。ましてや、同棲していた彼とは、今や断絶状態だ。せっかく出会ったのに、またもや傷つけ合ってしまった……。
 私の疑問に、答えはなかった。自分で考えろということか。
「アクナトンに出会うことはあるかしら?」
 この質問にも、答えはなかった。もう、会う必要がないのかもしれない。今、かつてアクナトンだった魂はあの世にいて、当分、地上に生まれ出る予定はないのかもしれない。それとも、この先、出会うのかもしれない。アクナトンが男性として生まれて来るとは限らない。女友達として関わりを持つことだって、あり得るだろう。


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第11章



     2009年のお正月


 穏やかに、静かに、新しい年が明けた。紅白歌合戦を、ビールを片手に見、行く年来る年の画面を眺めて、初詣に行った気になり、『年の初めのさだまさし』を見て、叔母と馬鹿笑いし、夜中の3時まで起きていたので、疲れて夢も見ずに熟睡した。初夢を取り逃がした。

 元日というのは、色で言うと、白のイメージがある。ガラス戸を通して部屋に射し込む、午前の陽の光の白っぽさ。改まった新鮮な気分や、何もしなくていいという開放感の裏側にある、どことなく白けた、虚しい気持ち。昨日の続きの今日でしかないのに、この地上の全ての人間が、しきたりを守り、イベントを作って、新しい時間が始まるのだと、懸命に思い込もうとする、そのわざとらしさ、しらじらしさ……。

 ふだんは神棚など、見向きもしないのに、この日だけは、榊を飾り、お神酒をそなえた神棚に手を合わせ、神妙に一年の無事を祈る。お雑煮をいただく。友人から届いた、スヌーピーの絵が描いてある、かわいい年賀状を見て、微笑む。
 暮れの大掃除で奮闘したのが原因で、叔母が腰が痛いと言い出した。冷えるから、初詣はやめたほうがいいかも。そうね、うちであったかくしてるわ。あたし、どうしようかな、やっぱりお参りしないと気持ち悪いから、一人で行ってくる。
 最も近いお寺は、深大寺である。
 バスで10分程度である。でも……、一人で初詣かぁ……、ちょっと淋しい……! こんなの初めて……! でも行っちゃおう。
 おせちと一緒にいただいた日本酒のほろ酔い気分に押されて、バスに乗った。あんなに寝たのに、まだ眠い。道がすいているので、お寺もすいているかと思いきや、参道は人で埋まり、ガードマンが交通整理をしていた。

 クリスマス過ぎから、東京に来ている。空いている時間に、ぽつぽつと『フフ』の原稿を書いていた。このエッセイを始めてから、フフはいつも、なんとなく頭の片隅にある。書くべきテーマに、フフをどのようにからめていこうかと、考えているうちに、フフの存在感がしだいに確かなものになってきた。
 フフは私が創り出した、架空の天使だが、フフを描写したり、フフという存在の意味について考えたりしているうちに、フフが実在するのではないかと思ってしまうことがある。

 初詣の参拝客に埋もれて、参道をのろのろと動いている時、フフは私の頭上にいた。水素ガスの風船のように、ぽっかりと空に浮かんで、フフはお寺を眺めたり、私を見下ろしたりしていた。一本の糸で、私はフフとつながっていた。ほっこりと温かいものが、私の心を包んでいた。
 まわりの人の会話が、耳に飛び込んでくる。感覚が妙に研ぎ澄まされ、私は周囲の人々の言葉に聞き入った。
 「まいったね、こんなだとは思わなかったよ」……混んでいることをぼやいている男性。連れの女性が言っている。「近所の人だけかと思ったら、ほら、バスで来てる人がたくさんいるよ。遠くから来るんだね。やっぱり東京は違うのかな。田舎じゃ、お参りは近所の神社なんかでささっと済ますもんね」「昔行った京都も混んでたぜ。八坂神社、もうぎっちぎち」
 女性の二人連れ。「お母さんが、数の子買ってあるっていうから、買わなかったら、昨日、冷蔵庫、いくら探しても、数の子みつからないって。ほんとに買ったのって聞いたら、あれっ、ひょっとしたら、この間スーパーで、買おうと思って、でもこんなにたくさんあっても結局食べないかと思って、買わなかったかもしれない、だってさ」「ハハハ。よくあるハナシだ」「まあ、食べ物はいっぱいあるしね。うまいかどうかは別にして」「……。結構寒いねえ。あたし、うちにいるときの格好で来ちゃった。コート着ちゃえば、わからないもんね」「でも、その帽子、素敵じゃない」「ファッションというより、防寒よ。あれっ、お賽銭、千円も出すの?」「だって、小銭、ないんだもん。見事にないよ」「お金持ちぃ。細かいの、貸してあげようか」「うーん、どーしよー」
「見て見て。あの犬、お父さん犬そっくり」……若いカップルの彼女。この寒いのにジーンズの短パン!「ほんとだー」……ちょっと気の弱そうな彼。
 彼女の視線の先には、ソフトバンクのCMに出てくる、白いお父さん犬にそっくりの犬が、毛皮を着た中年の女性に連れられていた。
 
帰りのバスに乗るにも、長蛇の列。買ってもらった綿菓子を、今食べたいと男の子がぐずっている。「だめだめ、これからバスに乗るんだから」「いつもはいいって言うじゃん」「あれはお祭のときでしょ。今日は、初詣だから、ダメ!」
「ボク、ひとりでバスに乗るぅ」「ダメよ。あんた一人で乗ったら、お金かかるじゃない」
 バスの中は、それこそぎっちぎちで、身動きもままならない。始発の深大寺から、すでに車内はいっぱいなのに、途中の停留所で、さらに人が乗ってくる。そのたびに、お詰めください、と繰り返していた、若い運転手さん。次は○○です、という停留所案内の車内アナウンスのあと。「え~、いちおう、止まってみたいと思いま~す」
 三人、乗り込んできた。「あと三名、乗ります。みなさん、がんばってくださ~い」さざなみのように、車内に笑いが広がった。きりきり苛立っていた乗客の神経が、運転手さんのユーモラスな言葉でほぐれ、そのあと、乗り降りの客のために、皆が気持ちよく譲り合うようになった。
 ユーモアの大切さを、運転手さんから教えられた気分だったが、彼の神経は実は相当尖っていたようだ。バスを降りて、歩いていると、一緒に降りたグループの話し声が、うしろから聞こえてきた。「今の運転手さん、面白かったね。マイクはずしたとき、ったくもう、やってられねえよ、だってさ。あたし、真後ろにいたから、聞こえちゃったのよ」

 平凡な日常。ありふれた風景。どうということのない会話。みんな、どんな思いで、どんな人生を送っているのだろう。笑ってお賽銭の話をしている人が、深刻な問題を抱えているかもしれない。ストラップをカチャカチャ鳴らしながら、ケータイをいじっている女の子が、今年、大変なドラマを経験するかもしれない。人生は、一筋縄ではいかない、と、私のクラスメイトが話していた。そう、人生は、あなどれない。浮き立つ幸福も、どん底の地獄も、用意されている。誰もが、乗り越えなければならない問題を抱えている。人生という、魂の修業は、危険と隣り合わせでもある。
 宇宙船地球号は、六十数億個の人生を乗せて、今日も、神という海を航海している。


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第12章





       ミカエル


 前々章で書いた、女性のチャネラーと、彼女に現われる霊的存在について、きちんと述べておこうと思う。
 彼女は、10年間ともに暮らした私の恋人の知り合いで、芸能関係の仕事をしており、名前を佳川紘子という。私より10歳年上だが、子供がいないせいか、とても若々しく、私は年上の女性というより、同世代の人のような感覚で、親しく友達づきあいをしていた。
 
 恋人と別れたとき、大騒動があった。若い女が彼に近づき、彼の心を虜にした。私は私で、別の男性に気持ちが傾いていたが、そうかといって、恋人が他の女性にからめ取られていくのを、黙って見ているわけにはいかなかった。
 その頃、彼は広いマンションを借り、寝泊りができる事務所として使っていたが、女はいつのまにか、そこに入り浸っていた。
 ある晩、彼の事務所で、私は彼女と対決した。そうするつもりはなかったのだが、押さえていた感情が突然爆発した。持っていたポシェットを、テーブルに叩きつけ、私は怒鳴った。
「あんた、出て行きな!」
 自分でも驚くほどの、やくざな口調だった。
 女はしたたかだった。私の罵声にびくともせず、視線を落としたまま、唇を曲げて、にんまり笑った。般若の顔に見えた。彼は凍りついたように、横を向いていた。
 女の笑いを見た瞬間、私は負けたと思った。もう、そこにいることはできなかった。私はポシェットをひったくり、部屋を出た。この一部始終を、佳川紘子は見ていた。紘子さんはその晩、偶然、同席していたのだ。
 私の後を追って事務所を出た彼女は、今夜はうちに泊まるようにと言ってくれた。東中野の駅から程近いアパートに、彼女は、俳優をしているご主人と暮らしていた。私は言われるままに、彼女の家に行った。気が動転して、地に足がついていなかった。怒りも悲しみも恐怖も、心の中にあったが、頭の一部がしびれたようになり、どこかぼんやりとしていた。
 それからの数日間、紘子さんはほとんどつきっきりで、私を見守ってくれた。家に戻った私は、大泣きし、仕事も手につかない有様だったが、彼女はそんな私を励まし、仕事に向かわせた。彼と別れ、一人で生きていかなければならないのだから、仕事は何より大切だった。
 数週間後、彼から完全に離れるために、私は引越しをした。紘子さんは、部屋探しにも、引越しにも、つきあってくれた。荻窪の四面道に部屋を借り、新しい生活が始まった。私が落ち着いたのを見届けて、紘子さんも、平常の生活のペースを取り戻した。私は、彼女の生活を、相当にかき乱してしまっていたのだ。

 荻窪での新生活にようやく慣れた頃、今度は紘子さんに異変が起こった。
 別れた私の恋人は、雑誌のライターをしていたが、私が知り合った頃は、西洋占星術を学んでいて、星占いの原稿の執筆がおもな仕事になっていた。その後、星占いの教室を開き、紘子さんを含めた、彼の友人達も、面白半分に教室に出入りするようになった。
 その頃、渋谷に、某ゲーム会社が作った占い専門の店があった。コンピューター占いや、占い関連のグッズの販売のほかに、鑑定ルームがあり、週に一回くらいのペースで、彼がそこでの占いを担当していたが、次第に私や紘子さんに、そこの仕事を回すようになった。紘子さんは趣味の延長のアルバイト程度の軽い気持ちで、たまにその店で、占いの仕事をするようになった。
 その店に、ある日、一人の青年が、占いをみてもらいにやってきた。その日は、紘子さんが担当の日だった。鑑定ルームはいくつかあるが、彼はたまたま、紘子さんの部屋に入った。そしてその出会いが、紘子さんの人生を激変させることになる。舞台俳優の勉強を続けながら、声優として活躍していた、彼女の華やかで充実した人生は、その日を境に、ある意味で大きな苦しみをともなうものとなった。いや、苦しみと言ったら、紘子さんは怒るかもしれない。彼女にしかわからない、深い平安や幸福を、紘子さんは得ているのだろうから。

 青年の名を、田中英信という。紘子さんは後に、彼をヒデという愛称で呼ぶようになった。彼は当時、サラリーマンをしていたが、非常に強い霊能の持ち主だった。ヒデと紘子さんは、まるで磁石のプラスとマイナスが引き合うように、強く惹かれ合い、互いの感性が刺激し合い、そして、紘子さんの眠っていた霊能が、花開いた。
 紘子さんの話によると、その頃、彼女はヒデと毎日のように会っていたそうだ。彼は紘子さんより17歳も年下で、おまけに好みのタイプの男性ではないのに、なぜか会わずにいられなかったと、彼女は言った。ヒデは生まれつき、強い霊能力を持ち、霊的世界の知識も豊富なので、話題も霊的な話が多かったのだろう。いっぽう当時の紘子さんは、私の知っている限りでは、そういう世界に全く興味を持たない、現実主義者だった。占いを真剣に信じていたわけでもなかった。
 そういう彼女に何が起こったのか。常識の目で眺めれば、年下の男にとち狂ったとしか見えない。しかし、断言できるが、紘子さんとヒデの間に起こったことは、男と女の色恋ではない。恋の欲も、体の交わりもない。初めから恋愛というものを突き抜けた、人と人の、魂の結びつき。互いの人生の課題をクリアーするために、どうしても必要な、必ず出会わなければならない相手。ヒデと紘子さんの関係は、そういうものだと思う。

 二人が出会ってからしばらくして、紘子さんの身に、さらに大きな異変が起こった。
 その異変の少し前から、彼女は右腕に鈍い痛みを感じていた。痛みはしだいに強く、腕はどうしようもなく重くなり、ついには、腕が肩から抜けるのではないかと思うくらいの、耐え難い鈍痛になったという。癌か何か、恐ろしい病気にかかったのではないかと不安になり、明日は医者へ行こうと思っていた、その日。
 いきなり彼女の右腕が、前後左右にぶらぶら揺れ出した。彼女の意思とは関わりなく、別の生き物のように、右腕が揺れる。紘子さんは慌てて、左手で自分の右腕を抑えた。な、なんだ、これは……!!! 驚きと恐怖で、頭が真っ白になった。
 必死で抑えても、右腕の揺れは止まらない。右腕に力を入れて、動きを止めようとすると、腕が激しく痛む。動かすまいとすると、それに抵抗するかのように、揺れは大きくなる。
(ええい、どうとでもなれ!)
 どうしようもなくて、紘子さんは居直るしかなかった。彼女が抵抗をやめたので、腕はのびのびと大きく揺れ始めた……。と、よく見ると、右腕はただ揺れているのではなく、ある一定の動きをしている。あきらかに、何か意味のある動きを。
 紘子さんは、目を凝らした。すると右腕が、何か文字を書いているように見えた。文字……、これは……、そう……カタカナの“ミ”だ……。彼女が“ミ”を認識すると、右腕は嬉しそうに揺れ、そして次の動きに入った。これは……、……カ? そうですよといわんばかりに、腕は大きく揺れ、次の動きに……。これは……エ? そして……次は……、……ル……。
 腕は、再確認させようとでもいうように、これまで書いた、四つのカタカナ文字を、続けて空中に書いた。
 ミ・カ・エ・ル
 ………?!!!
 この時点で、紘子さんは、今まで感じていたのとは別の種類の恐怖に襲われた。
 悪霊! 恐ろしい悪霊にとりつかれた! どうしよう……大変なことになった……!!!
 いてもたってもいられず、彼女は家を飛び出した。今、頼れるのは、霊の世界にくわしいヒデしかいなかった。連絡を取ると、彼女はまっすぐ、彼のもとに向かった。
 取り乱し、わなわな震えている紘子さんを、ヒデは落ち着いて受け止めた。彼は、紘子さんの身に何が起こったのか、わかっていた。勝手に腕が動いて、空中に文字を書いたのは、自動書記というものだと、彼は紘子さんに教えた。“ミ・カ・エ・ル”という文字は、おそらく大天使ミカエルであること、大天使ミカエルとは、非常に位の高い天使であり、神の次ぐらいに偉い存在であること、このような高位の霊が、紘子さんを通して、何かを伝えようとしていること、このことを真摯に受け止め、謙虚さと誠実さをもって対すべきことなど、彼は理路整然と語った。
 ヒデが冷静なので、紘子さんもしだいに落ち着きを取り戻した。どうやら、祟りをする幽霊や恐ろしい悪魔に取りつかれたのではなさそうだ。これからどうなるのか、皆目見当もつかないが、ともかくこれは悪いことではないらしい。
「大天使ミカエルか。すごいな」
 ヒデは少し頬を染めて言った。これから僕達、頑張らなきゃならないね。


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第13章

 



     自動書記


「私がこうなったのは、和代のせいよ。和代が○○さんと別れるときの、あの大騒ぎに巻き込まれたおかげで、私の霊感のフタが開いたんだから」
 後に紘子さんは時々、冗談とも本気ともつかない顔で、そんなことを言った。私は、あまり意味が呑みこめないまま、なんとなく笑って聞き流した。私が切っ掛けを作ったにせよ、そうではないにせよ、私と紘子さんの間には、何か特別なつながりがあるのだという気がした。

 紘子さんのようなチャネラー、霊媒師が、霊の言葉を伝えるのには、いくつかのパターンがある。頭の中に鳴り響く言葉を、自分で聞き取って伝える場合、一種のトランス状態になり、チャネラーの口を借りて、霊がしゃべる場合、そして紘子さんのように、霊がチャネラーの手を借りて、文字によっていろいろなことを伝える場合。紘子さんは、声優という職業柄、言葉に対して、感覚が鋭敏で、おまけに大変な読書家だった。もともと彼女の頭の中には、言葉が豊富につまっているので、文章で伝えるという方法が、最も適したものだったのだろう。

 紘子さんの右手が、ミカエルという文字を空中に書いてから、ほどなくして、彼女は鉛筆を握り、本格的な自動書記を始めた。鉛筆を手に取り、ノートに向かう。すらすらと文字が書かれ、ノートの行はまたたく間に埋まる。“大天使ミカエル”と称するものは、彼女の右手を通して、さまざまなことを語った。
 私は初め、彼女にミカエルなるものが現われ、自動書記が始まったことを、素直に受け入れられなかった。紘子さんが、ほらを吹くような人間ではないこと、幻を現実と思い込むような、偏った精神の持ち主ではないことは、充分にわかっていた。たやすく霊の存在を信じるような、神秘かぶれでないことも知っていた。常識をふまえた現実主義者で、極端な方向へ突っ走ることのない、バランスのとれた性格の紘子さんが言っていることだ。たぶん、その言葉通りのことが起こったのだろうとは思ったが、やはりこのようなことは、にわかに信じられない。初めて彼女がこの話をしたときには、突然わけのわからないことを言い出した友人を、子供でもあやすようになだめる、そんな気分だったかもしれない。

 彼女の話を信じるようになった切っ掛けは、自動書記で書かれた文字を見たことだと思う。その文字は横書きで、むろん日本語ではあるが、かなり変わった形をしていた。右上の方向へ強く引っ張られるように、文字が相当極端に、斜めになっている。そのため、やや読みづらい。紘子さんがふだん書いている字とは、似ても似つかない。
 仮に、彼女が私の知らないうちに、ふいに神経症にでもなって、幻想に取りつかれたとしても、字の形まで変わってしまうということはないだろう。ふつうに考えて、筆跡が急に変わるということはあり得ない。ならば、これはまぎれもなく、ミカエルというものが書いている、自動書記なのだ。私は、そんなふうに考えた。
 その時見せてくれた自動書記の文章の内容がどんなものだったか、細かい部分は忘れてしまったが、私はその内容からも、この文章が紘子さんの頭から出てきたものではないこと、やはりこれを書いているのが、ミカエルというものであることを信じた。深い含みを持ち、愛にあふれた、何か底知れない力を感じさせる文章だった。
「紘子さんの話、信じるわ。だってこんなすごい文章、あなたに書けるわけないもの」
 私はその時、そう言ったらしい。後に紘子さんは、和代はずいぶん失礼なことを言ったのよと、半分怒りながら言っていた。

 大天使ミカエルが紘子さんに現われてから、今年で24年が経つ。ここ7~8年、私は訳あってほとんど紘子さんに接していないので、今でも自動書記が行なわれているのかどうかわからないが、私が知っている限り、少なくとも10年間は、ミカエルの自動書記は続いていた。
 ミカエルが書き記したものは、膨大な量にのぼる。ミカエルはまず、自分がどういう存在であるかを説明し、それから、人間の存在について、魂について、人生の意味について、今、人類が直面している問題について、語った。
 占いについても語り、西洋占星術で使われている、12の星座の性格について、詳しく教えてくれた。紘子さんは、星座の性格が書き記された原稿の束を、私に貸してくれた。私はそれを読んで、12星座の性格を、あらためて学び直し、仕事に役立てた。ミカエルが教えてくれた星座の性格は、大筋は、星占いの本に記述されているものと同じだが、人間の性格というものを、より深い部分でとらえ、なぜその人がそう考え、そう行動するのかという、人間の心理を、きめ細かく説明していた。
 当時、私の仕事は、星占いの原稿執筆が主で、鑑定の仕事はたまにしかやらなかったが、ミカエルの星座の性格分析を使って鑑定をすると、自分で言うのもなんだが、よく当たった。目の前の依頼者は、ある人は目を丸くして、99パーセントその通りですと言い、ある人は、どうしてそんなことまでわかるんですか、と、ため息まじりにつぶやいた。冷静を装いながら、私は内心、驚いていた。ミカエルが、私達に伝えていることの凄さを、実感していた。
 
 紘子さんは、いずれ星座の性格の本を出すつもりだと言っていたが、実現しないまま、ミカエルの星座の原稿は、そのまま私の手元にあった。数年前、何かの拍子に、私はその原稿を久しぶりにじっくり読み返してみた。そして、改めて、その内容の深さに感じ入った。
 それは、人間の持つ12通りの性質を、根本からていねいに解き明かしている。12パターンの性質を読み通すと、人間というものの性が見えてくるような気がする。自分でもどうしようもなく、そう考え、そう動き、そう生きてしまう、自分にそなわった性質。それを深く知り、ある意味で、それを乗り越えようと努めること、より良く自分というものに折り合いをつけることが、それぞれの人に課せられた、人生のテーマのひとつなのではないかと思えてくる。
 当たる、当たらないという占いのレベルではなく、自分を、他人をみつめ、人間というものを考える、ひとつの大きな手段になるのではないかと思えてくる。

 この原稿の束を、誰の目にも触れさせず、一人占めしておくわけにはいかないという気持ちになった。これを自分だけのものにしておくのは、罪悪だとすら思えた。初めてこれを読んだ時から数えて、なんと20年近くもたって、自分が大変なものを抱え込んでいたのだということに気付いた。
 折りしも、陶芸のホームページを作ろうと思っていたので、私はホームページを陶芸と占いの二本立てにし、ミカエルの自動書記の原稿をもとにして、星座の性格のページを作った。自動書記の原稿は、内容は深いが、思いつくままに言葉が並べられている感じで、文脈がきちんとしていない個所もあり、解説を加えないとわかりづらい部分も多い。そのまま書き写すと、読み物として成立しないのだ。
 ミカエルが教えてくれた星座の性格を、わかりやすく表現しようと試みたが、これは難しい仕事だった。自分の性格の中にある性質なら、理解できるが、自分にはない性質の記述は、実感として、心情がわからないので、文章を書きながら、これでいいのだろうかと、考え込むことが多かった。12星座分を一度書いてから、納得がいかず、全て書き直した。現在、掲載してある文章にも、完全に満足してはいない。自分を、他人を、理解し、みつめるための手だてとして、多くの人に役立ててもらいたいので、よりわかりやすく、説得力のある表現を、これからも考えていくつもりだ。


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第14章



      天使という存在


 紘子さんにミカエルが現われ、自動書記が始まってからひと月ほどたった頃、彼女がようやく落ち着きを取り戻したのを見計らったかのように、ミカエルは自分の存在について、説明してくれたそうだ。
「私は大天使ミカエルという名前を使いました。けれど、名前など、本当はどうでもよかったのです。私が、悪魔や悪霊ではなく、天使のような存在であると、あなたがたが認識してくれれば、それでいいのです」
 紘子さんとヒデは、キリスト教系の学校を出ていた。そのぶん、一般の人よりキリスト教の知識があり、キリスト教を身近に感じて生きてきた。大天使ミカエルが、キリスト教の中で、どのような存在であるか、知っている。紘子さんとヒデにとって、最も認識しやすい方法が、“大天使ミカエル”という名前を使うことだった。
「もしあなたがたが、キリスト教ではなく、仏教に親しみを持っているなら、私は観音様ですと言ってもよかったのですよ」


 私は最初、ミカエルが現われたことも、自動書記も、すぐには受け入れることができなかったが、当事者である紘子さんは、このことを知っている人達の誰よりも、ミカエルという存在に疑いを持っていたらしい。自動書記で書かれる文章は、私も感じたように、素晴らしい言葉が散りばめられていたが、そうかといってミカエルが、恐ろしい悪霊でないという保証はない。不安を拭い去れない紘子さんは、ある日、ミカエルに姿を見せてくれと頼んだそうだ。
 ミカエルはその頼みを聞き入れ、ヒデと紘子さんに、姿を見せた。といっても、空中に翼の生えた天使が現われたわけではない。天井から床に向かって降りた、細長い三角形の白い光。そして、部屋中にたちこめた、甘くかぐわしい香り。それが、五感で感じることができた、ミカエルの実像だった。
「私はあなたがたに、天使の姿は見せません。なぜなら、私達の世界には、人間がイメージするような姿の天使も、ミカエルという名前も、存在しないからです」

 ミカエルがいる世界、人間があの世と呼んでいる世界には、肉体という物体がない。言葉という伝達手段を必要としないので、言葉は存在しない。人間は言葉によって他と交流し、あらゆるものを認識するが、ミカエルがいる世界では、おそらく、想念といったようなもので、あらゆるコミュニケーションや認識が行なわれるのだろう。いや、コミュニケーションとか認識といった観念すら、存在しないのかもしれない。ともかく言葉による認識を必要としないので、“名前”というものも存在しない。
「あなたがたに、天使の姿を見せるのはたやすいことです。しかし、空中に天使の像を見たら、あなたがたは、その宗教的なイメージに縛られてしまうでしょう」
 それは、いけないことだと、ミカエルは言った。どのような宗教にも影響されることなく、自分の存在を認識してほしいのだと言う。
 物質も言葉も存在しない、ミカエル達の世界を、言葉で表現するのは、不可能に近いことだろう。私達人間の世界と、ミカエル達の世界は、次元があまりにも違う。
「私達の世界をあえて言葉で説明するなら、物質という観念の存在しない世界。時間や距離という観念も、存在しない世界です。そして、私はどんなものなのかを表現するならば、純粋意識と意志を持つ、光のエネルギー体というのが、最も近いでしょう」
 ミカエルはそう語った。

 霊感の強い人の中には、天使やお釈迦様や妖精の姿を見たり、亡くなった肉親の霊に出会ったりする人がいる。“あの世”は、物質というものが存在しない世界だから、“あの世”の住人である天使や妖精や、亡くなった人の霊に、“肉体を持った姿形”があるはずはない。それでは、その人達は自分が作り上げた幻を見ているのだろうか。
 ミカエルは、このことについても、わかりやすく説明してくれた。肉体を持たない存在は、ミカエルのような、完全な調和とバランスを保った、限りなく神に近い存在も、人間のように欠点だらけのアンバランスな存在も、等しくひとつの精神エネルギー体である。精神エネルギーは、一種の電波のようなものを発している。
 私達人間の心のある部分が、あの世の何ものかが発する電波を、たまたまキャッチする。電波は何かしらのメッセージを伝えているが、異次元であるあの世からのメッセージを、私達はどうやって理解するのか。

 電波を発信しているあの世のものは、私達の脳に蓄積されているイメージを使う。たとえば、ミカエルのような天使的な存在が発する電波を、たまたまキャッチすると、その存在のエネルギーがその人の意識に流れこみ、その人の頭の中にある、天使的な存在に最も近いイメージが、その人の頭の中に現われる。意識でとらえられたイメージが、映像として強くくっきりしていると、頭の中に描かれるというより、実際に目で見ているような錯覚に陥るのだろう。
 その人の脳に、キリスト教の知識が多ければ、天使的存在は、天使の姿で現われるし、仏教を信仰していれば、それは菩薩とか如来の姿で出現する。宗教に興味がなく、何の知識も概念も持っていなければ、その人が抱いている、天使的な存在に最も近いイメージ、たとえば穏やかで美しく、崇高な雰囲気の人物の姿になる。
 亡くなった肉親や友人、恋人の霊を見る場合も同様で、その人の魂が発するエネルギーをこちらがキャッチし、脳に刻み込まれた思い出の中で、最も認識しやすい、その人の生前のイメージが現われる。ただ、私の場合、亡くなった父は、生前の姿で現われなかった。父は一本の直線という、シンプルでそっけない現われ方をした。どうしてそういう現われ方をしたのか、ミカエルに訊ねる機会を逃してしまったが、あの世の父は精神エネルギー体であって、姿形はないのだから、一本の直線という現われ方のほうが、実際の状態に近いのかもしれない。
 もうひとつ、疑問が残る。見ず知らずの他人の幽霊が写真にうつる、心霊写真だ。この場合は、霊が、それを見る人間の頭の中のイメージを使って、という原理があてはまらない。霊みずからが、生前の自分のイメージを、これでもかと主張しているように思える。写真にうつるということは、霊が、自分の存在を誰かに知ってもらいたくてたまらないからではないだろうか。そのあまりにも強い欲求と念が、みずからの映像を写真に焼きつけることまで、やってのけてしまうのではないだろうか。
 ミカエルは、自動書記については、何も説明してくれなかったが、霊的存在が人間の頭の中のイメージを使うように、脳につまっている言葉を使うということなのだろうと思う。

 話は少し飛ぶが、外国人の霊と交信をして、たしか本も書いている日本人のチャネラーがいた。外国人の霊は、その日本人のチャネラーに、日本語でさまざまなことを伝えていた。外人の霊が、日本語をすらすら操るのはおかしいと、そのチャネラーを非難、攻撃する声が上がった。
 その霊は、たぶん何かの必要があって、自分が生前いた国の名前を言ったのだろう。あの世には、国もなければ、再三言うように、言葉というものは存在しない。あるのは、意識と、意志だ。今は何国人でもないその霊は、伝えなければならないという意志を持って、日本人のチャネラーの意識につながり、チャネラーの脳につまっている日本語を駆使して、伝達の目的を達成した。ただそれだけのことだ。
 大天使ミカエルは、紘子さんだけでなく、いろいろな国の人に現われているのだろうと思う。英語で、フランス語で、中国語で……、その他さまざまな言語で、ミカエルは人間の存在や、人生の意味と目的、そして人類が直面している危機について、語り続けているはずだ。

 ミカエルが現われてから、24年。この24年の間に、日本と世界は、どんどんひどい状態になっている。ミカエルはこのことも再三指摘し、
「今なら、まだ間に合います。誤った方向へ突き進んでいる、その暴走を食い止めなさい。方向転換をしなさい」
と、繰り返し言い続けた。私がこのエッセイを書き始めたのも、方向転換をしなさいというミカエルの言葉が、土台となり、動機となっている。


    
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第15章



      創世記


 人間とは、何か。
 人類の誕生について、ミカエルは語る。
 話は、まず神というものの説明から始まった。
 神とは、太陽系、銀河系を含む、全宇宙のことである。私達人間は、宇宙を、山や川や森と同じように、自然物、意識というものを持たない物質でできていると思っているが、宇宙は、神という意識と意志を持った、ひとつの巨大な生命体のようなものだと、ミカエルは言う。物質としての宇宙は、人間にたとえれば肉体である。人間が、意識を持たない細胞の集積である肉体だけでなく、心を持っているように、宇宙も、神という精神を持っている。人間が、心によって生きているように、神という精神が、宇宙を動かし、存続させている。

 人間の肉体が、細胞の新陳代謝を行なっているように、宇宙も、古くなった物質が壊れて、新しい物質が生まれるといった、小さな変化を、絶えず繰り返している。宇宙は、小宇宙がたくさん集まって、ひとつの大きな宇宙が出来上がっているが、そのような小宇宙のひとつが老朽化すると、死にかけている小宇宙を消して、新しい宇宙を作り出すという、大きな作業も行なわれる。人間の体にたとえれば、動かなくなった臓器を取り出して、新しいものに変える、臓器移植のようなもので、そのような大きな作業を行なう時には、神なる意識が強く動くのだそうだ。
 人間の魂は、そのように神の意識が大きく動いた時に、神の意識エネルギーの一部が飛び散ってできたものだと、ミカエルは言った。巨大なエネルギーが動いたその勢いで、無数の水滴が飛び散るように、神の意識のはしくれが周囲にばらまかれる様を、私は想像した。

 人間の魂は、神の意識の一部、神の小さな小さな分身といってもいい。
 神の一部でありながら、この小さな分身は、神のように完全ではなかった。ひどくアンバランスで、自分で自分をコントロールできず、酔っ払い運転の車のように、あっちへふらふら、こっちへふらふら、目が離せない。完全な調和とバランスと愛という、神のシステムからはずれている、まるで落ちこぼれのような存在だ。
 ダメな子ほどかわいいと言う。神様がそう思ったかどうか知らないが、この危なくて目が離せない魂たちを、神は、教育しなくてはならなかった。完全なバランスを学び、神の意識と調和しなければ、神という宇宙の中で、これらの魂は存在していくことができないからだ。

 神の意識、宇宙の原理とは、プラスとマイナスの完全なバランスであると、ミカエルは言う。その原理を学び、完全なバランスと調和を自分のものにするためには、神というものの原理とシステムがありありとわかる環境を作り、その中で学ばせるのがいいと、神は考えた。そして、太陽系を作り、地球とそこで命の営みを行なう、あらゆる動植物を作り、さらに“人間の肉体”を作った。
 太陽系と地球の自然環境は、神という宇宙の原理によって、動いている。地殻変動も火山爆発も、生命の進化も、すべてが宇宙の原理にのっとっている。
 人間の肉体も、神なる宇宙の原理の上に成り立っている。
 それだけではない。人間の肉体は、神という大宇宙をそっくり縮小して作られていると、ミカエルは言う。
 
 宇宙は、いくつもの小宇宙から成り立っている。それぞれの小宇宙は、自律的な動きをしているが、他の小宇宙と、たとえて言えば、細い連絡通路のようなものでつながっており、互いに関連を持ちながら、バランスを保って活動している。これらの小宇宙を全て包み込むかのように、大宇宙が存在している。
 この、小宇宙と大宇宙という構造は、ある科学者が提唱している説と全く同じで、その論文は科学雑誌に掲載されたことがあり、ミカエルが説明のために描いてくれた図と、雑誌の論文に添えられた図が、ほとんど同じなので、紘子さんが目を丸くしていたことがある。

 人間の体は、連結し、関連を持ちながら動いている複数の小宇宙の構造を、模して作られていると、ミカエルは言う。それぞれの小宇宙は、人間の体で言えば、臓器である。心臓があり、胃や肝臓や肺があり、すべての臓器が神経と血管でつながっている。小宇宙が、それぞれ、自律的な動きをしているように、人間の臓器も、意識や意志とは関係なく、それぞれが、生命維持のための独自の働きをしている。
 そして、これらの臓器を制御、統括している、脳がある。大宇宙のどこに、神の“脳”に当たる部分があるか知らないが、ミカエルによると、神は自分の持っている能力の全てをそなえた、肉体という環境を、人間の魂に与えたのだから、人間の“脳”の力は、おそらく神に匹敵するくらいのものなのだろう。
 (自分をバカだと思っている人は、脳の力を開発する努力が足りないのではないだろうか? 人間は、脳が持つ力の、数パーセントしか使っていない、という説が、最近広まっているが、おそらくその通りなのだろう。すべての赤ん坊は天才だと、ミカエルは言った。人間は、才能の宝庫だと。生まれた時にそなえている才能を、その芽を、親と教師と社会がどんどん摘み取っていくのだと、ミカエルは言った)
 人間の脳の力は、神に匹敵するという一文を、神への冒涜と受け取らないでいただきたい。神は完全な調和とバランスを人間に学ばせるために、神というものを明確に人間にわからせるために、自らと全く同じ能力とシステムをそなえた、肉体という環境を、人間の魂に与えたのである。
 ミカエルは、聖書の言葉も引用した。
『神は、自分に似せて、人を作られた』
 姿形を似せたと思うと、聖書のこの記述は、おとぎ話めいたものになってしまう。神はみずからの本質的な部分を盛り込んで、人間の肉体を作った。文字通り、“自分に似せて”人間を作ったのだ。
 聖書の『創世記』には、神が、6日間で地球を創造したと、書かれてある。また、神が“土地のチリで人の形を作り、その鼻にいのちを吹き込み、人は生き物になった”ことが記されている。これも、おとぎ話のような、嘘くさい記述だが、ミカエルはこれも事実だと言う。
 聖書に書かれてあることの中には、この地球に誕生した、最初の人類の記憶が混ざっている。人間の魂は、神なる宇宙空間に漂って、神が地球を創っていく様を眺めていた。その時の記憶が、地球での暮らしを始めてからも残っており、子や孫達に、地球が出来ていく光景を伝えた。地球暮らしを始めた一世代目の人間、聖書に登場するアダムとイブの世代の人間は、後の人類のように、感性が文明によって荒らされていないので、神や天使のような存在のものたちと、現代の私達には全く想像できないほどの、ダイレクトな交流をしていたらしい。魂の意識が、後の人類に比べると、はるかに鮮明で強いので、地球創造の記憶も、鮮やかに残っていたのだろう。

 すでに書いたように、ミカエルや魂たちがいる、あの世では、時間という観念が存在しない。時間という観念は、おそらく、物質というものを中心に考えたときに、生まれる観念なのだろうと思う。宇宙空間に漂い、地球が出来上がっていく様を眺めていた魂たちの感覚では、地球は比較的早いスピードで創られていったのだろう。その魂たちが地上に降りて、地上の時間で暮らし始めたとき、地球が創られるのにかかった時間は、
「そう、せいぜい6日間くらい」
という感覚のものだったのだろうと思う。
 物理的には、太陽系が誕生し、地球が生まれ、空気の層が出来、海と陸が出来、生き物が生まれるのに、何十億年という時間がかかっている。
 
『神は、土地のチリで人を作った』
 まるで、神様が粘土細工をしたような言い方だが、土地の“チリ”とは、元素のことだと、ミカエルは言う。酸素、窒素、炭素、水素、タンパク質、アミノ酸、リン、カリウム、鉄、銅、コバルト……、地球を作っている、あらゆる元素、地球のまわりの宇宙空間に漂う、すべての元素を、科学的に組み立てて、人間の肉体は出来ているのだそうだ。無数の元素は、神の仕事を眺めている魂たちには、“チリ”としか思えなかったのだろう。神は、文字通り、元素という“チリ”で、人を作った。
“その鼻にいのちを吹き込み”とは、最初に作られた肉体に、最初の魂が入り、呼吸をした瞬間の様を描写しているのだろう。魂が宿った瞬間、あたかも、神が鼻からいのちを吹き込んだように見えたのだろう。
 こうして、人類は誕生した。

 ミカエルが教えてくれたことは、人間がサルから進化したという、進化論と、真っ向から対立するものだ。原始の時代から、生物は環境に合わせて進化を続けているが、人間だけは、その進化の流れとは別のところにいるらしい。
「もし、サルが進化して人になったのなら、数千年の人類の歴史の中で、人間になったサルが、一匹や二匹、現われてもおかしくないはずです」
 ジョークかもしれないが、ミカエルはこんなことも言った。もし進化論が真実なら、人間になったサルの骨なり化石なり、その痕跡があってしかるべきではないかと、言いたいのかもしれない。
 
 人間の肉体は、神のバイオテクノロジーで作られた。人間のアンバランスな魂を、その中に宿らせ、これも人間のために作られた地球に住まわせ、神を学ばせ、己を磨かせるために。こうして、長い、長い、輪廻転生の歴史が始まった。


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第16章

 
     

       いくつかの疑問


 ミカエルが語る、神と天地創造、人類誕生の話を、お読みいただいた方の中には、疑問を抱いている方もいらっしゃると思う。
 私自身、いくつかの腑に落ちない点を感じている。
 そのひとつは、地球は、人間の魂が神の原理を学ぶために、用意されたもの、という部分だ。神の原理は、プラスとマイナスの完全なバランス。地球の自然を通して、それを学べということなのだが、大自然は美しいと同時に、たいへんな危険をはらんでいる。火山は噴火するし、海は荒れて、人を呑み込み、陸には津波が押し寄せる。大雨が続けば、崖は崩れるし、日照りは作物を枯らし、餓死の危機を招く。ジャングルには毒蛇や猛獣がひそんでいる。
 魂の修業をするために、地球に生まれても、勉強の途中で、大自然の猛威によって命を奪われることが少なくない。自然を通して、神を学ぶというよりは、過酷な自然が、魂の修業の妨げになってしまう。神の原理とシステムを、ありありとわからせるために創られた地球だが、神には、人の命を軽々と奪ってしまう、自然の猛威のような、荒々しい面があるということか。
 地球での魂の勉強は、死を覚悟しての、命がけのものなのか。神は、人間を、あえて死の危険にさらすのだろうか。
 人間の力で解決できない問題、乗り越えられないカベは、用意されていないと、たしかミカエルは言った。火山の噴火や、暴風雨や大津波も、人間の力で克服できるというのだろうか。

 もうひとつ、疑問を持ったのは、人間の脳に関することだ。人間の脳は、神の脳に似せて作られている。高い創造力や、技術を生み出す、優れた知能を持っている。しかし、人間の脳の力には、個人差がある。全ての人の脳が、神の脳のように優秀なのではない。文明や社会に貢献するような、優れた脳を持つ人は、一握りではないか。
 ミカエルは、人間は才能の宝庫だと言った。得手不得手はあっても、何かの分野で、誰もが抜群の能力を発揮する可能性があるのかもしれない。子供の才能をつぶすのは、大人だとも、ミカエルは言った。学校教育と、社会常識が、自由に伸びようとする、子供の才能の芽を摘み、子供を天才から凡才へと仕立てている、と。教育の方法が変わり、社会が、もっと柔軟で豊かな心を持った大人たちで満ちれば、人は皆、何らかの職種で、神のように天才的な力を発揮するのだろうか。すべての人が、本当にそうなるのだろうか。

 今夜も、窓辺にフフがいる。今、“いくつかの疑問”の文章を、パソコンに打ち込みながら、ふと首を回すと、フフが薄茶色の瞳で、まっすぐにこちらを見た。
 かすかに首をかしげながら、「そうですよ」と、フフはつぶやいた。それは本当です、すべての人に、神のような、飛びぬけた才能があります……。薄茶色の瞳が、そう語っていた。
「地球は、にんげんのもの……」
 フフの声が、また聞こえた。同時に、うろ覚えの、聖書の言葉が、頭をよぎった。地を、従えなさい。地球上のありとあらゆるものを、支配しなさい。たしか、そのような意味の言葉だった。地球のすべてのものを、コントロールする力が、人間にはあるということか。火山の噴火や地震や大型の台風も、人智をつくせば克服できるということか……。

 考えながら、いつのまにか、眠ってしまったらしい。
 窓辺のフフは、消えていた。
 フフの夢を見ていた。


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第17章     




      地球は人間の自治区


 神は、人間の魂を教育する場として、地球を造った。
 大自然の恵みと猛威という、大きな大きなプラスとマイナスで成り立っている、地球。その上に繰り広げられる、不完全な魂たちの、不安定な社会。愛というものがわからなくて、人を傷つけてばかりいる、不安に満ちた人生。
 神は人間の魂に、自力で学ばせるという方法をとった。こうです、ああです、ここに行きなさい、次はこれをしなさい、と、手取り足取り、教え込むのではなく、神というものの本質を全て盛り込んだ、“地球”と、“人間の肉体”を作り、そこに魂を送り込み、不完全な魂たちが、苦しみ、もがき、喜び、楽しみながら、少しずつ“愛と調和とバランス”を学び、自身のものにしていくのを、見守るという形をとった。ミカエルは、そのような意味のことを語った。

 何かを学び、身につけるとは、結局そういうことだろうと思う。言われるままにやっているだけでは、どんなことも、本当の意味では理解できないし、身につかない。なぜ、どうして、と、山ほどの疑問を持ち、カベにぶつかり、失敗や挫折を通して、自分を見つめ、そうやってもがき続けているうちに、ある日、はっと何かに気付く。とても大切なものが見えてくる。
 私達が、“神を学び”、“バランスと調和と愛”を自分のものにするとは、そういうことではないだろうか。
 
 人生の苦しみは、自分の魂の不完全さの反映だろう。どうしてもお金に執着してしまう、物欲を募らせてしまう、愛する人を独り占めしたい、嫉妬心を抑えられない、人の足を引っ張りたくなる、人の不幸をせせら笑う、憎い相手を抹殺したい、嫌なことから逃げたい、人のせいにしたい、勇気がなくて行動できない、どうせ自分はと卑屈になる、何でもいいから楽をしたい……。魂の不完全さとは、このようなネガティブな心のことを言うのだろうと思う。
 このネガティブな気持ちを、ひとつひとつ乗り越えていくことが、“神を学ぶ”ことだ。しかし、完全に乗り越えることができるのだろうか。好きな人を独占したいという気持ちを、なんとか解消できたと思っても、その好きな人が別の異性に熱い視線を向けるようになったら、またまた独占欲と嫉妬心の炎が燃え上がるだろう。
 ネガティブな気持ちが、全く心の中に湧かなくなった時、人間の魂は、神の意識とひとつになる。神という大宇宙の中で、ミカエルのような、純粋な光のエネルギー体になるのだろう。しかし、それは本当に可能なのだろうか。私は、そうなれるのだろうか。

 人生は、人の心の醜さ、汚さを見ることの連続でもある。テレビの報道番組は、毎日、汚職や賄賂や凄惨な殺人事件や、テロや戦争のニュースを流し続けている。私達の日常生活は、無数の嘘やごまかしで満ちている。親に叱られたくないから、嘘を言う。妻がきっと怒ると思うから、本当のことを言えない。見栄を張って嘘をつくこともあるし、複雑な利害が絡み合って、嘘を強要されることもある。小さな嘘が積もり積もって、信頼の絆を傷つけていく。
 生まれて初めて、人から裏切られた時のショックは、心に深い傷を残すだろう。ガーンと頭を殴られたような気持ちになり、茫然自失のその中で、この世に、裏切りという行為が存在することを、身をもって知る。赤ん坊のときから、裏切ること、憎むことを知っている人はいない。子供の頃は、誰もが、真っ直ぐな心を持ち、真っ直ぐに生きるのが当然、と思っている。
 人から裏切られれば、その次には、人を裏切ってもいいんだ、という気持ちが湧く。決して自分は裏切るまいと誓い、その思いを貫ける人が、いったいどれだけいるだろう。人が嘘をついているのを見れば、自分もちょっとぐらい嘘をついてもいいさ、と思う。人が誰かをいじめているのを見れば、いじめられることを恐れる気持ちと同時に、人をいじめることの快感も知る。
 他人の悪い行いを見て、自分も染まっていく……と、すべて他人のせいにしたいわけではないが、人間は、自分の中のネガティブな部分、悪の部分を見せ合い、相互に悪く影響されて、足を引っ張り合っているのではないかという気がしてくる。
 何もない、まっさらの心の状態から、唐突に憎しみが湧くことはない。誰かに傷つけられ、虐げられるから、憎しみが湧くのだ。自分をおとしめたり、攻撃してきたりする相手を、打ち負かそうとするのは、自分を守ろうとする本能でもある。
 それぞれの魂の悪の部分が、影響し合い、悪のシンフォニーをわんわん奏で、嫌な不協和音を響かせているのが、人間の社会だ。

 旧約聖書の初めのほうに、最初の人類である、アダムとその子孫の系図が書かれてある。はてなと首を傾げるのは、これらの人々が、あり得ない長生きをしていることだ。アダムは九百三十歳、その子セツは九百十二歳、そのまた子供は、九百五歳、という具合に、その後も少しずつ寿命が短くなるようではあるが、八百歳とか七百歳台の年齢が続く。
 私は初めてこれを読んだ時、思わず噴き出した。どういう意図から、このような荒唐無稽なことを書くのか、聖書というものに疑問を持った。
 しかし、ミカエルは、これも事実だと言った。最初の人類は、八百歳、九百歳が、平均寿命だったのだ、と。九十歳とか百歳になって子供を生んだという記述があるから、肉体の成長の度合い、老いてゆく度合いも、今よりはるかにスローペースだったのだろう。
 それでは、何故、人類の寿命は短くなったのか。
 直接、神が手をくだすことのできない、すべて人間の自発性にまかせてある、地球という自治区で、何百年間も人生を送ると、人間相互の悪い影響の中で、人の魂はどんどん堕落していったからだそうだ。己の心を磨くために、地球に生まれたはずなのに、地上の人生を終えて、神なる宇宙に戻った時、前よりずっとアンバランスで悪のパワーを帯びた魂になってしまっていた。
 地球に、あまり長く人間を置いておくと、返って逆効果になる。そこで神は、人間の寿命を短くした。地球という自治区にいる時間が短ければ、悪に染まり、悪を行なうチャンスも減る。こまめに宇宙に呼び戻し、地上での人生の、プラスとマイナスを振り返らせ、反省させることにした。
 なんだか嘘っぽい話ではあるが、ミカエルが語ったことだから、これが真実なのだろう。
 創世記の時代の人類の寿命がどうであれ、人間という生き物の、どうしようもなさに、重いため息が出る。
 わかっていても、やめられないのだ。金に目がくらみ、権力をふるい、愛欲に溺れ、自分を不幸にする。殺人も、戦争も、なくならない。
 科学技術の進歩の結果、なんと人間は、自分達の生命の拠り所である、地球の環境を、破壊しつつある。地球が危ないのではない。地球には、再生能力がある。二酸化炭素を出さなければ、オゾン層は元通りになる。危険が迫っているのは、私達人間だ。
 
 地球は、人間のもの。神から与えられた、この素晴らしい自治区を、本当の意味で自分達のものにするには、私達ひとりひとりが、自分だけの欲望にしがみつくのをやめ、もっと聡明にならなければならない。


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第18章  



       人生はオリエンテーリング 


 人生には、テーマがある、と、ミカエルは言う。
 人間は、この地球に生まれ出る前に、今回の人生でやらなければならない課題を決める。前の人生で誰かを傷つけているなら、今回の人生では、その人を幸せにするような生き方をすることが、ひとつのテーマになる。自分の弱さを克服することが、最も重要なポイントであるなら、それが人生の大きなテーマになる。前の人生で、肉体を酷使したり、他人の体をいたわる気持ちが皆無で、残酷な仕打ちをしたりしていた場合、今回の人生で、健康の大切さを深く学ぶことが、メインのテーマになったりする。いずれにしても、人間は、ひとつか複数のテーマを持って、地球に誕生する。
 しかし……。
 私は今回、このようなテーマを持って、生まれて来ましたと、すらすら言える人は、ひとりもいない。赤ちゃんが誕生したら、その瞬間に天から手紙が降ってきて、その子が抱えている人生のテーマが、箇条書きにでもなっていればわかりやすいのだが、むろん、そんなことはない。
 私達は、なんのために生まれ、なんのために生きているのか、本当のところ、よくわかっていない。

 前世の記憶をすべて消され、完全な白紙、ゼロの状態から、私達はスタートする。白紙の状態から、歩き始めて、人生の意味について自問自答を繰り返し、迷ったり悩んだりすることも、魂の修業にとって必要なことなのかもしれない。
 どういう学校に進学し、どういう職業に就き、どんな分野で自分の能力を発揮するのか、選択肢はたくさんある。どの道に進むのが、自分の人生のテーマをクリアーすることにつながるのか、誰も教えてくれない。じっくりと自分を見つめ、何が自分にとって最も必要なのかを考え、直感やひらめきを信じ、自分の手で選び取っていく……。真摯な気持ちで、こうした努力を繰り返していけば、要するに真剣に人生を生きていれば、人生のテーマである事柄から、遠く離れた道に、迷い込んでしまうことはないだろう。
 この人生で、自分が成しとげなければならないことを、自分の力で見出すことも、人生の大切なステップなのだ。

 ミカエルは、人生をオリエンテーリングに喩えて。説明してくれた。
 オリエンテーリングは、ご存知の方も多いと思うが、地図と磁石を頼りに、チェックポイントを通過し、ゴールにたどりつく、自然を楽しむアウトドアの遊びだ。
 人生というオリエンテーリングのフィールドは、地球。出発点は、両親だ。
 これから人生を送ろうとする魂が、まず人生の課題を決めると、その課題をクリアーするのに最もふさわしい出発点が決定される。つまり、どのカップルの子供になるかが決まる。
 赤ちゃんは、何の理由もなく、生まれてくるわけではない。“私が、この子を生んだ”のは、“この子が、私のところに来る必要があった”からなのだ。
 だから、親子喧嘩をしたときに、「生んでくれと頼んだ覚えはない」などと言ったりするのは、大間違いということになる。ある意味で、私達は、親になる人間を選び、生んでくださいと頼んでいるのだ。
 親との関係がうまくいっていない人、親によって、精神的、物質的に苦しめられている人は、“自分が親を選んでいる”という考え方を、受け入れ難いかもしれない。“この親から生まれていなかったら、自分はもっと幸せになれたかもしれない”と思っていたら、不幸の種である親を、自分が選んだとは思いたくないだろう。
 その場合は、親と自分との間に横たわる問題を解決することが、人生のひとつのテーマになっているのだと思う。親に、悪いところはたくさんあるかもしれないが、自分にも、直さなければならないところがあるだろう。親の“悪い部分”と、自分の“悪い部分”が相乗効果となり、問題の根が深くなっているのなら、その根を見つめ、解決する努力をしなければならない。
 問題のある親子関係、家族関係には、たいていの場合、前世でもつれた人間関係の問題が、持ち越され、続いている。この人生で、その問題を解決したほうがいいと、誕生する前に考えたから、その人達の家族として生まれているのだ。

 レジャーのオリエンテーリングの地図に当たるものは、人生のオリエンテーリングの場合は、家族や先生、友人など、自分が出会う人々だと、ミカエルは言う。たとえば、この人生で、美術を通して人々の心に訴えかける仕事をすることが、テーマだとしたら、親が絵を習わせてくれたり、先生や友人から、その目的を達するための、良い影響を受けたりする。こうして、まわりの人が美術への道筋を示してくれるので、その人は自分の人生のテーマに向かって、どんどん進んでいける。
 しかし、人生で出会うすべての人が、正しい方向を示してくれる地図であるとは限らない。たとえば、美術の勉強の途上で、失敗や挫折を経験したとする。失望して自暴自棄になり、不良グループの仲間入りをしたり、刹那的な恋愛にのめり込んだりする。その時、その人の周囲にいる人間は、人生のテーマに向かう道筋とは全く逆の道、おかしな迷路をさし示していることになる。
 学校もやめ、安易で快楽的な暮らしにはまりながら、その人は、心の底にどうしようもない虚しさを感じている。そんなある日、ふと出会った誰かの言葉が、その人の心に突き刺さる。自分はこんなことをしていてはいけないと、その人は自分の間違いに気付き、再び、美術をめざす。間違いに気付かせてくれた誰かさんは、その人が迷路から脱出し、正しい道に戻るための、地図を示してくれたことになる。

 レジャーのオリエンテーリングの磁石に当たるものは、直感、心の声、良心、または、心の弱さといったものだと思う。磁石にふたつの極があるように、人生の磁石にも、プラスとマイナスの極がある。その人の心が前向きであれば、何事もプラス思考でとらえ、目的を達成するのに必要な選択をし、チャンスをつかみとっていく。
 たとえば、就職の際、A社は規模が大きく、名前も通っていて、一見良さそうでも、その人がスムーズに才能を活かせるような会社ではなかったとする。その人はぎりぎりまで悩んだあげく、規模が小さく、やや地味なB社を選び、入社する。B社でその人は自由に仕事ができ、やがて社会に羽ばたいていけるだけの力を蓄える。B社を選んだのは、その人の直感が働いたからだ。親も友達もA社がいいと言ったのに、B社を選択したのは、人生の磁石のプラスの力に引っ張られたからである。
 磁石のマイナスの力に引っ張られ、選択を誤ることもある。たとえば、その人に縁談が持ち上がる。その縁談は、自分の出世にプラスになる。自分が人生でやりとげたいと思っていることを実現する、近道のように思われる。相手をさほど好きではないが、結婚すれば、どうにかなると思う。自分もいい歳だし、このへんで手を打たないと、どんどん条件は悪くなるだろうなどと思ったりもして、結婚してしまう。そして、後悔する。
 この結婚について悩んでいる時、その人の良心は、愛があるかどうかが、最も重要なことですと、何度もささやきかける。しかしその人は、この結婚のメリット、自分がどれだけ得をするかといったことに心を奪われていたので、つまり、人生の磁石のマイナスの極に引っ張られていたので、プラスの極からのささやきに、耳を貸そうとしなかった。不幸な結婚生活と離婚という、迷路に迷い込み、時間もエネルギーも浪費することになる。
 あの時、あの人に出会っていなかったら、今の私はいなかった、あの学校に、あの会社に入っていなかったら、この人生はなかった、と思えるような、重要なポイントが、人生にはある。森で遊ぶオリエンテーリングが、いくつかのチェックポイントを通過するように、いくつかの大切な出会いが、人生のテーマへと、私達を導いていく。
 
 迷路に迷い込んだままだったら、それらの大切な出会いを逃してしまう。迷路に踏み込まず、かけがえのない出会いが用意されている道を、たどり続けるためには、自分の人生にしっかりと向き合う、意欲と勇気が必要なのだと思う。
 人生の課題をこなすのも、こなさないのも、本人の自由とミカエルは言ったが、自分のテーマをクリアーしなかった人生とは、振り返った時に、後悔や虚しさや自己嫌悪を感じる人生なのではないかと思う。何が人生のテーマなのか、よくわからなくても、要するに、人生から逃げずに、しっかりと前向きに生きていれば、おのずと大切な出会いがあり、納得がいく生き方ができるのではないだろうか。自分の心に問いかけたとき、手ごたえや充足感を感じられれば、それほど間違った道を歩いてはいないはずだ。
 ミカエルは、人生は何度でもやり直しがきくと言った。目的とは反対の方角へ向かっても、気がついたら戻ってくればいい。迷路からなかなか脱出できなくても、出口を指し示す標識は、随所にある。心の声という磁石も持っている。
 正しい道からはずれて、うろうろさ迷うことがあっても、私は、それはそれでひとつの貴重な経験だと思う。不良をやって、迷路をさ迷っていたとして、そこから抜けて、自分のメインロードに戻ったとき、不良をやっていたときの経験が、活かされると思う。その人は、不良をやっている人々に対して、本当の意味で、優しくなれると思う。人は、なりたくて不良になるのではないということを、知っているからだ。落ちこぼれる気持ちを知っている人は、それを知らない人より、良い生き方ができ、質の高い仕事ができると、私は思っている。

 ここまで書いて、はっきりわかったことがある。自分の人生のテーマは何か、課題は何かと、考える必要はないということだ。快楽を求めるのではなく、自分を磨き、向上させるために、今、心の底からやりたいことに向かって進めばいいのだ。めざす目標が変わり、違う道を歩むことになっても、それが逃避ではなく、本当に必要なことであるなら、道を変えてもいい。自分の心を真に充足させることを求めて、歩んでいけば、それがつまり、人生の課題をクリアーすることになるのだ。


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第19章




    
     春うらら


 暖かい2月だった。私が住んでいる、富士山の麓の町は、例年ならこの季節は、道路の脇に根雪がたくさん残っている。駐車場の隅に、小山のようにうず高く積み上げられた、汚れて真っ黒になった雪や、つるつるのアイスバーンと化した歩道が、なんともうっとうしい。そして、黒い雪や凍った道の上に、さらにしんしんと雪が降り積もる。この地方では、3月はおろか、4月になっても、かなりの量の雪が降ることがある。
 ところが今年は、道路脇の根雪も、駐車場の隅の黒い雪の小山も、ない。むろん、道は凍っていない。この季節なら積もるはずの雪は、すぐ溶け、やがて雨になる。雪は、生活をする上では、悩みの種なので、積もらないのは有り難いが、やはり異常だ。不気味だと、地元の人がつぶやいている。
 異常気象と自然破壊。本当は、命の危険に直結する、とても恐ろしいことなのだが、なぜかピンとこない。大変なことが起こりつつあるのはわかるが、靴の上から針で刺されているような感じで、痛みが直接伝わってこない。異常気象を肌で感じ、環境破壊や自然保護に関するテレビ番組を見ても、「ふーん、そうなんだ~」と、どこかぼーっとしている。
 このぼやけ具合は、私だけではないと思う。「このままだとホームレスになる!」というくらいの危機感を、みんなが持っていたら、地球の自然環境は、もっとずっと良い状態になっているはずだ。

 温暖化が加速していること、オゾン層に穴があいていること、その他さまざまな地球の自然の異常に関して、人間がいかに鈍感かを、ミカエルはこのような喩えで言っていた。軒先に火がつき、もうすぐ家が焼けてしまうのに、部屋の中でのんきに笑っているようなものだ、と。自分のいる部屋が燃え始めないと、人間は危険に気付かないというわけか……。
 この問題は、ひとりの人間が頑張っても、どうにもならないことだ。そして、どうしたら生活スタイルを根こそぎ変えることなく、経済を破綻させることなく、自然環境の異常を修正することができるか、答えがみつかっていないことが、いちばんの問題だ。こうして、おろおろしているうちに、人類の危機は刻一刻と迫っている。
 ミカエルは、地球の自然環境が、本当に恐ろしい状態になるのが、そんなに遠い先ではないようなことを言っていた。このままだと、今後10年くらいの間に、地球の状態はかなり危なくなるらしい。その先の10年、20年が、どういう状態かは、はっきり教えてもらえなかったが、人間が文明とテクノロジーと社会を変えていく努力をせず、限界点を越えて、“手遅れ”の状態になったら、ものすごい自然災害が起こるらしい。海面上昇により、陸地が海に沈むとか、地震とか、経験したことのないスケールの台風とかだろう。そして、富士山が噴火する。ミカエルはそう言った。富士山が大噴火する時は、日本という国が終わる時、というようなことも言った。
 
 来月から、私が住んでいる地方でも、ゴミの分別収集が厳しくなり、燃えるゴミは、市が決めた専用のゴミ袋を使わないと、収集してもらえなくなる。リサイクルに回せる紙類やペットボトルなども、仕分けを徹底するようだ。こういう小さなことを、きちんと続けていくことも、大切なのだとは思うが、焼け石に水と感じてしまう。もっと大がかりに、根本的に、変えていかないと、本当にとんでもない事態を、私達は経験することになるのではないか。
 いったい私は、何をしたらいいのだろう。

 2月上旬、東京は梅が満開だった。ケータイの待ち受けに使うために、白梅と紅梅の写真を撮った。
 梅の木は、精が強い。木の幹に、手のひらを近づけると、ほのかに手のひらが熱を感じる。木の幹から、じんわりと、何かが発散されているのがわかる。
 長い冬に疲れ始めた人間に、春の訪れを知らせる、さきがけの花。寒気を押しのける強さがなければ、花をつけることはできない。
 この強さを、フフはきっと好きだろうと、写真を撮りながら思った。抜けるような青空をバックに、濃いピンクの花が散りばめられた写真が、私のケータイの待ち受けになった。心の中のフフが、思いきり梅の香を嗅いでいるような気がした。
 けれどもフフは、心底楽しげではなかった。その瞳の奥に、針のような鋭い光があった。その針は、軒先に火がついているのに、何もしないでいる人間を、私を、責めているような気がした。


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第20章





      彼のこと Ⅰ


 前にも書いたように、私達は、前世で犯した過ちや、やり残した問題を、現世で解決しなければならないという、課題のようなものを背負っている。
 
過去の人生で、深く傷つけてしまった人、あるいは反対に自分を傷つけた人との間には、解消しなければならない宿題がある。この宿題のことを、“カルマ”と呼ぶ。
 10年ほど生活をともにした恋人、Nさんは、前世で関わりがあり、現世でどうしても出会う必要があった人だと、ミカエルは言った。Nさんと私との間には、解決しなければならない宿題、カルマがあり、私も彼も全く自覚していないけれども、心の奥底の潜在意識の部分、魂の部分で、過去に傷つけあったことについて、強いわだかまりを持っているということなのだろう。
 
 Nさんとは、赤坂のシャンソン・バーで出会った。私の学校の先輩が、そのお店を経営しており、私は週に3日ほど、そこでアルバイトをしていた。店のママはシャンソン歌手で、3回ぐらいあるステージのピアノ伴奏をしたり、お客さんの歌の伴奏をしたりした。店の従業員はみんな、私と同じくらいの年齢で、私と同様、ママの後輩も何人かいた。ママの気質も手伝って、アットホームな、働きやすい店だった。世間知らずで、人見知りしがちな私でも、なんとか勤まる、温かさがあったのだ。
 Nさんは、たしかママのご主人の知り合いで、そこの常連客だった。常連のお客さんには、タイプは違っても、個性の強い、面白い人が多く、彼もそういうお客の一人だった。
 文筆業という職業にふさわしく、知的な雰囲気を漂わせ、一風変わったことを言う。派手な外見ではないが、一度見ただけで、その風貌を覚えてしまうような、強烈な印象を与えた。よく連れ立って店に来る、精神科のお医者さんも、とても個性的な人で、何か一途な、熱いものを、内側に抱えているような感じがした。

 常連のお客さんとは、しょっちゅう顔を合わせているうちに、友達のようになることがある。Nさんがかもし出す雰囲気に、初めは近寄りがたさを感じていたが、やがて気安く口をきくようになった。
「キミの周囲1メートル四方に、色気が漂っている」などと、歯の浮くような口説き文句を言われて、この男は油断がならないと思いつつ、ちょっといい気になったりもした。
 
彼との絆は、アバンチュールから始まった。恋焦がれたのでもなければ、深く尊敬していたのでもない。“ほんの遊びのつもり”で、“ちょっとした冒険心”に突き動かされて、私は彼と寝た。
 彼は料理が趣味で、彼の家で食事会をすることになり、私と、精神科のお医者さんと、その恋人で私の友達でもある女性が、招待された。フルコースの料理のあと、ワインだかウイスキーだか、何を飲んだが覚えてないが、相当に酔い、気がついたときは、お医者さんと女友達は帰って、私は彼と抱き合っていた。恋をしていたわけではないので、感動はなかった。ただ、刺激的なことが起きたと、ひたすら面白がっていた。

 その晩から、一本の真っ直ぐなレールが敷かれたのだ。発端はアバンチュールでも、彼との関係は単なる遊びではなかった。私は一抹のためらいもなく、レールの上を進んでいった。それは、彼も同様だと思う。私達はひんぱんに会い、食事をしたり、あちこちへ出かけたりし、そして私は友達の家に泊まると、母に嘘をついて、彼のマンションで、たびたび夜を過ごした。
 仕事、恋愛、結婚、その他、人生のさまざまな事柄について、彼は、どこか醒めているようなところがあった。離婚暦があり、子供もいたが、彼は別れた妻や子供のことは、一切話さなかった。よほど嫌な思いをしたのか、つらい結婚生活だったのか、それとも家庭を守るために自己を犠牲にするのが嫌だったのか、結婚というものに、強い拒絶感を持っていた。
 彼は、要するに、家庭というものから逃げたのだと、私は思う。彼の結婚生活は、常識の目で見て、特にひどいものではなかったと思う。彼は夫として、父親として、責任を果たすことの重圧が、嫌になったのではないだろうか。
 彼は、私と暮らすようになってからも、私との結婚を口にすることはなかった。20代後半に差しかかっていた私は、当然、結婚願望があったので、しびれを切らしてある日、こちらから結婚したいと言ってみた。すると、彼の表情はみるみる硬くなり、顔色も少し青ざめ、結婚はしたくないという意味の言葉を、小さな声でつぶやいた。
 この人は、結婚というしがらみに縛られるのが嫌なのだと、その時私は思った。彼が、束縛を嫌うタイプの人であることは、かなり前からわかっていた。私に対する、彼の愛情を、疑うことはしなかった。私達は仲良くやっていたし、ごく自然に寄り添っていたからだ。嫌なものを無理強いしても、うまくいかないと思った私は、彼と結婚するという夢を、あっさり諦めてしまった。大切なのは“彼”であって、“結婚”ではないと思ったのだ。結婚したくないと言う彼を、誠意がないと非難する気持ちも、なぜか湧かなかった。

 彼は仕事に対しても、粘りや底力に欠けた。誰にでも誇れる学歴があり、頭脳明晰で、才能に恵まれていたが、途中でヤル気をなくしてしまうのだ。良い企画を立ち上げても、だんだん情熱がなくなり、仕事を抱えながら、ついつい遊んでしまう。締め切りを大幅に過ぎても、原稿が仕上がらず、編集者を何度も泣かせていた。頭の一部が常に醒めていて、何事にものめり込めない性格……。情熱を持続できない自分の欠点を、困ったものだと自分でも言っていた。
 西洋占星術を学び、教室も開いたが、彼は、占いを心底信じていたわけではなかった。彼の占いに対する姿勢は、信心ではなく、興味だった。ただ、彼にしては珍しく、強く深い興味を持っていたようで、西洋占星術の草分け的存在である、門馬寛明氏の教室に長く在籍し、星の配置を割り出すための複雑な計算式を簡便化して、占星術の教本も出版した。
 彼は、占いに限らず、哲学や思想、特に神秘学、神秘思想に、強い興味を持っていた。彼が唯一、心の底からのめり込むことができたのが、このような目に見えない精神世界を扱う学問、オカルトの世界だったのだ。彼の書棚には、神秘学関係の本、錬金術や、世界各地の秘教に関する本、老子、荘子など、東洋思想についての本、フリーメーソンや薔薇十字といった、秘密結社のことを書いた本、ユングやフロイトなど、心理学の本が、ぎっしり並んでいた。
 私はたまに、彼の書棚からそういう本を抜き取って、開いてみたりしたが、途中で眠くなるか、飽きて閉じてしまうのがオチだった。このエッセイですでに書いたが、唯一、荘子の思想に共感しただけで、あとの書物は、このような研究をして、いったい何の意味があるのか、といった、手ごたえのない虚しさを感じさせた。歴史上の人物が、そのメンバーとしてずらりと名を連ねている、フリーメーソンや薔薇十字には、ちょっとわくわくしたけれど……。

 彼は、“謎”に惹かれるというようなことも、言っていた。白日のもとに、明らかになっていることには、興味がない。隠蔽されていて、わからないこと、目に見えない、隠された世界に心が向かい、謎を解き明かしたいと思うのだ、と。
 「すべては、無。無がすべて」というような、まるで禅問答のようなことも、よく言っていた。無有という言葉も、よく使っていたように思う。若い私には、何がなんだか、さっぱりわからなかった。だいたい、“無”という概念が、つかめなかった。“無”を考えると、何もない空間を想像する。何もない、空っぽの部屋というイメージしか、湧いてこない。空っぽの部屋は、それ自体が物体であり、“有”ではないかと、気がつく。そこで思考は、完全に行き詰まる。
 今なら、無がすべて、という彼の言葉の意味を、理解できる。無……魂や神の世界が、言いかえれば宇宙が、有であるところの物体を生み出しているのだ。人間の肉体も含めた、すべての物体は、無から生まれ、無に帰る。

 私がこのようなことを、今、確信をもって言えるのは、佳川紘子を通じて、ミカエルに出会ったからである。神や魂について、宇宙について、ミカエルからさまざまなことを教わり、20年以上の歳月をかけて、それを自分の中で消化してきたからである。そして、佳川紘子はNさんの友人の知り合いで、私が彼とつきあっていなければ、紘子さんと出会うことはなく、ミカエルを知ることもなかった。
 高校生の時に、父の魂を見て、目に見えない、もうひとつの世界があることを知った。隠された世界にこそ、真実があると思い、真実を明らかにしたかった。そういう思いを、そこはかとなく抱いたまま、出会ったNさんは、隠された世界、オカルトの世界に、深い関心を持って生きている人だった。
 父の魂を見たこと、Nさんに出会ったこと、彼を通じて、紘子さんに出会い、ミカエルを知ったこと……。自分の人生に、一本の糸が張られているような気がする。その糸は、勉強部屋に現われた父の魂から始まり、Nさんにつながり、紘子さんにつながり、ミカエルに至っている。その糸は、人間の存在の根本を知り、人が生きるということの意味をしっかりとみつめる、というテーマに沿って、張られている。


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第21章



     彼のこと Ⅱ


 彼に出会うまで、占いというものに、全く興味がなかった。知り合って間もない頃、アルバイトをしていたシャンソンのお店で、ある日、彼が占いを見てあげると言った。まだ、勉強中だから、お金はいらないよ。
「ほんと~? 見て見て! どうすればいいの?」
 出生年月日と出生時間、出生場所がデータとして必要と言われ、生まれた時間を母に聞いて、後日、彼に伝えた。
 彼の占いは、当たっていた。特に、父が亡くなっていることを言い当てたのに、驚いた。意地悪く勘繰れば、店のママから、私の身の上について、何か聞き出したのかもしれないが、その時の私は、そのような勘繰りは、思いつきもしなかった。
「占いって、初めてなんだけど……。すごいなあ、これ」
「誰でもできるよ」
「私でも?」
「うん。教えてあげる」
「そう……。じゃ、やってみようかな」
 本当に軽い気持ちで、占いを勉強することにしてしまった。その当時、これという人生の目標がなかったので、何もしないよりはいい、という程度の気持ちだった。まさか、この時から数えて30年、仕事として占いを続けるとは、夢にも思っていなかった。
 記憶が定かでないのだが、実際に彼から占いを教わり始めたのは、この会話からだいぶ後のこと、彼と深い仲になってからだと思う。
 
 彼は、根気とか計画性とかに乏しい性格で、教えるといっても、そのやり方はかなりいい加減だった。いくつかのテキストを渡され、占星術で使用するマークや記号の意味、ホロスコープの作成法、星座が表わす性格を、覚えるように言われた。ホロスコープの解読のしかたを、あらまし教えてくれたが、かなりおおざっぱで、あとは自分で実地に身の回りの人のホロスコープを作り、占っていくのが、最も勉強になると、突き放された。
 今日はしっかり勉強するぞと、意気込んで彼のマンションに行っても、占いの話は最初のうちだけで、すぐに雑談になり、そのうちお酒になり、最後は抱き合うというのが、お決まりのコースになった。私も遊び好きだが、勉強も仕事も、やるときはしっかりやりたいほうなので、だらだらと安易なほうへ流れてしまう、彼のけじめのなさには、少なからずイライラした。
 後に星占いの教室を開いてからも、彼のやり方は変わらなかった。授業の後は、必ず飲み会になり、講義よりも飲み会の時間のほうが長かったと思う。それでも生徒はついてきた。お酒を飲みながら、占星術に関する雑談をするのだが、その雑談が面白かったのだと思う。たしかに星占いの、特に星座の性格については、雑談から学ぶものが大きかった。

 彼は、教えるほうはいい加減でも、仕事はどんどんやらせてくれた。初めは、原稿の書き方も知らず、彼に多大な迷惑をかけたりもしたのだが、彼のおかげで、私は雑誌の連載を持つようになり、本も出し、年間の占いの小冊子や、ラジオ番組の仕事もこなした。私の占いの仕事の土台は、彼が築いてくれた。
 私にとって、N氏と過ごした年月は、人生の中で、とても華やかな色合いを持っている。彼は美食家で、フレンチ、イタリアン、中華……その他諸々、さまざまな店に、私を連れて行ってくれた。私は彼によって、料理の文化というものを知り、料理の知識を蓄えた。海外旅行もたくさんした。以前はあまり興味のなかった、香水やブランド品にも詳しくなった。彼の友人には芸能関係の人が多かったので、華やかな世界の人達から、刺激を受けた。クラブを借り切って、パーティーをしたり、彼や彼の男友達に囲まれて、六本木に繰り出したりもした。
 そのような日々の中で、私は、洗練された感性というものを身につけた。
 私は東京生まれの東京育ちだが、早くに父を亡くし、どちらかというと、質素な生活を送ってきた。贅沢な都会の文化とは、無縁だった。知り合った当初の私は、N氏から見れば、“東京生まれの田舎者”という感じだったかもしれない。

 彼との生活は、初めの数年は楽しかったが、マンネリ化が始まり、会話が少なくなると、彼の浮気が始まった。彼の浮気はゲームのようなもので、特定の女性と長く続くということはなかったが、それでも、そのつど私の心は怒りの炎を吹き上げた。人が好きで、サービス精神旺盛な彼は、よくパーティーを開いたが、パーティーの最中に、怒りを抑えきれなくなり、あっけにとられる友人達を尻目に、帰ってきてしまったこともある。
 彼をよく知る、年長の女性に、なぐさめられたり、別の女性からは、「あなたはNさんとは合わないと思う」と、面と向かって言われたりした。彼にふさわしいのは、私のようなおっとりと素朴な女ではなく、機転がきいてドライな、面白いことをぽんぽん言えるような女性なのだという思いが、この頃から私の心の底に定着し始めた。
 ひとつの浮気が終わると、波立っていた水面が鎮まるように、私の心も穏やかになったが、やがて次の浮気が始まる。会話は目立って減り、彼が私に飽きているのがわかった。
 その頃、すでに彼の占い教室に出入りしていた紘子さんは、私をひんぱんにスキーに誘った。
「和代がNさんのほうばかり見ているのが、Nさんは嫌なのよ。和代の視線が、Nさんはうっとうしいのよ」
 紘子さんはそう言った。
 はたして、私がスキーに夢中になり始めると、彼の態度が変わり、優しくなった。スキーセーターを買ってくれたり、自分はスキーをやらないくせに、スキーについてあれこれ口を出したりした。
 人間とは、そういうものだ。相手からべったり寄りかかられると、うとましくなるが、今までそうだった相手が、急に別の方向に顔を向けると、今度は追いかけたくなる。
 スキーのシーズンが終わると、今度は私の仕事の依頼がふえ始めた。原稿の束や資料を持って、あわただしく動き回る私を見て、
「破竹の勢いだね」
と、彼は嬉しそうに言った。この人は、私が外に向かってキラキラ輝いているのが好きなのだと、悟った。

 皮肉なことに、私の心が外に向かって輝き始めるのと同時に、彼に対する愛情のボルテージが下がっていった。私の気持ちは冷え始め、マンネリ化した彼との関係を捨てて、新しい恋をしたいと思うようになった。
 そして、そのような思いを抱き始めた頃、私の前に、ひとりの男性が現われた。
 その人、Yさんは、星占いの教室の生徒だった。教室は、生徒数が10人足らずで、Yさん以外に、若い男性が一人。あとはすべて女性という構成だった。Yさんは、当時、30代半ばにさしかかる年齢で、デザイン関係の仕事に携わっており、結婚していて、子供もいた。計画性も忍耐力もあり、何事にもきっちり取り組む、責任感の強い性格で、気まぐれで自己中心的なNさんとは、すべてが正反対だった。
 後にわかったことだが、Yさんは、Nさんとは別の理由、別の思いで、精神世界に探究心を燃やしている人だった。魂や神、精神的な意味での宇宙について、確たるものをつかみとろうとしていた。彼が星占いの教室に入ってきたのも、占星術に何かの手掛かりをみつけたかったからだと思う。
 生真面目で勉強家のYさんが、まるで遊び半分のようなN氏の占い教室に、几帳面に通い続けていることが、私には不思議だった。生徒の中に、Yさんと話が通じ合うような、同世代の男性がいるわけでもない。先生であるN氏は、たしかに話は面白いが、常識を否定するような、過激とも言える発言も多く、堅実なタイプのYさんと意見が合うとは思えなかった。
 自分を抑えることのできるYさんは、占い教室では一歩も二歩も引いて、自分の意見を開陳することはなかったように思う。持論を述べれば、先生であるN氏と対立することが、充分にわかっていたのだと思う。それでもYさんは、教室ではいつも楽しそうだった。にこやかに、穏やかに、時間を過ごし、飲み会にもほぼ参加していた。

 Yさんに、私は一目惚れをした。初めて彼が教室に姿を現わしたとき、私の目は一瞬、彼の顔に釘付けになった。Yさんは、決して美男ではなく、むしろ無骨な印象を与えたが、男らしさを感じさせた。デザイナーだけあって、服のセンスも良かった。
 いつしか私は、占い教室の日を、待ちわびるようになった。Yさんが仕事の都合などで来られないときは、ひどくがっかりした。講義のあとの飲み会は、私にとってバラ色の時間となった。
 私の気持ちを、Yさんは、それとなく察していたかもしれない。何か用事をしていて、ふと振り返ったりしたとき、じっと私をみつめるYさんの視線に気付くことがあった。もしかしたら、この人は私に特別の思いを抱いているかもしれないと思えるような態度を、さりげなく取ることもあった。そういうかすかなサインを、時折感じた。


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第22章




       分裂


 私がYさんへの思いを募らせていた頃、Nさんは、それまで借りていた事務所から、広いマンションへ引越しをした。教室用のゆったりとしたスペースがあり、その他に執筆用の部屋や、寝泊りできる小部屋が二つ付いた、かなり贅沢なマンションだった。彼はそこを、仕事場と住居兼用の、自分の城にしたいと言った。私は私で、自分の部屋が欲しかった。そこで、それまで二人で暮らしていたマンションを引き払い、私は事務所にしていた部屋を、自分だけの住まいにした。インテリアを思いきり、自分好みのものにし、美しく飾り立てた。
 別居生活の始まり。そして、生活の場が分かれたときから、互いの心もいっそう離れていった。
 ほどなく、彼の浮気が始まった。相手は編集者で、私もよく知っている人だった。彼女がいるとは知らずに、何かの用事で、彼のマンションに行き、危うく浮気の現場を目撃しかけたこともある。チャイムを鳴らすと、乱れた服装の彼が現われ、今は具合が悪いから、帰れと、しどろもどろの口調で言った。何が起きているか察した私は、頭が真っ白になったまま、夢を見ているような気分で、自分の部屋に戻った。ショックで眠れず、浴びるほどお酒を飲んで、夜通し泣いた。
 Yさんを好きだったが、それとこれとは別だった。Nとのマンネリ化した関係に嫌気がさしていても、いざ、目の前に別の女性が現われると、彼がいかに大切な存在かを、思い知らされた。
 この時の彼の浮気は、例によって、ちょっとした火遊びのようなものだった。しばらくたつと、少なくともうわべは、私達は何事もなかったように接した。
 本当の分裂の切っ掛けは、この浮気のあとにやってきた。
 しばらく前に、星占い教室に、新しい生徒が入ってきた。若い女性で、口数が少なく、色白で端正な顔立ちをしていたが、どこか淋しげな、ぼんやりとした表情を浮かべていることが多かった。活発に発言をする人が多い中で、彼女はあまり目立たない存在だった。
 私はNさんの助手のようなこともしていたが、私の仕事がふえ、自分の部屋で仕事をすることが多くなったので、彼はこの女性が暇なときに、アシスタント代わりに使うようになった。彼女はその頃、これといった職についていなかったので、いつのまにか、毎日彼のマンションに来るようになった。

 私は初め、彼女をN氏の助手としてしか見ていなかった。彼は才気煥発な女性や、キュートで明るい女性が好みで、彼女のような、どちらかというと暗い、おとなしいタイプには、魅力を感じないと思っていた。彼は生徒たちにも、仕事の原稿を書かせることがあったが、彼女はあまり仕事ができなかった。そんなわけで、私は心のどこかで、彼女を軽んじていた。
 Nさんと私は、夕飯を外で食べることが多かったが、彼女が彼のアシスタントになってからは、夜、三人でご飯を食べに行くことが多くなった。彼女は相変わらず、無口だったが、時折、私の神経を逆なでするような、嫌なことを言った。
「和代さんは、できない、できないって言うくせに、結局、何でもやってしまうのね」
 やれるんなら、できないなんて言うなというような意味のことを、棘のあるまなざしで言い放ったこともある。
 何かちょっとしたことで、Nさんが私をほめたり、彼と私の会話がはずんだりしていると、彼女は不機嫌に黙り込んだ。
 彼女が私を敵対視しているサインは、このようにいくつもあったのである。ところが私はそのサインを見逃していた。不器用で、人とのつきあいかたを知らない子だ、ぐらいにしか思っていなかったのである。仕事の先輩として、彼女を支えようと思ったこともある。
 そんな私を、紘子さんは歯がゆがった。
「和代はお人よしだよ。彼女には、気をつけたほうがいいよ」
 まさかと思いつつ、その言葉にぎくりとした私は、彼女の動向に神経を配るようになった。

 彼女が、我が物顔に、彼のマンションに居座るようになったのは、いつの頃からだろう。いつ行っても、朝から晩まで、彼女はそこにいた。心配になった私は、彼のマンションで自分の原稿を書くことにした。私が居続けると、彼は、
「○○さん、今日はもう帰っていいよ」
と、とってつけたように言い、彼女は仏頂面をして、出ていった。
 彼女は彼のマンションで、いったいどんな仕事をしていたのだろうか。昼間、奥の小部屋で、短パンの太ももをむき出しにして、ごろ寝をしていることも少なからずあった。私が何か用を足しに部屋に入ると、物憂げに黙ってこちらを見た。細面の顔のわりに、肉付きのいい体をしており、畳に横たわった姿が、セリにかけられる前のマグロを連想させた。
 その頃の私の心境は、複雑だった。彼女を追い出そうと、やっきになるかと思えば、このままNさんと暮らしても、自分の女としての未来はないように思ったりした。セックスの関係は、ほとんどなかった。彼といっしょにいたら、自分はドライフラワーのように、ひからびていくような気がした。

 彼女の態度は、日に日に図々しくなっていった。事務所で三人で喋っているとき、私が的外れなことを言ったりすると、彼女はふふんと鼻先で冷たく笑った。私は努めて彼のマンションに泊まるようにしていたが、ある日、バスルームに自分の洗濯物を干しておいた。それからしばらくたって、昼間、お風呂の掃除をしようと思い、バスルームに入ると、私が干しておいたのと同じ位置に、彼女の下着が干してあった。言うまでもなく、これは、私への挑戦だった。彼女は全身で、私をこのマンションから、彼の城から、追い出しにかかっていた。

 そして、このエッセイですでに書いた、彼女との対決の日がやってきた。

 あの時、彼女が浮かべた、奇妙な、凄味のある笑いを、今も忘れることができない。私が「出て行け」と怒鳴ったあと、彼女の唇は、本当に、右方向へぐーっと吊りあがっていったのだ。極端に歪んだ口の上に、眉間にしわを寄せた、視線を落とした目があった。虚ろにテーブルを眺めながら、彼女はひたひたと、声を出さずに笑っていた。邪悪で、凶暴な笑い。歪んだ口と眉間のしわは、能舞台に出てくる鬼女の面そのものだった。
 その場に居合わせた紘子さんも、同様の印象を受けたようだ。「人の顔が、あんなふうに変わるのを、見たことがない」と、紘子さんは言った。あの時の顔は、ふだんの彼女の顔ではない、まるでお面を付けたように、まったく別の顔になっていたわ……。

 彼女の中にうごめく鬼を、私達は見たのだと思う。
 道理も常識もかなぐり捨て、私からN氏を奪うという執念に燃えて、立ち向かってくる彼女に、私は勝てなかった。彼女と闘うためには、私も、常識や道理や自尊心をかなぐり捨てなければならなかった。なまなましい女の部分をむき出しにして、テコでも動かない彼女を、突き倒し、蹴飛ばし、腕づくでマンションの外へ押し出さなければならなかった。
 私のプライドは、自分がそのような行為に及ぶことを、許さなかった。出て行けと怒鳴ったのがせいぜいで、それ以上の行動は、まったく思いつきもしなかったのである。
 腕力で彼女に勝つ可能性は低かったけれど、仮に腕づくで彼女を追い出したとして、Nさんは、そんな私をどう見ただろうか。彼女と醜さをさらけ出して闘う私を見たら、彼の愛情は完全に冷めてしまっただろうと思う。彼の美意識は、知性のかけらもない、人間のあさましさを、何よりも嫌っていたから……。

 と、いうわけで、私は敗退するしかなかった。

 ずっとあとになってから、何年もたってからのことだが、私は、Nさんと私が別れた本当の原因は、この、彼女ではないのではないかと思うようになった。私と彼の間には、彼女が現われる前から、絆を確かにするための努力が、なされていなかった。彼は身勝手だったし、彼がそうなら、私も身勝手をしようと、私は開き直っていた。お互いが好き勝手に、バラバラな方向を向いていたために、二人の絆は危うくなっていた。板に、目に見えないヒビが走るように、私達の間にも亀裂が生じており、彼女の欲望が、鋭いクサビとなって、そのヒビを直撃したのだ。割れかかっていた板は、ほんの少しの衝撃で、まっぷたつになった。


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第23章



 
     彼のこと Ⅲ


 彼女と対決した数日あと、私は彼のマンションに置きっぱなしになっている、自分の仕事の資料や原稿を取りに行った。彼女が居座り続けている以上、もうそこで仕事をするわけにはいかなかったからだ。
 彼女がいたら嫌だなと思いながら、意を決して、玄関のドアを開けた。教室に使っている広い部屋には誰もいなかった。奥の部屋も静まり返っていた。
 私は必要な物をまとめ、奥の部屋を覗きに行った。寝室に使っている、いちばん奥の小部屋に、彼がいた。たしか、真夏だったと思う。タオルケットを腰のあたりに掛けて、彼はこちらに背中を向けて、昼寝をしていた。
 横たわった彼の姿を見たとたん、心の中に何かが噴き上げてきた。無性に彼を取り戻したかった。私は彼の肩を揺さぶり、ねえ、起きて、と言った。二度、三度、揺さぶり、そして、彼が眠っていないことがわかった。
 彼は振り向くまいと、必死になっているようだった。背中が、頑なに私を拒絶していた。氷の背中……。あれほど冷たい背中を、後にも先にも、見たことがない。私は、絶望の淵に突き落とされた。
 どんなにあがいても無駄だとわかった。
 愛する人から、拒否されることが、どれほどつらいか……。その瞬間の光景が、自分にとって、どれほど恐ろしいものか……。ずっとあとになってからだが、私は、この恐怖を、自分が誰かに与えるようなことがあっては、絶対にならないと、心に誓ったものだ。それほど、彼の拒絶は、恐ろしいものだった。

 それにしても、彼女はNさんにとって、いったいどういう存在だったのだろうか。Nさんは、自分の世界を持ち、はっきりと自己を主張できる女性が好きだった。常識に埋没していない、面白い女に惹かれた。彼女はそういうタイプの女性ではなく、Nさんにとって、楽しい話し相手にはなれそうになかった。
 Nさんと彼女を結びつけていたのは、体の関係以外にはなかったのではないだろうか。そんな程度のものなら、何故ああまで頑なに私を拒否したのだろう。
 あの冷たい背中は、あのとき私が感じたような、深刻な主張をしていたのではないかもしれない。大騒ぎを引き起こした私に対して、自分がどんな顔をし、どう接していいかわからなかった、見栄とプライドとうしろめたさに凝り固まって、ひたすら縮こまっていた、というのが、真相かもしれない。
 私とNさんの間には、共通の友人、知人がたくさんいた。別れてからも、私はそれらの人達から、Nさんの暮らしぶりを聞くことができた。それによると、彼は一年にも満たないうちに、彼女と別れてしまった。
 真相はわからないが、彼女がN氏に近づいたのは、お金目当てだったという。彼は、人に奢るのが好きで、惜しげもなくお金を使うので、裕福に見えたのだろう。仕事もたくさん抱え、だだっぴろいマンションに住んでいた。この男にくっついていれば、と、彼女が欲望に燃えたのも、無理はないかもしれない。
 実際には、彼は才能は持っていても、お金は持っていなかった。金銭というものにまったく欲望を抱かない彼は、入るそばからお金を使った。それはもう、あきれるばかりの浪費ぶりだった。彼がお金持ちでないことを知って、彼女は去っていったということだ。この話を聞いて、私は内心、笑い、それから彼が少しかわいそうになった。
 彼の浮気の虫は、とんだ女狐を引き寄せたというわけか。

 私は、彼が女遊びをするたびに、いきり立っていたが、しかし彼は、ほかの女性との関係に、本気でのめりこんだことは一度もなかった。浮気は、私の知る限りでは、いつもほんの短い期間で終わってしまった。私達の間に分裂をもたらした、あの女性との関係も、一年足らずで終焉を迎えた。
 私の知り合いに、もう十数年も、妻以外の女性と恋愛をしている男性がいる。彼はこの女性に、精神的に強く惹かれており、彼女との会話は、彼の心のよりどころとなっている。妻は夫の不倫を知っており、苦しみ抜いている。
 私はずいぶん長い間、N氏から痛手をこうむったと思っていたが、N氏の身勝手さは、底の浅いもので、私はそれほど大きな苦しみを与えられたわけではないかもしれない。彼の浮気はゲームのようなもので、最後の浮気以外は、恋が原因で、私との生活を壊そうとしたことはなかった。私も彼も、自分勝手だったが、よく考えてみれば、別れる間際まで、そう冷たく、お互いがそっぽを向いていたわけではなかったような気がする。互いの身勝手ゆえに、危ういけれども、絆はつねにあったように思う。
 私との別れが決定的になったあと、彼は何かのおりに、紘子さんに向かって、「和代さんを頼む」と言ったという。私の不器用さや、世間知らずなところを知っている彼は、私がひとりで、うまく社会を渡っていけるかどうか、心配し、紘子さんにそばにいてくれるように頼んだのだ。
「Nさん、和代のことを、とっても心配していたわ。あのときのNさんは、男らしかったよ」
 後に、紘子さんは、こんなことを言っていた。

 当時を振り返ると、私はNさんにも、彼を奪った若い女性にも、恨みを長く引きずったということがなかったように思う。対決があってしばらくは、荒れ狂ったけれど、私は彼女と真っ向から闘うことはしないと、心に決めた。
「あの女と闘うということは、彼女と同じレベルになるということよ。あんな低いレベルに自分を下げるなんてことは、私にはできないわ」
 女友達のひとりに、そう言った記憶がある。私は初めから彼女を見下していたので、こんなことを言ったのだと思う。プライドに凝り固まった、こんないやらしい言葉を……。むろん、こう思い込むことで、憎しみを分散させようとしたのだけれど。
 彼に対しては、悲しみは感じても、憎んだという記憶がない。なぜ、憎まなかったかというと、私は、心の底のどこかで、彼が彼女を愛しているのではないことを、知っていたからではないだろうか。別れはつらかったが、生木を引き裂かれるような苦しみを味わった覚えはない。ひょっとしたら、心の隅に、開放感があったかもしれない。そして、私が比較的、冷静でいられたのは、N氏と私との分裂の騒動を傍らで静かに見守り、私の身の上を気遣ってくれたYさんがいたからだ。

 Nさんとは、別れたあとも、友人グループの飲み会や、知人が主催したコンサート、私が東京を出る際に皆が開いてくれた送別会などで、顔を合わせている。
 騒動の後、何年も経ち、記憶も薄れ、私も彼も淡々としていた。友人達は気を使って、私達を並んで座らせたりしたが、不思議なほど、私も彼も、なんのわだかまりもなかった。彼は美意識とプライドの塊のような人なので、私に対して、具合の悪い思いをしていれば、それはすぐに表情や態度に出たと思う。毒気が抜かれたように、彼はさっぱりした顔をしていた。私も、慣れ親しんだ人に対する安心を感じていた。
 そんな私達を見て、彼のところに戻れば、と言う人もいたが、私には全くその気持ちはなかった。人生の後戻りは、嫌だった。新しい刺激、新しい経験を望んでいた。男は皆、苦労を運んでくる、どうせ苦労するなら、新しい人がいい……。単純明快にそう思った。Nさんに対して、わだかまりがなくなったと同時に、執着も消えていた。

 彼は数多の欠点を持っている。特に女性に関しては、遊び好きで手が早く、義務や責任から逃れようとするという、手に負えない欠点を持っている。計画性や堅実さは、皆無に等しく、経済観念もゼロと言っていい。若い娘が恋の相手とするには、最悪の部類に入る男だ。
 しかし、私は心の奥底の、どこかの部分で、彼を常に信頼していたように思う。常識のものさしで計れば、彼は決して及第点を取れる人間性ではなかったが、彼は心の底に、純粋なものを秘めており、ずるがしこさや腹黒さといったものは持たない人だった。嘘やごまかしがすぐバレてしまうような、あっけらかんとしたところがあり、いくつになっても、心のどこかに、少年の魂が息づいていた。
 彼の純粋性と人の良さに、私は大きな信頼をおいていたのだ。
 私が山梨に移り住んで、数年経った頃、Nさんの身に大きな異変が起こった。理由はわからないが、彼は、突如として、失踪したのだ。
「Nさんに何度も電話をしているのだけれど、いっこうにつかまらない」
 友人のひとりが、Nさんがどこにいるか知らないかと、山梨の私の自宅に電話をかけてきた。当時は、今のように携帯電話が普及していなかった。
 彼とは交流が途絶えているので、私が知る由もなかった。そう答えて受話器を置いたが、それから数日して、別の友人が、同じ内容のことを電話で聞いてきた。さらに数日して、たまたま会った知り合いから、また同じことを訊ねられた。
 二度目の電話の時点では、変だなとは思いつつも、まだ軽く考えていた。さらに別の人から、同じ質問をされたとき、自分の顔色が変わるのがわかった。彼は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
 家に戻った私は、彼の消息を知っている可能性のある人のところへ、次々に電話をかけた。心配で、いてもたってもいられなかった。最後に、Yさんの電話番号をプッシュした。Yさんは、彼に対して腹を立てていたことがあったので、消息を知るほど、親しくないだろうと思ったのだが、もう他に訊ねる当てがなかった。
「あなたに知らせようかと、気になっていたんだけど……」
 そう前置きして、Yさんは、彼が自宅マンションから、ふいに姿を消したことを教えてくれた。衣類も仕事の道具もそのままで、荷造りをして、どこかへ旅行に出かけたというような雰囲気ではないらしい。貴重品類も残してあるし、机の上には、書きかけの原稿用紙とメガネが置いてあった。彼の体だけ、ふっと消えてしまったという感じだと、Yさんは語った。
 受話器を耳に押し当てながら、私の脳みそは凍りついていた。
「僕の知っていることは、これだけなんだ。先生と親しいお弟子さんが、もっと詳しいことを知っているかもしれない。その人の連絡先を、今言うから……」
 頭が真っ白になったまま、かろうじて電話番号を書きとめた。
 消息を知るための、あらゆる努力を試みたが、結局、何もわからずじまいだった。決して安くはない家賃がかさむいっぽうだし、主のいないマンションをそのままにしておくわけにはいかないので、お弟子さんが手分けして、彼の膨大な蔵書や家具を処分し、部屋は空室になった。
 日がたつにつれて、私の心配は怒りへと変わっていった。どういう理由があるにせよ、突然、失踪するとは、あまりにも無責任だ。面倒になると、何もかも放り出すのは、彼の性癖とも言えるのだが、それにしても、いい歳をして、このザマは何だ……!
 怒りの裏側には、彼がどこかで行き倒れているのではないかとか、ひょっとして、死んでしまったのではないかといった、恐ろしい想像が渦巻いていた。
 さらに月日がたち、紘子さんが、思いがけないことを言ってきた。新宿駅で彼を見かけたという。ラッシュ時の人込みの中を、Nさんが歩いていた。いつも通りの服装で、特に変わった感じもなく、普通に歩いていた。声をかけようと思ったのだけれど、私もバスの時間が迫っていたので、追いかけるゆとりがなかった。だいじょうぶよ、和代、Nさんは、それなりにちゃんと暮らしていると思うわ。
 この報告と相前後して、ある噂が耳に入った。彼がいなくなった後、ひとりの女性が、荷物を取りに、彼のマンションを訪れていたという。その女性は彼のお弟子ではないらしく、誰なのかはわからないらしい。
 この話を聞いて、私は胸のつかえが下りた気がした。誰でもいい、女の人がそばにいるなら、それなりにふつうの暮らしをしているのだろうと思った。その人が、面倒を見てくれているのだろう。女性と聞いて、胸が痛むことはなかった。むしろ、有り難かった。
 彼に関する噂は、これが最後だった。こうして、彼は、私の人生から姿を消した。前世からのつながりがあり、この人生でも深く関わったNさんは、まるで消しゴムで消されでもしたように、掻き消えてしまった。


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第24章


    


      カルマの解消


「Nさんとのカルマは、どうなったのかしら?」
 私は何度か、紘子さんに訊ねた。
 私と彼は、努力してお互いに助け合ったり、与え合ったりという関係を築いていたのではない。ふたりとも身勝手に生きていただけだ。どのようなカルマがあるか知らないが、ふたりの間に横たわる課題が、解消されたとは思えなかった。
 紘子さんも、ミカエルも、何も答えてくれなかった。N氏に対して、憎しみも恨みもなく、元に戻りたいという執着もなく、すべて終わったこととして、さっぱりと水に流していたので、カルマはこれで解決したのかもしれないと思うこともあった。
 そして……。
 3年前の、初夏の或る一日……。
 私は、銀行の用事で、彼と長年過ごした街に、行かなければならなくなった。
 私達は、四谷に住んでいた。彼と別れた後は、特に避けたわけではないのだが、仕事でもその他のことでも、四谷に縁がなく、この街を訪れたのは、ほぼ20年ぶりだった。
 
 初めは、用事を済ませたら、すぐ帰るつもりだった。銀行は、私達が昔住んでいたマンションのすぐ近くにあり、その界隈は、当時の私の生活圏内で、細い路地まで熟知している場所だった。
 帰るつもりで、新宿通りを、地下鉄の駅に向かって歩きながら、目は街の様子を、つぶさに観察し始めていた。新しいビルか建ち、昔あった店がなくなり、風景はだいぶ変わっているが、当時のままに営業を続けている店もある。見覚えのある看板や店構えを見つけると、ひとりでに歩む速度が緩む。いつのまにか、ひとつのアイディアが、心の中に湧いていた。昔の記憶を、思い出の場所を、辿ってみよう……。今日は、暇だし、幸い、お天気も良いし……。
 くるりと踵を返して、なつかしい町並みをめざした。
 銀行の近くには、たしか税務署があり、小さな公園があったはず……。公園の角を曲がると、お世話になった不動産屋があり、私達が最初に事務所として借りたマンションがあり、その一階には、お客が来るたびにそこへ行った、牛タンの専門店があり……。くるくると、脳細胞が記憶をまさぐり、引き出された記憶の鎖をたぐって歩いていくと、その通りの光景が現われる。広い新宿通りは様変わりしても、一本入ったこの道は、20年前とあまり変わっていなかった。
 思い出を辿ることに、私は夢中になった。JR四谷駅のほうへ向かって、ゆっくりと歩く。たしか、新聞の販売店があったはず。その隣に、広いマンションへ移る前に、短期間、借りていた事務所があるはず。仕事で大ミスをして、エレベーターのところで、何度も彼に謝ったっけ。一緒にいた彼の友人のカメラマンが、「いったい、どうしたの?」って、私の顔を覗き込んだっけ……。
 事務所のビルの一階には、美容院があった。美容師の先生は、私達を夫婦と思い込んでいて、彼が店の前を通ると、「ほら、旦那さんがお帰りだよ」なんて言ったっけ。
 通りの反対側に、もう一軒美容室があって、そこの女性の美容師の態度が気に入らなかったので、道ですれ違っても、私はツンとしていた……。
 四谷での日々の記憶が、走馬灯のように浮かぶ。事務所のビルは、だいぶ老朽化していたが、まだ残っていた。
 この道を、毎日、歩いていた。そして、私達の知り合いが、教室の生徒さん達が、この道を歩いて、私達の事務所を訪れた。紘子さんも、毎週のように、この道を通った。当時、ひそかに思いを寄せていたYさんは、夏の夕べ、よく、1リットルのビール缶をぶらさげてやってきた。長身のYさんが、ビール缶をさげて、ゆったりと歩く様が、幻を見るように、目の裏に浮かんだ。初夏の午後の陽射しの中に、親しかった人々の姿が、あの頃の光景が、実際に目の前に現われたかのように、浮かんでいた。
 しんみち通りの中華屋さんで、よく、おこげ料理を食べた。ハンバーグ屋にも、坂を下ったところのステーキハウスにも、よく行った。彼と私は、いろいろな人達と、本当によく、いろいろな店でご飯を食べた。
 
 私の足は、さらに古い記憶を辿って、坂の下へと降りて行った。そこには、私達が出会った頃、彼が住んでいたマンションがあるはずだ。そして、その向かいには、お蕎麦屋さんがあり、その奥には、私が母の反対を押し切って、家を飛び出し、一時間借りしていた、古びたアパートがあるのだが……。30年以上も前のことだ、もうないだろうと思って歩く目の先に、お蕎麦屋の看板と、マンションの名前を記した、古びたプレートが、現われた。
 私の脳は、今や完全に、30年の月日を遡っていた。30年前の自分が、幽霊のように、そこにいた。胸をときめかせて、坂道を下り、彼のマンションに駆け込む自分。親を裏切った恐ろしさに体をわななかせ、同時に、目の前に広大な天地が開けたような、高揚感も味わっていた自分。現在の自分が、あの頃の自分を、いとおしく眺めていた。日に焼けた、小麦色の肌を輝かせ、何ものかに突き動かされるように生きていた、あの頃の私を……。
 坂の途中には、足袋屋があり、小さなショーケースに飾られた、真っ白な足袋を、嬉しいときも、憂鬱なときも、眺めて通った。なんと、その足袋屋も、昔のままの店構えで、そこにあった。
 ここまで辿ったからには、彼と私の終焉の場所、あの広いマンションも見届けておこうと思い立った。女との対決、彼の冷たい背中……、そのマンションには、暗い思い出しかない。そういえば、彼が打ち合わせに出かけ、ひとりで留守番をしていたとき、お風呂場のあたりから、誰かが咳きをするような、不気味な物音が聞こえたことがあったっけ。私のほかには誰もいないはずのマンションに、確かに人の声が響いた。そういうことが、二度ほどあり、私が騒ぎ立てたので、一時、幽霊話が面白半分に取り沙汰された……。
 そんなことを考えながら、新宿通りを渡った。そのマンションは、新宿通りの向こう側の、閑静な住宅街にあったのだ。それまで暮らしていた、雑居ビルや小さな店の立ち並ぶ、ごちゃごちゃした町に比べると、そこは高級感が漂っていた。
 良い環境に移ったとたんに、私達の関係は駄目になった。むろん、環境のせいではないのだが、環境の変化が、私達の幸福と不幸を象徴しているように思えた。新宿通りの、こちら側と、向こう側。せせこましくて汚い町並みだが、生活の匂いや人の温もりに満ちている“こちら側”にいたとき、私達は幸せだった。狭い事務所に、よく人が集まり、話も笑いも絶えなかった。静かで緑も多い“向こう側”に移ったとたん、虚しさと寂しさが忍び寄ってきた。広すぎる部屋は、いくら人が入っても、壁際に空虚なスペースが残っていた。そして、なぜか、人が以前ほど集まらなくなった。私が、自分の住まいを別にしたこともあり、私と彼の距離もどんどん離れていった。
 誰もいない部屋に、幽霊の声がこだまするマンション……。幽霊のせいではないだろうが、彼は数年後、そのマンションの裏手あたりにある、別のマンションに引越しをしている。住居と事務所、二世帯分を借りていたが、そのマンションから、ある日、煙のごとく消えたのである。新宿通りの“向こう側”は、彼にとって、あまり縁起のいい場所ではなかったのだ。
 
 五月の陽光が、木々の緑に透明感を与えていた。公園の向かいにある、そのマンションは、当時は立派な建物だと思っていたが、今見ると、さほどの高級感はなかった。隣に、もっとレベルの高いマンションが建っており、そのためにランクが下がったように見えるのだろう。見覚えのある、どこか寒々とした玄関とエレベーターのスペースを横目に、足早に通り過ぎた。急に、醒めた現実感が戻ってきた。古い思い出や過去の自分が、確かな形をとっていきいきと蘇えってきた、さっきまで感じていた不思議な感覚は、もうどこにもなかった。
 
今日の、小さな旅は、終わったのだ。過去を訪れる、タイムスリップの旅。
 疲れと喉の渇きを覚え、喫茶店に飛び込んだ。一時間半以上も、歩き回っていただろうか。外気温のせいではなく、頬が内側から火照っていた。夢から醒めたような気分で、まだ心の内に残っている、心地良い興奮の余韻を味わった。

 JRと京王線を乗り継いで、調布の家に戻る間中、高揚した気分は続いていた。過去と現在が交錯し、取りつかれたように四谷の街を歩き回った、あの時間はいったい何だったのか。醒めた理性で振り返ってみると、過去を辿った先程の散歩が、ますます不思議なものに思えた。
 記憶の底から突然掘り起こされた、四谷での日々。それらの日々には、苦しみも、つらさも、楽しさも、疼くような幸福感も、いろいろな思いと感情が、そして色とりどりの経験が、ぎっしりつまっている。
「私は、なんと素晴らしい日々を、過ごしていたのだろう」
 ほとんど涙ぐみそうになりながら、私は心の中でつぶやいていた。Nと過ごした年月が、自分にとって、どれほど貴重なものだったか。良いことも悪いこともすべてひっくるめて、その年月が、人生の中でどんなに価値あるものだったか……。そのことに、突然、気付いていた。

 この年月を私にくれたのは、彼なのだ。
「ありがとう」
 心の底から、透明で清らかな生き物のように、感謝の言葉が自然に浮かび上がってきた。
「ありがとう」
 心の中で、何度もつぶやいた。つぶやくたびに、涙が出そうになり、私は目をつぶった。彼に対して、このようにあふれんばかりの感謝の気持ちを抱いたのは、この時が初めてだった。

 この日を境に、彼に対する私の気持ちは、本当に平坦な、穏やかなものになった。厳密に言えば、少しは残っていたかもしれないわだかまりが、最後の糸屑が抜けるように、消えてしまった。
 時間はすべてを美化するのかもしれない。心の中には、良い思い出しか残らない、だから振り返ると過去は、心地良いものに思える。そういう時間の魔法にかかって、私は過去の年月を素晴らしいものと、思い込んだのかもしれない。
 それは、よくわからない。
 ただ、私は、この時の過去をたずねる散策が、私とNとの間のなにものかを、完全に清算したような気がしている。カルマとは、「これでカルマが解消されました」と、はっきり認識できるようなものではないだろう。カルマなど、考えなくていいことかもしれない。ただ、自分の欲望のために相手に執着するのではなく、穏やかな気持ちで相手の幸せと無事を願えれば、それでいいのではないだろうか。



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第25章





     エリオット先生の実験授業



 この章の内容は、そのほとんどが、佳川紘子がミカエルの自動書記をもとに執筆した、精神世界についての原稿からの引用である。人は何故生まれ変わるのか、この問いに対する答えが、これから書く事柄に、端的に表わされていると思う。
 今から20年近く前、NHKのワールド・テレビ・スペシャルという特集番組で、『どっちが偉い、青い目、茶色い目』というタイトルのドキュメンタリーが放映された。アメリカ西北部アイオワ州の、ライスビルという小さな町の小学校で、このドキュメンタリーが制作された時点から数えて17年前に行なわれた、ある実験授業についての話である。
 私は放映を見逃してしまったので、後に紘子さんからビデオを借りて見たが、大変興味深く、長く心に残る番組だった。

 授業を行なったのは、エリオット先生という女の先生で、子供達に、人種差別、人間差別について考えてもらうために、実験授業を行なった。差別をみつめ、その実体を知ることは、犯罪の防止につながると、エリオット先生は言う。
 彼女はどんな授業を行なったのか。当時、現役の声優だった紘子さんは、このドキュメンタリーの声の吹き替えを担当しており、紘子さんの原稿には、台本の一部がそっくり引用されている。私の言葉で説明するより、台本の台詞を書いたほうが、はるかにわかりやすいと思うので、そのまま記述する。

先生    ……今週は、全国友愛週間ね。友愛って何?
子供達   ……親切にすること。思いやりを持つ。
先生    ……そう、思いやりを持つことね。本当の兄弟みたいに。でも親切にされてない人たちもいますね。
子供達   ……黒人。
先生    ……ほかには?
サンドラ  ……インディアン。
先生    ……そうね。肌の色が違う人を見たとき、みんな、どう思うかしら?
サンドラ  ……バカな人たち。
先生    ……ほかには? 黒人のことを何て呼ぶ?
グレッグ  ……ニガーとか。
先生   ……アメリカでは、肌の色の違う人は、どんな扱いを受けてますか?
グレッグ ……仲間はずれにされます。
先生   ……なぜ?
グレッグ ……肌の色が違うから。
先生   ……その人たちの気持ちがわかる? 実際に経験するまで、わからないでしょう。試しに目の色で人を判断してみましょうか。
どう? 先生は青い目だから、青い目の人が偉いことにしましょう。青い目の子は、みんないい子です。ほんとよ。青い目の人は、頭がいいの。
ブライアン ……僕のパパは?
  
先生    ……茶色い目なの? 前、お父さんに蹴られたでしょ。
ブライアン ……うん。
先生    ……青い目だったら、そんなことしないわ。青い目のお父さんは、
        子供を蹴ったりしません。青い目の人は、茶色い目の人より、
        優れています。あなたの目は?
ブライアン ……青。
先生    ……不満なの? 先生の意見に反対? なぜ反対なの?
        青い目の子だけ、5分よけいに遊んでよろしい。茶色い目の子
        は水飲み場を使わないこと。それに青い目の子と遊ばないこ
        と。茶色い目の子は、ダメな子です。茶色い目の人は、この
        エリをつけなさい。(茶色い目の子は、紺色のエリをつける)。
        では、127ページ、みんな開きましたか。ローリーがまだね。
子供達   ……茶色い目!
先生    ……そう、茶色い目だから、遅いのね。ものさしがないわ。
レックス  ……あっちだよ。
レイモンド ……茶色い目の子が騒いだら、そいつを使えば?
先生    ……あれで叩けばいいってわけね。

(場面は変わって、昼食時間になる)

先生    ……昼食は?
子供達   ……青い目の人から。
先生    ……茶色い目の人は、お代わりをしてはいけません。なぜかしら?
子供達   ……バカだから。欲張りだから。

 茶色い目の子供達は、その日一日、徹底して差別を受ける。青い目の子供達は、悪意に満ちた差別をするようになり、茶色い目の子はみるみる落ち込んで、卑屈になっていく。

 その翌日、今度は青い目の子供達が、同じように差別を体験する。
 
エリオット先生は、実験授業の間に、簡単なテストをする。茶色い目の子供達は、差別を受けた一日目は、問題を解くのに5分30秒かかったが、差別する側に回った2日目は、わずか2分30秒でテストを終える。
 この台本の台詞を、実験授業と思って読まないでほしい。現実の社会で、人間はこの台本とまったく同じことをしている。肌の色が違うだけで、相手を見下し、文化が違うだけで、相手を遠ざけようとする。肌の色を、目の色に、置き換えただけにすぎない。
 エリオット先生は、子供達に、差別する側、差別される側という、それぞれの立場を体験させた。実際に経験し、心と体で味わってみなければ、差別という行為の意味、人を傷つけることの意味は、わからない。傷つく者の心の痛みは、傷を負ったことのある人でなければ、到底、理解できない。

 輪廻転生とは、この実験授業を人生という規模に拡大したようなものだと、紘子さんは書いている。
 過去生で、上流階級に生まれ、飢えも貧困も知らずに暮らし、ぼろをまとった人々を汚いと軽蔑して、生涯を終えたとしたら、いつかはその階級意識や差別意識を改めさせられる人生を送ることになる。貧しい家庭に生まれるかもしれないし、裕福な家で育っても、社会の底辺で苦しむ人々を救うために、財産を投げ打つかもしれない。
 人種差別をする側の人生を送った場合、次の人生で、差別を受ける体験をするかもしれない。強烈な差別意識という、負のアンバランスを魂が抱え込んでいたら、次の人生では、魂のバランスを取り戻すべく、人種差別の問題に取り組む活動家になったりするかもしれない。
 愛憎の果てに、あるいは権力闘争の結果、人に残酷な仕打ちをしたら、相手に与えた痛みの意味を、いつかは自分が知らなければならない。

 立場を、行為を、体験する必要があるから、人は生まれ変わる。
 勝者と敗者、支配者と被支配者、富裕層と貧困層、尽くす者と尽くされる者、愛を与える側と与えられる側、加害者と被害者。正反対の立場や異なる状況を、さまざまに体験し、それらの体験を通して、心に深く刻みつけられたものが、自分が人間として成長するための糧となる。過去生において傷つけた相手を、現世で幸せにすることができれば、その相手との魂の絆は、愛に満ちた強いものになるだろう。
 金と権力を手中におさめた人生が、必ずしも幸福な人生とは限らない。自分に近づく人々が、その多くが、自分の持つ金と力に吸い寄せられて来るのだと知ったとき、その人はどれほどの孤独を味わうだろう。人を蹴落とし、あるいは踏み台にして、頂点にのし上がったあと、その人は自分が犠牲にした人々のことを、完全に忘れ去ることができるだろうか。
 美しい容姿に生まれつき、多くの異性の心を虜にする女性が、幸せだとも言い切れない。愛されることに慣れ切った彼女の心は、とめどなく奢り高ぶるかもしれない。自分をめぐって競い合う男達の有様を、面白いゲームでも見るように、眺めるかもしれない。何かが違う、自分はどこか間違っている、と、心の奥底にかすかな違和感を覚えながら。その違和感に向き合うのが怖くて、彼女はさらに男遊びにのめりこみ、“人を愛することの幸せ”から、どんどん遠ざかっていく。

 人間の心の中心には、自分自身の、自分の魂の、バランスをとろうとする機能がある。愛憎でも、物欲、権力欲でも、怒りや怨恨でも、自分自身がどちらかいっぽうに大きく傾くと、傾きを正そうとする力がはたらく。転生を繰り返し、さまざまな立場、状況、行為を体験し、心の中の天秤が、絶えず激しく揺れながらも、人間は自分の魂のバランスを、どう取ったらいいのかを、少しずつ心に刻みつけていく。頭で考え、理解するのではなく、魂に記し、心で感じ、自分の中のアンバランスを直そうとするのだ。

 貧しい暮らしの中でも、幸せに愛をはぐくむ人もいれば、貧困を呪い、自分をいたわってくれる人を傷つけ、愛をぶち壊してしまう人もいる。苦しい状況でもしっかりと踏ん張り、同じ境遇の仲間を大切にして、道を切り開く人もいれば、自暴自棄になったり、頑なに殻に閉じこもったりする人もいる。
 どんな状況に置かれても、心の中の天秤が大きく傾かず、ほぼバランスをとっていれば、心が安らかになるだけでなく、現実面でも道は開けていく。感情を整理でき、自己コントロールが可能になり、行動力を発揮できれば、必ず現実は変わっていく。
 大きく傾いた心の天秤を、死ぬまでのあいだに元に戻せなかった場合に、カルマが生じる。ある人に対する憎しみを解消できないまま、寿命を終えたら、再び地上に生を享けたとき、その憎しみを解決できるような立場や状況を経験することになる。たとえば、憎しみの対象となった人物の心情を非常によく理解できるような状況に、自分が置かれたりする。前世で何があったかはまったく覚えていないが、その人物を深く理解することで、魂の記憶に残る憎悪の感情は消えていくだろう。
 カルマは罰ではない。過去生で人を虐待したり、殺したりしたから、今生で人に虐待されたり、殺されたりする、などということはありえない。カルマは因果応報ではなく、魂のバランスを取り戻し、自身を浄化するための道のりなのだ。
 
 エリオット先生の実験授業を、過激なやりかたと思う方もおられるかもしれない。このようなことをしたら、子供達の心に、長く傷が残るのではないかと、心配される方もいらっしゃるだろう。
 実際、実験授業が行なわれた2日間、子供達はお互いにひどい意地悪をしていた。17年後の同窓会で、当時の授業のフィルムを見た生徒の一人は、こう述べている。
「抑制がきかなくなって、ひどく意地の悪い人間になっていました。相手が仲の良い友達だったことを忘れて、それまでに鬱積していた敵意とか闘争心とかを、一気に爆発させてしまったんです」
 これではクラスが大混乱に陥るのでは、と思ってしまうが、実際にはその逆で、子供達は実験授業のあと、前よりもっと仲良しになった。私達って、ひとつの家族みたい、と言うほどに……。
 エリオット先生は、どのようにこの授業を締めくくったのだろう。先生は、悪意をむき出しにした子供達の仲裁をしたのではなかった。謝罪の言葉を言い合い、許し合いなさいと諭したのではなかった。謝る、許すという行為には、上下関係の意識がまとわりつき、どうしてもこだわりやしこりが残ってしまう。
 先生が取った方法は、差別される者の気持ちを理解するという収穫だけを残して、あとのことはすべてなかったことにして、忘れる、というものだった。
「エリを取りましょう。どうしたい?」
 重苦しい空気が漂う教室で、先生はそう聞く。
「捨てたい」
「そうなさい」
 子供達は教室の隅に置いてあるゴミ箱に、エリを捨てる。
「みんな、元に戻りましょう。みんな、元に戻ったわね。うれしい?」
 この言葉を聞いて、子供達は心の底からホッとしたに違いない。

 人は皆、誰かを差別したいと、心の底から思っているわけではない。人間の価値に差はないことを、本能的に知っているからだ。にもかかわらず、差別が公然とまかり通る環境に身を置くと、自分も人を差別するようになる。仕事の悩みや愛情問題などのストレスを、差別やいじめによって解消しようとすることもある。孤独、不安、劣等感……その他諸々の心の闇を、誰かを差別し、いじめることで、まぎらわそうとすることもある。
 心の中の天秤は、悪意に満ちている自分が、いかにバランスを崩しているかを知っていて、さかんに警告を発する。こんなことをしてはいけないと、良心が訴えかける。一方で罪悪感を感じながら、一方で悪意がエスカレートしていく。罪悪感が疼くから、よけいにいじめがエスカレートすると言ってもいいだろう。
 心のどこかで、もう一人の自分が、人をいじめている自分を、みじめだと感じている。いじめられる側はみじめだが、いじめる側もまた、みじめだ。
 
 実験授業の2日間、子供達は心の葛藤に苦しんだ。差別を生む紺色のエリが、諸悪の根源だ。エリを捨てれば、差別という行為から解放され、平和が戻ってくる。
 傷つけ合うことを体験し、そのつらさを知った子供達は、愛することの大切さを、理屈ではなく、心全体で知っただろう。だから実験授業のあと、子供達はまるでひとつの家族のように、仲良くなったのだ。
 エリオット先生は、実験授業の二週間前と、実験授業の二日間、さらに授業の二週間後に、国語と算数のテストをした。すると子供達の点数は、優れている人間だと言われたときに最高を、劣っていると言われたときに最低を示し、実験授業の二週間後に行なったテストでは、クラス全体の成績が、以前よりかなり高くなったという。
 この実験授業のあいだに、子供達は、人間にとって最も大切な何ものかに触れ、心が、魂が、大きな発見をしたのだと思う。その発見は子供達の心に、深い友情や強い連帯感をもらしただけでなく、能力の向上という素晴らしい副産物も残してくれた。



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第26章



     
     心の中の天秤

 
 ミカエルは、基本的に自分の前世を知る必要はないと言った。
 前世で人を殺したり、反対に殺されたり、レイプや拷問といった残虐な仕打ちを受けていたりしたら、その記憶が生々しく今も残っていたとしたら、どうだろう。相手の体に刃物を突き刺した瞬間の、手の感触、血の匂い、相手の表情といったものが、今もつぶさに脳裏に刻まれていたとしたら、その出来事は前世ではなく、現世で起こったことと同じようなものではないだろうか。殺人罪に問われ、警察に追われることがないだけで、その人はあたかも数年前に殺人を犯したかのごとく、人を殺した恐怖におびえ続けるのではないだろうか。
 それでは地球に生まれ、人生を経験する意味がなくなってしまう。自分の心を成長させ、より良く人生をまっとうするため、人間は生まれる前に、それまでの過去生の記憶を消される。
 余談になるが、過去のいろいろな人生において、ほとんどの人間は、人を殺したり、殺されたりしたことがあり、ほとんどの女性は、レイプや売春の経験を持つと、ミカエルから聞いたことがある。人間社会に法と秩序が整っていなかった時代、人類はいったいどれほどの蛮行を繰り返していたのだろう。

 私とNさんの間には、過去生において、何かがあった。夫婦や恋人だったのか、親子だったのか、あるいは強い絆で結ばれた師弟関係にあったのか……。私が彼を傷つけたのか、反対に彼が私を傷つけたのか、それもわからない。
 私は迷わず、彼についていき、共に暮らし、強烈な個性を持つ彼に振り回された。私の心の中の天秤は、散々に揺れ、バランスを取るどころではなかった。ある意味で、私は自分自身を見失っていた。しかし、得たものも大きかった。
 彼は私に幸せをくれたし、私も彼を幸せにしたかもしれない。私はYさんを好きになり、彼は若い女性の虜となって、私達の関係は終わった。私達は、互いにそっぽを向いていた。ただ、今振り返ると、そのことが私と彼のつながりに、深い傷を残したとは、どうしても思えないのだ。彼はほどなく女性と別れ、私も、結婚しているYさんと、長く恋愛関係を続けることができなかった。年月を置いて、再び顔を合わせたとき、私達はふつうに接することができた。傷が残っていると感じないのは、そのためだろう。
 いろいろなことがあり、そのすべてを乗り越えて、私の心の天秤は、今、穏やかに静止している。右にも左にも傾かず、目盛りの針は、中心のゼロの位置を動かない。
 ゼロに戻る。それは、彼との絆が切れることではない。現在、彼の居所は依然として不明だし、もう一度やり直したいと思っているわけではないが、彼との魂のつながりが断ち切られたとは、何故かまったく思っていない。彼との魂の絆は、今後、新しいカルマを作らない限り、穏やかに、永遠に、続くのだと思う。それは、神という巨大な愛の意識体の中で生きる人間の、自然な姿だ。
 エリオット先生は、子供達に、「元に戻りましょう」と言った。元に戻る……。対立と葛藤を消化して、人間の“あるべき姿”に戻るということだ。
 
 神は、完全なバランスであると、ミカエルは言った。
 神の意識の一部が飛び散ってできたのが、人間の魂だ。だから人間の魂にも、バランスを取る機能が備わっている。
 心の中の天秤は、人間の中の、神の部分、神に通ずる部分である。
 今はこの世にいないが、俳優をしていた紘子さんのご主人は、紘子さんにミカエルが現われた当初、こんなことを言ったそうだ。
「僕は無神論だからね。お前達のミカエルや神様のことは、ようわからん。ただ、お前達のことは認める。お前達が話していることは、人間として正しいと思うからね。だけど僕に神様を押しつけるのだけは、やめてくれよ。僕は、自分が神だと思っているんだ。自分の心の声を信じてきて、たいして間違ったことをしたとは、思ってないもんね」
 飄々とした人柄のご主人は、冗談混じりに、しかし本気でこう言った。
 私の友人の一人も、同じようなことを言っていた。神は僕だ、僕の中に神がいるんだ、と。
 彼は占い師や霊能者を信じず、頑なに拒否したが、
「他人の霊感は信じないけど、自分の直感は信じる」
と、きっぱり言った。人間は潜在的に、みんな霊能者だ、とも言った。
 “僕の中の神”“心の声”“心の中の天秤”。言いかたは様々でも、表現したいものはひとつだ。
 心の中の“神の部分”“神に通ずる部分”。人生のテーマをクリアーし、前世のカルマを解決するためには、“その部分”を頼りに進んでいく以外に方法がない。
 “その部分”は、天使のまなざしのように澄み切った、あらゆるものを見通す、透明な部分である。紘子さんの亡きご主人が言ったように、その声に従っていればたいして間違うことのない、自分を守ってくれる部分である。
 私の「フフ」は、私の心の中の、“その部分”である。


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第27章




     東京カテドラル


 地下鉄・有楽町線の江戸川橋駅から徒歩10分程度、フォーシーズンズホテル椿山荘の向かい側に、建築家、丹下健三が手掛けた教会がある。
 東京カテドラル聖マリア大聖堂。
 教会には縁がなく、キリスト教にやや抵抗感さえ抱いていた私が、この教会に行ってみようと思い立ったのは、友人の新聞記者が書いた記事がきっかけだった。東京をテーマにした連載記事のひとつに、彼はこの教会を、とてもインパクトのある写真と、説得力に富んだ文章で紹介していた。
 ――高い天井は“神との距離”、巨大な無柱空間は“懐”、上からの光は“さしのべる手”。そういう思いが自然にわいてくるのだから、建築家・丹下健三がつくり出した“宇宙”はすごい! コンクリート打ちっ放しの内壁が、神秘的でさえある――
 記事に載っている教会内部の写真の不思議な雰囲気に心惹かれたので、私は早速、感想を彼にメールした。すると彼は返信に、「何度かこの教会に足を運んだが、そのつど、同じことを感じた。記事の文章は誇張でもなんでもなく、感じたままを書いただけ」と記し、
「神様って、いるんですよ」
と、大真面目に言ってよこした。
 私はその返信メールを読んで、本人にはまことに申し訳ないが、思わす笑い出してしまった。彼は、どこから見てもバリバリの新聞カメラマンで、宗教だの神だのといった世界とは、まったく無縁に生きている人に見えたからだ。そういう彼が、いったい何をとち狂って、神様などと言い出したのだ? このミスマッチな取り合わせが、私にはおかしくてたまらなかったのだ。
 とはいえ、その文章と写真は、心に残った。ここは癒しの場所だ、神経がすり減って、精神が疲れたときに、ここに行くと、きっと効き目があるだろう。良い所を教えてもらった、いつか行ってみようと思った。

 それから数ヶ月後。さまざまな問題を抱え、ストレスをためていた私は、癒しを求めて、教会への道をたどっていた。ひからびたチーズのようになった脳細胞が潤うに違いないという期待を胸に、春の暖かい陽射しを浴びて、私は人影もまばらな、文京区・関口の坂を上っていった。
 せまい道の両側に、隙間なく家やマンションが立ち並ぶ。こんなせせこましいところに、教会などあるのだろうか。そう思い始めた頃、家々の屋根の向こうに、天を突くように高く、鋭くそびえたつ鐘楼が現われた。それは春の空に、巨大な銀色のナイフのように、鋭利にそそり立っていた。が、刃物が持つまがまがしさはなく、むしろ柔らかな雰囲気をかもし出している。
 その銀の塔を見た瞬間、不思議なことに、感動が胸にこみあげてきて、私は思わず涙ぐみそうになった。何かとても温かいものが、自分を待ち受けてくれているような気がした。
 大聖堂の外観は、現代建築らしいモダンなデザインで、大きな銀色の鳥が、翼を広げたように見える。この建物は上空から見ると、十字架の形になっているそうだ。
 堂内は、記事にあるように、柱がなく、壁面がところどころひだを取りながら、斜めに上に向かってすぼまっている。まるでとてつもなく大きな、コンクリートのテントの中にいるようだ。祭壇には、床から高い天井まで、目盛りのような線のついた、細長いステンドグラスがはまっており、それは巨大な定規のように見える。定規の前には、縦の線が長い、細長い十字架があり、十字架の中心部分には、たぶん宇宙を表わしているのだろうと思われる円が組み合わされている。
 祭壇の最上部には、ライトが設置され、ほのかな光を投げている。祭壇の両側の壁面には細長い窓があり、外の光が斜めに差しこんで、神秘的な雰囲気をかもし出している。
 私は堂内のシンプルで斬新なデザインに目を瞠り、暗い壁際にしばらく立ちつくしていた。極端に装飾を排除した、現代的な教会も知っているが、三角形の聖堂を見るのは初めてだった。このような教会は、ここ以外には、世界のどこにもないのではないだろうか。
 私はしだいに、この巨大な空間に満ちている空気の不思議さを感じ始めた。なんと言ったらいいのだろう。この聖堂の中の空気は、あきらかにほかの場所の空気とは違うのだ。何か、大きな温かいものに包まれている感じ……。巨大な胎内……。あまりに心地良いので、ここから出たくない、ずっとここにいたい、と思ってしまうような……。ほかの場所だったら冷たい印象しか与えない、コンクリート打ちっ放しの壁が、まるで柔らかい布か、温もりのある木でできているように感じられる。
 間近で十字架とステンドグラスを見ようと思い、私は祭壇に近い席に座った。座ると、この教会に満ちている空気の力を、いっそう強く感じた。体がじんじんしてくる。この建物の中には、強い“気”が満ちているのだ。上に向かってすぼまっている、高い天井を見上げながら、ふと、ピラミッドを連想した。ピラミッド・パワー……。このような三角形は、宇宙の“気”を集めやすいのかもしれないと思った。
 ステンドグラスの、目盛りのように見える横の線は、今はここまで、次はあそこまでと、神をめざして真摯に努力を続ける人間の、ひたむきな思いを表わしているように思える。それはヨセフという洗礼名を持つ丹下健三の、神に対する、人生に対する思いを、そのまま表わしているように感じられる。偉大な建築家の、謙虚で清楚な心と、その生きかたに、胸を打たれた。梯子を一段一段上るように、建築家は真摯に、切実に、神を求めたのだと思った。人が生きるとは、生きる意味とは、そういうことなのだと気がつき、そしてなぜか、神をめざしてひたむきに梯子を上る人間の姿を、哀しく感じた。

 重苦しい雲のように脳天にわだかまっていたストレスは消え、私は柔らかに呼吸をしていた。さまざまなマイナスの感情が洗い流され、心の中に力がよみがえり、すべて自分で解決できるという気がしてきた。いくぶんかはあった神頼みの気持ちは消えて、自分で道を切り開き、自分の手で幸せをつかむのだと、みずからに言い聞かせていた。聖堂の中の気が、私に勇気をくれた。
「神様って、いるんですよ」
 友人の言葉がよみがえる。
 本当だ。ここには、本当に、神様がいる……。このままキリスト教に入信しようかという気持ちが湧いたほど、たしかに、リアルに、私は神の存在を感じていた。
 芸術作品には、作り手の思いが込められている。絵画でも工芸でも、建築でも、作品は、作家の心が物質化した結果である。巨大な銀のナイフのような鐘楼にも、三角形の大聖堂にも、丹下健三の神への思いが、痛々しいほどに凝縮され、この建築家の神の世界が、おごそかに、ダイナミックに、繰り広げられている。私や、私の友人が、ここに神様がいる、と感じたのは、丹下健三の神の世界を、彼の心の中に住む神を、感じ取ったからなのかもしれない。諦めたり、楽な道に逃げたりせず、きっちりと己をみつめ、神をみつめて生きた、この建築家の魂に、自分の心が反応しているのかもしれない。
 あたかもそこに神が降りてきたかのように、私達に感じさせるほど、彼の作りだした建築は、その才能は、ものすごいということなのだろう。
 
 雨に洗われた植物のように、みずみずしい気持ちになって、私は教会をあとにした。駅に向かって坂を下る途中、下校する子供達の集団とすれ違った。図工の授業を受けていたのだろう、子供達は皆、ボール紙や毛糸で作った思い思いの作品を、手に持っていた。子供達の作品の、何ものにもとらわれない、のびやかな形と色が面白かった。どれひとつとして似た物はなく、子供達は紙や毛糸を使って、存分に自分を主張していた。
 子供のころは、みんな、柔らかな心を持っているのだ。いつからその心に、硬いウロコが貼りついてしまうのだろう。
 そんなことを考えたが、爽やかな気分は消えなかった。
 こんないい日には、きっとフフが現われるだろうと、肩先に小さな天使が乗っている様を想像した。たれ目の天使は、低い鼻をほんの少しだけ高くして、こう言うだろう。
「ボクが和代を、ここへ連れてきたんだよ」
 そう、あの連載記事を読んだのも、この教会を訪ねようと思い立ったのも、私の直感のなせるわざかもしれない。
 数日後、友人の新聞記者に、東京カテドラルに行ったこと、確かに神を感じたことを、メールで報告した。ほどなく来た返信には、あの教会が、キリスト教、仏教といった宗派を超えた“神”を感じられる場所であること、世界に誇れる、素晴らしい教会であることが書かれていた。
「僕が言った通りだったでしょう!」
 携帯の画面に、得意満面の文字がおどっていた。


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       富士山


 私は、現在、富士山の麓の町で暮らしている。ひと昔前は、絹織物で栄えた町。富士登山の起点であり、富士山信仰のメッカとして、多くの人々を集めた町である。昔は巡礼姿の信者が、東京方面から八王子、大月と、長い道のりを徒歩でここまで来たそうな。大通りには信者や登山客を泊める宿屋が立ち並び、活況を呈していたらしい。富士信仰の信者を泊め、世話をする人のことを御師といい、御師は位の高い、良い家柄として、尊敬されていた。
 今は、町のメインストリートはすっかりさびれ、宿屋は姿を消したが、通りのところどころに、昔、そこに御師の家があったことを表わす、古い石碑が残っている。メインストリートの入り口には、道をまたぐ格好で、大きな鳥居が立っており、この道が、富士山の神社、浅間神社の参道であることを表わしている。八月の終わりに行なわれる火祭りでは、この大鳥居から延々と続く巨大な松明の行列を撮影しようと、アマチュアカメラマンがむらがる。
 
 私が富士山の麓に引っ越すことを決めたのは、その一年前に、紘子さんとヒデが、東京から河口湖に移住したからである。
 ミカエルが現われてから、紘子さんは、飢えたように自然を求めるようになり、森や渓谷の散策をすることが多くなった。声優の仕事を愛し、都会生活を楽しんでいた、それまでの彼女とくらべると、正反対の変貌だった。
 都会の暮らしに強い閉塞感を抱いていた紘子さんとヒデは、いつの頃からか、たびたび富士山を訪れるようになった。登山があまり得意ではない紘子さんは、山頂まで登ることはなく、緑豊かな五合目までの山歩きや、バスで登り、五合目にある御中道を散歩するというコースを楽しんでいた。五合目から上は、植物がほとんどなく、岩と溶岩がくだけた砂礫だけの、茶色いはげ山なので、面白くないとも言っていた。
 二人が富士山に惹かれたのは、富士山が、とても強い霊的なパワーを持っているかららしい。
 高い山には、たいてい山頂と麓に神社がある。山岳信仰は富士山に限らず、各地にあり、山は祈りの場であり、自身を鍛える修業の場であった。山にこもって極限まで心身を鍛錬し、精神力を強化して、悟りを開くことをめざす修験道など、人々は山に神秘の力を求め、神に近づくことを切望したのである。
 山に本当に神が住み、霊的な力が満ちているのかどうかはわからないが、大自然の圧倒的な生命力、大自然が放つ強い“気”は、人間の心に必ず影響を及ぼすだろう。風雪に耐え、岩にしがみつくようにして根を下ろし、枝をのばしている潅木や、気の遠くなるような年月をかけて、少しずつ成長する高山植物など、自然の恐るべき生命力を目の当たりにすると、迷っていた心が立ち直り、原点に戻って前向きに進もうという気持ちになったりする。苦しい上り坂が続いたあと、急に森がひらけて、いちめんに花が咲き乱れる野原に出たときは、素晴らしいプレゼントを天からもらったような気分になる。高山の満天の星空は、自分がいかにちっぽけな存在かを、思い知らせてくれる。自分が悩み、こだわっていることが、取るに足らないことに思え、幸せになる道がきっとあるはずだと、心が明るくなる。
 大自然が人間の心に与える恩恵は、はかり知れない。そういう意味では、山にはたしかに、神が住むのである。
 
 俳優をしていた、紘子さんのご主人が亡くなったことや、それまで住んでいたアパートが取り壊されることになったことなど、いくつかの事情が重なって、紘子さんとヒデは、東京を離れる決心をした。それまでたびたび富士山を訪れ、ふもとの河口湖周辺の様子にも詳しくなり始めていたので、彼らは迷わず、河口湖に住むことを決めた。
 河口湖町に引っ越した二人は、徐々に知り合いをふやしていった。彼らが知り合った人々の中に、私が現在住んでいる町の、旧家のご夫婦がいた。このお家は鎌倉時代から続く名家で、その昔はこの地方を支配していた豪族だった。鎌倉時代、日蓮上人が幕府から追われて、逃亡の旅をし、この地方に来た時、このお家、S家が上人をかくまい、その由来で、のちにS家は日蓮宗の寺になった。
 富士山の五合目に、日蓮上人が身を隠していた場所とされる洞窟がある。「こんな所に?」と思ってしまうほどの、小さな洞窟だが、ここはれっきとした、日蓮上人の遺跡である。洞窟からほど近いところに、六角堂と呼ばれる、文字通り六角形の、日蓮宗のお堂がある。S家はこの遺跡とお堂を、代々守ってきた家なのだ。
 紘子さんにミカエルが現われ、紘子さんを通して、ミカエルからさまざまなことを教わっているうちに、それまでの私のものの考えかた、感じかたは、徐々に変わっていった。それまでは見上げることもなかった空に目をやるようになり、流れる雲を目が追うようになった。常に考え事で頭がいっぱいだったのが、美しい夕焼けを見たりすると、考え事などどうでもよくなり、マンションのベランダから、ドラマティックに変化する空を、いつまでも眺めていたりした。自然が少ない東京の暮らしに息がつまり始め、暇があれば、一人ででも、都内の公園を歩いたりした。紘子さんと同じで、私も、飢えたように自然を求め始めたのである。
 当時、家族のように親しくつきあっていた紘子さんが、東京を離れてしまうと知って、私も東京を出たくなった。事情があって、一年間、京都に住んだが、そのあと躊躇なく、この富士山麓に来たのである。やきものを思う存分やるためにも、自然に囲まれた場所への移住は必要だった。
 遠方にいる私が、家を探すためにひんぱんに来るわけにもいかないので、紘子さんは私のために、暇をみつけては、賃貸物件を探してくれた。当初は河口湖に住む予定だったが、適当な物件がみつからず、紘子さんは、親しくなっていたS家のご夫婦に相談して、家を探してもらった。するとほどなく、私が住むのに良さそうな、手頃な家が、ちょうど空き家になったという情報が入った。私はさっそく下見をし、いろいろな面で条件をほぼ満たしていたので、すぐにそこに住むことを決めた。まるでひと筋の流れに乗ったかのように、私の引っ越しはあっというまに決まってしまったのである。
 あとでわかったことだが、私が住むことになった家は、Sさんご夫妻の家まで、歩いて2~3分の距離にあった。ご夫妻は、気さくに私を受け入れてくれた。私が独身で、家族と遠く離れて暮らしていることもあり、ご夫妻、特に奥さんは、遊びに行くと、晩御飯を食べていくようにとたびたび勧めてくれた。人に対して垣根を作らない、おおらかで陽気な性格の奥さんと知り合ったことは、私にとって、どれほど心強かったかしれない。その人柄に甘えて、私はひと頃、Sさん宅に入り浸っていた。見知らぬ土地で、一から生活を始めなければならない、その緊迫した状態の中でも、比較的楽な気持ちで過ごしてこられたのは、Sさんご夫妻の支えがあったからである。アカの他人の私を、家族のように温かく迎え入れてくれたご夫妻に、心から感謝している。
 
 富士山は、7月、8月の二ヶ月間が、登山のシーズンである。初夏から秋まで、道路は開通しているが、富士山のすべての山小屋が開いているのは、この夏場の二ヶ月だけである。
 6月に入ると、夜空に黒々とそびえる富士の山腹に、ひとつ、ふたつと山小屋の灯が灯り始める。灯はしだいに数がふえ、7月1日、浅間神社で山開きの行事が行なわれる頃には、山小屋の灯は、登山道に沿って、光の点線を作る。
 月が出ていない晩は、夜空と富士の黒い影の区別がつかないので、漆黒の空に、宝石のように輝く光の列が、浮かんでいるように見える。初めてこの光景を見た人は、光の正体が山小屋の灯だとわかっていても、少なからず驚き、その美しさにみとれる。この灯を見慣れた人は、夏がやってきたことを実感し、一年間という月日がいかに早く過ぎ去ったかを思って、少しばかり感慨に耽ったりする。
 五合目の六角堂の脇に、Sさんは山小屋を持っていた。この山小屋は、ほかの小屋のように一般の登山客を泊めることはなく、お参りに来た日蓮宗の信者さんのための宿泊施設だった。参詣と宿泊の予約が入ると、Sさんご夫妻は、手伝いの人とともに、五合目まで登っていく。紘子さんとヒデと私が、暇を持て余しているように見えたのだろう、ある日、Sさんが、
「山は面白いよ、ついて来るかい?」
と、誘ってくれた。
 宿泊客のお世話をするので、一晩泊まりになる。素晴らしい星空が見られるだろうと思った私達は、ぜひつれていってくれと、こちらから頼み込んだ。大自然の中で働くことを考えると、わくわくしたが、山小屋の仕事はまったく経験がないので、足手まといになるかもしれない。ただ働きでいいから、山小屋の体験をさせてほしいと言った。
 こうして、引っ越して一年目の夏から数年間、私は毎年、夏のシーズンに2~3回は、富士山に行くようになった。初めはまごつくことが多かった山小屋の仕事にも、しだいに慣れ、信者の人達とも顔見知りになり、私は夏が来ると、Sさんにアテにされるようになった。紘子さんとヒデは、紘子さんの体調不良などが原因で、途中から行くのをやめてしまったが、私は富士山で過ごすのが、何より楽しみだったので、頼まれるといそいそ出かけていった。お金を稼ごうと思って行ったのではないのだが、Sさんは、きちんとアルバイト料を払ってくれた。


 富士山五合目でのいろいろな体験は、私の山梨での日々の中で、とても大きな収穫のひとつである。富士山という、並はずれたスケールの大自然は、さまざまな驚くべきものを、私に見せ、味わわせてくれた。
 ふもとから五合目まで、紘子さん達と、森の中を登ったことがある。円錐形の富士山の登山道は、緩やかな上りが延々と続くだけで、下り坂や平坦な道が全くなく、単調でじわじわと足にこたえる、けっこうきつい登山である。どこまで行っても森は続き、景色に変化がないために、気持ちもしだいに滅入ってくる。その日は曇りで、木々の間を時折霧が流れ、それはそれで美しいのだけれど、やはり寂しい情景には違いない。ひたすら耐えるだけの登山に、
「これは修業だね」
と、冗談半分に言い合いながら、内心では平らな地面が恋しくて、苛立ちが募った。
 四合目を過ぎ、五合目が近づくにつれて、鬱蒼と茂っていた森は、途切れ始める。標高が高くなるに従って、丈の高い木は少なくなり、視界が開けるのだ。広々と展望のきく場所で、私達はひと息ついた。晴れていれば、ふもとの風景が眼下に広がるのだが、その日は曇っていたので、私達が目にしたものは、見渡す限りの雲海だった。
「雲の上に出たんだね」
 自分達が、雲より高い位置に立っていることに、ときめきを覚えながら、文字通りの雲の海にみとれた。
 そのうち私達は、雲の色に不思議な変化があることに気づいた。まるで定規で斜めに線を引き、こちら側だけ着色したように、雲海の斜め半分が、すみれ色に染まっている。
 あれは何だろう?
 その色彩の変化の原因に気づいたとき、背中がざわざわするような驚きを感じたのは、私だけではないと思う。
「富士山の影だ!」
 広大な雲の海に、巨大な富士山頂のすみれ色の影が、くっきりと映っていたのである。
 のちにこの話を、友人のカメラマンにしたところ、彼はヘリコプターで上空から、雲海に映る富士の影を撮影したことがあると言っていた。私達が見たのは、山頂の影の半分である。その全貌を見ることができた彼は、幸せな人だと思った。

 Sさんの山小屋に泊まっていたある晩、天候が不安定で、時折雷鳴がするので、私達は外に出てみた。小屋の前は、河口湖辺の灯が見えるほど、眺望が開けているのだが、はるか下方から雷鳴とともに、鋭い光が突き上がってくる。稲光だった。雷雲が小屋より下にあるので、稲妻は下界で見るように、空を走るのではなく、レーザー光線のように下から昇ってくるのである。この現象に、ヒデと私と紘子さんは、遊園地のアトラクションに興奮する子供のように、他愛もなく歓声を上げた。
 そのうち、はるかかなたの連山のあたりに浮かんでいる、大きな雲の塊が光り始めた。その雷雲は、ちょうど私達の目線と同じくらいの高度にあり、私達は雷雲を見上げるのでも、見下ろすのでもなく、真横から見る形になる。大きな綿飴のような雲の中心のあたりから、鋭い光の筋が外に向かって走り、雲の輪郭が夜空にくっきりと浮かぶ。闇の中に雲は一瞬姿を現わし、またたく間に消える。そういうことが、間を置いて繰り返される。
 かすかな雷鳴とともに、夜空に稲光を発しながら、巨大な雲が浮かび上がるたびに、私達は声を上げた。はるか遠方とはいえ、その雷雲の迫力はものすごく、稲妻が消えたあとも、空をじっとみつめ、次の閃光が走るのを固唾を呑んで待った。それは、素晴らしい天体ショーだった。

 夏の富士山には、さまざまな種類の植物が、短い夏をけんめいに生き、生命を輝かせている。強風や重い雪に耐え、溶岩の地面にしがみつくように生えている、背の低いカラマツ、色とりどりの花々、不思議な形をした苔類。富士山の植物はどれもみな、みずみずしく、深くて濃い色合いを持ち、かぐわしい香を放っている。
 六角道に登る道すがら、草むらの中の花々を眺めるのは、楽しみのひとつだ。小ぶりだが、色鮮やかな山百合や、名前はわからないが、濃い黄色の野草の花が咲いている。ランの花に似た、美しい紫のトリカブトも、たくさん生えている。トリカブトの名は、ミステリー小説を読んで、知ったのだが、この猛毒を持つ植物が、どうしてこんなに美しい花を咲かせるのだろうと、見るたびに思ってしまう。
 木や潅木の根元には、つややかな緑の苔に混じって、コケモモがびっしりと、小さな白い花を咲かせている。長さ6~7センチ程の、頼りなげな細い茎の上に、丸い五枚の花びらが、太陽の力を求めて、しゃんと上を向いている。白い花びらは、よく見ると、桃色をほんのり内にひそませているようで、おしべ、めしべの部分では、桃色が濃くなっている。
 コケモモは秋になると、真っ赤な実をつける。地元ではコケモモのことをハマナシといい、大量に採ってきては、焼酎に漬けたり、ジャムにしたりする。
 五合目の森の中で、最も華やかなのは、シャクナゲの花だ。シャクナゲは木で、ちょうどツツジの花をいくつも組み合わせたような、直径10センチほどの、くす玉のようなピンクの花をたくさんつける。
 五合目のバスターミナルの脇から、富士山の中腹を一周する、御中道と呼ばれる道がのびていて、その道を少し行ったところに、シャクナゲが群生している場所がある。何年も前、妹と御中道を歩いていたとき、みつけた。木々の緑の中に、舞妓さんの髪飾りのような、こんもりしたピンクの花が、いたるところに咲いている。ふくよかな花に囲まれた、小さな別天地だ。こんな場所で死ねたら、死ぬのも幸せかも、と思ってしまうようなところである。ちなみに紘子さんは、亡き夫の遺骨の一部を粉にして、この五合目の森に散骨した。富士山という日本一の霊山に、大切なご主人の魂を託したのである。
 シャクナゲの群生地を過ぎて、しばらく進むと、森が途切れ、雄大な富士山の頂が、いきなり眼前に現われる。五合目から見上げる富士山頂は、私達の頭に刷りこまれている、あの優美な円錐形の姿とは全く違い、無骨でずんぐりしている。その姿が異様に見えるのは、富士山という山が、桁外れに大きいからだろう。あり得ない、あってはならないという強い違和感を抱いてしまうほどのスケールで、その頂は天をめざし、溶岩の斜面は砂漠のように果てしなく広がっている。
 初めてこの光景を目にした妹は、
「今なら、身長3メートルのウサギが現われても、驚かない」
と言ったが、富士の大きさ、異様さが、そのようなシュールな感覚を抱かせるのだろう。
 五合目は植生の限界ラインと言われ、五合目から上は樹木がない。唯一、オンタデという、ひと抱えくらいの株で生える草が、溶岩の斜面に根を下ろし、茶色い山肌を緑に染めている。オンタデはかなり上のほうまで生えており、標高2600~2700メートルという高度でも、いきいきと繁茂するその生命力は、驚異的である。オンタデには、葉が赤くなるものもあり、花のように鮮やかで美しい。
 六角堂の山小屋の周辺には、名前を忘れてしまったが、独特の香を放つ潅木が、びっしりと生えている。下の駐車場で車を降り、山小屋までのつづら折の道を登り始めると、この植物の香が漂ってくる。香木のようなその香が好きで、私はいつも鼻をくんくんさせてしまう。私にとってそれは、“富士山の匂い”なのである。

 手をのばせば、星が取れそう、とSさんの奥さんが言ったほど、晴れた日の五合目の夜空は、星が満ちている。じっと見上げていると、星が落ちてきそうなほど、天が近く感じられる。あまりに星が多いので、どこに何の星座があるのか、まるでわからない。
 天の中央を、白くけむったような天の川が延びている。月は下界で見るのと違い、格段に光が強い。いくら眺めても飽きない月。吸い込まれそうな力を持つ光である。
 月も星も、あまりにくっきりしているので、底知れない宇宙に、自分が身ひとつでさらされているような恐怖感が、襲ってくることもある。いったん怖いと思うと、いたたまれなくなり、顔を伏せてしまうのだ。
 富士山で見る月に、心底、恐怖したことがある。それは、暗くなってから、ひとりで山小屋への道をたどっているときだった。
 その日、私は用事ができ、Sさんやお手伝いの人達とは別に、ひとりで山小屋へ行くことにした。着くのが夜になるのはわかっていたが、夏場は夜でも登山をする人が多く、道もよく知っているので、心配はしていなかった。案の定、五合目までの最終バスは、登山客でいっぱいだった。私は買ったばかりの大きな懐中電灯を振りながら、鼻歌気分で歩いた。

 しばらく進むと、分かれ道がある。それまで私のまわりにいた登山客は、みんな分かれ道の急坂を登っていき、私はひとりになった。Sさんの山小屋は、メインルートの登山道からは、ややはずれたところにある。皆が登って行った道が、メインルートであり、自分が途中からひとりで歩かなければならないことは、よく考えればわかったはずである。そのことに思い至らなかった自分のおおざっぱさを少し悔やんだが、引き返すわけにもいかない。
 ほかの登山客がいなくなると、私の行く手は、真っ暗な道だった。と言っても、真の闇ではなく、山の影も木々のたたずまいも、きちんと見える。悪いことにそのあたりから林が途切れ、道の左側は、奈落の底に続くかと思われる、巨大な急斜面になった。富士山の斜面は、乾いた溶岩の砂礫であり、うっかり踏み込んだら、大きな岩に激突するまで、際限もなくすべり落ちていく。富士登山で、転落死亡事故が多いのは、この蟻地獄のような、ずるずる滑る斜面のためである。
 道幅はある程度の広さがあるが、私は用心して、右側の、山頂に向かって上っていくほうの斜面に体を近づけ、懐中電灯で慎重に前を照らして進んだ。
 晴れていれば、ふもとの灯が見えるはずなのだが、曇っていて、明かりは何も見えない。ふと、右側を見上げると、肝をつぶすほどの、異様な大きさで、頂上までのくろぐろとした山影が、のしかかってくるようだった。心に恐怖感が芽生えた。怖いと思い始めると、道の脇に頼りなげに立っている木のシルエットまで、気味悪く感じられる。
 もうしばらく行くと、富士山で唯一、冬でも開いている、佐藤小屋という山小屋がある。その少し上が、六角堂である。佐藤小屋はまだかと、目を前方にやったとき、行く手の空に、雲のかたまりが見えた。あまり厚くない、ところどころ途切れている雲。その雲の向こうに、月があった。大気のせいで、そう見えるのだろうか、あまりにも大きいサイズの月が、雲を透かして、鈍い光を放っていた。
 それを見た瞬間の、心と背筋に走った感触を、どう言い表したらいいかわからない。月光に照らされた雲の姿も、その背後で不気味に光る大きな月も、まるで化け物のように見えた。私は反射的に下を向き、顔を上げることができなかった。月が、ひたすら怖かった。あの月に見られながら、あの月に向かって歩いていかなければならないとは、なんという恐ろしい事態になったものかと思った。そう思いながら、心のもう一方で、雲が通り過ぎ、月が完全に顔を出すのを待っていた。異様な大きさで輝く月を見たかった。
 しばらくたって、おそるおそる見上げると、はたして、圧倒的な存在感で、月が行く手の空に輝いていた。恐怖に打たれた私は、二度と顔を上げることなく、必死で先を急いだ。



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       神秘体験


 あるテレビ番組の対談で、ゲストの俳優さんが、富士山に登ったとき、龍が現われたという話をしていた。雲が明らかに、くっきりと、龍の形をしていたそうである。東京に戻ったその人は、強い決意をもって仕事に取り組み、成功した、というような話だった。
 富士山は霊峰と言われ、古来、信仰の対象となっている。紘子さんやヒデのように、霊感の強い人は、富士山に強いパワーを感じると言う。四季を問わず、何十回、何百回と、取りつかれたように富士登山を繰り返す人々もいる。以前、佐藤小屋に泊まったとき、宿泊客の中に、埼玉から一人で来ている方がいて、今回の登山で二百四十六回目です、と嬉しそうに語っておられた。家族は、あきれ果てていると、笑っていた。

 富士山は、けっして登るのに面白い山ではない。道は単調で、風景は変化に乏しく、目を瞠る雪渓も、花が咲き乱れる野原もない。登山が趣味の私の知り合いは、富士山は遠くから眺める山であって、登る山ではない、ときっぱり言った。たしかにその通りである。
 にもかかわらず、富士山に憑かれたように登る人々がいるのは、なぜだろう。私は、Sさんの山小屋を手伝ったおかげで、富士山の素晴らしい自然を味わえたが、富士山に取りつかれたわけではない。一度、頂上まで登ったが、もう一度登りたいとは、正直言って思わない。
 何度も富士山に行っているのに、紘子さん達のように、霊的なパワーを感じたこともない。雲が龍の形になるかしら、と、じっと雲を眺めたこともあるのだが、雲は雲のままだった。富士山はUFOが現われる場所らしいのだが、遭難者救助のための自衛隊のヘリは見ても、異星人の乗った飛行物体は目撃したことがない。
 以前、佐藤小屋で働いていた、佐々木さんという男性は、宿泊客のいない夜に、幽霊が出ることがあると話していた。寝ていて、ふと目を覚ますと、“そこにいる”のだそうだ。何度も見て、慣れているのだろうか、あんまり慌てることもないらしい。
「マジかよ、冗談じゃねえよって思って、酒飲んで寝ちゃうよ」
などと、笑って話していた。

 富士登山に転落事故はつきもので、富士山ではたくさんの人が亡くなっているから、幽霊が出てもちっとも不思議ではないが、私は富士山で幽霊を見たこともない。

 ただ、一度だけ、なんとも言えない、不思議な体験をしたことがある。何かを見たわけでも、具体的な出来事が起きたわけでもなく、精神的な、内面的な体験である。気のせいだと言えば言えるほどの、けれどもそれまでに味わったことのない、奇妙な感覚に襲われたのである。
 数年前の夏、例によってSさんの山小屋で働いていたときのことだ。仕事が一段落し、私は一人で気分転換に散歩に出かけた。六角堂の脇の道を少し登ると、遭難で亡くなった人を慰霊する石碑が立っている。そのあたりは眺めがよく、そこに至るまでの道も、森に囲まれて心地良く、お気に入りの散歩コースだった。
 道をはずれて森に入り、草木の匂いを嗅いだり、野の花を眺めたりしながら、私はゆっくりと歩いた。気分が乗ってきたので、いつもより遠回りして、上の小屋近くまで登り、ぶらぶらと帰り道を降りていたときのことだ。
 ふっと、妙な感覚に襲われ、私は足を止めた。今の今まで、木や花や、空を眺めて楽しんでいた私の目は、その数分間、何も見なくなった。私の神経は、自分の内面に注がれていた。内面に、驚くべきことが起こっていたからだ。
 その数分間、私の内側はからっぽになった。何の考えも、何の感情も、何の感覚もなく、ものの見事にからっぽになった。足の裏は、しっかりと地面に貼りついていたが、その足元の地面すら、なくなってしまったような気がした。
 自分自身が、一個の筒のようなものになっていた。そう、私は、完全に筒だった。筒である私の中を、何かとても大きな、神のように崇高な、限りなく豊かな、目に見えない力のような、偉大な“気”のようなものが、循環していた。それは私の頭頂部から入ったかと思うと、さぁーっと体の中を通って、下から抜けていく。抜けるとすぐにまた、頭頂部から入り、下へ抜ける。何度もそうやって“気”が巡るのだ。
 自分がからっぽになった感覚は、奇妙だったが、この偉大で豊かな“気”の循環は、心地良かった。表現しがたい気持ちよさがあり、いつまでもこの“気”に浸っていたかった。心地良さを自覚するころには、私はこの“気”が何であるか、わかり始めていた。これは、神だ。一抹の疑いも持たずに、私はそう思った。
 数分後、日常の現実感覚が戻ってきた。私は森の横の小道に立ちつくし、たった今まで味わっていた、あの心地良い、不思議な感覚を、思い返した。あの感覚が再びやってこないかと、待ってみたが、駄目だった。意識はどんどん現実に戻り、なかなか帰らない私を、Sさんが心配しているかもしれないと思い始めて、道を急いだが、私の頭は、微熱を持ったように、どこか朦朧としていた。

 知り合いのジャズミュージシャンが、ジャムセッションで、自分のアドリブの部分を演奏しているとき、ふっと記憶が途切れることがあると言っていた。アドリブに精神を集中していて、いつのまにか記憶がなくなり、はっと我に返って、「あれっ? 俺、今、何弾いてたんだろう?」と思うのだそうだ。もちろん、記憶がない間も、指は絶え間なく楽器を引き続けている。それどころか、そういう現象が起こったときは、あとで聴き手の感想を聞くと、とても出来が良いのだそうである。こういうことは、ジャズの世界では珍しいことではないらしく、演奏中に記憶がなくなることを、ブラックホールというのだそうだ。
 私は子供の頃からピアノを習い、高校、大学は音楽学校に通っていた。高校一年くらいの頃だろうか、ピアノの試験のとき、このブラックホールのような現象が起きたことがある。
 ピアノの試験は、課題曲と自由曲の二曲を弾かなければならず、時間にすると10分から15分くらいはかかると思う。演奏をしている間、私は、まったく記憶がなかったのである。
 覚えているのは、前の人が演奏しているのを眺めながら、緊張しきっていたこと、名前を呼ばれて席を立ち、ピアノの前に行って、椅子の高さを調節したこと、スタンウェイの鍵盤の上に静かに指を乗せたこと、そして弾き終わって試験会場を出るために、ドアのノブに手をかけたこと、それだけである。自分がどんな気持ちで、どんなふうに演奏をしたのか、どこでミスタッチをしたのか、何もわからないのである。
 ドアを開け、試験会場の外に出て、気持ちが緩んだとき、初めて自分の記憶が飛んでいることに気づいた。たった今まで、自分の頭が真空状態だったことに思い当たって、私は呆然としたが、ドアの隙間から漏れてくる演奏を聴いていた友人の、
「あなた、良かったわよ」
という感想を聞いて、心は舞い上がり、記憶喪失に陥っていたことなど、どうでもよくなった。試験会場で、順番を待ちながら、私の演奏を間近で聴いていた同級生は、この人のあとに弾くのは嫌だなと思ったほど、私の演奏がとても良かったことを、あとで教えてくれた。
 この試験に臨む前、私はこれまでにないというほど、猛練習をした。良い演奏ができたのは、努力の賜物だが、記憶がなくなったせいでもあると、確信している。頭が真空状態になったために、よけいな不安も怯えも、雑念もなくなり、感覚だけが音楽の波にすんなり乗れたのだ。友人のジャズミュージシャンの話を合わせて考えると、そういう結論になる。
 ジャズのアドリブは精神を集中する作業であり、気持ちが高まってくれば、集中の度合いはさらに増す。ピアノの試験も、それをめざして真剣になればなるほど、精神の集中は深まる。集中力が極まったときに、ブラックホールは起きるのである。
 
 陶芸で、電動ロクロで茶碗をひく練習をしていたときにも、ほんの数秒だと思うが、頭が真空状態になったことがある。まだ満足に茶碗をひけなかった頃で、水分をたっぷり含んだ粘土の塊を、厚さ数ミリの茶碗にしていくのに、四苦八苦していた。両手の指で粘土をはさんで、引き上げていくのだが、下から上へひいていくそのとき、記憶が飛んだ。はっと気がついたとき、指は茶碗の縁に達しており、茶碗はあらかた出来上がっていた。しかも、それまでやった中で、いちばん薄く、きれいにできた。
 
 富士山で体験した、自分がからっぽになった感覚は、音楽や陶芸で経験したブラックホールに通じるものだと思う。富士山にいたときは、演奏や陶芸の作業のように、ことさら何かに精神を集中していたわけではなく、むしろひと仕事終えたあとの、リラックスした状態にあったのだが、自分のあらゆる想念や雑念が完全に消え失せ、真空になった心と頭に、何か豊かな力が流れこんでくるという点は、共通している。この真空状態は、求めてなれるものではなく、何かの拍子に突然向こうからやってくる。むしろ、意志と理性で求めると、この真空状態は、どんどん自分から遠ざかっていくような気がする。
 
 富士山でのこの不思議な体験のあと、私の内部で、何かが大きく変わった。考え方が変わったとか、性格が変わったといった、具体的な変化ではない。いや、考え方も性格も、少し変わったかもしれないが、変化はもっともっと深いところ、自分というものの根源に関わる部分で、起こったような気がする。
 彼岸と此岸という言葉がある。仏教用語で、彼岸はあの世、此岸はこの世を意味している。自分の内面に起こった変化を、言葉で言い表そうとしたとき、真っ先に頭に浮かんだのが、この、彼岸と此岸という言葉だった。
 私は、死やあの世について考えたのではない。ただ、自分が河のこちら側から向こう側へ渡ったのだと思ったのだ。自分が一個の筒になり、自分という筒を、神だと思われるものの“気”が通り抜けた瞬間に、私は河を渡った。こちらの岸にいた、それまでの私は、その瞬間に死んだのだ。肉体は何も変わらないが、それまで営々と人生を生き永らえてきた、内面の私は、あとかたもなく消えてしまった。
 こちらの岸にいたときの私は、プライドとコンプレックスの間を揺れ動き、自信のなさに悩み続け、他人からどう見られるかを気にし、劣等感を覆い隠そうとしてツッパっていた。自分の考えに確信が持てず、人から、その考えは正しいと言われない限り、安心して前に進むことができなかった。他人を羨み、自分の不器用さを憎み、しばしば自己嫌悪に陥った。駆り立てられるように、やみくもに走るかと思えば、怯えて縮こまってしまう、ひどくバランスの悪い心を引きずって生きていた。富士山での体験のあと、あとかたもなく消えたのは、私が自分の根本の部分にしっかりと抱え込んでいた、そういう苦しい部分である。
 なぜ、そういうバランスの悪い心が消えたのかは、全くわからない。あのとき、私の心の中を通り抜けたのが、本当に神なら、神が私という人間の内部の大掃除をして、不要なマイナス部分を勢いよく吹き飛ばしたとしか言いようがない。
 
 山から戻った私は、劣等感をなくし、自信のなさを解消していた。突然、能力が飛躍的に向上したのでもないし、苦手なものを克服するコツをつかんだのでもない。仕事のチャンスが訪れたのでもない。現実面での私の生活は、何ひとつ変わっていない。けれども私は、これまでになくすがすがしい気分で、豊かに呼吸をし、両足は力強く大地を踏みしめ、顔は迷うことなく前を向いていた。
 私は、自分のすべてを受け入れるようになっていたのである。能力が及ばない自分、才能に乏しい自分、要領の悪い、不器用な自分、気が弱い自分……。これまで受け入れたくなかった、そういう負の自分を、山から戻った私は、何の抵抗もなく、すんなりと受け入れ、そしてそういう弱い自分を、おそらく、愛するようになっていたのである。
 “できる自分”も“できない自分”も、強い自分も弱い自分も、すべてひっくるめて、私は私を愛するようになっていたのである。
 
 自分を嫌っていたときの私は、自分を信じることができなかった。ひとつのことで成功しても、次は失敗するかもしれないという不安のほうが勝っていた。失敗することを、自分はダメな人間だと烙印を押されることのように思い、まわりから非難されたわけでもないのに、「私はダメな女だ」と、自分で自分をおとしめた。失敗を恐れるために、のびやかに自分を発揮できず、自己嫌悪の感情が心の底にあるために、他人に対してどこかおずおずとし、なかなか心を開けなかった。
 自分を愛するようになってからの私は、心の基本的な部分で、しっかりと自分を信じるようになった。あることについて、自信を持てなくても、それが自分への不信にはつながらない。失敗すれば、当然、がっくりするが、だからといって、以前のように、自分がダメな人間だとは思わない。今の私は、失敗の経験の中に、成功へのヒントがたくさん詰まっていることを、心の底から理解している。自分が成長するためには、むしろ、たくさん失敗したほうがいいくらいだと思っている。努力すれば、必ず能力は向上し、自信がつくこと、感覚を信じれば、たいていの場合、物事は良い方向へ進んでいくことも、それこそ自信を持って言える。
 彼岸と此岸。
 富士山での体験は、私の人生を二分してしまったように思える。河を渡った私の目には、向こう岸にいたときの自分の人生の日々が、靄に包まれたようにぼやけて見えるのだ。自分がどれほどあがき、どんな苦しい思いを抱いていたか、もはや、ありありと思い出すことができない。自分の性格も、人格も、行動も、よく考えれば何ひとつ変わってはいないのだが、自分が別の人間になってしまったような感じが、どうしてもするのである。



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      とまどい


 富士山での不思議な体験は、よく考えれば、脈絡もなしに、突然私に訪れたことではないように思える。
 紘子さんを通してミカエルに出会い、神や人間の魂について、人生や自分自身について、いろいろなことを、さまざまな角度から教えられ、時には厳しく叱られ、さんざんに悩みながら月日を過ごした結果、あの体験にたどりついたような気がする。
 これからしばらくの間、その悩みの日々を振り返ってみようと思う。それらの日々の中には、自分の矛盾や弱さとともに、霊的世界に人が関わるうえでの問題点が、たくさん埋もれているように思えるからだ。

 ミカエルが現われてから、紘子さんは、それまでの紘子さんではなくなってしまった。彼女の心の中は、彼女にしかわからず、他人の私には想像もできないが、紘子さんはミカエルによって、私達がふつうに体験し、その中で生きている、世俗の生活とは全く異なる、精神的な別世界を見せられたのではないかと思う。ミカエルが現われてからの紘子さんは、どこか遠いところを眺めているような、あるいは現実の底の底に流れる、何か深いものをみつめているような、そんなまなざしをすることが多くなった。彼女の瞳はどこか虚ろで、身の回りの雑多な事柄には、全く興味を失ってしまったように見えた。お酒を飲んで騒いだり、人の噂話に他愛もなく興じたり、舞台女優をめざしてダンスのレッスンや台詞の稽古に励んでいたそれまでの紘子さんは、あとかたもなく消えてしまった。
 彼女のそういう変化が、私は寂しかった。私は、人間臭さが薄れ、透明感さえ漂わせるようになった現在の紘子さんよりも、ミカエルが現われる前の、お茶目で楽天家の紘子さんのほうが、やはり好きである。彼女が人間の世界から、突然大河を渡って精霊の世界へ行ってしまったように思い、私は一人取り残された気分に陥った。
 
 どうしようもない隔たりに苛立った私は、ある日、いくぶんきつい口調で、文句を言った。
「紘子さんには、私の気持ちはわからないと思うわ。だってあなたは、別の世界に行っちゃったんだから。私達はもう、住む世界が違うのよ」
 すると彼女はとても悲しそうな顔をして、今の言葉を聞いて、私の心は血を流している、と言った。
 私は、自分の言葉がそれほどまでに彼女の心を傷つけたことに驚いた。言うべきでないことを言ったのかもしれないと思ったが、あとの祭りだった。紘子さんは、自分がミカエルに引っ張られて世俗を脱し、ふつうの人々とは別の次元に来てしまったことを、充分に自覚していたのかもしれない。私に限らず、親しくしていた友人達と、それまでのような人間的なまじわりがもうできないことを知っており、孤独に耐えていたのかもしれない。うっすらと悲しみのベールに包まれたような、もの静かな彼女の顔を見ていると、そんな気がした。
 しかし、“私の心は血を流している”という、ふつうの会話ではあまり使わない言い回しと、ひとりだけ異次元にいるような、孤立した雰囲気は、私に強い違和感を抱かせた。孤独を感じていたかもしれない紘子さんに対して、大変申し訳ないのだが、この人にあまり近づきたくない、と思ったほどの、居心地の悪さを感じたのである。

 この違和感はその後ずっと続き、現在にいたっている。紘子さんは、自動書記という形で手を、頭の中に響く言葉を語るという形で、自分の脳と口を、ミカエルに貸していることになるのだが、大天使という精霊と同居する日々をおくることで、彼女自身がだんだん人間離れした存在になっていったのかもしれない。どこを見ているのかわからないような、半分は精霊に乗っ取られているような、不思議なそのまなざしを見ていると、どうにも気持ちが落ち着かなくなるのである。ミカエルが登場して十数年、私は紘子さんと家族のように親密な交流を持ったが、心のいっぽうで、常にこの違和感を抱き続けてきたのである。
 ミカエルが現われてから、しばらくの間、紘子さんはヒデとともに、たくさんの神秘的な、霊的な体験をしたらしい。ヒデと自分のために買ったペンダントを、一枚の紙に包んでしまっておき、少したって取り出したら、ふたつのペンダントの鎖が、からまるのではなく、しっかりと結ばれていたので驚いたという話が、記憶に残っている。私はこの話を心の底から信じることができなかったが、かといって紘子さんが嘘をついているとも思えなかった。
 ミカエルは言ったそうだ。
「霊的な意識の扉を開けると、何が見えるのか、一度、そのすべてをあなた方に見せます。すべてを見、体験したら、あなた方の意識の扉を再び閉めます。今度は自分の力で、その扉を開けなさい」
 紘子さんとヒデに、霊的な世界がどういうものなのか、正しく理解してもらうために、ミカエルは彼らの霊感の扉を開けてくれたのだと思う。その扉を再び閉じ、今度は自力で開けなさいとミカエルが言うのは、自分の感性を信じ、心の力を高めて、霊的意識の扉を開けること、そのプロセスを経験することが、人間にとって重要なことだからではないだろうか。
 スポーツや芸術で、ひたすら技を磨き、全身全霊で練習に打ち込み、寝る間も惜しんで創作に没頭した結果、突然不思議な境地に自分が立つことがある。
 あるゴルフプレイヤーは、優勝した試合を振り返って、プレイをしている自分を、もう一人の自分が天から見ているという感覚があったと語っていた。金メダルを取ったフィギュアスケートの選手は、その演技をしているとき、自分がオリンピックに出ていることも、点数やメダルのことも、すべて頭から消え、ここに至るまでに自分がやってきたことや、支えてくれた人の顔が、走馬灯のように心に浮かび、観客の拍手を聞いて、自分のスケートが人々を楽しませていることに心の底から歓びを感じ、滑る幸せに浸っていたそうだ。緊張が最高潮に達するはずのオリンピックの舞台で、彼女がこのような心境にいたのは、驚くべきことだ。
 学生時代のピアノの試験で、猛練習を積み重ねた結果、本番で突如記憶がなくなったのも、同じようなことかもしれない。目的は何であれ、人は命がけで何かに取り組み、成功を信じて執念を燃やし、あがきにあがくと、“ある境地”に至るのである。ミカエルが言う“霊的意識の扉を開く”とは、そういうことなのではないかと思う。目標をめざして死に物狂いの努力を続けると、直感が研ぎ澄まされ、意識の扉が開く。神の世界とダイレクトにつながる。そのことを身をもって知ることが、生きる意味のひとつなのではないだろうか。
 
 紘子さんとヒデが、どのような神秘体験をし、どんな霊的世界を見たのか、私はあまり知らない。彼らは、多くを語ってはくれなかった。彼らが話してくれなかった理由のひとつは、私がそのころ、心霊や超能力に懐疑的で、ミカエルの存在は認めたものの、その他の霊的な話には、拒絶反応を示すことが多かったからだと思う。
 私がそういう話を好まないのを知っていながら、紘子さんは時折、自分の霊的な体験を話した。ミカエルが私にも話しなさいと言ったのかもしれないし、霊的な世界は現実に存在するのだから、それに対する私の偏見を正そうとしたのかもしれない。
 
 その頃の紘子さんは、霊の存在を感じるだけでなく、生きている人間の念を感じ取ることも多かったようだ。霊感のアンテナが、何ものにも守られずに、むき出しで頭の上に立っているようなもので、いろいろな人の想念をキャッチしてしまうので、とても疲れると言っていた。
 特に電車に乗っているときがつらいらしく、乗り合わせている人々の、恨み、憎悪、怒り、不満といったマイナスの念が、車内に渦巻いているのを感じてしまう。人間は幸せな気分より、不幸な気分に支配されていることのほうが多いと、彼女は言い、皆があまりにもネガティブな想念を発散しているので、電車に乗るのがこわくなると、ため息をついた。人の念を感じ取るという経験を持たない私は、彼女の話に共感できず、うっすらと反発すら感じた。
 人生にはうまくいかないことがたくさんあり、誰だって不満や悩みを抱えている。ひどい仕打ち、不当な扱いを受けることも少なくない。恨みや憎しみが心に湧くのは当然である。紘子さんの言葉からは、マイナスの感情を抱いている人々に対する非難しか感じられず、その人達を理解しようとする思いは、伝わってこなかった。

 喧嘩の原因は忘れたが、紘子さんと電話で口論になったことがある。彼女の言ったことを私が誤解したのだと思うが、電話口で私は怒りを抑えられなくなり、いつになく激しい口調でまくしたてた。話し合わなければならないと思った紘子さんは、今から私の住むマンションに行くと言った。私は顔を合わせるのは嫌だったが、断りきれずに承諾した。彼女を待つ間、私の怒りはどんどんふくらんでいった。
 しばらくしてドアチャイムが鳴り、玄関口に現われた紘子さんを見て、私は唖然とした。彼女はハアハアと肩で息をし、心臓のあたりを手で押さえ、苦しそうに顔を歪めて、倒れこむように入って来たからだ。驚きと心配で、怒りはどこかへ吹き飛び、私は慌てて彼女を室内に引き入れた。
 ソファに腰を落ち着け、お茶を飲んで、呼吸が楽になると、彼女は信じ難いことを話し出した。私の家に来る途中、悪霊に妨害されたという。駅から私のマンションまでの道のりは、10分程度だが、私の家に近づくにつれて、何かの強い力が押し寄せてきて、足が前に進まなくなり、呼吸が苦しくなった。自分の前進を阻んでいるかのような、その強い力に抵抗し、むりやり歩いたが、私のマンションにたどりついたときは、体力を使い果たし、息が止まるのではないかと思うほどの、呼吸困難に陥っていたそうである。
 悪霊が、私と紘子さんの仲を引き裂くために、現われたのか? 私は悪霊の存在は信じなかったが、紘子さんは実際に自分が感じたことを、そのまま話しているのだろうと思った。何か、妙な思い込みをしているのだ。その頃、紘子さんのまわりには、悪霊が人間の行動を妨害すると、本気で信じている人達がいて、どこかへ行こうとしたときに、事故やハプニングが起きると、彼らは悪霊のしわざだとよく言った。そういう人達の影響を受けて、たとえば体調が悪いために体が思うように動かないことを、悪霊のせいにしているのだと思った。
 私と紘子さんは、自分達の対立について、冷静に話し合い、誤解は解けて、私達は和解した。紘子さんはホッとした顔で帰っていったが、私の心には、対立が解消した安堵感よりも、先ほどの彼女の異様な様子と、悪霊の話に対する違和感が、強く残った。バランスの取れた常識人であったはずの紘子さんが、いつからこんなに迷信深い、愚かな人間になってしまったのか。困ったことになったと私は思い、ますます彼女との距離を感じた。

 その後、しばらくたってから、紘子さんは悪霊に関する自分の勘違いを訂正した。あのとき、彼女を呼吸困難に陥れるほどの力で妨げたのは、悪霊ではなく、なんと私の怒りの念だったという。
「和代はあのとき、とても怒ってたでしょう。その怒りの想念が、私に向かって抵抗して、来るな、来るなって、強い力で押し寄せてきたの。それはもう、ものすごいパワーだったわ」
 紘子さんが確信をもってそう言うのは、ミカエルが彼女の勘違いを正したからだろう。紘子さんは、トラブルは解決し、すべて終わったこととして、淡々と語ったが、私は複雑な気分だった。
 私の怒りは、人の体に障るほど、強い力を持っているのだろうか。悪霊だと勘違いするほどの、どす黒いパワーなのか……? なにか、自分が非難されているような、お前は悪魔のようだと侮辱されているような気がした。
 暴力をふるったわけでも、悪意をもって紘子さんを傷つけようとしたわけでもない。ただ、怒りの感情を持っただけで、いけないと言うのか? 誤解したとはいえ、私を怒らせたのは、紘子さんの言葉だ。紘子さんが言葉を慎重に選んでいれば、私は怒らなかっただろう。責任の一端は自分にもあるのに、一方的に私を非難するのか?
 心の整理がつかないまま、私は黙って彼女の話を聞いていたが、反感はふくれあがるばかりだった。
 霊感の扉を開いたばかりの紘子さんは、自分が見たり感じたりすることで手いっぱいで、自分の話が聞き手をどんな思いにさせるかということにまで、頭が回らなかったのだろうと思う。その点では、彼女は未熟だった。そして私は、紘子さんのように霊感の扉を開いてはおらず、人の念を感じるとはどういうことなのか、想像もできず、常識から遠くかけ離れた話ばかり聞かされて、混乱していたのである。ミカエルの登場によって、私も紘子さんも、かき乱されていたとも言える。

 ヒデと紘子さんは、仕事を通じてTさんという女性の霊能者と知り合い、紘子さんはますます霊感、霊能の世界にのめり込んでいった。彼ら3人が共有する霊的な精神世界は、私には全く理解不能な世界だった。当時私は、霊能者をいかがわしい、インチキな、あるいは不気味な存在と決めつけ、霊や魂の話をすることを、知性に欠ける、愚かな行為と思い込んでいたので、彼らが話すことが、基本的に嫌いだった。それならば、彼らからきっぱり離れればいいのだが、どういうわけかそれができなかったのである。
 二十歳の頃、尊敬し、慕っていた年上の女性が、何を思ったか、突然キリスト教に入信し、熱烈な信仰を持つようになった。その人はとても知的で、それゆえ尊敬していたのだが、彼女が私にも信仰を勧めたのを境に、私は彼女から離れた。その他にも、仲良くつきあっていた友達が、宗教に入っていることがわかると、私は常に用心深く距離を置いた。それほど私は、宗教や霊能が嫌いだった。
 それまでは、きっぱりと離れることができたのに、ミカエルと紘子さんからは、どうして離れることができなかったのか、これは今もって謎である。その頃私は、長年連れ添ったNさんと別れたばかりで、その次の恋愛もうまくいかず、孤独だったからかもしれない。紘子さんとのつながりが切れたら、自分は心のよりどころを失うという思いがあったからかもしれない。当時の私は、一人になるのがこわいから、紘子さん達から離れられないのだと、思い込んでいた。安定したつきあいのできる恋人ができたら、彼らから離れられると思っていたし、そうなることを切に願っていた。
 しかし、それも今思うと疑問である。いい人が現われて、結婚したとしても、私は本当にミカエルから離れることができただろうか。
 彼らに対して、いっぽうで違和感や、時には嫌悪感すら抱き、いっぽうで、見えない糸でくくりつけられているかのような、離れがたさを感じる。この大きな矛盾を抱えながら、私は紘子さんとヒデとミカエルに、接してきたのである。富士山で神秘体験をするまで、この根深い矛盾は、ずっとずっと続いていたのである。
  私の矛盾の原因は、宗教や霊能に関する、私の偏見である。宗教や霊能に、私がもともと親しみを持っていれば、ミカエルに接しながら過ごした十数年の歳月は、幸福なものだったろう。私は偏見のかたまりだったかもしれないが、宗教や霊能の世界には、私に限らず、多くの人に疑問や反感を抱かせるような、おかしな部分があると思う。そのことについては、あとでもう少しくわしく触れることになると思う。

 私が紘子さんとミカエルから離れることができなかったのは、ミカエルが持つ吸引力のようなものだろう。ミカエルには、なんともいえない、底知れない、深い力があったのである。常識や理屈では捉えることのできない、なんとも不可解な存在であるにもかかわらず、ミカエルは厳然とそこに居り、ミカエルが語ることは常に明確で、論理的、現実的で、心に深く響くものだったのである。「私は少し厳しすぎますが……」と、いつだったかミカエルはみずから言ったことがあるが、その通り、こちらがボロボロになるほど厳しいことを言われても、それでもついて行こうという気にさせる力が、ミカエルにはあるのである。
 優れた演出家が、妥協を許さず、芝居を作り上げながら、俳優の才能を育てていくのに似ているかもしれない。この人についていけば、自分はもっと伸びると思うからこそ、俳優は、時に厳しい叱責に傷つきながらも、演出家に食らいついていく。ミカエルに対する私の気持ちには、そういうものがあったような気がする。



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      証明できない世界


 神や魂の世界は、個人の感覚でしか捉えられず、自分が見たり感じたりしたものが確かに存在することを、自分以外の人に向かって証明することができない。
 この世界についてだいぶ理解を深め、自分の霊感を信じるようになってからのことだが、あるとき私は紘子さんとヒデとともに、新潟を旅した。旅の初日の晩、私達の部屋に女の子の幽霊が出た。私は、綿入れ半纏のようなものを着た、おかっぱ頭の女の子が、寝ている私の顔を覗き込むようにしているのを見、紘子さんは、そのような姿の女の子が部屋の真ん中にたたずんでいるのを見た。朝になって、ゆうべ見た奇妙なものの話を、どちらからともなく語り出し、ふたりが見たものが、同じ幽霊だったことがわかったのだ。
 この場合のように、ふたりとも霊感の扉を開いていれば、ふたりの間には何の軋轢も起こらない。女の子の幽霊がいたことは、窓の外に栗の木があったのと同じくらい、ふたりにとって確かなことだからだ。
 しかし、かつての私のように、霊感の扉を閉じ、幽霊とは無縁に生きていると、女の子の幽霊が出たという紘子さんの話を、まったく理解できない。朝っぱらから不気味な話を聞かされて、私は不愉快になり、紘子さんは幽霊の話をしたことを後悔するだろう。幽霊を見ていない私に、幽霊がいたことを納得させるのは、不可能に近いからだ。
 人の想念を鋭敏にキャッチする紘子さんに、私が違和感を抱いたのも、同じ理屈である。私も人の念を感じ取っていれば、電車の中に渦巻くマイナスの想念が、どんなに不気味なものかわかり、彼女の話に同調しただろう。私の怒りが彼女の体に障るほどのパワーを持っていたことも、すんなりと受け入れ、大変なことをしてしまったと後悔するだろう。

 ミカエルが現われる前、私は、自分には霊感はないと、ずっと思い込んでいたが、それでもごく稀に、神秘的な体験をした。父の魂を見たり、エジプトでの前世を感じ取ったりしたことなどである。私にとっては、勉強部屋に現われた父の魂も、石像の奥に見た、生身の男の姿も、ある意味ではれっきとした“現実”なのである。不思議な出来事には違いないが、それは、疑いようもなく、ごく当たり前に、そこに“存在していた”のである。しかし、そのことを人にどう説明し、わからせたらいいのか。私が見たものの、物質的な痕跡が、何ひとつ残っていない以上、人は、私が見たものを、私の想像力の産物としか思わないだろう。
 誤解や偏見を恐れて、私は自分の不思議な体験を人に話さなかったが、もし話していれば、相手は複雑な表情をしただろう。霊や悪霊の話をする紘子さんに、かつて私が眉をひそめたように、人々は疑いと困惑、あるいは反感の目で私を見ただろう。
 同じ場所にいるのに、ある人は霊や魂を見、ある人は見ない。見る人と見ない人の間には、大きな隔たりがある。この隔たりが、神や魂の世界に対する、誤解と偏見を生む。霊を見ない人は、霊を見る人の話を信じることができず、この人は幻想を抱きやすい人、冷静な判断力を持たない人、浅はかな思い込みをしやすい人、と相手の人格まで疑うことすらある。
 
 誤解や偏見が生じやすいのは、霊的なものを見ている人の側にも、不確かな、曖昧な部分が少なくないからだ。紘子さんが、私の怒りの念を、悪霊と思い込んだように、霊的なものを見たり感じたりしている本人も、自分が見たもの、感じたものが何なのか、正確に理解していない場合が多い。
 衝撃的な神秘体験をし、頭が混乱しているとき、それは悪魔のしわざだと誰かに言われれば、そうかもしれないと思ってしまう。紘子さんの場合は、ミカエルがついているので、勘違いを正すことができたけれども、神や魂の世界を正しく理解している人が身近にいなかったら、自分が体験したことの真相を突きとめることができない。
 自分が見たと思ったものが、霊や魂ではなく、実は自分のイマジネーションが作り出した映像だということもあるだろう。
 ミカエルから神についていろいろな話を聞き、無神論者だった私が、ようやく神の存在を信じるようになった頃、神を感じたいと強く願った一時期があった。紘子さんとヒデは、大天使ミカエルを見たことがある。天井から降りてくる白い光、部屋にたちこめたかぐわしい香。ただそれだけだが、それは何ともいえない深い感動を呼び起こすものだったらしい。自動書記に、神が現われたこともあるようだ。これらの話を聞いて、なぜ自分にはそういう体験がないのかと、私は軽い嫉妬を覚えた。
 それからしばらくたったある日、自宅のソファに座って、神についてぼんやり考えていたときのことだ。天井の片隅を、私は見るともなく眺めていたのだが、急にそのあたりが白い光でいっぱいになった。まぶしいほどの強い、真っ白な光……。「神だ! ついに神を見た!」と思ったが、その体験はどこかわざとらしく、自分でむりやり作り出したもののような気もした。光は見たが、心に響く何ものもなかったのである。
 別の日、鎌倉の寺をめぐり歩いていたとき、ある寺の背後にそびえる崖に、巨大な仏を見た。大日如来のような姿の仏が、見上げるばかりの大きさで現われたのだが、これも、父の魂を見たときのような確かさがなく、感動もあまりなく、自分の心が作り出したものという感じがした。
 何かを熱烈に追い求めているとき、心は、勝手に映像を作り出すことがあるようだ。恋をしているときは、瞑想中に、天使に抱かれる自分の姿や、静かに舞い降りる虹色の羽根の映像が浮かび、「この羽根は彼の気持ち」という言葉がどこからか囁かれた。苦労の末に幸せをつかむという意味合いで、血だらけの腕が、タロットの安定した愛情関係を表わすカードをつかんでいる映像が浮かんだこともある。恋の成就を必死に願っていたときなので、瞑想中のこれらの映像を、守護霊のお告げと、私は思い込んだ。
 自分の心が描き出した映像を、神の啓示と思い込み、自分に都合のいいように解釈してしまう。神や心霊を信じるようになると、このようなご都合主義の間違いを犯すことも多くなるのだ。

 神や魂の世界を、冷静に眺め、正確に捉えようとする人が、私はとても少ないような気がする。その世界の真の姿を見極めようとするのではなく、その世界にすがり、癒しを求めようとする人が、圧倒的に多い。むろん、神に癒しを求めたり、先祖の霊をまつって、自分達の暮らしの平安を祈ったりするのは、当然のことである。ただ、心の拠り所をそこに求めるのなら、神や魂の世界がどういうものであるのか、自分の目と心で確認する必要があるのではないだろうか。この世界を正確に理解するのは、とても難しいことだろうと思うが、聖書や仏典をひもとくなどして、自分なりに探求を進めれば、自分の直感力も手伝って、ある程度納得のいく答えがみつかるのではないだろうか。
 大部分の人は、神に祈りを捧げても、つらい現実から自分が解き放たれるわけではないことを知っている。現実面では、神が何もしてくれないことを、知っている。そういう人々にとって、神は人生のほんの脇役に過ぎず、ほんの少しでも心に安らぎを得たいために、神社に参拝しても、本気で神について考えることはほとんどない。厳しい現実を切り開き、生き抜くためには、必死で仕事や勉強に取り組まなければならず、神について考えを巡らす時間などないのだ。
 熱烈に神を信仰する人は、神や魂の世界を知的に理解しようとするのではなく、ただひたすら神を求め、神にすがり、神なしでは生きていられないというほどになってしまう。神のために命を捧げることもある。殉教は美しい行為とされているが、神のために命を犠牲にすることが、本当に美しい行為だろうか。現世で命を投げ出すことで、来世の救いと幸福が約束されるという、自分本位の願望があるのではないだろうか。それは、親が子を救うために身を犠牲にする行為とは、本質的に違う。
 人間は、自分の頭で考え、自分の目でものを見、自分の心で決断を下さなければならない。人は、自立して生きていかなければならない。心が自立していなければ、本当に人を愛することができないからである。
 熱烈な信仰は、ときに、心の自立を妨げることがあるのではないだろうか。神の教えが絶対のものであり、その教えに従うのが正しい生き方であるなら、自分の頭でものを考える必要がなくなってしまう。自分で試行錯誤しながら進むより、神の教えに素直に従って生きるほうが、ずっと楽だ。神は常に正しいのだから、神に従っていれば、自分は間違うことがない。しかし、そういう生き方をしていたら、自分の考えや自分の世界を築き上げることはできない。
 宗教が、他の宗教の神を認めようとしないのも、おかしい。宗教の数だけ、神がいるわけはなく、神はひとつだ。“ひとつの神”に向かって、それぞれの宗教が、民族の文化や歴史を背負い、個性豊かに信仰を続けている。東洋の神は仏の顔を持ち、西洋の神は十字架に象徴されている。ただそれだけのことなのに、なぜ“自分の神”は認めても、“他人の神”は認めないのか、まったくわからない。神はすべてのものを愛し、育むのに、神を扱う宗教が、他を排斥する心の狭さを持っている。この矛盾に、うさんくささやまやかしを感じて、私は宗教を毛嫌いしてしまうのである。

 宗教には、人々の心の拠り所になる、プラスの面と、権力の維持と勢力の拡大という、マイナスの面がある。宗教は信者からの寄付によって、莫大な富を蓄え、政治をも動かす。神という冠を頭に戴いた、野心家の集団のように思えてくる。私が嫌なのは、神という名のもとに、富と権力に執着している点である。富や権力が欲しいのなら、宗教ではなく、事業を起こせばいい。優れた実業家の中には、宗教家よりもはるかに正しく、神というものの本質を理解している人々がいる。神という仮面をつけて、金儲けや権力の拡大に奔走する人々は、最も神から遠い存在である。
 神の名は人を動かしやすく、お金を集めやすい。物を売るのは大変なことだが、宗教グッズなら、信者の数だけ、確実に売れる。奇跡を演出し、人々の心を誘導して、信者の数を増やせば、こんなにおいしい商売はない。
 宗教の教祖は、初めは本当に、奇跡に近いような、霊的な体験をしたのかもしれない。しかし、教祖の霊感と奇跡の事実を、組織の維持と拡大に利用した時点で、奇跡の価値は地に落ちるのだ。

 紘子さんにミカエルが現われて間もない頃、彼女は、あまり大きくない、ある新興宗教の教祖と知り合った。その人は、60歳くらいの、穏やかな女性で、皆から「お母さん」と呼ばれていたが、人の心を柔らかく解きほぐしていくような、温かい雰囲気を身にまとった人だった。その宗教は、二百人くらいの白装束の信者を引き連れて、経を唱えながら山を練り歩くという“行”をおこなっていたが、私はそれに参加するように、ミカエルから言われた。宗教嫌いの私は、身の毛がよだつほど嫌だったが、宗教というものの実体を知る良いチャンスと言われ、しかたなく参加したのだった。
 信者達は列をなし、大きな声で経をとなえながら、山道を登ったり下ったりする。前のグループがとなえた経を、次のグループが引き継いでとなえ、輪唱のような経のハーモニーは大きなうねりとなって、山間に響き渡る。美しい唱和に心をゆだねながら歩いていたら、突然、感動が喉元にこみ上げてきた。歩くことと経をとなえるのにせいいっぱいで、何も考えていなかった。ただ唐突に熱いものが胸にあふれ、涙が滲んだ。
 そのことを、隣にいた顔見知りの信者の人に言うと、
「仏を感じたんですね」
と、優しいまなざしで言われた。そう、神を感じたのかもしれない。しかし、そう言われたとたん、妙に気持ちがしらけてしまった。
 音楽は、感動を呼び起こす。経は一種の音楽である。美しく、ダイナミックな声のハーモニーが湧き起こるように、巧みな演出が施されているのではないかと、私は思った。仏を感じやすいように仕組まれたセレモニーである。

 その晩は、その宗教が所有している宿泊施設に泊まり、翌日、日の出を拝むというスケジュールだった。
 夕飯が終わってから、教祖の次の地位にいる、幹部の男性の講話があった。この山の行に、教祖は加わっていなかった。その男性の話を聞いて、私はこの宗教を、まったく信じられなくなった。彼は、「皆さんは修業が充分でなく、開眼する段階に達していないので、何も考えず、何も判断しなくていい。私が皆さんの代わりに考え、判断してあげます」と言ったのだ。まわりの信者の人たちは、深く感じ入った様子で、講話を聞いていたが、私は心の中で、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ、とつぶやいていた。
 宗教は、神と自分について考え、より良く生きるために、人に内省を勧めるものではないだろうか。皆さんの代わりに私が考える、とは、なんと傲慢な発言だろう。
 
 壁に心霊写真がたくさん貼ってあるので、それに目を奪われていると、まわりの人が、机を片付けたり、布団を敷いたりし始めた。その作業に加わろうとしたが、私は思わず手を止め、信者の人々の表情に見入ってしまった。信者さん達は、皆一様に、とても真剣な顔で、片付けものや布団敷きに取り組んでいたからだ。まるで何かにせきたてられるように、というか、こうした雑用にも、自分は真心をこめて取り組んでいるのだということを、幹部の人に見てもらいたいとでもいわんばかりに、皆、すごい勢いで立ち働いていた。それは異様な光景だった。
 うろうろしながら、これは変だ、これはおかしいと、心の中で繰り返した。この宗教は、信者の心を骨抜きにし、まるでロボットのようにしてしまっていると思った。この比喩を持ち出したら、袋叩きにあいそうだが、信者の人々の姿には、北朝鮮やナチスドイツの、非人間的なほどに統制された軍事パレードに、どこか通じるものがあった。
 教祖の女性は、お母さんと慕われているほどで、素晴らしい人なのに、その下に構築された宗教組織は、どうしてこんなにも歪んだものになってしまうのだろう。すべての宗教がこうではないだろうが、宗教というものには、人の心をがんじがらめに縛りつけ、個性や自由意思を奪ってしまう要素があるのかもしれない。神を恐れ、敬う気持ちが、組織の幹部の人々を絶対視する意識にすりかわり、いつのまにか心の自由をなくしてしまうのかもしれない。
 
 翌朝、皆で日の出を拝む予定だったが、あいにく空は曇っており、太陽は見えなかった。最前列で、くだんの幹部の男性と数人の高位の信者さんが、太陽が顔を出すようにと、力を込めて、激しい祈祷を続けていた。人間の思いは、心の力は、天候を変えられると、ミカエルから聞いたことがある。亡くなった紘子さんのご主人も、魂となってから、ある日紘子さんの心の中に現われて、“生命の力”を信じれば、人間は天気を変えることができると言ったそうだ。
 だから、祈祷で雲を散らすことは可能かもしれない。しかし、この人達にはたぶんできないと、列の後ろで、私は彼らの拝む姿を冷ややかに眺めていた。彼らの心の回路は、天に向かってのびてはいないからだ。そして、汗だくの祈祷もむなしく、厚い雲が切れることはなかった。



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      心の弱さ


 神や魂の世界には、心の弱さがつきまといやすい。
 神にすがり、盲目的に神を信じるのは、前向きの生きかたではない。キリストは、「神よ、神よ、と神に祈ってばかりいるのはよくない」というような意味のことを、言っている。
 “天は、みずからを助くるものを助く”という言葉が、聖書の中にある。自分の力で道を切り開こうとしているときに、神は手を貸してくれる、という意味である。最大限の努力をしているときに、天の啓示があったり、運が開けたりするのだ。
 「自分を信じれば、山を動かすこともできる」という言葉も、聖書の中にある。人間には、大きな潜在能力があり、不可能と思えることも、自分を信じて能力を発揮すれば、可能になるという意味である。人間はふだん、自分の脳の力の、ほんの数パーセントしか使っていないらしい。自分の脳をフル回転させ、百パーセントの力を出したら、夢は現実のものになるかもしれない。
 キリストが口を酸っぱくして、「自分の力で進め、自分を信じろ」と言っているのに、どうして人間は、自分を信じないで、神を頼るのだろう。キリストは、「神を頼っても無駄だ」というような意味のことも言っている。努力をしないで神に祈っても、奇跡は起こらないということだ。新約聖書をよく読むと、キリストの言っていることは、とても現実的である。
 あの世のキリストは、教会に押しかける人々を見て、神に祈る前に、自分で問題に立ち向かえ、と言いたいときがあるかもしれない。ましてや、十字架を抱いて殉教する人々には、「私のために命を捨てるな」と、必死で語りかけたいかもしれない。キリスト教の旗をかかげて戦争を起こす人間を見て、胸が張り裂けそうになっているかもしれない。

 神と魂の世界は、現実逃避の場ともなりやすい。仕事で挫折したり、職場で孤立したり、人間関係の問題に巻き込まれたりして、途方にくれているとき、霊的な精神世界に関する本を読み、勇気づけられることがある。元気をもらって、目の前の問題に取り組めばいいのだが、いつのまにか精神世界の魅力に とりつかれ、苦しい現実に背を向けて、魂の世界の探求に耽るようになる。
 精神世界についてのさまざまな知識を得、霊感を高めるために瞑想をしたり、超能力に憧れたりする。しだいに魂の世界に詳しくなり、直感が当たることが多くなったりすると、自分は現実の仕事の面ではたいしたことがないが、精神世界に関しては、かなりのレベルに達しているといった、優越感を抱くようになる。超能力者になって、世界を飛び回りたいと、ある女性は言っていたが、現実の生活を改善する努力はまったくせず、自分の殻に閉じこもって、幻想に浸ってしまうのである。
 今、この地上に生を享けているのは、物質の世界である地球での人生をおくる必要があるからだ。さまざまな困難を切り抜け、乗り越えで、生きる喜びと充実感を味わうために、生まれているのだ。それなのに、現実の人生に目をそむけて、魂の世界にのめり込むのは、見当違いの生き方である。
 霊的な精神世界に関する本に書かれてあることが、すべて真実であるという保証はない。生まれる前はその世界にみんないたのだから、本当は魂の世界のことは皆知っているのだが、物質の世界に生まれ出たとたんに、魂の世界の記憶は消えてしまう。精神世界に関する本の内容は、紘子さんのようなチャネラーが、自分についている霊から教えられたことが、その基本になっているようだが、書き手の想像が加わっていたり、人から人へと語り継がれる間に、話に尾ひれがついたりすることもあるだろう。真実であるかどうかわからないものを、鵜呑みにするわけにはいかないのに、魂の世界を信じる人々は、本の内容にあまり疑いを持たないようだ。

 精神世界に関する本には、ソウルメイト、ツインソウルという言葉がよく出てくる。ソウルメイトは、魂の友達。真の友情や愛情を通わせる、強い絆で結ばれた魂のことを言う。ツインソウルは、双子の魂で、もとはひとつであった魂が、ふたつに分かれたものだ。すべてのものを共有し、分かち合う、ソウルメイトよりいっそう緊密な絆で結ばれた魂同士のことを言う。ソウルメイトやツインソウルが、魂の世界に本当に存在するのかどうか、私はわからない。ミカエルは、そういう魂があることを教えてはくれなかった。
 恋をすると、ソウルメイト、ツインソウルというものがあると思いたくなる。自分と相手とは、この世に生まれる前、ソウルメイトだったかもしれないと思うと、現世での絆がとてもしっかりしたものに感じられ、この恋は必ず成就するという確信に浸れる。ツインソウルなら、もともと二人はひとつなのだから、離れ離れになることは絶対にない。
 赤く太い糸で、しっかりと結ばれた私達……。しかし、愛の絆を保ち、深めていく道のりは、楽しく、幸せなものとは限らない。苦労の多い日々だってあるだろう。ソウルメイトであっても、相手が浮気をしないとは限らない。ソウルメイトという言葉にうっとりした頃の自分を振り返り、この人は“魂の友達”ではなかったと、深く後悔するかもしれない。

 話は少しそれるが、運命の赤い糸は、前世からの絆で、前世で二人のあいだに何らかの問題があったから、それを解決するために、現世でも出会うのである。問題があったということは、あまり幸せではなかったということで、二人の間のカルマを解消するには、ひょっとしたら、とても苦しい思いをしなければならないかもしれない。赤い糸で結ばれていないほうが、平和で楽しいつきあいができるかもしれないのである。それに、赤い糸で結ばれている相手が、必ずしも異性であるとは限らない。兄弟姉妹かもしれないし、幼い頃からつきあっている親友かもしれない。
「自分達は、ソウルメイトだ」「私と彼は、赤い糸で結ばれている」と思いたい気持ちは、よくわかる。この恋は絶対に実るという確信を得て、心の中に渦巻く不安から逃れたいのである。
 
 現実はなかなか思い通りになってくれず、自分の行く末もわからない。人生とは、暗闇を手探りで進むようなものだ。闇を照らす明かりが欲しい、大筋でいいから、自分の未来を知りたい……。人間の、そういう切実な思いが、占いを生み出した。不安に耐え切れない人間の、弱い心の“落とし子”である。
 私の占いの先生でもあったNさんは、占星術をひとつの精神文化と捉えて研究したが、占いそのものは、まるで信じていなかった。私も、Nさんと出会ったために占いの仕事を始めたが、本気で占いを信じることができなかった。西洋占星術には多くの理論と解釈があるが、そのどれもが、心の底から納得できるものではなかったからだ。
 占いを信じていない人々は、人間に未来がわかるはずがないと思っているのだろう。そして、西洋占星術でも、東洋占星術でも、その他の占いでも、その占法で、確実に未来を言い当てることはできない。
 占星術は、天体の運行をもとに占いをするが、その方法は、机の上で理論の遊びをしているようで、現実から乖離している感がある。星と星がある角度を作ると、このようなことが起きると、占星術の教科書には書いてあるが、天体の動きが、なぜ出来事を引き起こすのか、なぜ人の心に影響を及ぼすのか、その根拠や因果関係について、きちんと説明している書物は、一冊もない。これでは占いを信じない人が大勢いるのも当然だ。

 占いの理論より、霊感、霊能のほうが、人の心や未来の出来事を、確かに読み取れる。人間は両の目の他に、第三の目、霊感の目を持っており、この第三の目を鍛えれば、見えないものが見えるようになり、ある程度の未来予知が可能になる。ただし霊感、霊能も、常に正しいとは言えない。自分の想像や思い込みが混じれば、感じ取る力は鈍ってしまうし、疲労やストレスがたまっていれば、霊感は思うように働いてくれないだろう。あるときは当たるけれども、あるときははずれる。これでは信用されなくても仕方がない。
 もし占いが、百パーセント当たる理論を持ち、霊能者が常に確実に未来予知を行なっていたら、この地上のすべての人が占い師と霊能者のもとへ行くだろう。
「俺は自分の直感は信じるけれど、占い師や霊能者の言うことは信じない」
と言い放った私の友人は、この言葉のあとに、
「もし、絶対確実な力を持った霊能者がいたら、その人に自分のことを見てもらいたいけど……」
と、小さな声でつけ加えた。
 みんな、不安なのだ。人生という暗夜行路に、先を照らす明かりが欲しいのだ。
 キリストは「自分を信じろ」と繰り返す。暗い道を照らす明かりは、自分の心の中にあるからだろう。直感を、心の声を信じて進めば、道を踏み外すことはなく、無事に目的地にたどりつける。
 しかし、それでも、人間は誰かを頼りたいのである。占い師でも、霊能者でも、神でも……。



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     ミカエルとともに


「私の存在を、たやすく信じないでください」
 ミカエルは現われた当初、私達に向かってこう言った。
「疑って、疑って、疑って、そして、信じてください」
 自動書記の斜体の文字で書かれた言葉を、私はじっとみつめた。疑えと言われたことが、意外だった。とことん疑った末に信じるとは、どういうことか、考えた。
 ミカエルは私達に、地に足のついた冷静さを保ってほしかったのだと思う。疑うということは、自分の頭で考え、判断しようとすることだ。真偽のほどを、時間をかけて見きわめようとすれば、しだいに相手の正体が見えてくるだろう。信じられなかったら、離れればいいし、信じられると確信したら、深い信頼が生まれる。
 ちなみに、ミカエルが現われる張本人の紘子さんは、ミカエルの存在に最も懐疑的だった。それが本当に大天使なのか、天使を騙る悪魔なのか、あるいは自分が作り出した幻なのか、紘子さんは長い間、迷いと不安の中にいたようだ。
 
 ミカエルは、私達が、大天使が現われたことに感動し、聖なるものに触れる喜びに震え、深い信仰心を持つといった状態になることを避けたかったのだと思う。宗教的感情に走って、理性で判断せずに、ミカエルを受け入れてしまうことを、食い止めようとしたのだと思う。
 私達がミカエルをあがめてしまったら、ミカエルが語る内容は、正確に私達の心の中に入ってこない。その言葉を護符のように大切にするかもしれないが、神聖視するあまり、その意味をきちんと受け止めていなかったり、ミカエルの言葉に従おうとして、自分を規制しすぎたりするかもしれない。
 ミカエルが語ることに、疑問を感じたり、納得できなかったりしても、おいそれと質問したり、反論したりできないだろう。腑に落ちない点があっても、大天使の言うことに間違いはないのだと思い、黙って引き下がってしまう。理解できない自分が悪いのだと反省し、“いい人間”になり、自分の魂のレベルが上がれば、大天使の言葉の真の意味がわかるのだ、などと思うだろう。
 自由な心で、ミカエルの語ることをひとつひとつ吟味し、消化して、自分のものにしていかなければ、ミカエルの言葉に耳を傾ける意味がない。そうしなければ、ミカエルが語ることを、私達以外の、多くの人々に伝えることができない。
 ミカエルは、環境破壊や社会の混乱、人心の荒廃など、危機に直面している人類が、自らの力でより良い方向へ進めるように、助言をするために現われたのだ。

「私の言葉を、多くの人々に伝えなさい」
と、ミカエルは言った。そのためには、紘子さんやヒデや私が、宗教的感情に振り回されてはならないのである。
 ミカエルは、自分の登場によって、どのような宗教も、組織も、作ってはならないとも言った。組織を作れば、紘子さんを頂点とした、上意下達の機構と、権力意識が生まれる。紘子さんとヒデに、権力への執着はなくても、彼らを取り巻く人々の中に、権力への憧れが生じるだろう。
「宗教を作ったら、きっと儲かるのにね」
私達は時折、冗談を言い合った。大天使ミカエルが降臨し、自動書記で天使の言葉が、よどみなく語られるのである。ミカエル教を作るのは、たやすいこと。本は飛ぶように売れるし、和代が作ったやきものの壷だって、何十万とい値段で買われていくわ。紘子さんはそう言って、大笑いした。
 むろん私達は、宗教を立ち上げる気は毛頭なかった。組織が拡大し、大金がころがりこむ頃には、大天使ミカエルは紘子さんを離れ、ヒデと紘子さんの霊感も、急速に衰えていくだろう。わずか数年の繁栄ののち、ミカエル教はすたれ、人々から忘れられるのだ。泡のように湧いては消える、多くの新興宗教と同じ末路を辿るのが関の山である。

 話は少しそれるが、誰かを仰ぎ見たり、あがめたりするのは、人間の社会でのみ行なわれていることで、ミカエル達がいる精神世界では、誰が上で、誰が下という、上下の観念は存在しないということを、長年、ミカエルに接していて感じた。ミカエルも、私達の世界には、人間社会にあるような階級、順位、といったものは存在しないと言った。すべてのものが、等しく価値を持ち、並列している世界なのだろう。
 人間社会が、ボスを頂点とした縦系列の秩序を作り上げたのは、集団で生きていくためには、そのほうが都合がいいからかもしれない。けれども、その縦系列の秩序に、常に息苦しさを感じるのは、人間が本質的に平等な存在だからだ。スマップの『世界に一つだけの花』の歌詞のように、他と比較して優劣をつけることなどせず、それぞれが、自分の価値を大切にし、互いの価値を認め合って、生きていくことが、人間の本質に最も沿った生き方だ。

 私がミカエルに接したのは、正確に言えば、ほぼ十年ほどである。最初の五、六年が、交流が濃密で、私は毎週のように、東中野の紘子さんの家に行き、ミカエルは夜遅くまでさまざまなことを語った。自動書記で語られることもあれば、「今、ミカエルがこう言ってる」と前置きして、紘子さんが私に対するミカエルの言葉を、伝えてくれることもあった。私の前世の姿を、絵に描いてくれたこともあった。
 絵と言えば、ミカエルではなく、リムという名の妖精が出てきて、いたずら書きのような絵を描いたこともある。それは魚の絵だったが、幼稚園児が描くような絵で、しかもよく見ると人間の子供の絵とは違った、ある種のうまさが線の中にひそんでおり、なんとも可愛らしい、魅力を持った絵だった。私はそれをもらい、今でも大切に引き出しの奥にしまってある。たまに取り出して見るのだが、一筆描きのような簡単な絵に、枯れない泉のごとく、人を惹きつけるものが、湧き出ているのである。
 ミカエルが語ることは、多岐にわたった。宇宙と神について、魂について、輪廻転生とカルマについて、キリストやブッダやモーセについて……。ミカエルから教わった知識の大部分は、このエッセイの前半部分に、すでに書いた。

 ミカエルは、神や魂についての知識を授けてくれただけではない。私という人間の、本質の部分に踏み込み、おかしいところを指摘し、欠点を明らかにし、どうすればより良い生き方ができるのかを語った。自分の内面に踏み込まれるのは、心地良いものではない。ミカエルは、触れてほしくない部分にも触れ、はっきりとは自覚していない、私の心の問題にもメスを入れた。私は、心の切開手術を受けているようなものだった。
 そのようなことに、どうして私は耐えられたのだろうと、今でも不思議に思う。どうして私は、逃げ出さなかったのだろう。あまりに鋭く自分のマイナス面を指摘されるので、自分がとても出来の悪い人間に思え、眠れない夜を過ごしたことも少なくない。劣等感に打ちひしがれ、家に戻ってから大泣きしたことも何度かある。そんなふうに気持ちがボロボロになっても、翌週か翌々週には、約束した日に、私は当然のごとく紘子さんの家に行った。もうやめようという考えが湧いたことは、なぜか一度もないのである。
 ミカエルについていくことが、自分にとって大きなプラスになるという思いはあった。しかし、それだけではなく、ミカエルが現われ、次々に不思議なことが起こり、神と心霊の世界に巻き込まれて、私はその流れに逆らう心のゆとりすら、なくしていたのかもしれない。急流に流される小舟に乗って、舵を取ることもできずにまごまごしているような状態だったのかもしれない。
 欠点をあからさまに言われるのは、とてもつらい。うつむいて黙り込んでいると、「そうやって貝のように口を閉ざしてしまうのが、和代の欠点だ」と、追い討ちをかけるようにまた言われる。

 だってしかたがないじゃない、頭の中の整理がつかないから、黙っているんじゃないの。心の中で反発したが、人のマイナス面を指摘しながら、助言を行なっているときのミカエルは、とてもこわいので、面と向かって反論することなど到底できなかった。



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     右脳と左脳


 ミカエルの言葉は、意味が深く、その場で理解できないものも多かった。何を言わんとしているのか、今ひとつつかめないまま、言葉は頭の片隅にとどまり、消化不良のもやもやした気分が、いつまでも続いた。
「頭で考えるな」と、その頃私は、ミカエルからよく言われた。わからないことを、いつまでもしつこく、こねくりまわすように考える癖が、私にあったからかもしれない。考えれば考えるほど、迷路に踏み込んだようになり、わけがわからなくなることが多かった。
 脳には右脳と左脳があり、右脳は感性を、左脳は論理的思考をつかさどる。左脳での思考に頼りすぎるなと、ミカエルは言ったのである。物事の本質を見抜き、大きく全体を把握するのは右脳で、細かい分析や論理の組み立てをするのが、左脳だということも教わった。右脳は物事の全貌を見、大筋の方針を決める司令官のようなもので、左脳は右脳の判断に従って、具体的な作業を進める兵隊のようなものだろう。
 左脳は、物事の部分に目がいきやすく、細かい点にこだわりやすいために、全体像がわからなくなりがちだ。一本の木については理解を深められるけれども、その木が含まれる森が、どんな様子なのか、なかなかつかむことができない。その頃の私は、何でも理屈でとらえようとする傾向が強く、細かい部分まで、手を抜かずに考えようとするため、大きく物事を把握するのが苦手だった。
 家を建てることにたとえれば、全体のイメージやおおざっぱな間取りが決まっていないのに、ドアや窓や家具にひたすらこだわっているようなものである。私のそういうアンバランスを正そうとして、ミカエルは「頭で考えるな」と言ったのだ。

「頭を働かせず、ただボーっと、あらゆることを見ていなさい」
と、ミカエルは私達に言った。「馬鹿になりなさい」とも言った。
 考えてはいけないが、“見ること”は大切で、できるだけ視野を広げるようにと言われた。テレビのニュース番組、ワイドショー、旅番組、ドキュメンタリー、またお笑い番組でも、ドラマでも、いちいち判断したり、結論づけたりせず、ただただ眺める。新聞や雑誌にも、ざっとでいいから目を通す。世の中に、どういうことが起きているのか、人々はそれについて、どんなふうに反応するのか、なるべく好奇心をもって、さまざまなことを見る。それを繰り返していると、そのうち、一見ばらばらな出来事が、関連性を持っていることに気がついたり、物事の大きな流れが見えてきたりする。自分の判断や解釈が、考えるのではなく、自然に心の中に湧いてくる。そういうことを習慣にしなさいと、ミカエルは言った。
 わからないことは、無理にわかろうとせず、そのまま放っておけとも言われた。知識や情報を集めても、完全な理解が得られなかったら、保留にしておく。理解できないのは、私の経験が不足しているせいかもしれないし、肝心な知識や情報を、私が見出せないでいるからかもしれない。いつか必ず、ジグソーパズルの最後のピースが嵌まって、絵がくっきりと浮かび上がるように、自然に理解するときがやってくる。
 
 当時の私は、放っておく、保留にする、ということが苦手だった。もやもやしたものを心の片隅に残しておくのが嫌で、今、理解し、今、白黒の結論をつけたいという気分が強かった。そういう私に対して、ミカエルは、中途半端な知識を土台にして、人や物事をわかろうとしたり、判断したりするのは危険だと言った。
 “物事を理解する”というのは、言葉や論理によってではなく、本当は、感覚でつかみ取ることなのではないだろうか。「あっ、わかった!」と思うとき、心が確かなものをつかんでいる。心が、今、つかんでいるものを、左脳が四苦八苦しながら、言葉で表現しようとする。“生半可な理解”とは、心が何もつかんでいないのに、左脳がむりやり言葉をつなぎ合わせ、“わかったような気になる”ということではないだろうか。

 ミカエルは、右脳の働きを活発にするという目的で、私達に速読術を勧めた。速読の達人は、一分間に数ページというスピードで、本を読む。読むというより、文字を眺めると言ったほうがいいような読み方だが、内容はきちんと頭に入っている。斜め読みや、読み飛ばしはせず、目は一応、すべての文字を追っている。
 ふつう私達は、たとえば“朝”という文字を見たら、無意識のうちに、頭の中で「ア・サ」と言っている。『朝ごはんを食べた』という文を読んでいるとき、頭の中で「ア・サ・ゴ・ハ・ン・ヲ・タ・ベ・タ」と言っている。速読では、この“頭の中で言う”ことを省略する。一文字一文字、“言わずに”眺めて、どんどん目を次の文字へ動かしていく。見た文字を“頭の中で言う”から、読むのが遅くなる。“言わずに”字を目で追っていくと、読むスピードは自然に速くなる。

 初めのうちは、文字を“言わずに”目で追うことに神経を使うあまり、内容がさっぱり頭に入ってこないが、慣れてくると、書かれてあることが心に流れ込んでくるようになる。
 私は速読の練習を、あまり熱心にやらなかったので、マスターしてはいないのだが、それでも以前に比べると、格段に本を読むのが速くなった。
 以前の私は、文章をていねいに読もうとするあまり、言葉のひとつひとつにこだわり、引っ掛かり、理解できない個所を読み飛ばしてしまうことができなかった。前後の文章を何度も読み直して、考え込んだりしていた。右脳よりも左脳を多く働かせた読み方をしていた。
 本を読むスピードが上がってからは、わからない個所はそのままやり過ごし、興味を引かれる部分では、感覚が刺激され、心の中に、映像のように繰り広げられる世界に、ただ酔い痴れるだけになった。理解しよう、解釈しよう、あるいは知識を得ようという意識は薄れ、楽しむだけの読書をするようになった。
 私があまりに早く本を読み終えてしまうので、勉強家である私の叔母は、
「そんなに早く読んじゃったら、何が書いてあるか、頭に残らないんじゃないの」
と、からかったが、案外しっかりと、内容は心に残っているものである。特に、気分を高揚させて読んだ内容は、深く記憶に刻まれているようである。
 そういう読み方をするようになってから、ある日ふと、これは自分が子供の頃にしていた本の読み方だということに気がついた。小学校の頃、私は本の虫だった。母が読書家だったせいもあって、家の本棚には児童文学の本がぎっしり並んでいたし、それでは足りず、学校の図書室にある本を、手当たりしだい、読みあさった。
 勉強とピアノの練習の合間に、それだけの本を読んでいたのだから、私の読むスピードは、けっこう速かったのだろう。その頃は、読書のスピードなどということには、まったく意識が及ばず、私はただ、少年少女の冒険物語や、魔法をかけられたお姫様の不思議な人生に、胸をときめかせたり、お話の中に出てくるきらびやかな宮殿や、豪華なドレスや宝石に、ため息をついていただけだ。
 言葉を覚えて、文章力を向上させようなどという気はさらさらなかったのだが、本を読みあさっているうちに、いつのまにか作文が得意になった。中学のとき、作文コンクールで優勝したこともある。
 楽しみながら、わくわくしながら、視野を広げ、能力をのばす。右脳の働きを大切にするとは、そういうことである。
 
 ミカエルが私達に語った言葉の中に、「~せねばならない、はやめなさい」
というのがある。仕事をしなければならない、勉強しなければならない、と、強制的に自分を何かに向かわせたり、自分を規制したりする生きかたは、息苦しいだけでなく、自分が持っている能力が、充分に発揮されない。自分の中に眠っている潜在能力も含めて、力を十二分に活用するには、喜びや楽しさを感じることが重要なポイントだと、ミカエルは言う。物事に向かうときの、心の持ち方が、“しなければならない”ではなく、“やりたい、やってみたい”であるとき、人間は自分の能力をどんどん伸ばすことができるのだ。
 ということは、やりたくないことを、嫌々ながらやっているときは、自分の能力はまったく発揮されず、自分の力を伸ばすどころか、貴重な時間を無駄に費やしていることになる。人生という限られた時間を、最大限有効に使うには、“やりたいことをやる”のが肝心で、“やりたくないこと”は極力やらないようにするのがよいのだ。
 やりたいことをやり、やりたくないことはやらない、というのは、わがままで自己中心的な生きかたのようにも思える。嫌なことにも我慢して取り組み、義務と責任をまっとうするのが、自分を磨くことであり、正しい生きかただと、多くの人が思っている。「~せねばならない」と自分を奮い立たせ、困難に立ち向かうことは、尊敬に価する行為である。
 ミカエルは、わがままになれと言っているのではない。やりたいことを貫くためには、やりたくないことをやらなければならない場合もある。夢を実現させるために、苦手な仕事に取り組まなければならなかったら、覚悟してやらなければならない。嫌だからと言って、その仕事から逃げようとしたら、ミカエルはそれこそ雷を落とすだろう。嫌だから逃げ腰になるのではなく、その苦手な仕事にも、楽しんで挑戦しろ、とミカエルは言うのである。

 初めは嫌でも、その仕事から何かを得られるかもしれない、という前向きの気持ちがあれば、必ず収穫がある。能力がつちかわれ、不得手なことを克服できるかもしれない。苦手なものが苦手でなくなったときの喜びは大きい。どうしてもその仕事が性に合わないときは、夢を諦めるのではなく、夢に至る別の道筋を探せばいい。柔軟に考えれば、道が幾筋かあるはずだ。どんな道が自分に最も合っているのか、それを探すのは、“自分探し”をすることでもある。
 ミカエルから習った、西洋占星術の星座の性格と資質を使って、占いをしていると、ほとんどの人が、自分が興味を持っていたり、好きだったりする分野が、自分の適性能力がある分野であることがわかる。美術が好きな人は、美術の才能を持って生まれており、ビジネスに興味がある人は、もともと商才をそなえているのである。つまり“やりたいこと”をやろうとすれば、能力が花開くように、人間は出来ているのである。
 大切なのは、人生で自分が何をやりたいかであり、その見きわめがつかないまま、やりたくないことを無理にやり続けることは、繰り返して言うが、悲惨な時間のロスである。
 
 右脳と左脳は、車の両輪であると、ミカエルは言った。右脳は、ひらめきや直感力、洞察力、理解力、創造性など、素晴らしい能力をつかさどるが、左脳の現実処理能力があってこそ、右脳の働きによって生み出されたものが、仕事などの人生の現実面に活用できるのである。左脳の論理性がなければ、自分が発見したり創造したりしたものを、人に伝え、理解してもらうことができない。
 仕事を的確に、効率よく進めるには、左脳の計画性が不可欠だ。右と左の脳を、バランスよく使いこなすことが大切ですと、ミカエルは言った。



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      バランス


 神や魂の世界と、日常の現実の世界、このふたつの世界のどちらにも傾かず、等分に気持ちを置いて、生きていくことが大切だと、ミカエルは言った。
 現実の人生に背を向け、神にすがり、宗教にのめりこむのも、神や魂の存在を否定し、物やお金や権力に執着するのも、どちらも良い生きかたとは言えない。
 現実の問題から逃げ、守護霊や前世からのカルマや、ソウルメイトといったことに思いを馳せてばかりいる人のことを、私達は陰で「あの世おばけ」と言っていた。亡くなった人が、この世の暮らしに執着するあまり、成仏できないで幽霊になるのと、ちょうど反対で、あの世にいる魂たちにとってみれば、この世で人生を送っているにもかかわらず、あの世に強い執着を持ち、あの世のことばかり考えている人の念は、異次元から迷い出た“おばけ”のように見えるだろうという悪口である。
 いっぽうで、神や魂の存在を、絶対に認めない人々がいる。無神論者を自称する人は、数が多いと思うのだが、神や魂の存在を認めたくない気持ちの中には、知的プライドへのこだわりが、根強くあるのではないかと思う。神や霊魂という“根拠のないもの”を、自分は鵜呑みにするわけにはいかない、というプライドだ。かつての私がそうだった。
 
 神や霊の存在を信じるのは、迷信深い、知性に欠けることだと、私は強く思い込んでいた。だから、大天使が現われ、神や魂について語り始めたときは、本当に困った。そういう話題に引きずり込まれるのは御免だった。
「和代は、お父さんの魂も見ているし、エジプトでの自分の前世も、感じたんじゃないの。それなのにどうして魂の話を嫌がるの?」
 紘子さんはそう言って笑った。たしかに私はとても矛盾していたのだが、自分が体験したことと、神様や霊魂の話をすることとは、私にとっては、まったく別の次元のことだったのだ。
「和代はいずれ、魂の意識の扉を開いて、霊能者になる」と、いつだったか紘子さんに言われたことがある。霊能者はインチキで不気味な人と決めつけていた私は、鳥肌が立ち、気が遠くなりそうだった。そんなものには“絶対になるまい!!”と、固く心に誓ったものである。
 私が頑なに神の話題を拒絶するので、紘子さんは一計を案じ、“神”という言葉を“宇宙”という言葉に置き換え、“神様の話をする”のではなく、“宇宙について、哲学的に論じる”ことにした。
「そしたら和代は、素直に神の話を聞くようになったのよ」
 後に紘子さんは、そう語った。よく覚えていないのだが、私が神の話を受け入れるようになったきっかけは、こういうことなのかもしれない。紘子さんは、私が“言葉の持つイメージにとらわれているだけ”なのだと悟ったという。
 神の存在は認めないが、精神的な宇宙論には興味がある、という人は、少なくないと思う。人間の存在と、人生の意味について、哲学的に考えをめぐらせることと、神や魂について考えることは、薄皮一枚で隔てられている、ほとんど同じ世界について考えることのように思える。
 
 神と人間の関係は、本当は単純明快である。神に対して知性にこだわったアプローチをする人と、狂信的だったり迷信深かったりする人がいて、実際はシンプルなことを、複雑怪奇にしてしまっているように思う。これも、人間のバランスの悪さの表れだ。
 ミカエルの助言は、いつも現実的である。目の前の問題に、まっすぐに立ち向かえと、ミカエルは言う。問題に取り組み、ハードルを越えようと頑張っているときに、心はいろいろな、大切なものを見出すからだ。それは、愛や生きる喜びや生命を輝かせることであり、その後の人生の、心の糧となるものだ。それがつまり、“神を発見する”ということだ。
 宗教や神学の本を読むより、あるいはお経を唱えるより、現実の人生に率直に立ち向かうほうが、神を発見しやすく、神に触れやすいと、私は思う。
 ことさら神を意識しなくても、仮に神の存在を否定していたとしても、現実にしっかり向き合い、自分を大切にするとともに、まわりの人に思いやりを持ち、真摯に生きていれば、それがミカエルの言う、神や魂の世界と現実の世界とのバランスをとった生き方だと、私は思う。神、魂、という言葉を念頭に置かなくても、真剣に人を愛したり、仕事に立ち向かったりしているときは、魂の力が発揮されている。夢の中で、そうとは気づかずに、“神のお告げ”を聞いているかもしれない。あの世のものの助言を、自然に心の中に湧いた、自分の考えと思ったっていいのだ。自分を守護してくれている霊は、「私の助言を、この人は自分で考えたことだと思い込み、私が力を貸していることに感謝しない」などと、腹を立てたりはしない。
 ミカエルは、自分を信じ、人を愛し、懸命に人生を生きていれば、別段、神を信じなくてもいい、と言った。私やヒデに神の話をするのは、霊的な世界が実際に存在するからで、人間というものを、その成り立ちや生きる意味を、きちんと理解するためには、神や魂の世界の話をする必要があるからだと言った。
 大切なのは、自分の人生をより良く生き抜くことであって、神や精霊の存在を認めることではない。
 
 このエッセイをお読みいただいている方々に、私は大天使ミカエルの存在を信じてもらいたいとは思っていない。当事者である紘子さんや私が、その存在を認めるのに、ずいぶん時間がかかったのである。天使の存在など、他人が書いた文章を読んだくらいで、そう簡単に認められるものではないだろう。
 大切なのは、ミカエルが言い、キリストが言った、「自分を信じ、自分の力で進め」ということである。本当に真剣にそれをしたとき、天は扉を開いてくれるのだ。



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第37章



  

    プライドとコンプレックス


 もしかしたら、このふたつが、人間の心にとっての、癌細胞のようなものかもしれない。
 プライドの裏側にあるコンプレックス、コンプレックスの裏側にあるプライド。背中合わせに貼りついた、このふたつの意識を、ミカエルは「捨てなさい」と言った。
 プライドとコンプレックスについて書く前に、プライドと“誇り”について、少し考えてみたいと思う。プライドと誇りは、似ているようでいて、意味合いが微妙に違うような気がする。
 プライドという言葉には、他人を意識するニュアンスがある。彼はプライドが高い、彼女のプライドは傷ついた、などと言うが、プライドが高い人は、自分を常に上位のランクに格付けしておきたいと思っている。自分と他人を比べ、優劣の判別をする意識が強い。だから、人から馬鹿にされないように気をつけ、小さな失敗にもクヨクヨこだわることが少なくない。
 誇りという言葉には、他人と自分を比べる意識、優劣を気にする意識は、含まれないような気がする。人が自分をどう見ようが、自分を愛し、自分の仕事や生活を大切にし、他人に向かって堂々と自分を表現しようとするのが、誇りを持った生き方である。自分が人より上のランクにいたとしても、自分の行い、行動、生き方に、自分が納得していなければ、誇りを持つことができない。たとえ社会的には低い位置にいても、自分の生き方に自分でうなづけていれば、充分に誇りを持つことができる。

 “プライド”は、意識が他人に向かい、“誇り”は、意識が自分に向かう。他人の目を気にする生き方は、弱々しいが、自分にしっかり向き合おうとする生き方は、たくましい。こう考えると、“プライド”と“誇り”という言葉は、似ているけれども意味が大きく異なるもの、ということになる。
 ミカエルが、プライドとコンプレックスを捨てなさいと言うのは、それらの意識が、他人と自分を比較することから生まれ、比較することで、自分の心が損なわれるからだ。

 みなさん、よくご存知の仏教用語に、『天上天下唯我独尊』という言葉がある。ある日、ミカエルは、この言葉の意味を説明してくれた。この言葉は、自分がいちばん偉いと思っている、ひとりよがりの愚か者を指す言葉のように思われているが、それは間違った解釈だとミカエルは言う。よく考えれば、お釈迦様が、「俺はいちばん偉いんだ~」などと言うはずはない。
 “天上天下”つまりこの宇宙に、“唯我独尊”我はただひとり、誰とも似ず、誰とも同じではない、たったひとつのかけがえのない存在、そのかけがえのない自分を尊ぶ。これが、ブッダが語った内容である。
 スマップの『世界にひとつだけの花』は、この、ブッダが語ったことと同じ内容を、楽しく、かわいく、歌い上げている。たくさん並んだバケツの中で、花たちは、他と自分を比べて、誰がいちばんきれいかなどと競ったりせず、自分の魅力をせいいっぱい発揮して、誇らしげに咲いている。大きな花も、小さな花も、それぞれ種が違うのだから、比べることなんかできない。ひとつひとつが、とても価値のある存在。この世界に、この宇宙に生きる、かけがえのない“オンリーワン”。
 この歌を初めて聞いたとき、私は涙が止まらなかった。今でも、たまにこの歌詞をじっくり味わうことがあると、目がうるうるしてきてしまう。
 それぞれ、まったく違うのだから、比べることができない。この宇宙にふたつとない、とても貴重な存在なのだから、そういう自分に誇りを持ち、せいいっぱい生きよう。
 これが人間の本質である。けれども人間は、人間の価値に優劣をつけ、順位を設けて、格差社会を作り上げている。

 私達は子供の頃から、学力をテストされ、能力に点数をつけられる。成績が上がったの下がったのといって、一喜一憂し、本人にも増して親は、子供につけられる点数が、少しでも伸びるよう、我が子ができるだけ上位のランクに行けるよう、やっきになる。
 勉強しなければ、良い学校に入れず、大学に行かなければ、良い就職口はないので、熾烈な受験競争にあえぎながらも、みんな必死になって、点数を取るための勉強に明け暮れる。私は音楽学校にいたので、机に向かうかわりに、ピアノに向かっていたが、人間は、芸術という、一律に評価しがたい、摩訶不思議なものにさえ、“点数”をつける。
 社会に出れば、さらに厳しい競争に巻き込まれる。ノルマを課せられ、実績を評価され、失敗すれば、仕事からはずされる。“点数”と“評価”は、年をとって仕事から解放されるまで、人生に深くつきまとう。

 私達は、こういう社会しか知らないので、人間がA・B・C・D……と、能力のランクによって分けられることに、何の疑問も抱かない。この世には、頭のいいヤツと悪いヤツ、仕事が出来るヤツと出来ないヤツがいる。自分は所詮、この程度、どうあがいたってアイツには勝てっこない。どうせダメだと、初めから自分に見切りをつけてしまう。自分は下の階層にいるしかない、負け組の人間だと思い込んでしまう。いつのまにか劣等意識が、染みのように心の内部に広がり、のびやかにふるまえなくなる。仕事も出来て、恋人もいて、楽しそうに笑っている友人を見て、心の底から羨ましいと思い、そうなれない自分に嫌気がさす。私は不器用で、要領が悪く、人前でちゃんと話もできない。見た目も地味だし、誰も振り向いてくれないし、明るい未来なんか、期待できない……。
 自分はダメだと思ってしまうと、人間は魅力がなくなる。笑顔が少なくなり、生気に乏しくなり、肌もくすむ。けっして悪い顔立ちではない人が、ブスに見えたりする。
 劣等感にとりつかれているときは、人間は努力をしない。自分の可能性を信じるから、人は努力できるのだ。自分は劣っているという意識は、魔物のように心をがんじがらめにしてしまうので、前へ進もうという気力が失せてしまう。努力しないから、勉強も仕事も、ますますうまくいかなくなり、コンプレックスはいよいよ強くなる。
 楽しそうに夢を語り、恋の話をする友人だって、本当はいろいろな悩みを抱えているのだ。仕事でも恋愛でも、挫折を味わっているのだ。まわりにいる優秀な人を見て、劣等感にさいなまれることだってあるのだ。みんな、同じ。生まれ持った能力の分量に、そう大きな違いはない。ただ、その友人が輝いて見えるのは、彼が、彼女が、自分の未来を諦めていないからだ。
 気を取り直して、挑戦すれば、きっと何かを発見できる。努力が実れば、曇った顔に、笑顔が戻る。自分の仕事に夢中になっている人には、魅力がある。美人やイケメンに生まれついていなくても、美しく、素敵に見える。友達の輪も広がり、恋のチャンスもつかみやすい。

 20代から30代の前半くらいまで、はた目にどう見えたかはわからないが、私は心の底にコンプレックスを抱えて生きていた。現在の私しか知らない人は、「私は以前は引っ込み思案で、おしゃべりが苦手だった」というと、そんなわけないでしょ、と言いたげに、にやにや笑う。だから、なかなか信じてもらえないのだが、私はあまり社交的ではなく、当時の流行り言葉で言うと、“ネクラ”だった。
 器用に話を進められない、口の重い自分の性格が、私は嫌いだった。人前に出ると、おずおずしてしまい、それを押し隠そうとして、気を張り、小心を悟られまいとするあまり、妙にずけずけした態度をとったり、とんちんかんなことを言ったりする。実際は、そんなに後悔するようなことでもないのに、あんな態度をとらなければよかったと、いつまでもしつこく悔やむ。軽やかな蝶のように、スマートに人づき合いをこなす友人を見たりすると、自分が牛のように鈍重で、野暮ったく思え、本当に情けなくなった。私が劣等感を抱くようになったきっかけは、このようなところにあると思う。

 能力によるランク付けのほかに、華やかさやかっこ良さによるランク付けのようなものが、現代社会にはあると思う。
 花屋の店先に、多種多様な花が咲き誇っているように、人間も多種多様である。大輪の花のような人もいれば、百合のように清楚な人、松や榊のように、華やかではないけれども、しっかりとした生命力を感じさせる人もいる。多様な魅力を、みんなが認め合っていれば、もっと人間は幸せになるはずだが、現代社会にはそういう柔軟性がない。

 ファッション雑誌に載っているような女の子たちが、魅力度ナンバーワンのランクで、みんながそれに近づきたがる。年々流行は変わるが、流行の路線に乗っていないと、モテないので、気がつくとみんなが同じような格好をしている。
 政治経済の話や人生論など、真面目な話題は重たいので、敬遠され、軽やかに面白く、当たりさわりなく、時を過ごそうと、みんな気を使う。たまには中味の濃い話をしたいと思っても、そんな話を始めたら、みんなが白けそうだし、仲間はずれにされるのは嫌だから、言わない。

 人生のうちで最も華やかな20代から30代、私は流行の服を着、オシャレを存分に楽しみ、ボーイフレンドも恋人もできたが、心の奥底で、自分が時代の風潮に乗り切れていないこと、時代の雰囲気に、自分が合っていないことを感じていた。当時の流行語に“軽薄短小”という言葉がある。物事を真面目にとらえて、重苦しく考えるより、何事も深く突きつめず、軽く薄く、楽しくスピーディーに生きるほうがカッコいいといったような意味だ。真面目人間は嫌われ、遊びのうまい人がもてはやされた。思いつめる純愛は野暮ったく、駆け引きを楽しむ“大人の恋”がよしとされた。
 “軽薄短小”を悪いと思っていたわけではなく、むしろ肯定していたのだが、自分の心の資質は、けっして軽薄短小ではないので、私は常に気持ちのどこかで無理をしていた。いちいち立ち止まって、熟慮しないと、私は前へ進めない。何も考えずに、笑って過ごすことなどできない。軽やかにスピーディーに走る時代という生き物の背中に、爪を立ててしっかりつかまっていないと、振り落とされてしまいそうだった。
 顔見知りの男の子が寄ってきて、「今晩、空いてる?」と耳元でささやく。冒険心とプライドが疼いて、「いいわよ」と少しクールな表情を作って答えたりする。これでいいのよと、自分に言い聞かせながら、心の奥底には、物事を真面目に、重く考える自分がいて、途方に暮れている。
 恋愛や遊びに限らず、すべてのことにおいて、私の心の底には、常に途方に暮れている自分がいたのだった。その自分を押さえ込み、踏みつけ、こんな自分なんかいないほうがいいと思い続けた結果、私はコンプレックスの虜になってしまった。

 自分をダメだと思い、自分を嫌い続けて生きることは、人間にはできない。自己を否定することは、自分の精神を、少しずつ殺していくことである。心の自殺行為である。コンプレックスは、心の自殺行為につながるから、持ってはいけないとミカエルが言うのである。
 人間の本能は、自分の精神と肉体を、なんとか生き延びさせようとする。コンプレックスに締めつけられ、死にそうになっている精神を、なんとか支えようとして、他人に向かって自分を誇示しようとする意識、プライドが生まれる。
 他人に自分を認めさせ、「お前はすごいヤツだ」と言わせたい。自分が上位のランクにいることを、みんなに認識させたい。劣等感によって受けた心の傷を、プライドを持つことで、カバーしようとする。
 子供の頃、私は学校の成績が良いほうだった。私の頭脳は文系で、理数系は苦手なのだが、それでも中学までは、本腰を入れて勉強すれば、上位の成績を取れた。自分は頭がいいほうだと思っていたし、親からもそう思われていた。そして、いつしか私は、知性に強いこだわりを持つようになった。自分が知的であること、知性のある人間だと、人から思われること、これが最も重要なこととなった。自分の性格を嫌い、自信が持てずに、うろうろさ迷っている心を、知的プライドで支えようとしたのだと思う。
 
 ただ、皮肉なことに、知性にこだわりを持ち過ぎたために、私は大変理屈っぽいものの考え方をするようになり、勉強になりそうな理論書を手に取るようになり、その結果、文章表現力の低下を招いた。感性に心を委ねていたときには、すらすらと出てきた言葉が、知的な内容のものを書こうと思ったとたんに、出てこなくなった。作文コンクールで優勝したことに気をよくした私は、小説を書きたいとひそかに思っていたが、書く内容はまとまらず、読み返すと、ギクシャクしたつまらない文章が連なっているばかりだった。小説を、どう書いたらいいかもわからなかった。文学の才能はないと、見切りをつけた私は、しだいに本を読まなくなり、読書の楽しみすらなくしてしまった。
 
 コンプレックスをカバーしようとして生まれたプライドは、心のバランスを崩しやすい。私がそうだったように、不安定な心を、プライドで支えようとするため、プライドにしがみつく。知性や能力に、他人の評価に、必要以上にこだわり、“上のランクの人間でありたい”と願って、常にぴりぴりしている。
 コンプレックスを抱くというのは、自分の中に、受け入れたくない自分がいるからである。できれば消えてしまってほしい自分、直視したくない自分がいるからである。否定したい自分を心の内に抱え込んでいると、精神はいつまでたっても安定しない。自分で自分を肯定できないから、他人に肯定してもらって安心したいと思い、認められること、良い評価を得ることにこだわるのだ。
 コンプレックスが、悪魔の手のように心を締めつけるのと同様に、プライドもまた、人の心をがんじがらめにする。プライドが強い人は、素直に自分の気持ちをさらけ出すことができず、天真爛漫になれない。他人の目を気にするために、やりたいことをやれず、言いたいことを言えず、行きたいところに行けない。わからないことがたくさんあっても、こんなことも知らないのかと思われるのが嫌なので、黙っている。わからないことを質問しないために、仕事で失敗することもある。率直に自分の気持ちを打ち明けなかったために、大切な縁を逃がすこともある。
 プライドにとらわれ、素直になれないでいる私を、ミカエルは、心に重い鎧を着ているようだと言った。
「何にこだわり、何をこわがっているのですか? そんな余計なものは脱ぎ捨ててしまいなさい。そのほうがずっと楽に生きられますよ」
 しかし私は、重い鎧にしがみついた。自意識の強い私は、心を裸にすることなど、到底できなかった。自分で自分を好いていないのである。好きでない自分を、そのまま人前にさらすのは、無理というものだ。


 
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第38章




      心の自立


 紘子さんにミカエルが現われた頃、私は恋人と別れてひとり暮らしを始めていたが、精神的には全く自立できていなかった。私はそれまで、一人で生活したことがなかった。生まれて初めて味わう孤独に、私はうろたえ、耐え切れなくなり、人生のどん底に落ちたような気分に陥った。
 家に帰っても、喋る相手がいない。しんとした空気に包まれて、自分の言葉だけが、心の中にむなしく響く。どうしようもなくみじめな、追いつめられた、救いのない気分に打ちひしがれた。
 泣きそうになりながら、ミカエルのアドバイスを聞いても、ちっとも気持ちは晴れなかった。孤独がもたらした心の闇から、どう抜け出したらいいのかわからなかった。
 今振り返ると、当時の私の精神は、本当に弱かったと思う。自分の力で立っていられない、足腰の弱い心……。何もする気になれず、動く気力が湧かず、クッションを抱いて何時間も、ソファに座ったままでいることが多かった。気持ちの落ち込みにまかせて、ぼんやりしているのは、苦しいには違いないのだけれど、奇妙な心地良さもあった。闘わずに、自分を甘やかしている心地良さと言ったらいいだろうか。心の奥底で、落ち込んだと言って何もしないでいる自分が、ただの怠け者であるとわかっていた。立ち向かう力を充分に持っているのに、誰かが助けてくれるのを待っている、単なる甘ったれだとわかっていた。

 コンプレックスとプライドは、心の自立を妨げるものだと思う。ありのままの自分を、すべて受け入れることができなければ、心は自立できない。自分の弱さも、不出来な部分も、あまり見たくない部分も、それはそれとして受け入れ、まるごと自分を愛することができたとき、心はすっくと自分の足で立つ。
 自分の足で立つと、前へ進みたくなる。できるかどうかはわからないが、そこはかとなく自信が湧いてくる。助けを待っているより、自分で動いたほうが手っ取り早いことに気づく。自分の足で進み始めると、景色が開ける。歩むのが面白くなり、上等のスニーカーをはいているように、足取りは軽く、力強くなる。

 プライドとコンプレックスの間を、振り子のように心が揺れ動いていたのでは、自分というものを冷静に見ることもできない。受け入れたくない自分から目をそむけ、他人の評価を気にし、自分は出来る人間だという思いにしがみつく。そういう日々をおくっていたら、心にゆとりが生まれず、人を受け止めることも、愛することも、ままならない。
 弱い自分をカバーしようとして、肩肘を張り、自分を強く見せようとして無理をする。自分自身に不安を感じているから、自分が気になってしかたがない。
 恋愛や結婚をしても、目の前の“大切な人”を、実はきちんと見ていない。ともに食事をし、会話をし、夜を一緒に過ごせば、それでちゃんとつきあっていると思ってしまいがちだが、意識が自分にばかり向いていたのでは、相手の気持ちや考えを理解することができない。
 ともに暮らすことに幸せを感じても、相手は“自分のために”いる、という意識、“愛してほしい”という気持ちのほうが強く、自分が相手を支える、相手の力になる、という気持ちに乏しい。
 ともに暮らした恋人を、私は好きだったが、愛するという意味をよく考えてみると、私は充分に彼を愛したとは言えない。私は愛を与えられることばかり望み、与えることをあまり考えていなかった。自分が彼を支え、幸せにしようという意識は、あまり持っていなかった。

 心が自立していないと、依頼心や依存心が強くなる。自分の足で立つことができず、ふらふらしているのだから、誰かにつかまりたくなるのは当然だ。すがりつかれたほうは、初めのうちは、なんとか力になろうと思い、できるだけのことをするが、すがりつくほうは、つかまってなんとか立っているのにせいいっぱいで、自分を支えるのに、相手がどれだけ時間と労力を使っているかに気がつかない。支えられることに慣れてしまうと、ふと倒れそうになったときに、相手がそばにいないと、どうして助けてくれなかったと怒り出したりする。相手も人間、疲れて余裕がないときだってある。感謝の言葉ひとつなく、当たり前のようにすがってくる恋人を見て、相手は、自分の愛がけっして報われていないことに思い至る。
 けんめいに愛しているのに、自分は本当に愛されているのだろうか……。信頼の絆が揺らぎ始め、少しずつ相手の気持ちは冷えていく。
 心が自立していないと、愛を逃がしてしまう。つかんだと思った幸せが、指の間から砂がこぼれるように、いつのまにか消えていく。

 自分自身を知るために、自分のすべてを見なさい、とミカエルは言った。嫌な部分も、素敵なところも、欠点も長所も、きちんと受け止めなさいと言った。
 欠点を見るのは、つらい。また、欠点はなるべく見ないようにして暮らしているから、自分の欠点に気がつかない場合も多い。ミカエルは、私の欠点は頑固さだと言った。私は、人の言うことに従うほうだと思っていたので、自分は頑固ではないと、頑なに否定した。
「そうやって、私の言葉に、頑固に反発しているではありませんか」
 ミカエルはおかしそうに、そう言った。
 自分がどういう人間かは、自分がいちばんよくわかっている、と思っている人は多いだろう。しかし、本当にわかっているのだろうか。ひょっとしたら、他人や家族のほうが、自分という人間を正確に把握しているかもしれない。
 家族や親しい人との間で、互いに欠点を指摘し合うのは、大切なことだと、ミカエルは言った。相手の欠点が見えたとき、黙ってやり過ごしてしまうのではなく、はっきりと言ったほうがいい。言われないと気づかないことは、たくさんある。言われたほうは、素直に受け止めて、直していく努力をする。自分についての認識が深まり、人間関係はよりスムーズに、絆はより強くなっていく。
 紘子さんはヒデやご主人と、これを実行したらしい。「まるで悪口合戦をしてるみたい」と彼女は言っていたが、ヒデともご主人とも、とても良い関係を築いていたようだ。
 ただ、よほどの信頼関係が築かれていないと、これは難しいと思う。私は、相手の欠点が見えても、それをあからさまに言ったら、関係が粉々に壊れてしまいそうで、こわくて言えない。欠点を指摘されるのは、ショックだし、自分のためを思って言ってくれているのだとわかっていても、心にしこりが残ってしまうだろう。言いかたにも気をつけなければならないし、言ったあとのフォローが大切だ。適切なフォローができるという確信がなければ、これは実行できないと思う。

「欠点の裏側には、必ず長所があります。自分の欠点を見たら、必ず長所に目を向けなさい。人の欠点に気づいたら、その人の長所を探しなさい」
と、ミカエルは言った。
「欠点にこだわるのではなく、長所をのばして、欠点をカバーすることを考えなさい」
とも言った。
 私の欠点は、頑ななところである。頑固さの裏側にある長所を伸ばすとは、どういうことだろうか。
 頑固で、人の意見を聞かない人は、他人の考えに左右されにくい。人の意見を聞かないということは、すでに自分の考えがはっきりしている、ということだ。自分の考えを明確にしたい性質なのだ。それならば、自分の考えを深めていけばいい。勉強し、視野を広げて、自分の考えに磨きをかければいい。自分の考えを、より確かなものにしようと思うと、知識や情報が欲しくなる。人の意見も参考にしたくなり、いつのまにか人の話に耳を傾けるようになる。
 頑固な人は、物事にこだわる人である。ひとつのことにこだわり、疑問を解き明かそうとしたり、より良い結果を得るための工夫を惜しまなかったりする。挫折に負けずに努力を続ける持久力がある。この性質は、人生で成功を勝ち得るための大切な要素だ。

 おしゃべりな人は、“うっかり口をすべらせる”という失敗を犯しやすく、賑やかすぎて、家族からうるさがられたりするが、おしゃべりということは、頭に浮かんだことをたやすく言葉にできる表現力を持っていることだ。おしゃべりな人は、本をたくさん読んで、言葉をぎっしり頭に詰め込むとよく、ボキャブラリーが豊富になれば、喋りの能力に磨きがかかり、それを仕事に活用できる。学校の先生、企業の営業、接客や販売、ニュースキャスターやアナウンサーなど、喋る能力を活かせる職場はたくさんある。
 臆病や小心さは、時には自分の心から切り取ってしまいたいと思うほどの、厄介な性質だ。臆病なために、愛が実らず、小心なために、仕事のチャンスを逃す。人生の足を引っ張るマイナス要素だ。
 臆病や小心さの裏側には、デリケートな感性がある。風の匂い、木の葉の色、人のまなざしや表情に表われる微妙な感情、その場に漂う空気、雰囲気、そういったものを鋭敏に感じ取る、繊細な心のひだを持っているから、ずけずけと図太く生きることができなくなるのだ。
 人の気持ちに敏感だから、優しさが生まれやすい。相手を尊重し、傷つけまいとする気遣いは、人を温かい気持ちにさせる。生来そなわっている、人を思いやる心を大切にして生きていれば、自然に人が寄って来て、豊かな人間関係を築くことができる。
 繊細な感受性は、芸術性につながっている。音楽や美術、演劇といった、アートの世界で自分を磨けば、思いがけない花が開くかもしれない。

 欠点と長所について考えていると、人間の性質を、これは欠点、これは長所と、単純に切り分けることはできないように思えてくる。ある性質が、人に害を及ぼしたり、自分にとってマイナスに働けば、欠点となり、同じ性質が、人も自分も幸せにするように発揮されれば、長所となる。そんなもののような気がする。
 我を張らないこと、自分の利益だけでなく、人の利益も同時に考えること、自分も人もハッピーになる道を探すこと。こういったことを常に心に留めていれば、自分の性質をおおむね良い方向に発揮できる。
 欠点を直そうと思うと、わけがわからなくなるが、自分の性質を活かそうと思うと、どんなことをしたらいいのかが、見えてくる。

 自分を知るということは、自分のダメな部分を見ることではなく、自分の魅力と可能性について、知ることではないだろうか。自分にはどのような優しさや温かさや、人を惹きつけるものがあるのか、この人生で、自分はどんなことができそうか、それを考えることが大切だと思う。欠点にこだわっていると、自分を愛せない。自分の魅力と可能性について考えると、自分を大切にしたくなる。
 心の底から自分を大切にすることが、心の自立である。心底自分を大切にすると、人をないがしろにできなくなる。人も、自身を大切に思っていることに気がつくからだ。
 みんな、自分自身をかけがえのないものと思っている。自暴自棄になったり、自己嫌悪に陥ったりしている人も、本能の部分では、きちんとそう思っている。
 心が自立していると、人を支える余力が生まれ、本当の意味で、人を愛せるようになる。愛をもらう側から、与える側にまわり、与えることで心が充たされるようになる。



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第39章
   




        それぞれの宇宙


 紙に円が描かれている。円は12等分に分割されている。円の周囲には、牡羊座、牡牛座……と、12個の星座のマークが記されている。円の中には、太陽と月と、地球を除く太陽系の惑星のマークが、散りばめられている。星のマークの脇には、星座のマークが並んで記され、どの星がどの星座の場所にいるのかが、ひと目でわかるようになっている。
 西洋占星術で使う、ホロスコープと呼ばれるものである。
 ホロスコープは、個人の性格と運勢を表わすとされているが、ミカエルが私達に教えてくれたのは、ホロスコープによる性格と才能、資質の緻密な分析だった。
 それぞれの星と星座は、その人の性格の、いろいろな要素を表わしている。慎重な人、大胆な人、自己主張の強い人や控えめな人。いろいろな性格があるが、人の性格は決して一色ではない。慎重だが、思いつめると大胆なことをしやすいとか、勝気な性格だが、意外に小心なところがあるなど、人間の性格は、いろいろな質が組み合わさって出来ている。
 ミカエルが教えてくれた占星術は、個人の性格が、どのような性質のからみ合いによって成り立っているかを解き明かす。どのような価値観を持ち、どういうことに気持ちが反応しやすく、どんなふうに傷つきやすく、どういった悩みを抱えやすいか、どんなことに興味を持ち、能力を発揮するか、星と星座を頼りに、その人の心の傾向と、生まれ持った才能の種類を観ていくのである。

 紙に描かれたホロスコープは、その人の心の宇宙である。自分を活かす性質と、自分の足を引っ張る性質が、その円の中に示されている。自分自身を知るための、最も有効な参考書だ。
 占星術の性格分析の基本は、12個の星座である。これらの星座は、人間の性質を、感覚や心理を、克明に表わしている。なぜ、12のパターンに分けられるのか、どうして星座が人間の性質を表わすのか、その理由については、ミカエルは何も説明してくれなかった。ただ、12という数は、時間の単位であり、宇宙の摂理の基本の数だ。
 星座の性質をひとつひとつ見ていくと、似ている性質はあるものの、ものの感じかたや考えかたが、実に多様で、それぞれの性質が独特の感性を持っていることがわかる。独自の世界を繰り広げているといっていいほど、個性豊かである。人間の性質とは、こんなにもバラエティーに富み、奥が深いのかと思うと、なんだかわくわくしてくるほどだ。
 それぞれの星座が、実に素晴らしい長所を持っており、同時に、ひどい欠点を持っている。ミカエルは、人間は才能の宝庫だと言ったが、その通り、12の星座の資質、才能を見ていると、宝の山が築かれているようだ。すべての人間が、持てる力を最大限に発揮したら、洗練されたテクノロジーに支えられ、深い芸術性をまとった、光り輝く世界が出現するだろうと思ってしまうほどである。
 そういう強い個性を持った星座がいくつか集まって、人間の性格は出来上がっている。同じ星座を持っていれば、そこに共通点があるわけだが、各人の性格は、様々な星座の性質で構成されており、それぞれの人が、異なる考えや価値観を持つのは当然だ。すべての人間が、他に譲歩することなど、本当は絶対にできない、強烈なマイ・ワールドを持っているのである。
 
 社会生活を学んでいく過程で、人間は、本当は強烈な個性を持っている自己の世界を、少しずつ抑制し、集団生活に合うように飼いならしていくのだと思う。協調性は大切だが、自分の個性をつぶしてはいけない。自己を抑制することを知らない、小さな子供を見ていると、人間がどれほど強烈なものを裡に秘めているかが、よくわかる。子供のエネルギーがすさまじいのは、肉体が持つ力のせいだけではなく。魂がむき出しのまま、パワーを発散しているからだと思う。
「自分と人は“違う”ということを、まずしっかり頭に叩きこみなさい。自分のものさしで人を測ってはいけません」

と、ミカエルは言った。
 それぞれが、個性豊かなマイ・ワールドを持っているのだから。自分と人との間に違いが生じるのは、当然である。ところが私達は、ともすると、自分の価値観のものさしで人を測り、判断し、あの人はいいの悪いのと決めつけてしまう。

 なんでも要領よく、スピーディーに片づけるAさんと、物事をじっくりみつめ、手抜きができないBさんがいる。ある仕事をAさんは一日でこなすが、Bさんは倍の二日かかる。Aさんが、自分のものさしでBさんを測ると、「この仕事に二日もかけるなんて、信じられない! ノロマな人ね!」という批判が出やすい。いっぽうBさんは、Aさんの仕事振りを見て、なんて雑なやりかたをしてるんだ、と思う。Bさんの目には、Aさんには見えていない、いろいろな細かい点が見えている。そういうBさんのものさしでAさんを測ると、やはり批判の言葉しか出てこないのである。

 AさんとBさん、どっちのやりかたが良くて、どっちが悪い、というのはないのである。速さが求められる職場なら、Aさんが向いており、綿密さが重要な職場であれば、Bさんに適性がある。ただそれだけのことだ。

 当時、親しくつきあっていた友人の、あまりの頑なさに手を焼いた私は、紘子さんに愚痴をこぼした。

「あの人は、まるで岩の城のようだわ。どうしてあんなふうになるのか、まったく理解できない!」
 すると、ミカエルが出てきて、こう言った。
「わからなくて当たり前、というところから出発するほうが、楽です。人はそれぞれ、“自分の宇宙”に住んでいます。まったく違う世界に住んでいるのです。その友達は、あなたにとって、宇宙人のようなもの。あなたも、その友達にとって、宇宙人です。それほど違うと思えば、理解できないことに苛立たなくなるでしょう。わからなくて当然、というところから始めて、少しずつ理解していってください」
 わからなくても、納得がいかなくても、その人の宇宙をまるごと認めなさい、ともミカエルは言った。
「あなたのその考えは間違っている」と人に向かって言いたいときがある。確かにその人の考えは、間違っているかもしれない。ただ、その人が、そういう考えを持つに至った心情までは、こちらはなかなか理解できない。よほどじっくり語り合わなければ、心情はわからないし、性格も生い立ちも違っていたら、百パーセント理解することは無理だろう。だから、とりあえず、人の宇宙、人の心を、まるごと認めなさいと、ミカエルは言うのだと思う。
 あなたは違っていると、否定したら、それ以上先へは進めない。否定は、相手との間に壁を作ることであり、壁は二人の関係を断ち切る。
「相手のことを、五割わかったら、幸せと思いなさい。七割わかったら、御の字。非常な幸運というぐらいに考えなさい」
 ミカエルはそう言った。それほど、人を理解するのは難しいことなのだ。ましてや、自分の価値観や美意識にこだわり、自分の価値基準で相手を測っていたら、相手の真の姿はなかなか見えてこないだろう。目の前の大切な人を、理解しようと思ったら、自分の考えや価値観はかなぐり捨てて、相手の言葉に耳を傾け、相手の心情にできるだけ自分を沿わせるようにしなければならない。
「良いカウンセラーは、自分の考えは脇に置いて、まっさらの心で相手に向き合える人です。氷を呑んだように冷静に、相手を見、対処できる人です」
 ミカエルは、そうも言った。理想の妻、夫は、パートナーにとって、良きカウンセラーです、とも言った。

 同じものを見て、泣き、笑い、怒り、常識や習慣に従って、同じように行動しているので、私達は、人間は皆同じようなものだと思ってしまいがちだ。自分も相手も同じだと思うから、自分の考えの枠組みにまったく入らないことを、相手が言ったりしたりすると、仰天して、わけがわからなくなる。同じだと思い込んでいるから、自分が良いと思うこと、正しいと思うことを、相手に押しつける。相手が反発すると、良いことを勧めているのだから、従わない相手が悪いと怒る。
 自分にとって正しいことが、人にとっても正しいとは限らないと、ミカエルは言う。数学の問題の答えはひとつでも、人生の問題の答えは、ひとつではない。自分の正解と、相手の正解が、違っていて当たり前なのだ。



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第40章





      なりたい自分、なれる自分


「自分の器を充たすことを、まず考えなさい」
と、ミカエルは言った。
 私が、陶芸か仕事のことで、高みをめざしてもがいていたときだったと思う。私は上ばかり見上げ、足元を見ていなかった。
「高い目標を持つのは、いいことです。しかし、その目標に、一足飛びに到達することはできません。高いところばかりみつめていたのでは、そこに至る道筋をみつけることができません。その目標より低い位置にいる、現在の自分の器を見、それを豊かに満たすことに専念しなさい。現在の器を満たそうと思うと、何をしたらいいか、具体的な事柄が見えてくるはずです。今の自分の器がいっぱいになると、次に何をしたらいいかがわかり、器は少しずつ大きくなっていきます。そうしていつか、最初に抱いた高い目標に到達するのです」
“自分の器”という言葉は、自分の限界という意味で使われることが多い。“自分の器は、この程度”“自分の器以上のことはできない”というふうに、自分の限度を定め、それより先へは進めないという、否定的な意味合いがある。
 けれどもミカエルは、器は大きくなると言う。自分の器の大きさは、動かしがたく定まっているのではなく、努力しだいで成長すると言う。
 
 よく考えてみれば、現在の自分の器の大きさを、正確にわかっている人が、どれだけいるだろうか。過去の失敗例や、どうしても乗り越えられなかった壁を、判断材料にして、自分の限界をなんとなく思い描いているだけではないのか。“自分の限界”という言葉を頭に浮かべるとき、心の底には、チャレンジしたくない、ゆるゆると楽に過ごしたい、勇気をふりしぼるなどというしんどいことをしたくない、という思いがわだかまっているのではないか。
 ひとつの分野に関して、自分の限界を感じるということはある。体力の限界、才能の限界をひしひしと自覚することはある。けれども、その分野から転身して、別の領域に進めば、新たな可能性が広がる。引退したアスリートが、スポーツキャスターになったり、現役をしりぞいた専門家が、講師になったりというように。キャスターとして、講師として、その人は新しい自分を発見し、自分の器を大きくしていくかもしれない。
 年を取ったからといって、可能性がなくなるわけではない、とミカエルは言う。
「人間は、息を引き取る瞬間まで、自分の器を拡大していけるのです」
 だから、ボケる暇なんかないのだと言う。
 人間は、否定的な考えを持ちすぎるとも、ミカエルは言う。
 私達の頭には、子供の頃から、否定語が刷りこまれている。“できない、どうせうまくいかない、私には才能がない、人生って悪いことばかり”。「初めから、たぶんダメって思って、望みを持たないでいたほうが、結果が悪かったときにショックを受けないですむ」と言った人もいるくらいである。
 初めからできないと思っていたら、アイディアも生まれず、力も発揮できない。自分が萎縮しているから、良い結果が生まれるはずがない。

 陶芸の制作をしていると、否定的な考えが悪い結果を招くことを、身をもって感じる。ある展示会の前、制作に取りかかっているとき、アイディアを作品化することが「私の能力では無理」という考えが、霧のように頭の中に湧いてしまったことがある。そのネガティブな考えを払いのけることができないまま、私は作り続けたが、出来上がった作品は、出品をためらうようなものだった。作品を見た、陶芸教室の口の悪い生徒から、
「先生の才能が崩れたね」
とまで言われてしまった。
 ピアニストが難しいテクニックを要する個所にさしかかったとき、「失敗しそうだ」と思ってしまったら、ミスの確率は高くなるだろう。フィギュアスケートの選手が、ジャンプの前に、「どうせだめだ」と思っていたら、絶対に成功しないだろう。
 否定から、良い結果は生まれない。これはすべての職業について、人生全般について、言えることだ。

 自分の器を豊かに満たそうとして、営々努力を続けた結果、目標が、初めにめざしたものと少し違ってくる場合もある。当初の目標は、なんとなく華やかなものに憧れて設定したものだったり、成功している“あの人”のようになりたいという、具体的な人物を思い描いてのものだったかもしれない。

 自分の器を満たそうとして、丹念に畑を耕すように、能力に磨きをかけているうちに、持って生まれた“自分の質”がわかってくる。初めは、ひまわりのような華やかさに憧れていたのが、しだいに“自分の質”はひまわりではなく、すみれだと気づき始める。すみれの淡い色合い、可憐さ、人の心をなごませる優しさ。自分の器の中にあるのは、そういうものだと思い、もっと美しいスミレの花を咲かすことにけんめいになる。ひまわりのことは、もはや忘れ、そうしてその人は、人生にたくさんのすみれの花を咲かせるのだ。
 自分の器を満たすことは、自分を知ることである。
 故岡本太郎氏は、テレビの対談で、制作の姿勢についてこう語っていた。彼は、作品を作り上げていくとき、自分が憧れている芸術家の作風とは、正反対の方向を、模索していくように心がけているそうである。憧れている作家に、自分が近づこうとすると、自分の作品がいつのまにか、その作家の作品に似てきてしまうのだそうだ。それでは自分の世界を築くことはできないので、憧れの作家を頭の中から追い払うために、あえて逆の方向をめざすのだと言っていた。
 
 どんなに素晴らしい人間が目の前にいても、その人のようになろうとすることは、間違いではないかと、私は思う。人は、自分以外の人間になろうとしてはいけないのではないだろうか。むろん、自分以外の人間になることなどできないのだから、どんなに憧れても、堂々めぐりするばかりだ。
 自分の能力を充分に発揮して、充実した人生をおくっている人は、皆、自分というものをしっかりつかんでいる。自分自身の質を知り、自分のやり方を身につけている。頭の中の理想像に近づこうとするより、今の自分をみつめ、自分に合った方法を探っていくほうが、自分自身を開花させやすい。


 
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第41章






        スフィア


「面白い映画があるから、観てごらん。きっと、心に深く響くものがあるよ」
 紘子さんにそう言われて、数日後、レンタルビデオ店に向かった。心に深く響くって、どんな映画だろうと、期待に胸をふくらませて、SF映画の棚に目を走らせた。『Sphere』。やや禍々しい感じの装丁が施された、ビデオのボックスを手に取った。
 『スフィア(Sphere)』は、1998年製作のアメリカ映画で、原作はマイケル・クライトンの『スフィア・球体』というSF小説である。
 主演は、中年の渋さが濃厚なダスティン・ホフマンで、彼を含む学者のチームが、太平洋の底深く沈む謎の球体を調査するために、潜水艦で海底に設けられた基地に向かう。調査を続けていると、ハリケーンがやってきて、海上との通信が途絶え、彼らは海底基地に孤立した状態になる。不安におびえる人々に、次々と、原因不明の惨事が襲いかかり、命を落とす者も出る。
 ある日、正体を突きとめようとして、球体に近づいた学者の一人が、謎を解く手掛かりをみつける。生き残った者達でさらに調査と検討を重ねた結果、スフィア・球体には、人間が頭の中に思い描いたことを、現実のものとする力があることを発見する。
 たとえば、原因不明の惨事のひとつに、巨大なイカの大群の襲来がある。イカの大群が来る前、一人の学者が、自分はイカが嫌いなんだという話をする。子供の頃の嫌な体験がもとで、イカがこわいのだと言う。この話をしている彼を、スフィアの目が見ている。スフィアは、彼のイカに対する恐怖をキャッチし、彼の恐怖感は、襲いかかる巨大なイカという現実のものとなって、目の前に現れる。
 惨事のすべては、海底基地に取り残された人々の、不安や恐怖を、スフィアが現実化した結果だったのだ。

 もし、人々が、不安や恐怖ではなく、人類全体の幸せを願う、ポジティブな考えを持てば、スフィアは幸福な現実を、目の前に展開してくれる。旱魃が続いて干上がった畑を前にして、みんなのために豊かな実りがあるようにと祈れば、スフィアはひび割れた大地を緑で埋め尽くすだろう。飢えた人にパンを、と願えば、空からパンが降ってくるかもしれない。
 けれども、自分の利益だけを追求し、欲望を募らせ、敵を倒すことに汲々としていたら、スフィアは恐ろしい道具になる。巨万の富が欲しいと思えば、一夜にしてその夢がかない、人を失脚させようと思えば、翌日にはその通りになる。あんな人間は死ねばいいんだと思ったとたんに、その人は死ぬ。核兵器以上の恐ろしい武器にもなりかねない。
 生き残った学者達は、スフィアを使うには、人類はまだまだ未熟だと考え、この球体の存在を忘れることにする。スフィアを忘れたいと願えば、スフィアはその思いを現実化するので、彼らはスフィアを忘れることができるのである。
 海上との通信が復帰し、海底から助け出された学者達は、スフィアを忘れる。彼らの脳裏から球体が消え去った瞬間、スフィアは海水を突き抜けて、天高く昇っていく。
 この映画を観た人の感想の中には、難解で、何を言いたいのか、わからない、というものが少なくないようだ。たしかにこの映画は、『2001年宇宙の旅』のような、わかりづらいSF映画のひとつである。

 紘子さんが、「心に響く」と言ったのは、スフィアが人の思いを現実のものにする点である。イカがこわいと思えば、イカが現われ、あの人は嫌い、と思うと、その人が遠ざけられる。紘子さんは、これを、あながち作り話ではない、と思っているのである。もっと言えば、SFに仕立てながら、“真理”を言い表していると思っているのである。そして、私も、まったく同じ思いである。
 “想念”は、その通りの現実を出現させることがある。卑近な例を出せば、スキーで斜面を滑っているとき、右側が崖なので、右に行ってはいけない、右はこわい、と思い続けていると、体が右に行ってしまう。右側に恐怖を感じ、右を強く意識していると、その恐怖の状態に現実が近づいてしまう。
 ピアノを弾いていて、難しい個所を弾きおおせる自信がなく、失敗を恐れる気持ちがふくらむと、必ずと言っていいくらい失敗する。仕事に出かける前に、どうも今日は調子が良くない、気持ちが乗らない、と思っていると、仕事に今ひとつ集中できず、冴えない一日を過ごしてしまう。
 私が中学生の頃、たまに、理由はないのだが、どうしても学校に行きたくないときがあった。親に急き立てられ、結局は重い足を引きずって、遅刻を承知で出かけるのだが、ある日、風邪をひいたと嘘をついて、ふとんをかぶってじっとしていた。仮病を思いついた時点では、私はぴんぴんしていたのだが、半日ほど、ベッドでごろごろしていたら、本当に具合が悪くなり、本当に風邪をひいて、2,3日学校を休むはめになった。この展開に、私は心底驚いた。まさか、本物の風邪をひくとは……。以来、サボりたくても、仮病を使うことはやめた。
 人間には、自身が描いたイメージに、自分を近づける力が、そなわっているのではないだろうか。失敗を恐れる気持ちが強いと、失敗するし、成功を強く信じていると、成功する。成功とまではいかなくても、かなりの収穫を得る。
 スポーツ選手が、練習の中にイメージトレーニングを取り入れるのも、精神面が現実に強く影響を及ぼすからだ。スポーツに限らず、すべての分野で、成功をおさめるには、技術力の向上が不可欠だが、半信半疑で努力を続けても、中途半端な結果に終わってしまう。成功を信じる“心の力”は、とても大切だ。
「色即是空、空即是色」という、仏教の言葉がある。ミカエルは、この言葉の意味を説明してくれた。
 この言葉には、すべてのものは空、すなわち何もないことである、といったような、難解な意味があると思われているが、ミカエルの説明の内容は、いたってシンプルだ。“色”は物質、肉体、“空”は目に見えないエネルギー、精神、魂である。色即是空……物質、肉体イコール精神、魂、空即是色……精神、魂イコール物質、肉体。物質界と精神世界はひとつのもの、肉体と心や魂は一体だ、という意味である。
 だから、心と体をばらばらに考えてはいけない。心が病めば、肉体も病み、体をこわせば、精神力も衰える。病は気から、という言葉もある。
 精神と現実を別々に考えてもいけない。意欲がなければ、仕事はうまくいかないし、おどおどしていては、人生の道は開けない。人に負けたくないと思って頑張れば、実力はつくし、気持ちを明るく持って、物事のプラスの面を考えるようにしていると、良い考えが浮かびやすく、人に慕われる。
 精神と現実を別々に考えてもいけない。意欲がなければ、仕事はうまくいかないし、おどおどしていては、人生の道は開けない。人に負けたくないと思って頑張れば、実力はつくし、気持ちを明るく持って、物事のプラスの面を考えるようにしていると、良い考えが浮かびやすく、人に慕われる。
 ごく当たり前のことを、この言葉は言っている。

 人生とは、自分の心の反映ではないのかと、このごろ、思うことがある。現実という抗えないものに流されて生きているように、私達は思いがちだが、はたしてそうだろうか。むろん、どうしようもなく流されることもある。生きていくために、やりたいことを我慢しなければならないこともある。自分の心の反映どころか、他人の思惑に自分が動かされっぱなしということもある。だから、いちがいには言えないかもしれないが、それでも、自分の人生は、よくよく考えてみると、自分の精神、自分の心が作り出しているという感じがするのである。
 仕事にしても、結婚にしても、その他さまざまな目的や、ライフワークのようなものにしても、自分で選んでいるのだから、選んだあとでどんな現実にぶつかり、どんなふうに流されようと、やはり人生は自分の心が作り出したもの、という気がする。
 うまくいかない現実は、自分の判断ミスや、心の弱さが引き起こしたことかもしれない。一見、不遇のように見えても、根本をよく見ると、自分の甘さが原因かもしれない。腹を据えて、勇気を出して、取り組めば、もっと良い状態にすることができるのかもしれない。恋愛がうまくいかないのは、相手に執着しすぎているせいかもしれない。恋という鎖で相手を縛りつけているためかもしれない。
 自分の心が、日々の現実を作り出している。人の思いを現実化するスフィアは、私達の心の中にある。

 体のあちこちに転移した癌を、克服した若者がいる。医者もサジを投げるような状態にあって、彼が試みたことは、ひたすら精神力を高めることだった。もともとインドの哲学やヨガに傾倒していた青年は、心が持つエネルギーを信じていた。病床で、彼はすさまじいまでの集中力で、瞑想を続け、肉体が持つ治癒能力を、最高のレベルまで高めていったのである。
 そうして、癌は、少しずつ消えていった。若い肉体に巣食った癌は、進行しやすいのに、しだいに減っていく癌細胞を見て、医者は驚愕した。青年は、完治することを信じ続け、ついに、彼の体から癌細胞は消滅した。
 作り話ではないかと、眉に唾をつける人もいらっしゃるかと思うが、この青年は私の友人の従兄弟で、その友人から直接聞いた話である。
 
 何年も前になるが、私は、急性の皮膚炎にかかったことがある。原因は過度のストレスだと思うが、突然顔がバレーボールのように腫れ上がり、アトピー性皮膚炎のように、顔中がじくじくと膿を持ち、痛がゆくなった。皮膚科の医院に駆け込むつもりだったが、紘子さんに相談すると、「ミカエルは、医者に行く必要はないと言ってる」と言われた。当時、私達は気功について知識を得、体の中を流れる“気”の力を活発にする訓練をしていたが、ミカエルは、皮膚炎は気の力で治ると言った。
「一抹の不安も疑いも持たずに、子供のような心で、治ると信じれば、一日で治りますが、大人である和代が、不安をまったく抱かないというのは無理かもしれません。それでも、必ず治ると信じれば、2、3日で治ります。冷たいタオルで顔を冷やしながら、気功を続けてください」
 この言葉を聞いて、自分の“気の力”を試してみようと奮い立ち、私は必死で気功を続けた。時折、頭を横切る、“気功では治らないんじゃないか”という想念を払いのけながら、自分としては最大限に集中力を発揮し、顔に気を送り続けた。そして3日目の朝、目覚めると、顔の腫れが引き、膿はなくなって、乾いた皮膚がかさぶたになり、ぼろぼろと剥がれ始めていた。私は、鏡の前で固まってしまった。こんなに早く治るとは、思わなかったからだ。
 自分の肉体にそなわった治癒能力を信じると、治癒能力はアップする。これは確実に言える。自然治癒能力がどれほどのものかはわからないが、どれほどのものかという“限界”をあらかじめ考えてしまうところに、人間の不幸な性(さが)があるのかもしれない。自身の自然治癒能力で癌を消滅させた青年がいるのだから、肉体が持っている治癒力は、本来、相当なものではないだろうか。不安や恐怖や、常識や固定観念が、せっかく自分が持っている素晴らしい力に、がっちりと蓋をして、閉じ込めているのだと思う。
 
 ブッダは、“心と体は一体、精神と物質はひとつのもの”だと言う。似たようなことを、宗教とは遠く離れた、物理学が、語っている。
 物質を構成している要素を追求していくと、まず分子という単位になり、さらに分子は原子の組み合わせで成り立っており、原子はさらに小さい素粒子で出来ている。素粒子は、条件によって、“粒”として観測されたり、“波動”として観測されたりするらしい。ある物理学の本には、こんな文章が載っている。『物質を、極限まで限りなく割っていくと、最後には、不思議なことに“物”ではなく、エネルギーの波になる』
 こんな喩えもある。物理学者が、物理学という高い山を必死になってよじ登り、頂上にたどり着いて、ついに物質の本源を究めたと思ったら、そこにはすでに神学者がいた。物質を追求していくと、物質ではないもの、エネルギーの波動とか、精神とか、神とかといったものに行き着くというのである。
 私達の身の回りにあるさまざまな物が、また私達の肉体そのものが、究極のところ、物ではなく、波動だと言われても、わけがわからなくなるばかりだが、このことを素直に受け止め、いっぽうでブッダの言葉を思い起こし、照らし合わせてみると、なんとなく見えてくるものがある。
 ブッダが語った、“精神イコール物質、物質イコール精神”とは、実際問題として、どういうことなのだろう。物質ではない、何かのエネルギーの波動が、ある法則に従って集まり、組み合わされ、物質になっている。物質の構成要素を解き明かしていくと、すべてのものは、目に見えないエネルギーでできていることがわかる。宇宙の原理とは、こういうものだと、ブッダは言っているのではないだろうか。
 宇宙を作っているエネルギーには、物質になるエネルギーと、心や魂のように、物質にならないエネルギーがある。精神イコール物質、とブッダが言うのだから、この二種類のエネルギーはまったく異質のものではなく、互いに深く関わり合っているのだろう。だから、心が病めば、体は悲鳴をあげ、心の力が最大限に発揮されれば、肉体の相当なダメージも、癒される。
 素直にブッダの言葉を信じるなら、心のエネルギーを強く出せば、物質で構成されているところの“現実”を、自分が望むほうへ形作っていくことができるはずである。自分が憎しみや恐れを抱いていれば、恐ろしい現実が現われ、愛と慈しみで心が満ちていれば、物事は良い方向へ進んでいく。心のエネルギーは、両刃の剣。自分しだいで、幸福を生み出す魔法の杖ともなれば、地獄を出現させる恐ろしい道具にもなる。“スフィア”とは、私達の心そのものということになる。

 心のエネルギーを強く出すには、心の力を信じなければならない。心の力を信じることは、ミカエルが現われて以来、紘子さんとヒデと私の、課題のひとつである。
 心の力を信じることは、自分を信じることだ。ある仕事を成し遂げたいと思ったら、できないかもしれないとか、失敗するかもしれないといった、ネガティブな思いを頭から排除して、どうしたら成功するかを考え、実行に移す。徹頭徹尾ポジティブに生きることが、心の力を発揮することにつながる。
 自分を信じることは、難しい。前を向いて、積極的に進もうと思っていても、自分には能力がないと思ってしまったり、いろいろな困難を想像したりして、足がすくんでしまう。不安や恐れが、いつのまにか黒い雲のように、頭の中に湧く。自分にはこの程度のことしかできないと、自分で限界を設定し、やってみなければわからないのに、それ以上先へ進むことを、はなから諦めたりする。
 このようなマイナスの思考に傾いてしまう自分の脳を、切り取ってしまいたいと、いつだったか紘子さんが言ったことがある。人生とは、自分との闘い、自分のネガティブな想念との闘いだ。
 ミカエルが現われて以来、私達は瞑想を習慣にしているが、暗い考えにとらわれて心が揺らいでいるとき、瞑想をすると、気持ちが落ち着く。心の中にエネルギーが流れ込み、明るい光が満ちたような感じになる。渦巻いていた悲観的な考えが、霧が晴れるように消えていく。ほかにも自己コントロールの方法はいろいろあると思うが、目下のところ、私には瞑想が最も効果がある。


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第42章


 


      さよなら、紘子さん


 映画『スフィア』は、自分で考えている以上に、私の心に深い影響を与えたのかもしれない。思いが現実化する、精神が現実を創り出すという考えは、頭の片隅にこびりついて、離れなくなった。毎日そのことについて、なんとなく考えをめぐらせているうちに、心の奥底の、潜在意識の層にある霊感のスイッチが入ったような気がする。
 『スフィア』を観て、ほどなくして、私は富士山に登り、自分の体を神の気が通り抜けるという感覚を体験した。すでに書いたが、その神秘体験は、私に、本当の意味で自分自身を取り戻させてくれた。
 私が、私であること。何ものにも惑わされず、染まらず、振り回されず、私がありのままの私自身であり続けること。その大切さに気づいたとき、私はミカエルと紘子さんのあとをついて歩んできた、それまでの十数年間、自分がけっしてありのままの自分自身でいなかったこと、心の自立を教えられながら、実はまったく自立できず、むしろ自立とは正反対の方向に向かっていたことに、思い至った。
 
 ミカエルは精神の自由を説き、自分の目と心を信じ、自分の頭でものを考え、自分の力で答えをみつける生きかたについて説いた。私はミカエルの言葉を理解し、自分のものにしようとけんめいになったが、そういう私の心の底に流れていた感情は、正しい答えを出して、ミカエルに認められたい、間違いを犯して、ミカエルから叱られたくない、というようなものだった。少しでも多く正解を出して、優等生になろうとする意識が、ミカエルに対してすら、あったのである。
 あることについて、感想を抱いたり、自分の考えがまとまったりすると、すぐさま、自分が抱いた感想や考えは、はたして正しいのだろうか、ミカエルはどう言うだろうかという思いが湧いてしまう。極端に言えば、自分の一挙手一投足を、ミカエルはどう判断するだろうかと考えるようになってしまったのだ。
 ミカエルは常に正しい絶対者なのだという思いが、いつのまにか心の中に根を張り、ミカエルから“正解”という太鼓判を押してもらわなければ、安心できなくなってしまったのである。
  ミカエルは、ときには大変厳しい。そして、ミカエルの言葉と思いを伝えるのは、紘子さんなので、現実の姿としては、紘子さんが私を厳しく叱責するのである。激しい口調でものを言っているのが、彼女自身ではなく、ミカエルだとわかっていても、目の裏に紘子さんの険しい表情が焼きつき、耳の奥にその強い語調の記憶が残ってしまう。何年もそれを繰り返しているうちに、私は紘子さんに対して、重圧を感じるようになった。彼女の存在は、重い圧迫感をともなって、私の心を締めつけるようになったのである。

 ミカエルが現われてからの紘子さんは、年月がたつにつれて、どんどん世俗を離れ、無欲になっていった。ミカエルとともに暮らすうちに、彼女の考えや価値観は、煩悩にまみれた人間社会を脱し、純粋な精神の世界に近づいていくように見えた。彼女は他人の目を気にしなくなり、つねに正直に自分自身であり続けるようになった。お化粧やオシャレに関心を持たなくなり、身なりはいつも質素で、自分のことはどうでもいいように見えた。そのかわり、ミカエルの助言をもとにしたカウンセリングによって、他人を支え、他人のために力を尽くすことに全精力を注いだ。

 私はミカエルだけでなく、こういう紘子さんそのものをも、心のどこかで絶対視するようになった。相変わらず世俗的な欲望に振り回されている私と違い、紘子さんは神の世界に近づいている。彼女は常に正しく、私は間違いだらけという思いが、心の中に根付いた。
「紘子さんだったら、こういう場合、どうするだろうか。彼女は私の行動や態度を見て、なんと思うだろうか。紘子さんは、今私が抱いている考えに、賛成するだろうか、反対するだろうか」
 私の頭の中を、常にこのような言葉が、ぐるぐる回るようになった。ミカエルに対する場合と同じで、彼女の口から「和代は正しい」というお墨付きをもらわない限り、私は安心できなくなった。
 ミカエルも紘子さんも、私を洗脳しようとしたのではない。厳しいことは厳しかったが、神や魂の世界を、私にむりやり押しつけようとしたのではない。自由の意味と、自立の大切さ、より良い生きかたについて、教えてくれたのである。にもかかわらず、私はミカエルと紘子さんを絶対的な存在と思い、自分の考えに自信が持てなくなり、自分自身をなくしてしまった。大天使という、自分よりはるかに賢く、正しい存在が、目の前にいるのである。いちいちお伺いを立て、指示を求めたくなるのは、当然かもしれない……。
 しまいには、厳しく、どこか異様なまなざしの紘子さんの顔が、トラウマのように頭から離れなくなった。遊びに出かけようと思って、道を歩いているとき、美術館で絵を見ているとき、友達と談笑しているとき、紘子さんの怒った顔が、ふいに幻のように脳天に浮かび上がってきたりした。
「和代、何を怠けているの。和代、絵画を鑑賞するより、自然の美しさを見なさい。和代、時間を無駄にしないで」
 幻の顔は、そう言っているようだった。神経症にかかっていると、私は思った。ミカエルと紘子さんという強烈な存在に、長い間つき従い、自覚していなかったが、相当な無理をしていたのだと思う。そのひずみが、出てしまったのだ。
 
 山梨に移住する少し前から、私は時々、紘子さんに対して距離を置いた。「しばらくひとりで考えたい。ブランクが欲しい」と言って、一、二ヶ月会わないでいることもあった。紘子さんは、黙って私がしたいようにさせてくれた。
 距離を置くことで、おかしくなってしまった神経を、正常に戻そうとしたのだ。紘子さんから離れると、重圧から解放されて、ホッとしたが、しばらくたつと、さまざまな悩みに耐え切れなくなり、彼女に助けを求めてしまうのだった。
 『スフィア』を見たのは、山梨に移り住んで数年たった頃だ。後に紘子さんから聞かされたことだが、ミカエルはその頃、和代に伝えるべきことは、すべて伝えたと、紘子さんに言ったそうだ。
「もう、いいでしょう。あとは、和代がわからないことを質問してきたときに、答えてあげなさい」
 ミカエルは、そう言った。
 そして、私は富士山で、衝撃的な神秘体験をした。
 山から戻って、数日後。自分の内部で何が起こったのか、まだ、はっきりと認識できないまま、ただ、何とも言えない落ち着きとすがすがしさを、私は感じていた。そして、私の意識は過去を振り返り、紘子さんとの関係において、今まで自分が、重大な過ちを犯していたことに気づいた。
 ミカエルと紘子さんを絶対視し、自分自身を信じないで、彼らに寄りかかって生きていたこと……。
 このままでは、私は自立できない。頭の中に太字で書かれたかのように、私は強烈にそう思っていた。心の自立をめざしていたつもりが、まったく逆の方向に歩いていたことを知って、愕然としたが、気づいたのは幸いだった。これまでのように、紘子さんの身近にいることは、もうできないと思った。彼女の近くにいたら、私はミカエルと彼女が放つ強いオーラに惑わされてしまい、自分の世界を築くことができないだろう。家族のような緊密な関係を続けてきたことを思うと、彼女から離れることは、お互いにとって、生木を引き裂くようなものだという気がしたが、私が自分自身を取り戻すためには、ほかに道がなかった。
 このような思いで心をいっぱいにしながら、数日を過ごし、そしてある朝、紘子さんから電話がかかってきた。彼女はやきものの本場である韓国に、いっしょに旅行に行かないかと、私を誘ったのだ。その言葉を耳にしたとたん、私は自分でも思いがけない態度をとった。私はひどく不機嫌な声で、こう言い放ったのだ。
「私は忙しいの、あなたのような暇人につきあっている余裕はないわ。私を放っておいて!」
 紘子さんは、私の陶芸に役立つだろうと思って、韓国旅行に誘ったのだが、彼女の気遣いに、私はむらむらとうとましさを感じてしまった。
(あなたはいつも私の先に立って、私を誘導しようとする。もう、やめてちょうだい。私のためを思ってくれなくていい。何が自分に役立つかは、自分で決める。私は、ひとりで歩きたいのよ)
 不機嫌に旅行を断りながら、私の心の中には、こんな思いが渦を巻いていた。
 私の対応に彼女は驚き、そして傷ついた。言葉はときに鋭い刃物になる。切っ先にたっぷり毒を塗った刃物に。

 今までさんざん面倒を見、親身になって支えてきたのに、最後に裏切られた。紘子さんはそう思ったようだ。私が彼女に与えた心の傷は、おそらく今も癒えていない。さんざん頼った人を、私はいきなり、両手で突き放したのだ。これまで彼女が私に対してしてくれたことに、感謝の言葉ひとつ言わずに。
 どうしてあのとき、電話口で、彼女を崖から突き落とすようなことを言ったのか、今もってわからない。あのとき、電話がかかってこなかったら、もっと冷静に考えをめぐらせ、感謝の気持ちや、ひとりで自分の世界を築いていきたいという、そのときの心境を、素直に綴った手紙を出したかもしれない。いずれにしても、もっと良い方法が取れたのではなかっただろうか。
 紘子さんは、ミカエルの媒体者としてだけでなく、年上の友人として、善意と愛情をもって私に接してくれた。たぶん私を、妹のように思ってくれたのではないかと思う。彼女の目には、おそらく私はとても頼りなく、危なっかしく映ったので、どうしても放っておけなかったのだろう。
 私はと言えば、ミカエルがついている紘子さんを、この世で最も信頼していたので、行き詰まると、つい彼女を頼ってしまった。ひとりで解決できる問題も、彼女に相談してしまった。
 そうやって紘子さんに寄りかかっていながら、心のもういっぽうでは、私の創作や恋愛問題にまで、立ち入ってアドバイスをしてくる彼女に対して、重苦しさを感じていた。
 私の間違いは、自分ひとりで問題を乗り越えようとする積極性を持たず、安易に紘子さんを頼ったことだ。ミカエルとともにいる彼女なら、的確な答えをくれるだろうと思い、自分で答えをみつける努力を怠ったことだ。悩みを前にして、もっとあがいていれば、私はそのあがきの中から、いろいろなものを拾い上げ、自分が発見したものを、ミカエルの言葉と照らし合わせて、ミカエルが語ることの真意を、もっと早く汲み取っただろう。そうすれば、ミカエルはともかく、紘子さんを絶対的な正しい存在とは、思わなかったはずだ。
 紘子さんを百パーセント正しい存在、と思い込んでしまったために、私は彼女に重圧を感じ、常に彼女が私の先を歩いているような気がして、耐えられなくなったのだ。
 もっと早く、私が自立の意味に気づいていれば、私は紘子さんとこのような形で離れることはなかったはずである。

 しかし、やりかたはまずかったが、紘子さんと訣別したことに、後悔はなかった。紘子さんとミカエルから離れて、ひとりで歩くことが、正しい道だと確信していた。“キツネの子別れ”という言葉が、頭に浮かんだ。動物も人間も、親離れ、子離れをする。ミカエルが現われてからの紘子さんは、私にとって“親”のようなものだったのだ。親離れのときが来た、と私は思った。
 紘子さんとは、その後、手紙のやりとりは何度かしたが、じかに顔を合わせていない。彼女は現在、病を抱え、経済的にも良い状態とは言えないが、お見舞いにも行っていない。
 富士山での神秘体験のあと、数年たって、もうひとつ神秘体験があり、さらに数年たって、私はこのエッセイの執筆に取りかかった。その間、私なりに多くのものをつかみ取り、自分のものにしていった。私が確かなものをつかみ取ることができたのは、ミカエルが私の心と頭に叩き込んだことが、土台としてあるからだ。今、思えば、ミカエルははかり知れないほどの、深く、大切なことを、私の中に叩き込んだのだ。
 私はもう、紘子さんを、かつてのように絶対的な存在とは思っていない。今の彼女は、大変無欲で、とても透明な思考力を持っているが、私と同じように欠点も弱点もたくさんある、ふつうの人間だと思っている。今やっと、私は紘子さんと同じフィールドに立てたのかもしれない。今なら、対等な気持ちで、彼女と語り合えるかもしれない。
 さまざまな葛藤があったので、紘子さんに対しては、ほかの友達に対するような気楽な感情は、どうしても抱けず、会いに行く気持ちには、まだなれない。会う必要があるときは、そういう流れが自然に起こるだろうと思っている。



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第43章





        神


 紘子さんと別れ、しばらくたつと、山梨での陶芸の活動が軌道に乗り始めた。陶芸に関して、この土地にひとつのコネも持たず、作品の発表の場を得られなかった私は、陶芸教室をやりながら、コツコツと作品を作りためていた。
 ある作家のグループに、思いきってこちらから声をかけたのが切っ掛けとなって、クラフトフェアや展示会に出品できるようになり、ショップとのつながりもでき、年間のスケジュールがほぼ決まるようになった。
 個人の注文もぽつぽつ入り、私は制作に追われた。作品のアイディアを練らなければならず、釉薬の工夫もしなければならず、やることは常にたくさんあった。ミカエルから教わったことを反芻したり、神や魂について考えたりする時間はなく、占いの仕事を別にすれば、私はスピリチュアルな世界から離れてしまった。
 神も魂も忘れ、陶芸に没頭したことは、もしかしたら、私にとってプラスだったのかもしれない。創作は、思いきり自分の感性を羽ばたかせることである。規制を突破し、より自由に、より率直に、自分を表現しようとしなければ、良い作品は生まれない。創作は、自分自身に向き合うことでもある。窯から取り出された器やオブジェには、ありありと自分自身が映し出されているからだ。
 私の頭は、スピリチュアルな世界を忘れたが、私の感性は、土や作品の中に、大自然に宿る精霊や、自分自身の魂を見ていたのかもしれない。
 そして、ふたたび不思議な体験をした。

 今から5年ほど前のこと。
 秋の企画展が終わったころだと思う。
 窓の外は、木の葉が赤やオレンジに色づき、華やかな色彩のハーモニーを奏でていた。
 ふと思い立って、私は紘子さんが書いた、分厚い自動書記の原稿を引っ張り出した。はっきりとした目的があったわけではない。ひさしぶりにあの原稿に目を通したら、何かしら新しい発見があるかもしれないと、漠然と思っただけだ。
 斜め読みに目を走らせながら、内容の物凄さに、心の中で思わず唸ってしまった。気取ったところのない、ざっくばらんな語り口で、文章が進んでいくので、凄いことが書いてあるという印象を受けないのだが、よく読み返すと、常識や一般通念をひっくり返すようなことが、書かれてある。宗教に関する項目には、キリスト教の信者から抗議が来るのでは、と思われるような個所もある。
 取りつかれたように、私は一気に原稿を読み終えた。心が何か熱いものに触れたような感じがし、頬が少し上気しているのがわかった。
 深く息を吐いて、私は窓の外を眺めた。頭の中をまとめる時間が欲しかった。

 美しく色づいている木々に視線をさ迷わせ、しばらくぼんやりしていた……。
 ……と……、ふいに、今まで視界にあった風景とは違うものが、見えた。なんと言ったらいいのだろう。肉眼で見る風景には、何の変化もないのだが、突然、とんでもない世界が、目の前に開けた。肉眼ではない、心の眼が、その世界を見ていた。
 それは、信じがたいほどの、とても表現しきれないほどの、深さと広さと大きさと豊かさを持つ世界だった。なんと広く、なんと深く、なんと大きく、なんと豊かな、なんと美しく、素晴らしい……、どんな言葉を当てはめても、その言葉がひどく貧弱に思えてしまうくらい、途方もなく豊かで、ダイナミックな、素晴らしい……世界……。
 目の前の雑木林も、この家も、私自身も、この世のありとあらゆるもの、すべての人間が、そのとてつもなく凄い、素晴らしい世界に存在している。その世界が、あまりにも深く、素晴らしいので、その中に存在していることが、とんでもなく貴重で、言葉に表わせないほどありがたいことだと思えてくる。私達は、“今、ここにいる”というだけで、感謝しきれないほどの幸福を得ているという気がした。人生でどんな困難にぶつかっていようと、どんな苦しみにあえいでいようと、根本の部分で、とてつもない愛と幸運に包まれているのだという気がした。
 この信じられないほど豊かで素晴らしい世界が、私達人間が住む世界なのだ。これが、私達が置かれている世界の姿なのだ。
 どうして今まで“これ”を見なかったのだろうと思った。自分が生きている世界の“真の姿”を知らないなんて、ずいぶん心もとないことだ。けれども“これ”は、そうたやすく見ることはできないのかもしれない。この、どんな表現も当てはまらないほどの、素晴らしい世界を見たことは、とてもラッキーなことなのだろう。
 
 自分が見た世界が、“神”だと、私は一抹の疑いも抱かずに思っている。この体験は、あまりにもインパクトがあり、これを境に、私のものの考えかたは、根本の部分で大きく変わったような気がする。
 この体験は、私の心に、安定した土台を作ってくれた。豊かで、みずみずしく、どんなものにも柔らかく対応する、しなやかな強さを持った土台。私の未熟な心は、相変わらず、あえぎ、狂い、愚かしく迷うが、この土台があるおかげで、冷静を取り戻すことができる。海面が激しく波立っていても、海の底には静謐があるように、心の土台はけっして揺るがない。
 富士山で“神”を体験したあと、私は欠点も弱点もひっくるめて、自分のすべてをすんなりと受け入れるようになった。自分をまるごと、愛するようになった。5年前に“神を見た”あと、その心の在り方が、さらに深く、確実なものになったように思う。
 繰り返すが、一人ひとりの人間の存在は、とてつもなく貴重なのだ。それは、その人間が含まれている神という世界が、信じがたいほど素晴らしく、物凄いからだ。自分も含めて、一人ひとりの人間を尊重し、愛さなければ、神に対して申し訳が立たない。自分を貶めたり、ないがしろにしたり、傷つけたりすることは、この途方もなく素晴らしい“神”を、冒涜することになってしまう。他人を抹殺したり、排除したりすることは、“神”に対する裏切りなのだ。人間は一人として、損なわれてはならないのだ。
 
 人の和を尊び、協調を心がけるための倫理観やモラルといったものは、むしろ私の心から消えてしまった。倫理やモラルは、人間が間違いを犯さないようにするための、一種の規制である。事故を防ぐためのガードレールのようなものだ。自分も他人も含め、人を傷つけること、人を愛することの、本当の意味がわかっていたら、倫理もモラルもいらない。人間の存在、人間が置かれている世界、その実体と意味がわかれば、自分を含め、人を尊ぶ以外に、生きる道がなくなってしまうのだ。
 神は、限りなく豊かだ。その一部であり、その中に存在している人間が、豊かでないはずがない。人間の作った社会は、人の能力に優劣をつけ、肌の色で人を差別する。優秀な人間と劣っている人間がいることが、当たり前になっている。でも、それは違う。優秀な人間はいるが、劣っている人間はいない。劣っていると見えるのは、能力を開花させていないからだ。“神”がこれほど豊かに多くのものを内包している存在なら、その分子である人間に、“才能に恵まれない者”がいるはずがないのだ。
 たとえ今、どれほど荒れた生活をしていようと、心を病んでいようと、自堕落になり、人に迷惑をかけていようと、どの人も、その存在を軽く扱われたり、ないがしろにされたりしてはならないのだ。どんな人も、価値があるのだ。

 プライドとコンプレックスのあいだを揺れ動きながら、突っ張って生きていた、かつての私は、もうどこにもいない。私は今、肩の力を抜き、深々と、楽に呼吸をしている。他人が私をどう見ようが、どんな批判をしようが、私は動じない。私は自分自身を、心の底から愛しているからだ。自分を深く愛しているから、自分の欠点も、至らないところも、素直に受け入れることができる。これはまずいと思うところを、直していこうという気になる。
 すべての人が、自分自身を、深く愛さなければならない。かけがえのない自分を、大切に、大切に、育てていかなければならない。心の底から自分を愛していれば、心の底から人を愛することができる。相手が必要としているものを、与えることができ、相手の心の空白を埋めることができる。豊かに愛を与えられる人は、豊かな愛をもらうことができる。



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第44章





       フフ  ~心の中の天使~



 先日、東京カテドラル聖マリア大聖堂に、行った。丹下健三がデザインしたこの教会を訪れるのは、これで四度目である。年末には、一年の心の垢を洗い流し、すがすがしい気持ちで新年を迎えるために、必ず行くことにしている。この春、教会に行こうと思い立ったのは、このところ、直感が当たることが多いので、心が妙な方向に傾かないよう、きちんとバランスを取っておこうと思ったからだ。
 教会の門に向かって、横断歩道を渡っているとき、この建物が発している強い“気”が伝わってきた。この場所がとても強いエネルギーを持っていることは、初めて来たときからわかっていたが、今回ほど、そのエネルギーの強さを実感したことはなかった。
 祭壇近くの椅子に座って、目を閉じると、堂内に満ちている“気”が、特殊な力を持っていることが、よくわかった。全身に“気”を感じながら、私は頭をからっぽにしようと努めた。何も考えないという状態を持続するのは、とても難しいのだが、今大切なのは、考えることではなく、感じることだと思ったのだ。
 
 20分以上も、そうしていただろうか。“気”の動きに変化が起こり始めた。強い気が頭の上から、体の中に、垂直に入ってくるような感じがする。気の動きは強いだけでなく、スピードがあり、まるで見えない電気掘削機で、体の中に穴を掘られているようだ。そのうち、胸の中央のあたりを強く押されている感覚があり、心のどこかから、「ぶっ飛ばせ!」というような声が聞こえた。ダイナマイトを仕掛けて、トンネルを貫通させるように、バーンという気の爆発のようなものがあり、トンネルの最後の岩盤が破壊されて、向こう側の景色が見えるように、私の心の中の、何かの壁が打ち破られ、あけられた穴からオレンジ色の光が射し込んだ。
 胸の中央の辺の圧迫感は、さらに強まり、自分の“気”がそこに集まっているのがわかった。胸の中心には、チャクラと呼ばれる霊的なポイントがある。オレンジの光が、穴から差し込んでいる、先ほどの光景を思い出しながら、私は、胸のチャクラが開いたのだと思った。
 今日、この教会に来たのは、このためだったのだ。私はそう思い、何か大仕事を成しとげたような気持ちになった。

 教会の“気”が、私の胸のチャクラを開いてから、二週間がたった。その二週間は、霊感が強くなったと思われるような、特別なことは起こらず、教会での印象的な体験は、私の記憶から薄れつつあった。
 そして、ちょうど二週間目の夜。とても気になる問題に関して、私は瞑想によって、何か解決のヒントが得られないかと思い、精神を集中していた。心を空白にし、直感を待つ。そのときふと、何かのイメージや言葉が心に湧くのを待つだけでなく、こちらから明確な質問をしてみようと思った。
「私はこの問題に関して、直進していいですか?」
 すると、胸のチャクラのあたりが、グーっと強く押されるような感覚があった。
「私はこの問題に関して、直進しないほうがいいですか」
 今度は、チャクラはまるで反応しない。
 私は、この要領で、いくつかの質問を試みた。そして、チャクラが反応するときは、答えはイエス、反応しないときは、答えはノーだということがわかった。
 翌日、私はこのチャクラの反応が、本当に当たるのかどうか、確かめようと思い、占いをすることにした。ある人に出したメールの返信を、その人は今日中にくれるかどうか、質問したのだ。チャクラの答えは、今日中には来ないというもので、その通り、返信のメールはその日、なかった。
 疑い深い私は、それでもまだ完全に信じられなかったので、瞑想の中で、チャクラの反応を信じていいものかどうか、天に向かって聞いてみた。私が気にかけていたのは、チャクラの反応は、天の答えではなく、自分の感情が作っているものではないかという点だった。自分の願望や不安や恐れが、自分の肉体に作用しているだけではないかと思ったのだ。
 そのような懸念を、ごちゃごちゃと心の中でつぶやいていたとき、ふーっと何かの力が現われた。言葉は心の奥に引っ込んでしまい、私はつぶやくのをやめた。オレンジ色の、優しい、穏やかな“気”が、やわらかい絹の反物のように、心の中にゆるやかに流れていた。それから、顔のようなものが、すうっと浮かんだ。その顔は、三日月のような美しい眉と優しいまなざしを持った、観音様のようにも見え、母性にあふれた天使のようにも見えた。
「信じなさい」
と、“その存在”は言った。
「信じて、進みなさい」
 そして、微笑みを残して、オレンジ色の光の中に消えていった。
 
 教会で開かれたチャクラの穴から、天使がやって来た。

 私がこのエッセイを書いたのは、
「“和代の神”について、書いてね」
と、紘子さんから言われていたからである。紘子さんと会うことはなくなったが、私は自分の神秘体験について、手紙で彼女に知らせていた。
 精神世界について、心の宇宙について、自分がとらえたものを表現し、伝えることが、私の人生のテーマだと、ずいぶん前にミカエルからも言われた。神や精神世界について、書かなければならないのだ、という思いは、ずっと頭の片隅にこびりついていたが、さて、何を、どう書けばいいのか、手掛かりがまったくつかめなかったのである。
 精神世界について、心の宇宙について、自分がとらえたものを表現し、伝えることが、私の人生のテーマだと、ずいぶん前にミカエルからも言われた。神や精神世界について、書かなければならないのだ、という思いは、ずっと頭の片隅にこびりついていたが、さて、何を、どう書けばいいのか、手掛かりがまったくつかめなかったのである。
 ただ、最初、何を糸口にすればいいのかが、わからなかった。神や魂、人生の意味、輪廻転生とカルマ……。テーマは重い。重いテーマで埋め尽くされた文章を、人は、最後まで読んでくれるだろうか。
 この重い内容に、少しでも軽やかさを加えようと思い、私は“フフ”というおかしな天使を創作した。現実の出来事に、想像の産物であるフフをまぎれさせ、重苦しさをかわそうとした。どこまでが現実で、どこからが想像なのか、その境目があいまいでもいいじゃないか、という思いがあった。
 どのみちこのエッセイは、目に見えない世界を扱っているのである。神、魂、大天使ミカエル……、あたかも目の前にくっきり存在しているかのように、私は書いているが、すべて、頭の中で起きている出来事なのである。実在することを証明しろと言われても、できないのである。そういう感性の領域を、私が創り出した可愛い天使が、たまに飛び回っても、たいして問題はないだろうと思ったのだ。

 “フフ”の着想を得ると、文章は面白いように進んだ。フフという糸口を得て、私の心の中に、もやもやした綿のかたまりのように、形を取れないでいた内容が、くっきりとした姿となって、言葉の上に現われてきた。
 気まぐれに時々飛び回っていたフフは、しだいに、しっかりした意味を持つようになった。書き進めるうちに、私はフフを、あながち想像の産物ではないと思うようになった。

 すでに書いたことだが、フフは、人間の心の中の、神に通ずる部分なのだ。自分自身のバランスを取ろうとする、心の機能。良心、思いやり、愛。心の底のほうにある、確かな感覚、この方向に進めば、絶対に間違わないと自分にささやきかける、心の声。直感、霊感……。フフは、そういうものの象徴である。
 以前、テレビ番組の対談で、注目を浴びている若い女性のアートディレクターが、「自分を守るものは、自分だ」と言っていた。思いついたアイディアを、心の中で両手でギュッとつかんでみて、ストンと下に落ちてしまうようなら、ダメなアイディア。「うん、これだ」と思える、確かな手ごたえが感じられたら、良いアイディア。彼女独特の感覚的な表現で、そのようなことを言っていた。判断をする、自分の感覚、それが自分を守ってくれると、その女性は言った。
 心の中の、確かな感性は、自分自身を守るのである。誰の心にも、フフに象徴される、“バランスのとれた、確かな感性”や“透明な心”がある。自分の中の“その部分”を、“自分のフフ”を、大切にすることが、人生という限られた時間を、有効に使い、多くの実りを得られる生きかただ。
 小さな天使は、神の使いである。ごくたまに、フフは神を見せてくれる。自分の中の、“確かな感性”を探り当てると、その感性は力を増し、神につながりやすくなる。
 私が見た“神”を、私は多くの人々に見てほしいと思っている。筆舌に尽くしがたい、あまりにも凄いその世界は、生命と愛と、人間の存在と人生の意味について、一瞬で明確にわからせてしまう力を持っているからだ。自分自身の貴重さと、自分が得ている幸福が、ありありとわかるからだ。
 人間は、自分という存在が、いかに深い愛と豊かさによって支えられているかということに、まったく気づいていない。もったいないくらいの豊かさと愛に、包まれているのに、自分を貧しく、非力で、不幸な存在だと、勝手に思い込んでいる。
 自分を包んでいる、この豊かさに気づいたら、神経症も心の病も、たちどころに治るだろう。自分という存在が、どんなに貴重で、輝かしいものかということに気づき、それでもなお心の闇に閉じこもることは、ありえないからだ。

 “あなたのフフ”が、あなたを守ってくれる。
 神を見せてくれる。
 天界からあなたをみつめる、家族の魂や、豊かな精霊たちと、話をする道をつけてくれる。
 
 “あなたのフフ”を、探してください。

                 
                                完    



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