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      和代のゆうゆう日記   
   
   

2019

9月18日(水)
 消費税増税まであとわずか。必要な物は電動の枝や芝を刈る機械で、ほかには取り立てて買おうという物がない。枝切りの機械は購入した。
 パソコン等、中小の電器店でキャッシュレスで買えば、ポイント還元が付き、増税前に買うより安くなるという。しかしながら、中小の電器店の商品は、割高なイメージがあるから、この方法が果たして正解なのか、疑問も湧く。本当はそろそろパソコンを買い替えたほうがいいのだ。ただ買い替える前にやっておきたいことがあるので、先延ばしにしている。
 パソコンはソフトの互換性の問題があったりして、ほんとに面倒。20年くらいは大丈夫なPCができないものかね。
 


9月15日(日)
 千葉県の被害に、心が痛む。電柱の問題。ウチの玄関の前には、昔からある電柱がそびえ立っている。この電柱、取り替えたことがあるのだろうか。60年以上経っているような気がする。
 道路をあらためて眺めてみると、電柱の数が多いことに気がつく。通信手段が発達するにつれて、電線、電話線の本数も増えた。電柱の地中化が実現したら、街はどんなにすっきりするだろう。これらの電柱が地震等で倒れたら、このあたりの家は全滅だ。


9月13日(金)
 一昨日、夕方ものすごい雷が鳴って、家中バタバタした。テレビのコードを抜き、やはりこれもとエアコンのコードを抜き、脚立を持ち出して、高い位置にある冷蔵庫のコードも抜いた。抜いたはいいが、コードを冷蔵庫の裏に落っことし、そのままでは回収不能に陥った。冷蔵庫と壁のあいだにピッタリはまっている細長い戸棚を引っ張り出し、狭い隙間に手を這わせ、ようやくコードを引っ張り出した。ついでに戸棚があった部分のホコリだらけの床を掃除した。
 そんなことをしているうちに、雷は遠のいた。なんのための騒ぎだったか。
 千葉県の被害を毎日映像で見ているので、だんだん神経質になってくる。台風でこれだけの被害が起きるのは、地球の自然が本当に深刻になっているからだ。


9月9日(月)
 台風をナメていた。ニュースでは大騒ぎしても、実際はさほどでもないことが少なくない。雨は相当量降るだろうと思ったが、風はあまり考えていなかった。で、朝ゴミ捨てに出たら、玄関ポーチの階段の端に置いた植木鉢2個が落っこちて割れ、丈の高いスタンドに嵌めた日々草の鉢は、スタンドごと横倒しになった。花々はぐちゃぐちゃだ。
 大事な大事な白アジサイも、細い枝がぐにゃりと曲がった。ゴミ箱とワンコのウンチ入れの容器の蓋が、通りの向こうに吹っ飛んでいた。
 植木鉢がふたつ割れたので、自分で作る気になった。オフホワイトの、少し歪みをつけたやつ。イメージは出来ているのだ。


9月6日(金)
 快晴。素晴らしい青空が広がっている。花は陽を求めて、みんな道路側を向いている。家の中から、サンパラソルの後ろ姿を眺めている。
 白いアジサイは、葉っぱがどんどん枯れている。根腐れしたか。大事にしすぎて、失敗したみたいだ。来月になったら、掘り起こして根の具合を調べてみよう。






9月4日(水)
 煩わしい問題は、次から次へと湧いてくる。嫌な虫かなにかのように湧いてくるものと闘うのが、生きるっていうことなんだねと思いながら、人生ってなんなんだろとため息も出る。
 学ぶために生きているのだと、もっともらしい言葉を書きつけても、ぜんぜんインパクトないもんね。でも経験し、味わうことは、腹をくくれば面白みに満ちたことでもある。

 近所の公園のススキが、今を盛りと伸びていた。






9月2日(月)
 暑さが少し鎮まったら、植物の生育が良くなった。植物たちも、酷暑には参ってしまうのだろうか。
 サンパラソルは蔓をどんどん伸ばし、手作りのトレリスでは間に合わなくなった。トレリスからはみ出した分は、フェンスにからみつくだろう。
 蕾がこんなにつきました。




8月31日(土)
 長いようで短かった8月。後半はパソコンの前で悪戦苦闘の日々だった。
 この夏良かったことと言えば、スイカの当たり年だったこと。甘くでジューシーで、果物の王様だと思いました。
 
 恋愛相談を受けていて、思う。相手との関係を、勝ち負けのように、どちらが優位に立っているかというように、考えないでほしい。なんのために人を好きになっているのか、真摯に考えてほしい。


8月29日(木)
 毎日、韓国と日本の対立のニュースが流れ、険悪の度合いが増す現実に、不安を覚える。ムン・ジェインは北と一体になり、中国に寄り添い、つまり韓国が共産主義国家になってもいいと考えているのだろうか。共産主義は独裁体制だ。韓国民はそれでいいのだろうか。
 香港では熾烈な抵抗が続いているというのに。韓国の人々は、言論の自由を奪われてもいいのだろうか。


8月27日(火)
 アメリカアジサイ、アナベル。ずいぶん長く咲いていたが、ついに花が枯れ始めた。二輪あるうちのひとつを切り取った。なんだか寂しい姿になった。
 花が終わったあとも、葉がどんどん伸びるのだろうと思い込んでいたが、新しい葉は一枚も出てこない。古い葉は、縁が茶色くなっている。これ、失敗したかなあ。今、気に病んでいることのひとつだ。


8月26日(月)
 今日はさらに涼しく、なんとエアコンをつけていない。窓を開け放し、風に吹かれながら昼寝をした。極楽だ!
 
 韓国旅行をしていた日本人女性が、韓国の男性に暴行された。今後の生活に支障をきたすほど、傷は重い。日本で報復が起きるのではないかと心配だ。いつかこういうことが起きると思っていた。小さな軋轢が積み重なり、国民感情が煽られ、戦争へと突入することは、歴史が繰り返し証明している。


8月25日(日)
 今朝は湿度がなく、涼しく、日曜ということもあってか、イヌの散歩をしている人が多かった。
 「ようやく過ごしやすくなりましたね」
 石畳の散歩道の枯葉を掃いていた品のいい高齢の女性が、声をかけてきた。つらい夏が終わりかけて、みんな喜んでいるのだろう。
 我が町は、穏やかな空気が流れ、とげとげしい世情とはまるで無関係に見える。それぞれの人は、それぞれに問題を抱えているのだろうけれど、でも晩夏の朝は、空気までが緑に染まったように心地よく、ささやかな平和に包まれていた。


8月17日(土)
 外はギラギラ。なので外出しない。
 マックのパソコンの外部機器の接続がわかりにくかった。というか、サポートに助けてもらったら、結局いたってシンプルだということがわかったのだ。マニュアル本に、本当に知りたいことが書いてない。機器に付いている説明の紙にも、本当に知りたいことが載っていない。

 とはいえ。マックはパソコン本体も、画面も、とてもスタイリッシュで、気持ちが動く。

  転送エラーが起きたので、もう一度試します。何がいけないのか?


8月16日(金)
 台風去って、ようやく日差しが出てきた。明日は37度くらいの猛暑だ。お盆が過ぎると、夏の疲れがたまってくる。年々、疲労を感じる度合いが高まってくるようだ。
 俳句の夏井先生のように、エネルギッシュにならなきゃ。
 明日はルーターにウイルスバスターの装置をつけ、設定をしてから、アップルのパソコンに取り組まなければならない。外付けハードディスクを自分のパソコンにつないで、ファイルの保存もしなければならない。サーチコンソールの所有者の認証も、ほっとかないでなんとかしなければならない。
 メンドクサイ。





8月15日(木)
 妹と二人、マックの設定に四苦八苦だ。ウインドウズとはインターネットのアイコンも名前も違うし、画面の閉じ方も違うし、どこに何があるのやら、いちいちスマホで検索だ。シャットダウンのしかたも違うから、さて今日は終わろうと思ってからがひと騒ぎでした。
 
 台風が上陸したけれど、遠いので、思ったより雨風がひどくない。しかし西日本は大変だ。この前の豪雨災害で家を壊された人のための仮設住宅が、海の際に建っている。高波が心配だ。被災した人のために、この国は何をしてくれるのだろうと思った。戦闘機はたくさん買っているのにね。


8月14日(水)
 昨日、妹がパソコンを買うのにつきあって、ビッグカメラに行った。マックのパソコンだ。マックの売り場は、ウインドウズの売り場と違って、広々とスペースが取られ、商品がたっぷりと間隔をあけて、まるで美術品を飾るギャラリーのように展示されている。デスクトップ、ノート、アイフォーンも腕時計も、丁寧に置かれている。店員さんもマックの売り場専属で、スッキリしたモノトーンのユニフォームを着ている。他との差別化を図った、高級感漂うスペースで、ここで購入の検討をしていると、自分もちょっと特別な存在になったような気分になってくる。マックの売り場が銀座なら、ウインドウズの売り場はアメ横って感じ。
 アップル社、なんでこんなに気取るんだろうねえ、という思いもあるけれど。マックは初めてなので、入門書を買って見ていた。パソコンが届くのは明日だ。写真の処理など、いいなあと思う部分が随所にあり、私も次のパソコンはマックにしようかな、などと、気持ちは動く。


8月12日(月)
 高速道路の渋滞をニュース番組が映している。中央道が映っている。上り線、上野原付近から車の列が止まって動かない。談合坂サービスエリアでは、ぐったりした犬を抱いているおじさんが、車の外で休憩している。ワンちゃん、エアコンがきいていても、具合が悪くなったらしい。
 中央道を見ていると、懐かしくなる。山梨と東京をしょっちゅう往復していた。上野原の友人の家、大月の駅前、富士吉田の風景、いろんな景色が頭をよぎる。
 富士吉田はそろそろ火祭りの準備だ。


8月11日(土)
 とにかく暑い。友達がゴーヤを植えようとつぶやいていたのをきっかけに、私のゴーヤ熱が高まった。緑のカーテンを作ろう!  むろん来年の話。今からじゃ遅い。
 ゴーヤチャンプルも作れる。と言って、私はあの苦い味は好きではないので、収穫したら人にあげる。
 今年の庭は、花が少ない。サンパラソルがやっと一輪。




8月9日(金)
 老後の資金に3,700万円必要だとか……。医療費、介護費用を考えると、厚生労働省が発表した2,000万円では足りない。もうそんなの無理! と思っている人は多いだろう。今、60代の女性は、計算上は91歳まで生きるそうだ。寿命が伸びて、お金がないというのは、地獄絵図だ。医療の進歩を恨みます。

 NHKの受信料が、年間で2万2,000円くらいかな。岩合光昭の世界ネコ歩きくらいしか見ないから、よく考えると、番組の視聴はずいぶん高くつく。N国の議員さんはなんかいかがわしい感じだけれど、あらためて考える機会をくれたことには、感謝かもしれない。

 3年も土を替えてないのに、こんなにフサフサ育ってます。





8月7日(水)
 夏は、園芸店に行っても花が少ない。強い日差しを浴びて、萎れた草花の鉢が並んでいたりする。5月に植えた花々は終わりかけている。アジサイも終わりだが、アナベルはまだ頑張って咲いている。
 花の時期は過ぎたが、木々はどんどん育つ。つるバラは去年の倍の高さだ。植物が育ったために、庭が狭く見える。
 
 愛知県の展覧会のニュースを見て、腹立たしくなった。抗議や嫌がらせのメールをした人々に、怒りが湧いた。まったくこの成り行きそのものが、「表現の不自由展」だ。


8月6日(火)
 原爆の日。防災無線が、黙禱を呼びかけていた。セミがうるさいほどに鳴き、空は熱気を放射している。原爆ドームを、まだ見たことがない。いつか行かなければと思っている。

 最近、瞑想の良さを新たに感じている。そのとき問題になっていることの答えが、感覚の中で、返ってくるような気がする。ああそうか、と要のヒントをもらえる。


8月5日(月)
 早朝、犬の散歩。日差しはもう強いが、空気はひんやりして、時折涼しい微風が吹く。湿気もあまりない。通りすがりの家の塀に、葡萄の蔓がからみついている。そこここに薄いグリーンの実がなっている。直径1センチに満たない小さな実をつけた房もあれば、食べられそうな大きさに育った房もある。実は、触るとまだ硬い。
 庭木に葡萄を植えている家は珍しいので、いつも眺めてしまう。
 ゆうべは女子会。ビールを飲んで、ツマミをたくさんとって、とめどなく喋る。下北沢の横丁は、どこか懐かしい感じのするのどかさが漂っている。


8月3日(土)
 昨日、駅前のスーパーまで行き、帰宅後しばらくたって頭痛が始まった。保冷剤で首筋や顔、脚の付け根などを冷やし、水をこまめに飲んだのだが、どうも熱中症にかかったらしい。
 なるべく夕方に出かけるようにしているのだが、どうしても日中に外出しなければならない場合は、どうしたらいいのだろう。
 7月、雨が降り続いていたときは、体が重く、めまいの前兆のような感じがあり、偏頭痛もした。友人に言わせると、この症状は気圧が原因らしい。友人の夫の事務所がビルの40階くらいにあって、友人はその事務所に長く居ると、めまいや偏頭痛などの症状が出るという。
 去年は花粉症に悩まされた。今年は花粉症は出ないが、気候の変動に体が対応できず、体調不良が起こっている。体がじわじわと弱ってきているようだ。


8月1日(木)
 遠くで雷が鳴っている。
 セミも勢いよく鳴いている。
 セミは地上に出てから一週間しか生きないというのは、間違いだそうだ。一ヶ月だったか、とにかくもっと長く活動するのだ。子孫を残すのに、一週間では足りないよね。

 サンパラソルがずいぶん育った。蔓を巻きつけるトレリスを足さなければならない。




7月31日(水)
 今日も、猛烈な暑さだ。
 6時に庭へ出て、芝を少し刈った。この時間しか庭仕事はできない。早朝は蚊も出てこない。
 今年は芝がいい感じに生えてくる。マメに刈っているせいか、緑が去年よりきれいだ。天気が良くなってからは、毎朝たっぷり水を撒く。
 サンパラソルも日に日に大きくなっていく。ふたつめの花が咲き、さらに蕾がふくらみつつある。ゴージャスな感じがする。
 
 数日前の早朝、オナガドリとカラスの喧嘩を見た。二羽が電線にとまり、オナガがカラスを威嚇していた。カラスが逆襲すると思っていたら、カラスは自分より体の小さいオナガに負けて、逃げていった。数羽のオナガが一羽のカラスをいじめているのを見たことがあると、妹が言っていた。オナガはカラスの天敵か。

 人間の天敵は何なのだろう。人間か。





7月30日(火)
 テレビが熱中症対策を、ヒステリックなまでに報じている。エアコンを節約しないよう。冷房を夜通しつけておくよう。男性も日傘をさしてください、と。
 電気代より健康が大切なのはむろんだけれど、エアコンをつけて、布団をしっかりかけて寝るというアドバイスを忠実に実行した結果、翌朝から風邪をひき、40度近い熱に苦しめられた経験を持つ私としては、テレビに登場するクリニックの先生の言葉には、怖くて従えない。
 着ぐるみでショーの練習をしていた人が、熱中症で亡くなった。この気温の中、そういう練習をさせた会社側の人間は、いったい何を考えていたのだろう。暑すぎて思考能力を失っていたのか。もともと思いやりのない人間なのか。


7月29日(月)
 とにかく暑い。外を歩いていると、脳ミソが沸騰してくるようだ。むき出しの肌がチクチク痛くなる。空気の中に、極小のガラスの欠片が混じっているかのよう。これって紫外線と関係あるのだろうか。

 せめて目に涼しいものを。能登半島の観光スポット、見附島です。

 



7月26日(金)
 いよいよ夏がやってきた。今朝は抜けるような晴天。台風が近づいているせいか、風が強いが、そのぶん涼しい。
 芝が青々と伸び、オナガや鳩が鳴き、バラの枝が風に揺れている。夏の我が家は避暑地気分だ。

 おととい、久しぶりに近所の図書館に行ったら、図書館の近くの古い家が取り壊されていた。消費税が上がる前の駆け込み需要か、更地が増えている。


7月24日(水)
 ひさびさに庭に出て、植物たちの手入れをした。庭は気持ちがいい。太陽が照ったら、ツルバラの生育が良くなった。赤みがかった新しい葉が、どんどん増えている。枝は伸び放題で、道路側に長く張り出してしまったし、高く伸びた何本もの枝は、もはやフェンスやトレリスでは支えきれない。
 地面に植え替えたミニバラは、あまり勢いが良くないけれど、まあなんとか生きている。
 真っ赤な花が咲くサンパラソルは、ひとつ目の花が終わったあと、いっこうに蕾をつけなかったが、ここ2、3日で花芽が出始めた。これからはどんどん育つだろう。
 太陽のエネルギーは凄い。


7月23日(火)
 何週間ぶりの青空だろう。まだ梅雨は明けてないらしいが、重苦しい雲が去っただけでもありがたい。
 スイカの値が下がっていた。豊作なのだろうか。今年のスイカはけっこう甘い。
 夏はほぼ毎日、スイカを食べる。真夏、果物の中でスイカが最も美味しいと、毎年思う。甘さが爽やかで、マンゴーのようにしつこくない。桃は美味だけれど、値段が高い。安い桃は固くて、大根でも食べてるみたいに甘くなくて、やりきれない。メロンは、味がなんとなく物足りない。パイナップルとキウイは、食べると舌がしびれるから、食べたくない。

 アメリカアジサイが、まだ枯れずに咲いている。日本アジサイは、とっくに茶色になってしまった。




7月22日(月)
 松本人志のコントを、以前、夜遅めの時間帯にNHKでやっていて、あまりの面白さに画面に釘付けになった。見る人間の気持ちを見事に突いているし、シュールな感じやキツいパンチもある。この人、天才だと思った。
 吉本興業の社長のグダグダした応答を見ながら、感動的に面白かったコントを思い出していた。
 社長、責任取って辞任すべきですね。笑いという文化を育てるためにも。


7月21日(日)
 午前中、投票に行った。一票の権利は、行使しなければならない。

 相手をどれだけ冷静に眺めることができるか、目下のところ、それが私の課題かもしれない。相手と私はまるで違う精神構造を持っているのだから、自分が正しいと思うことを主張するだけでは、良い結果は得られない。


7月20日(土)
 台風一過で梅雨明けかと期待したけれど、空は相変わらずぐずついている。異常気象は世界各地で起こっている。地球が悲鳴を上げている、ではなく、人類が悲鳴を上げている。自然がどんな状態になっても、地球はなんともない。必ず再生する。人間は生きていけなくなる。
 
 ツルバラが黒点病に罹り、葉が三分の一くらい落ちてしまった。今後も雨が降り続きそうなので、薬を散布しても雨で流されてしまうと思って、まだ買いに行っていない。体がだるく、何をするのも億劫だ。朝起きるのが辛い。


7月17日(水)
 ようやく晴れた! しばらくぶりの青空を、ありがたく拝んだ。
 梅雨寒で雨が降り続けると、あきらかに体調が悪くなる。全身がだるく、頭がかすかに痛い。これはどういうわけだろう。自立神経のせいだろうか。
 昼寝が長すぎたので、まだ眠い。頑張ると体に影響が出る。どうしたものか。


7月15日(月)
 アメリカアジサイ・アナベル、白から淡緑色に変化した。咲き始めは白く、最盛期を過ぎると少しずつ緑がかってくる。そして今はこんな色。緑もきれいだ。
 大きく育ってほしい。この大ぶりの花がいくつも咲いているところを想像すると……。花が終わったら、枝がどんどん伸びるだろうか。





7月14日(日)
 検査の結果は、何でもなかった。肝臓、腎臓、膵臓、脾臓、膀胱の写真を見せられ、どこも異常がないと言われた。気持ちに余裕ができたので、自分の臓器の写真を興味深く眺めた。自分の肝臓、自分の腎臓……、毎日ともに暮らしていながら、まるで初対面のような、私の臓器たち……。こんにちは、はじめまして、これからもよろしくお願いします。

 気が軽くなった流れで、今日一日は好き勝手に過ごすぞと決め、ベッドで読書をし、うたた寝をし、幸せな気分に浸っていたら、仕事が入ってしまった。クソ!


7月12日(金)
 明日は膀胱や腎臓のエコー検査だ。ああ、面倒くさい。行きたくない。

 7月が半分近く経つというのに、夏の気配がない。夏を奪われた。
 野菜が惨憺たる有様になっている。トマトは赤くならず、黒ずんだり割れたりしている。キュウリは丸まってしまい、ナスは小さい。米は今月下旬に受粉の時期に入るそうで、その時期に太陽が照らないと、お米ができなくなる。以前、米が穫れず、タイ米や中国米を輸入した年があったが、今年はそのような状態になる可能性があるそうだ。
 ジリ、ジリ、と人類社会に危機が迫ってきている。


7月11日(木)
 どんより曇り空。夕方、雨が降ってきた。梅雨明けまでこんな状態が続くのだろうか。ほんとにほんとに異常だ。
 最近、また読書にはまっている。井上靖の『蒼き狼』を読み、おとといから司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み始めた。『翔ぶが如く』は文庫本で10冊あり、以前途中まで、確か3冊目くらいまで読んで、挫折した。改めて始めから読み直しでいるが、内容を全く覚えていないことがわかり、自分自身に呆れている。西郷隆盛や大久保利通には、当時、まったく興味がなかったのだ。
 司馬遼太郎のクールで整然とした文章に心地よさを覚えながら、今は楽しく読んでいる。


7月10日(水)
 洗濯日和と天気予報が伝えたわりには、晴れ間が少ない一日だった。気温も上がったようには思えなかった。
 庭はバラが伸び放題で、枝をうまく誘引できない。おまけに葉に黒い汚点ができる黒点病に罹った。梅雨の時期、この病気にバラが罹るのは当たり前のこと、くらいに思っていたほうがいいと、園芸サイトに書いてあった。薬の散布が必要とのこと。
 大きな植木バサミで刈った芝生は、トラ刈りになった。
 曇り空は今週、まだまだ続く。






7月9日(火)
 自作のトレリスをあしらった、サンパラソルです。この赤がすごくいいのだよね。雨続きにもかかわらず、花の持ちがいいです。





7月7日(日)
 今日は七夕。雨雲の向こうで、天のデートがおこなわれているのだろうか。
 そして私は、下北沢で女子会です。中学校のクラスメイトと、ン十年ぶりに会います。

 


7月6日(土)
 サンパラソルの蔓を這わせる物を、百均グッズを使って自作した。小型のトレリスを湾曲させ、ガーデニングの飾りに使う鳥の形が付いた棒を支えにした。我ながら見事な出来栄えです。百均のの物はやわに出来ているから、長持ちしないが、細工がしやすいという長所がある。トレリスは手でたやすく曲がった。
 写真は後日。


7月5日(金)
 サンパラソルという花を買った。朝顔のような蔓性の植物で、五弁の真っ赤な花が咲く。ひとつ付いていた蕾が開いたばかりだが、新しい葉や蔓が伸びようとしているから、これからどんどん花芽が出てくるだろう。真紅の花が、灰色の空の下で、鮮やかに存在感を醸し出している。
 サントリーが開発した花だとサイトに出ていた。あのお酒のサントリーでしょ?


7月4日(水)
 九州の豪雨。範囲の広さに、いささか怖くなった。大量の降雨は、今後、各地に毎年起こるのだと思った。気象予報士や学者は、この異常な気象を、直接に温暖化と結びつけていないけれど、やはりこれの原因は地球温暖化だ。
 世界各地で異常な現象は起きている。どうしたらこれを正常な状態に戻すことができるのだろうか。
 
 雨が続き、湿度が高く、体がとても重い。頭の上から、圧がかかっているようだ。いつまでこの雨は続くのだろう。病気になったら大変だから、なるべくゆったり、無理をしないで暮らそうと思っているのだが、そういうときに限って仕事が入ってくる。働きたくないわけじゃないけど。





7月2日(火)
 先週、連日の外出で、いささかバテた。湿度や気圧のせいだろうか。週末、ゆっくり休んだが、今日は疲労感が濃い。夜、眠りが浅くて、朝起きると、めまいの前兆のような感じで、頭が重い。体力がなくなった。歳のせいかな。
 玄関脇の白いアジサイが、曇り空の下でいきいきと咲いている。白かった花びらが、ごく薄いグリーンに変わってきた。花びら、本当はガクなのだが、一枚一枚が淡い光の中で輝いて見える。




6月26日(水)
 自治会の役員をやっている関係で、市の防災訓練に参加している。今日の訓練は、呼吸が止まった人への応急処置、心肺蘇生法とAEDの使い方。人形を使って練習しているうちに、実感が伴ってきて、これは本当に必要なことだと思った。消防署がこれを一般に広めようとしている意図がわかった。
 今は学校の授業に、これが組み込まれている。昔はなかった。もっと前から教育の中に取り入れていれば、賢い大人が増えたのに。


6月25日(火)
 白いアジサイを、大きめの鉢に植えた。アメリカアジサイ、アナベルという品種で、日本のアジサイのように、土の酸性度を気にする必要がなく、日当たりの良い場所でも大丈夫だ。耐寒性も耐暑性もあり、育てやすそう。ま、私の植物選びは、強く、育てるのがたやすいというのが基準になっているのだけれど。
 この基準からはずれた唯一の植物が、ミニバラだ。あまりの可愛さに買ったミニバラ、病気になるし、害虫がつくし、植え替えをしたら弱ってしまい、雨が降ると葉がバラバラ落ちる。ミニバラを植えてあった大きな鉢に、アナベルを植えたかったので、バラは脇の小さな花壇にお引っ越しとなった。地植えにしたら、元気に育つだろうか。
 花壇の穴掘りと、バラ、アジサイを植えるのに、朝の2時間を費やしたのでした。


6月22日(土)
 朝の散歩はひんやりと気持ち良かったのに、昼過ぎから雨が降ってきた。湿度もあり、不快な一日になりそう。
 エアコンの室外機の上に乗って、寛いでいた猫も、雨が強くなったので、どこかへ行ってしまった。
 下北沢で、家で着る涼し気なパンツを買った。ネパールの生地で、ダブダブのデザインで、履いていないかのように軽くて、もう手放せなくなった。来月、下北沢で飲み会があるから。妹の分と合わせて、何枚か購入予定。ほんと、こんなに気持ちのいい生地には、出会ったことがない。


6月21日(金)
 外を通る人たちの会話が、開け放った窓から聞こえてくる。
 オリンピックのチケット、10万円分申し込んだけれど、全部はずれたそうだ。抽選にはずれたという声が、テレビのニュースを見ていても多い。
 私は抽選の登録をしなかった。子供のころ、東京オリンピックを見ている。オリンピックが二度目の世代なのだ。
 甲州街道は家から徒歩10分くらいの距離で、家族みんなで甲州街道を走るマラソンランナーを応援に行った。目の前を裸足のアベベが走っていった。鮮明に脳裏に焼きついている。そして、陸上競技を学校で観に行った。チケットは学校優先だったのだろうか。


6月20日(木)
 新潟の地震は、関東地方の地震を誘発する可能性があるという。地震予知の計測によると、これから起きる可能性がある地域が、水色で示され、水色が濃くなって青で示された場所は、可能性がより大きくなる。去年、大阪で地震が起きたとき、その直前の計測で、大阪は濃い青になっていた。
 この計測図では、現在、東京の西部が水色になっている。
 朝のテレビでこれを報じていて、気分はグレーだ。
 食器棚の扉に、簡単には開かないようなストッパーをつけなきゃと、妹が言った。白一色のきれいなキッチンなので、見た目も考えたいのだけれど。オシャレ耐震グッズというのはあるのだろうか。





6月18日(火)
 昭和56年以前に建てられた木造住宅に、耐震工事を勧めるために、市の職員が戸別訪問をするという説明書が、回覧板の配布チラシの中に入っていた。助成制度があり、その説明のために各家を回るという。どのくらいのお金を援助してくれるのだろう。うちは3年前に建て替えたので、対象にはならないが、建て替える前にこういう回覧板が回ってきたら、いくらお金がかかるか心配になっただろう。
 家族構成の変化などで、古い家を取り壊すか、引っ越すか、結論が出ない場合もあると思う。空き家はどうなるのだろう。誰も住んでいないからといって、筋交いなどの耐震工事をしないというわけにはいかないだろう。地震で家が倒れたら、お隣さんが迷惑を被るかもしれないのだ。そうかといって、空き家にお金をかけるのは嫌だろう。
 この辺りは60年くらい前に宅地開発された場所で、土留めに大谷石を使っていた。長い間に、庭木の根が大谷石を押して、土留めが外側に膨らんでいる家もある。大きな地震が起きたら、石が崩れてきそうで怖い。


6月17日(月)
 妹の犬友達が、引っ越しをするので、物の整理をしている。その人はガーデニングの資格を持っていて、いろいろな植物を植えており、丹精込めた庭を捨ててしまうのはいかにももったいない。家は息子さんが建て替え、育てた木や鉢植えは廃棄処分だ。
 鉢植えは近所の人が、気に入ったものをもらっていく。で、妹はきれいな水耕栽培のガラスの鉢をもらってきた。植えてあるのは折り鶴ランだ。
 この鉢を玄関ポーチに飾ったら、全体の雰囲気が引き締まって、ぐんとオシャレになった。喫茶店の入り口みたいです。




6月16日(日)
 夏に向かって、季節が進んでいく。毎年植えていたダールベルグデイジー、この時期に近所の花屋さんにあったのが、今年は置いてない。この花を売っているのは一軒だけなのだ。可憐で強い花なのに、どうして売る店が少ないのだろう。
 代わりに日々草が、どこの店にもある。これも可愛い花だけど、雨風に弱く、すぐ花が落ちてしまう。花びらがとても薄くて、落ちるとポーチの階段や花のまわりの葉っぱに、濡れた薄紙のようにべたっと貼り付く。





6月15日(土)
 金沢の旅で書き忘れたものがあった。長町武家屋敷跡から歩いて行ける距離にある、尾山神社だ。前田利家とお松の方を祀った神社で、圧巻なのは神門。神社とは思えない西洋風の建築で、三層になった最上階には、ステンドグラスがはまっている。いつまでも眺めていたい、美しい門だ。
 本殿は大きく威厳があり、屋根は能登半島で見てきたような、黒い瓦が使われている。能登でも感じたことだけれど、この黒い瓦屋根は重厚で品があり、たいへん美しい。
 本殿に神輿が展示されていた。神輿は担ぎ棒その他の部分が、黒い漆で塗られている。さすが金沢だ。美しく艶のある神輿は、いつまでも古びない凛とした清潔感があった。



 


6月13日(木)
 梅雨の晴れ間。青空に白い雲。陽射しは強いが、風が気持ちいい。洗濯物が短時間で乾いた。今までお風呂場の乾燥機を使っていたのだ。電気代の節約。消費税も上がるし。死ぬまでに二千万円足りないって国は言うし。
 でも日本はまだ平和だ。香港のニュースを見ていて思った。民主主義を守りたい。


6月12日(水)
 梅雨寒だ。ウチだけかと思いながら、暖房をつける人が、けっこういる。
 富士山に雪が降った。なんということ。今頃の富士山は、紺色と紫の中間のような、うっとりするほど美しい色を見せる。紫紺の山肌の上に、粉砂糖のように雪が積もった景色は、素晴らしいだろう。
 北陸新幹線で富山に着くと、圧巻の立山連峰が車窓に見える。単独峰の富士山とは違った、ドラマチックな景色だ。私は富士山より立山連峰のほうが好きで、三回行った。ロープウェイの駅を下り、みくりが池の近くまで来ると、本当にわくわくする。雷鳥の親子がいる。高山植物が小さな花を開いている。
 富山側の登山口がある町の神社で、幻想的な体験をしたこともある。


6月11日(火)
 昨日は、市の健康診断。胃の検査は、本当につらい。毎年、来年からこれをやるのはやめようと思うのだ。
 バリウムを排泄しなければならないので、下剤を飲んだら、お腹が痛くて、仕事どころではなかった。朝から調子が悪かったせいもあり、頭痛もしてきて、ベッドにひっくり返っていた。
 バリウムも胃カメラも、こんなふうに胃をいじっていたら、胃に悪いんじゃなかろうかと思ってしまう。実に原始的な検査方法に思えてしまう。
 血液で癌を発見する方法を、テレビが放映していた。犬の嗅覚が癌の発見に役立つという話も報じていた。癌細胞は、独特の匂いを発するのだそうだ。


6月9日(日)
 どうしてこんなに寒いのー。暖房をつけたくなる。夏用の羽毛布団を引っ張り出して昼寝したら、さすがにむわっと気持ち悪かった。
 とにかく気候は異常だ。
 やたら眠いのは、寒暖の差が激しく、体がついていかないからだろうか。ゆうべは夜遅くまで仕事をしたので、今日は自分を甘やかしている。


6月8日(土)
 梅雨に入った。湿度が高いと、体が重い。さほど頑張った自覚はないのだけれど、昨日は疲労がピークで、午後は長い昼寝をしてしまった。体が動かなかった。
 ここのところ、庭仕事に精を出していた。芝を刈り、土をふるいにかけ、アンスリウムの株を分け、ガーデンシクラメンの葉を切って、夏越えの準備をし、日々草を植えた。つるバラが新しい茎を伸ばし、それが今まででいちばん太く立派で、それを形よく伸ばそうと工夫もした。
 そうそう、ジューンベリーの実も収穫した。去年の倍の収穫量だった。フェンスの外に伸びた枝になった実を、犬の散歩仲間がつまんで食べた。美味しいよ、早く収穫したほうがいいよと、言っていたとか。妹から聞いた話。株分けしたアンスリウムの鉢を、犬友達がもらってくれた。うちには、アンスリウムを二鉢飾るスペースがないのだ。
 妹が犬の散歩中に、アンズの実や、紫陽花の枝をもらってきた。アンズは砂糖で煮たら、おいしいジャムになった。紫陽花は挿し木にした。うまく根付いてくれるといいんだけど。
 自然の小さな恵みを感じつつ、初夏の日々が過ぎていった。



6月6日(木)
 旅の最後は、近江町市場。連日、新鮮なお刺身を食べていたので、もうお寿司はいいかと思っていたのが、急に握り寿司を食べたくなった。
 午後の市場は商いがひと山越えたところか、商品が少なく、人通りも多くなかったが、それでもノドグロの干物やもずくや、その他もろもろ、目を引く物はけっこうある。魚は東京のスーパーに比べ、割安なものが目立つ。金沢の人が羨ましい。
 お寿司屋さんは何軒もあり、迷ったあげく、お米にこだわりがあるというお店に入った。握り13貫で3,400円くらいだったと思う。まあ、なんと美味しいこと。今まで食べた握り寿司の中で、一番かもしれない。ペロリと平らげ、さすがにお腹はパンパンだった。
 石川県、海の幸に恵まれているのは、なんとも羨ましい。甘エビ、ノドグロ、イカ……その他たくさんの魚介類。能登を回っていて、日本海にさらされている自然の厳しさもあるのだろうなと思いつつ、しかしこの土地は自然の恵みを受け取っている、豊かなところなのだと感じた。豊かだから、いろいろな地場産業が育つのだ。



6月5日(水)
 金沢、能登旅行の最終日。昼前に和倉温泉から戻り、長町武家屋敷跡に行く。
 加賀藩の重役や中級武士の屋敷が並んでいる町並みは、江戸時代にタイムスリップしたようだ。 瓦屋根の立派な門をくぐり、その先も見学できるのかと思ったら、人が住んでいるのでこれより立ち入り禁止という立て札が立っている、そういう家もあった。武家屋敷に混じって、個人の住宅もある。ここはふつうの住宅街でもあるのだ。個人の家も、古い屋敷にどことなく似せた造りになっていて、今風の建て売り住宅のような家は一軒もない。建築の規制があるのかもしれない。
 私の父の先祖は、お隣、富山県の家老だったので、先祖はこんなふうな屋敷に住んでいたのかと、長々と続く土塀を眺めながら思った。高い塀といかめしい門に囲まれ、中がどうなっているのかまるでわからない。その時代、人々はどんなことを考えながら、暮らしていたのだろうか。閉鎖的な家の造りは、心をも厳しく閉じ込めてしまうように思えた。


6月4日(火)
 珠洲市の町は、黒光りする瓦屋根の家々が並び、新しい店舗なども町の景観に合わせて、茶などを基調にしたシックな趣の造りになっている。コンクリートの無粋な建物が少なく、コンビニも見当たらない。
 バスの運転手さんが、「ここはコンビニがとても少ないんですよ」と言っていた。それは不便だろうなとは思うけれど、町が美しく見えるのは、コンビニがないからだ。
 コンビニエンスな暮らしを選んだために、取りこぼしていったものはとても多いのだと思う。
 能登の天然塩も、金沢のさまざまな工芸品も、手軽さ、便利さとは真逆の方向を向いている。コツコツと手間をかけて生み出す物には、本質を突いた力強さと美しさがある。それは、人間の営みの原点なのだと思う。


6月3日(月)
 能登半島の東側、珠洲ビーチホテルから南へ少し下ったところに、見附島というちょっと変わった小さな島がある。細い岩の道が海浜から島まで続いていて、歩いて行けないこともなさそうだから、厳密には島とは言えないのかもしれない。軍艦のような形にも見えるので、別名軍艦島という。
 海に突如白い崖がそそり立ち、海の青に映えて、美しい。崖は相当に高く、砂浜から見上げて、いったいどうして、どんなふうにして、この島が出来上がったのだろうと、不思議な気持ちになる。海底の岩盤が隆起して、その後この島の周囲は陥没したか削れたかで、こんなふうになったのだろうか。
 空海の伝説がある。





5月29日(水)
 塩田村の次は、珠洲ビーチホテルで昼食。広い浜辺の公園の奥に、清潔感のある大きなホテルが建っている。ホテルの隣に珠洲焼資料館がある。
 珠洲焼は備前、常滑などと並ぶ、古代からある焼物で、約400年前に消滅したが、1970年代に珠洲市が復興させた。資料館には平安から鎌倉時代に作られた、大きな瓶や壺などが展示されている。黒い土は他の地方にはない、野性的な迫力がある。
 現代の珠洲焼は、この黒い土をモダンに生かしていて、現代建築のインテリアにピッタリ合う。装飾を施さない、シンプルでシャープなデザインのものが多い。



5月27日(月)
 千枚田の次に訪れたのは、道の駅「すず塩田村」。珠洲市のこの辺りでは、昔ながらの揚げ浜式製塩が行われている。海水を汲んで砂地に撒き、太陽熱で乾くと砂の表面に塩が残る。それを砂ごと掻き集め、桶のような物に入れて、別に用意してある海水をかけると、砂の中の塩が塩水に溶けて下に落ち、砂と塩を分離できる。こうしてできた非常に濃い塩水を煮て、水分を飛ばす。最後に塩の中のニガリを取り除く。
 現在はポンプで海水を汲み上げて、砂地に撒いているが、昔は天秤棒の両端に桶を吊るし、海水を汲んでは撒き、これを一枚の砂地について20回繰り返したそうだ。昔の絵画などに描かれる汐汲みの風景だが、これは大変な重労働だということがよくわかった。
 この手作りの天然塩は、製塩の工業化に押されていったん途絶えたが、見直されて復活した。復活の最初のキッカケは、TOKIOの「鉄腕ダッシュ」というテレビ番組で、塩ラーメンを作るというテーマで、伝統の製塩法が残っている珠洲市で塩作りに挑戦した。天然塩の美味しさが注目され、復活を果たしたのだ。
 ここの塩を買うことが旅行の大きな目的だったので、多めに購入した。売店で、ふつうの塩とここの塩を舐め比べることができる。ここの塩はしょっぱいだけでなく、いろんな成分が味わいになっていて、マイルドだ。
 東京に戻ってから、この塩でおにぎりを作った。同じお米なのに、いつものおにぎりに比べて、ご飯の味が良い。米粒のひとつひとつが甘みを増している。不思議です。
 昔は手間のかかるこの製塩法しかなかった。江戸時代の人は、いつもこんなにおいしい塩を食べていたんだね。


5月26日(日)
 輪島の千枚田。海に面した傾斜地を、細長い田んぼが幾重にも段になって連なる。千枚田と名前がついているが、実際には二千枚近くあるとか。丹念な、根気強い労働の結果だ。目の前にやや黒みがかった青が美しい日本海が広がっている。
 年額2万円で、この田んぼを借りることができる。水田の世話は千枚田を管理している人がやってくれる。秋には収穫したお米を送ってくれる。芸能人や政治家も、田んぼをリースしているとか。




5月23日(木)
 輪島の朝市。鄙びた商店街に午前中、いくつもの露店が並び、野菜や干物、さまざまな乾物類などを売っている。ガイドブックに必ず載っている観光スポットだが、地元の人の買い物の場でもある。
 農家のおばさん、おじさんと会話をしながら買い物をするのが楽しい。
 いしるという魚醤が能登半島で広く使われており、イカで作ったいしるを試しに買ってみた。イカとイワシと二種類ある。和倉温泉で出た鍋に、いしるの汁が使われていて、野菜や鶏とマッチしてものすごく美味しかった。
 あごだしも売っていたので買った。あごだしは去年熱海に行ったとき買ってみて、その味わいにはまった。あごだしの味を知ると、かつおだしが物足りなくなる。
 商店街には輪島塗の店もあり、手広く商売をしている有名店もある。一点、数万円という世界だから、その光沢と深い色合いに見惚れるだけだ。手が出ないわあと思っていたら、少し小さな店に、安売りコーナーがあった。輪島塗は漆を何度も塗り重ねていくが、最終工程までいかない、椀の縁に布目がうっすらと見えている段階の物を、バーゲン品として出しているのだ。普段使いならこれで十分と、豚汁なんかを入れたら具合良さそうな、大ぶりの赤い椀をふたつ購入した。家に帰ってテーブルに並べてみたら、光沢はないけれど、深い色合いの赤は、存在感があって目に心地よい。さすが輪島塗だ。
 そんなにいいの? と思ったほど値引きしてくれました。感謝です。


5月22日(水)

 キリコの写真をさらに掲載。
 これはキリコの裏側。表には勇壮な筆致の文字が書いてあるが、裏は華麗な絵が描かれている。





 現役のキリコが、祭りまでここに保管されている。今使われているキリコは、江戸時代のものより小型だが、それでも十分迫力がある。能登の祭りを見たくなる。





5月20日(月)
 旅行の三日目は、観光バスツアーで能登半島を廻った。和倉温泉発、輪島に行き、珠洲市に入って塩田を見学、ホテルで昼食のあと、見附島を見て、和倉温泉に戻るコースだ。音声ガイドと運転手さんの手際の良い説明で、能登半島の歴史と文化をざっくりと知ることができる。
 見どころ満載のバスツアーで、金沢とは違った素朴な能登の暮らしと文化が、なんだかたまらなく好きになってしまった。
 仲代達矢が無名塾の稽古場と舞台を、七尾市に設け、さまざな公演が企画されている。仲代達矢は能登の自然とそこに暮らす人々が好きになり、無名塾の拠点を作ったのだそうだ。仲代達矢がここを気に入った理由が、なんとなくわかるような気がする。

 写真は能登の祭りで使われる、キリコというものだ。神輿の前を行く御神燈で、高さ3メートルはあろうかという御神燈を担ぎ、練り歩く。龍の装飾が施され、背面には華麗な絵が描かれている。美しく、勇壮で、気迫と真っ直ぐなハートが感じられる。






5月19日(日)
 旅の二日目。午後3時の電車で和倉温泉に向かう。IRいしかわ鉄道。特急で約1時間。
 金沢を出てしばらく進むと、田園風景が広がる。目を引くのは家々の屋根瓦で、真っ黒でてかてか光っている。重厚感のある瓦屋根の家が、広い田んぼのところどころに建っている。
 3日目に奥能登まで行ってわかったのだが、黒い屋根瓦は、能登半島全体に見られる。光沢のある黒は、黒い釉薬をかけて焼いたのかと思ったが、やはりそうだった。潮風と雪から瓦を守るために、釉薬をかけて瓦を焼くのだそうだ。関東など他の地方のように、うわぐすりをかけずに焼成すると、海風で瓦が傷んでヒビが入り、冬場、分厚く屋根に積もった雪の水分がヒビに流れ込み、夜、気温が下がって水分が凍結すると、膨張して瓦を割ってしまう。それらを防ぐためにうわぐすりをかける。黒い釉薬を用いるのは、黒は太陽熱を吸収するので、屋根に積もった雪を溶けやすくするためだ。
 屋根を守るための方法なのだが、黒い瓦屋根の町並みは、存在感があって、美しい。瓦の黒が、能登半島の風景をとても個性的にしている。


5月18日(土)
 鮮やかな紅の壁の座敷をを眺めていると、この部屋で繰り広げられた人間模様が、徐々に浮かび上がってくるようだ。金沢の旦那衆、加賀藩の侍、ふんぞり返った男達のあとに、しなを作った芸妓たちが付き従う。お茶屋の女将が厳しい眼差しで芸妓たちを見ている。本気の恋も戯れの恋も、鼓や三味線の音に包まれ、白粉の匂いにまみれて、虚しく夜の果てに消えていく。
 この部屋で、どれほどの女性たちが、つらい涙を流しただろう。心の傷を笑顔でひたと覆い隠し、華やかな世界に、花びらのように風に舞い、水に流されて、そして老いていく。
 火鉢の装飾から襖の引き手に至るまで、繊細な意匠が施されたこれらの部屋から、幸福の気配は微塵も感じられない。拵えられた空間が美しければ美しいほど、涙と呻きの数も多くなるのだ。





5月17日(金)
 ひがし茶屋町には、昔のお茶屋さんをそのまま残し、櫛笄やさまざまな道具、得利や盃など、当時使っていたものを展示する、お茶屋美術館がある。建物は文政3年に建てられたもので、二階にいくつかの座敷があり、芸妓さんが使っていた大太鼓や小太鼓、鼓などが展示されている。二階を座敷にするのは、通りを往く侍を見下ろすことになるので、普通は禁じられているが、金沢ではそれが許されていると、案内の女性が言っていた。
 座敷の壁が弁柄で鮮やかな紅色に塗られているのが、なんとも言えない迫力と風情を漂わせている。部屋の一つは、壁が紅色とは対照的な青で塗られている。日本画の青い絵の具と同じで、ラピスラズリの粉を溶いたものだ。弁柄の紅も圧倒的な印象だが、この青い壁はまた違った凄みがある。
 厠の脇の手水は、下に陶器の瓶が埋めてあり、水を流すと綺麗な音が響く。水琴というのだそうだ。
 

 


5月15日(水)
 ひがし茶屋町。昔はお茶屋さんが並び、芸者衆が行き交う、夜の歓楽街だった。風情ある建物は、今はお麩や金箔、漆工芸、九谷焼などのお店になっている。水引を使った小物、加賀友禅の懐紙入れや財布など、土産物屋も多い。写真の建物の内部も、色とりどりの小物が溢れた広い店舗になっている。
 石川県の若手の工芸作家の作品を集めた店も、あちこちにある。伝統の技法を踏まえながら、斬新な形を創り出している作品もあり、なかなか面白い。普段使いの漆の椀を買いたいと思って、漆の棚ばかり見ていた。輪島塗りは、高くて手が出なかった。大変な手間をかける塗りだから、値段が張って当たり前だ。山中塗りというのもあり、山中温泉の辺りで行われている工芸だと思う。こちらは輪島塗りに比べると、求めやすい値段でした。






5月14日(火)
 この写真も、兼六園。加賀藩の何代目かの殿様が植えた木です。説明板を読んだのですが、どの藩主か忘れました。外国人観光客がしきりにスマホを向けていました。外国の人には、京都に次いで、金沢は魅力的なところだと思います。
 横に張り出した枝を、何本もの棒で支えています。根本に、枯れ葉も雑草もなく、丁寧に育てられていることがひと目でわかります。





5月13日(月)
 先週、金沢と能登半島に行ってきた。
 東京から二時間半。楽な距離だ。金沢駅前のホテル日航金沢は、サービスの行き届いた、心地よいホテルです。
 兼六園の中の料理屋をホテルで予約してもらい、タクシーで兼六園へ。タクシーの運転手さんは女性で、感じの良い人だった。そういえば兼六園から戻るバスの運転手さんも、若い女性だった。金沢は女性が活躍している街か……。
 兼六園は、細やかに手入れされた、美しい公園だ。柔らかい緑の苔が地面を覆い、小ぶりの滝が配され、面白い形の石灯籠が目を引く。テレビによく映る大きな池は、思わず息を呑むほどの美しさだ。この庭を造った人の、並々ならぬ美意識を感じる。





5月5日(日)
 うちのワンコに、毎日気功をやっている。歯茎にあいた穴が鼻につながっていて、鼻に緑膿菌という菌が巣食っているのだ。くしゃみをよくするのは菌による鼻炎のせい。検査で効き目のある薬を探し、適切な薬をフードに混ぜて与える。鼻炎で目やにも出ていた。薬が効き始めたみたいで、目やには止まり、目の輝きも強くなった。くしゃみも止まった。

 我が家の周辺は、新緑が鮮やかで、ツツジや野の花が咲き乱れ、庭先にはさまざまな種類のバラが、陽を浴びている。やっと晴れた連休の終わりを、ワンコも人も楽しんでいる。





5月3日(金)
 気温差が激しいので、体がついていかないのか、単に気が緩んでいるだけなのか……。
 なーんにもしたくない。ベッドで昼寝が、至福の時間。やっぱり体が疲れているのかも。
 7日から金沢に行く。北陸新幹線で東京から2時間半。便利ねえ。糸魚川から海際を走る。長く山梨県に住んでいたせいか、海を見ると癒やされる。海が大好きになった。
 能登半島にも行く。ホテルはオーシャンビューだし、海を眺め続ける旅行だ。

 5月はあちこち花盛り。





5月2日(木)
 雨でバラの花びらが落ちてしまった。いちばん最初に咲いた花だ。大きな花びらが、たくさん根本に散らばっている。ほかの花は水滴をいっぱいつけて、重たげにうつむいている。
 ラナンキュラスも強い雨に打たれて、やっと三輪咲いたのが、花びらがすべて落ち、むなしく雌しべだけが残っている。
 せっかくの超大型連休だというのに、晴天は少なく、激しい雨と冷気に見舞われている。
 私のスケジュールは平常通りなのだけれど、世間が休んでいるので、あまり働く気になれない。
 連休明けの旅行の下調べなどして、だらだらと……。




5月1日(水)
 令和元年。
 巷では大騒ぎとばか騒ぎ。皇居では、厳かに儀式が執り行われて、新しい元号の年が始まった。
 イギリスの新聞は、令和をBeautiful Harmonyと訳している。良い響きだと思う。
 儀式の模様は、一見の価値があると思った。日本の皇室の閉鎖的な在り方をいいとは思わないけれど、人というものは自分たちの頭上に、こうした立派な方々が君臨していることに、憧れと喜びを感じるものなのだと思う。イギリス人はロイヤル・ファミリーが大好きだし、日本人も皇室を自分たちにとって大切な存在と考えている。アメリカ人は、自分たちの頭上に君臨するものを持たないけれど、王様、女王蜂、王子様、お姫様が大好きなのだそうだ。

 


4月27日(土)
 今日から大型連休。と言っても、私は連休中は平常通り。それでもなんとなく休暇気分になって、だらだらしてもいいんだと、自分を許している。
 昨夜は小学校の同窓会、と言っても、月に一度くらいのペースで、有志が集うミニ同窓会だ。いつも6人前後が集まる。小学校の同窓会を月一のペースでやるとは凄いねと、ほかの人からよく言われる。ほんとだよね。

 バラがゴージャスに咲いているので、また写真を撮ってしまった。毎朝、うっとり眺めている。
 花びらが開くにつれて、初めは縁だけだったピンク色が、全体に広がってくる。変化を楽しめる品種です。





4月26日(金)
 クライミングローズが咲きました。まだまだいっぱい蕾がついているよ。




4月25日(木)
 ウチのワンちゃんに、毎日気功をやってます。

 ラナンキュラスが咲いた。球根を二鉢植えたが、一つは枯れてしまった。園芸店に並んでいるのと比べると、葉っぱはみすぼらしいねえ。それでも嬉しい。





4月24日(水)
 ミルの口の中の傷口がふさがることを目的に、気功をやっている。意外におとなしく、ミルは寝ていて、気功をやってもまったく嫌がらない。ミルを治したい一心だけれど、気の力を試すチャンスだという思いもある。
 目薬が効いたみたいで、目ヤニはなくなり、目の周りはきれいだ。
 ペット保険への加入は案外面倒で、保証されない疾病もあるし、保険会社によって条件やシステムが違うから、よおく調べないと後悔しそうだ。
 保険金が下りないので、途中で保険をやめた人もいる。10年入っていたら、それまでに支払った保険料は何十万円にもなる。いったん入ったら、やめるわけにはいかないし、医療費がかかっていないのに、保険料を払い続ける場合もあるだろう。
 現在治療中の病気については、保険金は下りないと、さっき電話で問い合わせたときに言われてしまった。国がやっている健康保険とは違うものね。動物にも国民健康保険があればいいのにと、つくづく思うのです。





4月23日(火)
 保護犬のミルは、引き取ったときに、歯茎に穴があいていたために、縫合手術を行なった。丁寧な診察を受け、数ヶ月たって抜糸をする段になって、傷口が癒着していないことがわかった。穴をふさぐための皮膚が少なく、難しい手術だったのだ。肉が癒着するだけの力が、ミルにはないという獣医師さんの言葉に、妹も私もショックを受けている。とりあえず問題の場所を再び縫い合わせ、犬の体力がアップして、穴がふさがるのを祈るしかないらしい。
 細菌も発生していて、そのために鼻炎になっている。菌を殺すための薬を飲ませた。
 獣医さんと長いつきあいになりそうなので、ペット保険を探してみたけれど、すでに治療中で保険に入るのは、難しいかもしれない。
 歯茎以外は、ミルはいたって健康で、半年前、うちに来た頃と比べると、体つきはがっしりし、成犬になってから毛が生えるのは難しいと言われていたにもかかわらず、毛量はぐんと多くなった。散歩も大好きで、部屋の中でも、エリザベスカラーをつけたまま、活発に走り回っている。この子のためなら、どんなことでもしようと思うほどの愛らしさだ。





4月21日(日)
 地球の生命の誕生と変遷についてウィキペディアなどで調べていて、素朴な疑問が湧いた。それは子供達が大好きな、恐竜についてだ。なぜ、あのような巨大な生物が現れたのだろう。恐竜が現れる以前も以後も、あのサイズの生き物は存在しない。恐竜が現れる以前、爬虫類よりも大型の哺乳類はいたとされているが、恐竜は爬虫類だから、なぜ恐竜が巨大なのか、その説明文を読んでもわからない。
 生物の歴史を読んでいると、突然変異のように巨大な爬虫類が現れたような印象を受ける。地球上に突如登場した恐竜は、一億五千万年もの長きにわたって存続し、現れたときのように突然姿を消した。恐竜が絶滅した理由については、隕石の衝突が挙げられているが、なぜ恐竜が現れたか、どうして巨大な体になったかについては、誰も記述していない。
 良い子のみなさん、疑問に思いませんか。

 

4月20日(土)
 春は、眠い。
 昼寝の長さは、20分が理想的らしい。それ以上眠るのは、体に良くないらしい。確かに1時間近くも寝てしまうと、その後気持ちが悪くなったり、頭痛がしたりすることがある。それでも、ベッドにながながと横たわる快感が捨てきれず、いつまでもグズグズしている。
 春は、朝の目覚めの時刻が、自然に早くなる。冬はどうかすると8時頃までこんこんと眠っているが、桜が終わる頃から、6時になると目がぱっちり開く。季節のリズムと体内時計がつながっているような感じだ。
 朝6時に起きると、夜は眠くてどうにもならない。夕飯が済み、片付けが終わって、さてドラマでも見ようと思っても、睡魔に押しつぶされてしまう。早起きは三文の得と言うけれど、夜の時間をほとんど使えないので、実際にはあまり得をしていない。





4月19日(金)
 クィーンのブルーレイが届いた。今更言うのも何だけど、居ながらにして買い物ができる世の中というのは、なんと良いものか。リアルタイムでクィーンを聞いていた頃を思い浮かべると……。
 
 つるバラの蕾がふくらんでいる。冬に肥料を施したのが良かったのか、たくさん蕾がついている。蕾の大きさで、サイトに書いてあった通り、大輪の花なのだということがわかる。






4月17日(水)
 クィーンが来年の1月に来日公演する。チケットの発売は来月の11日。取るの大変だろうなあ。
 ボヘミアン・ラプソディーのヒットで、クィーンブームが訪れているそうだ。フレディ・マーキュリーがいた頃、特にクィーンに夢中になっていたわけではなく、ほかのブリティッシュ・ロックを聞いていたのだ。この映画の宣伝をテレビで見て、何故か無性にかきたてられ、終わっちゃわないうちにと去年の暮れに、映画館に駆けつけた。そして、深くはまってしまった。
 私のような人は、多いみたいだ。昔はたいして関心がなかったのに、映画を観て、火がついた人。中年になってから、クィーンの素晴らしさに気がついた人。

 とりあえず、ライブ・エイドとモントリオールのコンサートのブルーレイを買った。


4月16日(火)
 やっと蕾をつけた、ラナンキュラス。
 こんなショボい葉っぱだけれど、とにかく花は咲きそう。向こうの鉢は、このまま成長しないだろう。
 おととしの夏は、シクラメンの夏越えにも挑戦した。日陰に置き、水をいっさいやらず、できれば雨に当たらないようにする。雨除けしなかったが、翌年の冬に、一株だけ花をつけた。ウッドデッキを設置したので、今年はウッドデッキの下に置いておけば、もっとうまくいくかもしれない。
 この冬は霜にやられることもなく、シクラメンは今、見事に咲き誇っている。





4月14日(日)
 桜が散り、新緑の季節がやってくる。
 近くの公園の木々は、染みも傷みもない、すべすべの柔らかい葉が萌え出ている。羨ましくなるような、きれいな葉の表面。私の肌の表面は、長年の人生の風雨にさらされ、ガサガサだ。面の皮も相当に厚くなっている。
 嬉しいことがひとつ。成長がストップしたと思っていたラナンキュラスに、蕾がついた。十個以上植えた球根から、六株くらい葉が出て、そのうちの二つに花が咲きそう。園芸店には美しく咲いたラナンキュラスのポットがたくさん売られている。それを買わずに、私は何でこんな面倒でやりがいのない努力をしているのだろう。そう思うけれど、やっと出てきた小さな蕾は、ちっちゃな喜びをくれる。


4月13日(土)
 ベランダにタイルを敷き詰めた。私の庭作りは、ほぼ完成。と思いきや、新たな問題やアイディアが湧いてくる。古くなった花台をリニューアルできないものかとか、玄関先にオシャレなボックスを置いて、ゴミ箱に、活用していないスペースに鉢植えの木を配して、現在の殺伐感を緩和しようなどなど。気になる箇所が、後から後から出てくる。これが欲望というものか。もっともっとと求めたくなる。欲望は前に進むためのエンジンだ。
 秋の終わりに購入したラベンダーが、きれいな花をつけた。白と紫のラベンダーは、初めてお目にかかる。知らないで買ったので、咲いた花を見て、満足感はとても大きい。





4月12日(金)
 聖書や古代メソポタミアの神話に出てくる、洪水伝説について少し調べた。旧約聖書、シュメール文明の神話、ギルガメシュ叙事詩、コーラン、書かれてある内容は、ほとんど同じだ。大洪水が起き、東日本大震災のように、広大な地域の建物も人も押し流され、あとかたもなくなった。何千年前か知らないが、世界規模の大災害が起きたのだろう。
 生き残った人々がその記憶を語り、現在のイスラエルやトルコなどの地域に言い伝えが広がった。
 古代ギリシャの哲学者プラトンは、アトランティスという大陸と、そこに栄えた高度な文明社会が、ある日海に沈んだという記述を残している。これも連綿と伝えられてきた大災害の記憶がもとになっているのだろう。


4月11日(木)
 お札が変わる。渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎。
 ネットで、新札に手塚治虫の肖像や漫画を使ったらというアイディアが賛同を呼んでいる。たとえばこんなふうになるという映像が、朝のモーニングショウに出ていた。左側に火の鳥、右側にジャングル大帝。それはそれは素敵なお札だった。
 世界に知られ、愛されている絵のお札だったら、コレクションしたくなるだろう。


4月10日(水)
 朝から冷たい雨が降っている。最低気温が3度と、朝のニュース画面に出ていて、びっくりした。山のほうではあちこちで雪が舞っている。
 夜明けが早くなったら、目覚めも早くなった。睡眠時間が足りないので、日中、ぼんやりだるい。文章を書こうとしても、頭の回転はノロノロで、まったく効率が悪い。
 今日はこれで終わり。おやすみなさい。
 


4月9日(火)
 ベランダに敷くタイルが届いた。さっそく敷きたいけれど、仕事があるので、指をくわえている。思ったよりも明るい色だ。角がほんの少し欠けているのが、2枚ばかりあるのだが、さてどうしたものか。メーカーに連絡して替えてもらうか。写真を撮って送らなければならないし、それも面倒だし、ほんのちょっとの傷だから、このまま使うか。等々考えながら、雑用をこなす。
 
 餌をあげていた野良ネコが、ぱったり来なくなった。右目のまわりが腫れて、食欲もなくなっていたのだ。動物病院に連れて行きたいけれど、ちょっと手を伸ばしただけでも、怖がって逃げるから、病院になど連れて行けないと思っていた。来なくなってから、一週間はたつ。どこかで倒れているんじゃないかしら。
 
 

4月8日(月)
 玄関ポーチの手すりに、吊り下げるタイプの植木鉢を取り付けた。ハンギングに適した、こぼれるように咲くタイプの草花を植えた。一つは黄色で、もう一つは濃いピンク。玄関まわりをもっと整えようとあれこれ考えていたら、眠れなくなり、今日はひどい睡眠不足だ。
 ジューンベリーが花盛り。年々、花の数が増す。ように思われる。花が増えれば、実も多くなる。この木、あと1メートルは伸びると思うのだけれど。




4月7日(日)
 ウッドデッキの周囲に敷くタイルを購入した。これでようやく庭作りが完成する。芝を敷き、木を植え、白い砂利とレンガで掃出し窓の前の小スペースを整え、花壇を作り、トレリスを買ってつるバラを這わせた。自分の庭を作りたかったので、考え考え、すべてDIY。よくやったものだと思う。

 2年ほど前はこんなだった。あー、懐かしいなあ。三角に土が掘られている部分が芝生になり、砂利が積まれている箇所が花壇になった。

 花のポットを買いに行く途中、庭が写真のような状態の、新築の家を見た。職人さんを頼まず、じっくり考えながら、思い通りの庭をコツコツ作っていきたいのかもしれないなと思った。何もかも自分でやるのは大変だけれど、創り出す喜びはとても深い。




4月6日(土)
 自分で組み立てられる、人工木のウッドデッキを購入した。昨日、暴力的とも思える強風の中、妹と二人、90センチ角のデッキ二個と格闘した。風にボルトやドライバーのケースが飛ばされ、やっと組み立てて物置に立てかけたデッキが倒れ、畳んだダンボールは今にも道路に落っこちそうだし、頼りの説明書はどっかに吹っ飛んで行きそう。春は天気が不安定だけれど、それにしてもひどかった。
 それでも設置したデッキには満足で、今朝はベッドに腰掛け、デッキと庭木を眺めながら、しばらくぼーっとしていた。





4月4日(木)
 やっと春らしくなった。
 つるバラに5、6個蕾がついた。あ~やっとだ~。どんな花が咲くのか、実に、実に、楽しみ。写真のようなのが咲くだろうか。中心がクリーム色で、花びらは濃いローズピンクなのだ。ネットの写真を見て、一目惚れしたのだ。あ~……。

 神田川の桜。おとといは寒かったけれど、花の下で家族がささやかな宴会をしていた。幸せそうな顔の、若いお父さんが、微笑ましかった。



4月3日(水)
 一年ぶりで、文京区関口の東京カテドラルに行った。丹下健三がデザインしたこの教会、コンクリート打ちっぱなしのモダンな作りのこの建物は、内部に強い“気”が満ちている。一般的にそう思われてはいないが、私にとっては素晴らしいパワースポットだ。
 ここを訪れると、精神が洗われた気持ちになる。汚いものがすみずみまで洗い流されて、心の毛穴の奥まで清潔になる。そして少しずつ発見がある。
 訪れたのは昨日。昨日も新しい発見があった。自分の感性をもっと信じていいんだ、というような。感性をもっと信じると、新たな世界が開けるかもしれない。
 大聖堂の敷地内の桜が、満開だった。冷たい曇り空の下で、桜は豪華に生きていた。





4月1日(月)
 新元号が発表された。『令和』。ひと目で気に入った。美しい響きがある。出典が万葉集というのも、いいと思う。万葉集は平民から貴族まで、あらゆる階層の人の歌が載っているから。
 平成の元号が発表されたときは、実を言うと、変な名だと思った。筆の字も、力強さがなくて、いささかがっかりした。額に入った令和の字は、勢いと強さが感じられる。
 どっちみち今年も異常な天候が続くだろうし、消費税は上がるし、世界情勢は悪いし、苦難が続くのだと思うけれど、この美しい元号に恥じないような国になりたい。


3月31日(日)
 グーグルのサーチコンソールで、所有権の確認ができなくなった。書いてある通りにやってもダメなのよねえ。ため息。こんなことに時間を費やすのかと思うと、苛立ちが募る。
 
 ジューンベリーのネコヤナギの芽のようなのが、どんどんふくらんで、小さな蕾がたくさん現れた。裸の木の枝に、いきなり花が咲くのは、桜と同じ。
 近所の桜は満開なのと、八分くらいなのとあって、犬の散歩の途中でお花見ができた。満開の桜にヒヨドリが蜜を目当てに飛んでくる。視界いっぱいに広がる白っぽい花の群れのところどころに、ヒヨドリがいて、花を揺らしている。絵になる光景が、家から5分のところにあるなんて、幸せだね。


3月29日(金)
 昨夜の飲み会のせいで、今日は頭がぼやけている。そんなぼーっとした状態でも、この記事は面白かった。
 アメリカとスイスの科学者が、膨大な数の生物の遺伝子の解析を行なった結果、今地球上にいるすべての生物種は約20万年くらい前に登場していて、進化という現象はほぼ見られないという結果になった。それでは20万年より前、生き物はまったくいなかったのかという疑問が湧くけれど、ダーウィンから始まった進化論は、この結果のために覆されてしまった。
 進化論を真っ向から否定する知識が私にはないから、反進化論者ではないのだが、生き物が徐々に進化するのなら、今いるいろいろな動物は、今後さらに形を変えていくことになる。イヌもネコもウシもブタもニワトリも進化して、今のようなのではなくなる。というか、紀元前エジプトにはネコの形の神の像があり、それは今のネコと変わりないように思えるけれど、数千年という単位では、顕著な進化はないのだろうか。
 これだけ膨大な数の動物がいるのだから、個体によって、進化しているものとしていないものの差が現れてもいいのではないだろうか。
 ここ数千年の間、環境に適応するための生物の変化はあっても、ある種類がもっと複雑で高度な種類へと変わっていく、進化というものは、止まってしまっているように思えるのだけれど。
 人間も、原人と呼ばれるものから今の状態に進化したということは、あと20万年くらい経ったら、さらに進化して、今の人間とはかなり違う人間が地上を闊歩することになるのだろうか。



3月28日(木)
 地球の誕生と、誕生から今に至るまでの、地球とそこに生息する生き物たちの有り様を書いた記事を拾い読みしている。凄まじい地殻変動や火山活動があり、酸素濃度の変動があり、氷河期が何度か訪れ、生物の絶滅が数度あり、恐竜が現れ、死に絶え、猿から進化したのかもしれない猿人が登場し、ようやくアフリカ大陸に人間の祖先と考えられている人類が現れる。
 地球が誕生したのは、今から46億年くらい前だそうだ。
 さまざまな記事の中に、こんなものがあった。地球の磁場はごくゆっくりだが弱まっているそうで、その磁場の変化を計算すると、地球が誕生したのは、今から六千年くらい前ということになるのだそうだ。地球の誕生が46億年という途方もない長さになったのは、ダーウィンの進化論のせいだとその説は言う。ダーウィンは生物は非常に遅い歩みで進化すると唱えていて、ダーウィンの言う進化の速度で計算すると、初期の単細胞生物から今の人間になるまで、3兆年かかることになるのだそうだ。

3月27日(水)
 今朝の情報番組で、動物虐待のニュースを流していた。私は見なかったが、妹が朝っぱらから嫌なものを見たと、顔をしかめていた。虐待されたのはプードルだ。
 今はこんなふうにお嬢様になったウチのミルちゃんも、ブリーダーのところで繁殖犬をやっていたときは、ひどい扱いを受けていた。食事は水でふやかした少量のドッグフードで、7年ものあいだ、一度も散歩に連れて行ってもらえなかったのだ。歯はすべて抜け落ち、毛が薄くなった状態で、ウチにやってきた。
 ミルをこき使っていたブリーダーには、正直言って憎しみを覚える。





3月26日(火)
 仙川に犬のトリミングに行き、仕上がるまでの間を、ぶらぶら買い物などして過ごした。仙川は桜の大木をうまい具合に残して、都市開発をしている。この季節は楽しみなのだが、桜は一分も咲いていなかった。
 犬の服を三着も買った。プードルは服を着せると、めちゃくちゃかわいいので、ついつい買ってしまうのだ。トリミングが終わって、カッコよくなったミルちゃんに、赤い格子縞の短いスカートが付いた服を着せて、散歩に行ったら、みんなにカワイイカワイイと言われたと、妹がデレデレ顔で言った。
 犬好きは、みーんなこんなふうに、おバカになるのです。






3月25日(月)
 この界隈の桜は、まだほんの少ししか咲いていない。都心に比べると、気温が多少低いんだね。
 在原業平の和歌に、桜がなかったら、春はもっと穏やかな気持ちで暮らせるのに、という意味の歌がある。桜が花開くと、満開はいつか、散ってしまわないうちに、見に行かなきゃと、気持ちが落ち着かなくなる。たしかに穏やかな気分でいられなくなる。平安時代から、桜は大人気だったんだね。
 吉野の西行庵に行ったとき、そこの桜はソメイヨシノではなく、葉と花がいっしょに咲く山桜であることを知り、いささかがっかりした。華やかなソメイヨシノに囲まれて、西行法師は庵を結んでいたと思いこんでいたからだ。山桜も綺麗だけれど、どうしたって地味だ。
 京都の人といっしょに上千本まで上り、お弁当に柿の葉寿司を食べた。上千本までの道は、ソメイヨシノが山を彩り、ため息が出るような風景を楽しめだ。懐かしい思い出だ。


3月24日(日)
 ここ10日余り、ずっと原稿を書いている。すごくエキサイティングな作業。目の前が開けたような感じ。
 
 毎日が矢のように過ぎていく。

 明日は回覧板の用事をしなければならない。エキサイティングではない日になるのだ。そもそも、この自治会の仕事って、どれだけ意味があるのかと疑問が湧く。地域のコミュニティ作りを、市から押し付けられているような感がある。コミュニティは自然発生的に生まれるものだ。
 犬の散歩にちょうどいい公園の片隅は、春の花が満開。犬を飼っている人は、ワンちゃんを通じてネットワークを広げ、無理なくコミュニティ作りをしている。




3月23日(土)
 寒の戻り。今日はすごく寒い。雪が降っている地方もあるそうな。
 暖かさに体が慣れてしまうから、春の寒さは身にこたえる。冬のほうがもっと寒いのに、花冷えは耐えられない。
 イチローは柴犬を飼っていることを初めて知った。15歳だとか言っていたから、相当なおじいさんだ。一生懸命生きている犬を見ていると、励まされるそうだ。動物を飼っているというだけで、親近感が湧くのは、私だけではないだろう。
 美学の人、イチロー。監督にはならないのだろうか。
 凡人の私は、疲れないかしらと思うこともあるが、天才は別世界を生きてるのよねえ。

 寒さに震える、うちのチューリップ。花が開きかけているが、どういうわけか、茎が伸びない!



 


3月22日(金)
 ネコヤナギみたいな、ジューンベリー。この白っぽいふくらみから、いきなり花が咲く。葉っぱが出るのは、そのあと。そして木全体が葉で覆い尽くされた頃、おいしい実がなる。鳥たちが目ざとく寄ってくる。



3月21日(木)
 桜が開花した。昨日、靖国神社の標本木は4輪咲いて、5輪じゃないと開花宣言が出せないということで、神社に集まった人たちはがっかりしていた。4輪咲いてりゃいいじゃん。なんか、バカみたい。
 まだ咲いてないのに、上野公園では花見の宴が始まっていた。夜は冷えるだろうにね。
 友達が花見をやりたいみたいだ。桜が咲くと、やはりお尻がウズウズする。



 


3月20日(水)
 近所のお寺の桜が、蕾をふくらませている。驚くほど濃いピンクの花びらの先が、少しだけ覗いている。咲くと白っぽくなるのに、蕾は色が濃いんだね。
 東京は、もう開花したのだろうか。靖国神社の桜が、5輪だか6輪だか咲いたら、開花したと言えるんだって。なんで、靖国神社なの? 
 外出から戻るたびに、顔を洗っている。いまのところ、花粉の症状は出ていない。


3月19日(火)
 書くことで理解が深まる。今それを実感している。何もかも放り出して、これに集中したいという気分。なかなかそうはいかないけれど。

 暖かくなったので、庭に出るのが楽だ。クライミングローズがたくさん葉を伸ばしている。赤い、柔らかい葉を見ていると、楽しくなる。いっぱい花が咲くぞー。




3月18日(月)
 友人のお父さんが亡くなった。96歳。眠るように息を引き取ったそうだ。

 内田裕也が亡くなった。奥さんのもとへ旅立った。

 人生を終えるとは、どういうことなのだろう。いずれ私にも訪れること……。


3月17日(日)
 芝の更新作業……枯芝を取り除くサッチングと、芝に小さな穴をあけ、根切りと酸素の供給をするエアレーションをした。
 小さな熊手で、短く刈ってある芝生を掻くと、根本に堆積した枯れた芝が、あとからあとから出てくる。きりがなく掻き出される。これを放っておくと、新芽が出づらくなるとか、根が腐りやすくなるとか、いろいろ弊害がある。
 芝生に穴をあける専用の道具も売っているのだが、一年に一回ぐらいしかやらない作業のために、道具を買うのも気が進まず、枝を切ったり草を刈ったりする、両手で使用する大きな鎌を、芝生に突き刺して、穴をあけていった。長い柄に力を込めると、わりと楽に穴をあけられる。二坪に満たない芝生だけれど、十数センチ間隔ですべてに穴をあけるのは、けっこうしんどかった。


3月16日(土)
 夕方から冷たい雨が降り出し、気温がぐっと下がった。
 野良猫のマダちゃんが、ご飯をもらいに来た。踏み台に乗り、体を丸くしている。フードをお皿に入れても、そちらに行こうとせず、うずくまったままじっとこっちを見ている。
 そんなにお腹減ってるわけじゃないんだ。
 
 回覧板のことで訪ねてきた人は、小さなワンコを連れていた。ここいらへん、犬を飼っている人がとても多い。4頭の犬を散歩させている人、立派な大型犬を2頭連れている人……。プードルやテリアが多いけれど、中には大変そうな日課をこなしている人もいる。
 明日は、うちのミルちゃんの服の洗濯だ。犬に服を着せることには、反対だったのだけれど、かわいい姿に魅了され、親ばかになった。ワンコは服を着たくはないかもしれないけれど。





3月15日(金)
 源氏物語を着々と読み進んでいる。色恋の話が延々と続くのだから、そのうち飽きるだろうと思っていたが、ちっとも飽きない。物語の展開に力強さがあり、自然描写に心を深く打つものがあり、女御、更衣など宮中に住む女性たちの衣裳の色彩が、鮮やかに眼裏に浮かぶ。紫式部は、とてつもない才能の持ち主だと実感する。
 本当は原文で読むのがいいのだろうなと思う。紫式部が紡ぎ出した世界に、もっと寄り添いたくなる。谷崎潤一郎の文章は素晴らしいけれど、訳文では、源氏物語の世界と薄皮一枚で隔てられているような、もどかしさがある。
 叔母がこれを原文で三回読んだというその気持が、だんだんわかってきた。しかし! 学校時代、古文の授業中はほとんど居眠りしていた私です。無理。





3月14日(木)
 ピエール瀧はいい俳優さんだと思っていたので、とても残念。薬物は本当に怖いね。
 
 用事で新宿に行った。銀行をふたつ回って、5月頃に着るジャケットを探したが、薄手のものはなく、いつも混んでいる京王のデパ地下で、まい泉のお弁当を買った。
 美しいチョコレートに見惚れ、高いので見るだけにし、シュウマイにも心惹かれたが、荷物が多くなるのでやめ、うんざりするほど人でいっぱいの駅構内をうつむき加減に歩き、うちの駅には止まらない特急、準特急しかないので、各駅停車でのろのろと家路についた。
 冴えない外出だった。

 お寺のそばのソメイヨシノに、固いちっちゃな蕾がたくさん付いている。ああ、もうすぐ花見かあ。

 これは早咲きの桜です。幹からこんなふうに、咲いている。かわいい!







3月13日(水)
 あったか~い。あちこちで花が咲き、ウォーキングは気持ちがいい。木に咲く花の名前を知らないので、稚拙な表現になってしまうが、ピンク、黄色、これは知っているコブシの白……と、ひな祭りのような色彩が、静かな住宅街を彩っている。
 地域のコミュニティ作りのために自治会は必要だろうけれど、東京の住人は近所づきあいを避けたがるから、人の輪は広がらない。東北の震災のあと、あの地方の人は自然に地域のコミュニティを作り出していることを知り、羨ましくなった。都会に住む人々は、どうしてこうもよそよそしいのだろう。
 災害に見舞われたとき、ちゃんと助け合っていけるだろうか。



3月12日(火) 
 自治会の役員になった。回覧板を回す際の名前と日付等を記入する用紙作りに、案外手間取った。普段エクセルを使わないので、長い文章の入力の仕方がわからず、引っ越しのときにエクセルのマニュアル本を捨ててしまったので、図書館で借りてきた。ネット検索で間に合うかと思ったら、ネットの記事がわかりにくく、長文の入力方法が載っているサイトが見つからず、かなりの時間を無駄にした。やはり本は必要だと痛感した。
 自治会の役員なんて、柄にもない役を引き受けたものだと自分でも思うけれど。いつかはやらなければならないみたいだから、逃げ回っても詮ないことだ。
 ダン・ブラウンの「インフェルノ」をテレビで観た。ヨーロッパの古い建築は本当に美しい。それを眺めるだけでも、このシリーズは楽しい。それにしても……、トム・ハンクス、年取ったなあ。ミッキーマウスの腕時計が、やや違和感をかもし出す容貌になってきた。
 

3月9日(土)
 春一番はもう吹いたんだっけ。晴れ渡っているが、今日は風が強い。サングラスにマスクをして歩いていたら、すれ違った中年の女性にチラ見された。やはり変かしら。花粉症の対策だい!
 アレグラを買って、症状が出るのを待ち構えているが、今のところ危険な徴候はない。私の花粉アレルギーは、顔に湿疹ができ、顔全体が腫れぼったくなる。これが私の顔か! と心が折れるのだ。
 子供の頃は、青魚を食べると、全身にじんましんが出た。去年、アレルギーの検査をしたら、不思議なことに食べ物のアレルギーは消えていたが、ホコリ、ダニ、ネコ、花粉……等々、これまでの人生で触れたものすべてにアレルギー反応があるという結果が出た。
 グリム童話かアンデルセン童話に、触った物がことごとく金になる王様の話があったことを、ふと連想した。私のアレルギー反応も、それだったらいいのにね。なあんてね。





3月8日(金)
 執筆を頑張りすぎて、今日はクタクタ。体の中が綿のようで、力が入らない。こんなときに体調を崩すのだろう。
 インフルエンザのことを情報番組でパッタリやらなくなったけれど、もう心配ないのだろうか。
 今日はカルロス・ゴーン被告の変装のことでもちきりだ。
 作業員が、あんなにたくさんの刑務官に囲まれているなんて、不自然だ。一人だけ鮮やかなブルーのキャップをかぶっているから、とても目立つ。妹が映像を見て、お腹をかかえて笑っていた。漫画にしか見えない。コントのネタになるかも。

ツルバラが、また少し成長した。




3月7日(木)
 固定電話になるべく出ないことにした。着信音を小さくした。詐欺、強盗の防衛のためもあるし、勧誘の電話もよくかかってくるからだ。不用品、リサイクルの電話、東京電力のセールス、リフォーム会社の外壁塗装の勧誘……。建ってから3年も経ってないのに、何が外壁塗装だ!
 私は相当つっけんどんに応対する。嫌なヤツと思われるかもしれない。。
 電話に出ず、玄関も絶対に開けず、貝のように殻を閉じて暮らさなければならない世の中なのか。
 気が狂ったように隣家に住む人を罵る年老いた女性。ベビーカーを傘で殴ったり、自分の軽トラをわざと人に当てたり、すべての人間を敵に回したような、恐ろしい形相で、通行人に向かって悪態をつく老人……。
 高齢者が凶暴になっている。どうしてこんなことになってしまったのか……。
 
 庭の植物は、日々、育っている。庭を眺めるのが、ただひとつの慰め。




3月6日(水)
 30年くらい前から始まり、10年以上にわたって続いた、ある不思議な体験について、本を書こうと思っている。原稿にまとめても、出版社が取り上げてくれるかどうかはわからないが、やはりこれは書かなければならないことだと、決意を新たにしている。
 この体験を記述することは、たぶん私の人生の最も大きなテーマなのだ。

 今にも雨が降ってきそうな曇り空。外出の予定はないし、原稿を書くにはうってつけの日かもしれない。晴れて、外が美しいと、どうしても気持ちは窓の外に向いてしまうからね。


3月5日(火)
 昨日、確定申告の書類を作成し、今日は気分スッキリだ。パソコンで打ち込めるようになったので、昔に比べるととても楽。計算間違いを心配することもないし、数字の書き方に神経を使わなくていい。それでも、作成のルートを間違えて慌てたために、せっかく打ち込んだものを消してしまった。便利なようでわかりにくい。
 暖かくなったので、チューリップの芽がいくつも顔を出している。土の中で球根が腐ってしまったかと心配していたので、ほんとに嬉しい。赤と白の花が、鉢いっぱいに咲くはずなのだが……。




3月3日(日)
 朝から冷たい雨が降っている。雨の中、東京は3万数千人のランナーが、自分に挑戦していた。むろん私はテレビ観戦だ。IPS細胞の山中教授が走っていた。一ヶ月前の京都マラソンも走ったそうだ。すごいね、文武両道。
 コツコツとひとつのことに取り組む姿勢が、研究とマラソンに共通しているのだろうか。
 山中教授の人柄が好きだ。

 今日はひな祭り。陶器の雛人形をいくつか作ったことがある。今は手元にひとつもない。久しぶりに、おひな様を製作してみようか。来年は手作り雛を飾ろうか。


3月2日(土)
 昨日、ボヘミアンラプソディを友人と観に行った。私は二度目だ。
 ラストのコンサートのシーンで、前回よりも涙がこみ上げ、「We Are The Champions」で感動はピークに達した。エイズを告白するシーンで、「俺の歌で空に穴をあける」というセリフがある。クィーンの音楽が発するとてつもないパワーが、天を穿ち、世界にメッセージを発信しているのだと思い、私自身が勇気をもらったような気がした。
 前日までひきずっていた悩み事が、さっぱりと消えた。ちょうどいいタイミングで映画を観たのだろう。気持ちがカラッと明るいほうへ切り替わった。これからやるべきことの輪郭が見え、迷いがなくなった。こんなこともあるんだね。


 


2月28日(木)
 朝から雨。昨日の予報では、午後は曇となっていた。それを信じて、出かける用事を今日に回し、しっかりコートを濡らして帰ってきた。天気予報は当たらない。ことも多い。
 写真家の岩合光昭さんは、野良猫のことを自由猫と呼ぶ。で、ウチの庭にハウスをもらっている自由猫のマダちゃん、最近食欲がないので、ドライフードをやめてネコ缶をあげた。それでも以前のように旺盛な食欲は見せず、今も雨除けに設置したビニール傘の下のお皿に、ほとんど手をつけてないツナが残っている。
 トイプードルのミルちゃんの散歩も、雨なのでお休み。ミルちゃんは室内のトイレでも用を足すが、外でしか用を足さない犬も多く、そういうワンコの飼い主は、雨でも大風でも、散歩に連れ出す。今朝も傘をさして二匹のワンを連れた人が、うちの前の道路を通っていった。
 人間にとっては厄介な雨も、植物には恵みだ。ビオラもシクラメンもいきいきしてる。



2月27日(水)
 使ってないノートがないものかと棚を探していたら、亡くなった叔母の介護日誌が出てきた。訪問看護の看護師さんが、丁寧につけてくれたものだ。細かく記述してあるので状態がわかりやすいと、担当のお医者さんが褒めたほどの、優秀な日誌だ。
 叔母が亡くなって4年余り。叔母の死を経験してから、自分の死について考えるようになった。といって終活を特にしているわけでもないが、死ぬというのは、どんな体験なのだろうという思いが湧く。
 死んだら自分のすべてが無くなってしまうと考えている人には、私のこの思いは理解できないかもしれない。私は、心というものは肉体が滅んでも存在すると考えていて、死が訪れたとき、自分の心は死をどのように感じ、受け止めるのだろうと、そのことに思いをめぐらすのだ。
 あの世とは、どんなところなのだろう。三次元の物質世界に生きている私達には、到底想像できない世界だが、あの世で人は心だけになって、どんなふうに過ごすのだろうと、そんな想像にふと気持ちが動いてしまうのだ。


2月26日(火)
 無為に一日が過ぎてしまった。パソコン用のホームページをスマホ用に一括変換したが、表示されない。どこかに無理があるのだと思うけれど、知識がないのでわからない。
 
 剪定したクライミングローズに、たくさんの芽が出ている。去年は3メートルくらい枝が伸びたが、花芽はつかなかった。苗木を植えて、今年が2年目。今年こそ……。

 


2月25日(月)
 ホームページの引っ越しが、ようやく完了した。ヤフージオシティーズからさくらインターネットへ移った。レンタルサーバーのサービスを突然停止されると、ユーザーはほんとうにおろおろする。ワタクシのように、インターネットの根本的な知識があまりない者は、マニュアルを見ながらおずおずと作業を進めるのだ。説明文をしっかり読み、メモまで取り、ひとつひとつ確かめながらえらい時間をかけて、やっとゴールにたどり着いた。時間がかかった理由のひとつは、変更がインターネット上にすぐ反映されないからだ。数時間から二日程度かかると書いてあったりするので、それでは今日の作業はここまでということになり、ほかの用事や仕事や気晴らしに時間を費やすことになる。ホームページの管理は、地道さと忍耐力がないとできない。
 窯のメンテナンスと納品が済み、ホームページの移転が終わり、さてお次は確定申告です。



 うちのすぐそばの公園。しだれ梅のようですが、花が黄色い。葉の落ちた木々も、パソコンに疲れた目には癒しです。


2月22日(金)
 今年、始めたこと。谷崎潤一郎訳の源氏物語を、少しずつ読み進めている。
 亡くなった叔母は、原文で源氏物語を3回読んだとよく言っていた。ちなみに叔母は歌人で、角川に短歌を掲載したり、数冊の歌集を出している。
 私は原文など到底無理なので、好きな作家の一人である谷崎潤一郎の源氏物語、分厚い美しい本をだいぶ前に購入し、長く本棚に鎮座していたのを、ようやく開いてみたのだ。
 いつだったか、友人が経営している飲み屋で、たまたま隣り合ったサラリーマン風の人が、「源氏物語って、エロいですよねぇ」と言っていた。その言葉が妙に頭の隅にこびりついていて、今、この壮大な色恋の物語を読みながら、たしかにそうだと心の中で何度もうなづいている。
 谷崎潤一郎の文章は流麗で気品があり、言葉が織りなす美の世界に引き込まれる。ただ……、内容はある意味相当に下世話で、まあこれは、平安時代の娯楽小説なんだなと、納得した。いかにも女性が書いたものだなという感じもする。女の意地の悪さが、時々にじみ出てきたりして……。


2月21日(木)
 昔、高校生の頃、ラジオを枕元に置いて、つけっぱなしにしたまま眠る癖があった。ある時、深夜放送の番組で、小椋佳の「シクラメンのかおり」を流していて、それを眠りながら聞いた。睡眠の中に曲が流れ込み、それは素晴らしく感動的な、胸の奥がしめつけられるような愛に満ちた夢となって、私の脳細胞のすみずみに広がっていったのだ。対象のない恋の気分だけが、胸の奥に大きくふくらんでいった、そんな感じでもあった。
 翌朝もその気分だけはくっきりと心に残っていて、着替えをしながら、夢見心地だった。
 夢のストーリーは忘れてしまったが、「シクラメンのかおり」」とその夢は、表裏一体となって、私の記憶の引き出しに収まっている。





2月20日(水)
 陶芸の、注文の品を箱詰めしていたら、左薬指の爪が割れた。カルシウム不足か!
 小さなカエルを200個。詰め終わったらクタクタだった。最近、体力が落ちたと感じる。
 炉内を総取り替えした窯は、とても調子がいい。今まで、やせ細ったカンタル線で、無理やり温度を上げていたのだ。もっと早くメンテナンスをするべきだったと思う。




2月14日(土)
 来週は暖かくなりそう。近所の公園の梅は満開です。
 徒歩3分の場所にある行きつけの美容室の先生、ネコが大好きで、野良ちゃんのために外に餌を置いておく。ある朝、窓を開けたら、野良ごはんのところにいたのは、ニャンではなく、なんとタヌキでした。なにごとかと顔を上げたタヌキと、バッチリ目が合ってしまった。
 やはり近所の、素晴らしくかわいいポメラニアンを飼っている奥さん、散歩が終わって家に入ろうとしたら、玄関の前になにか居る。ワンコは警戒して一歩も動かない。なんだ!と思ってこわごわ近づいたら、タヌキでした。
 美容室の先生が言うには、たぶんこの公園にタヌキが住みついている。この辺は木立がまだ残っているので、そういったところにも巣があるに違いない、と。
 ハクビシンが甲州街道の歩道を歩いていたという話もあります。こちらはペットとして飼われていたものが、捨てられたのでしょう。




1月28日(月)
 ジオシティーズがレンタルサーバを廃止するので、サイトの引っ越しに大わらわです。これって、本当にわかりにくい。独自ドメインを移管するのに必要な情報を得るのが、ほんとにわかりにくいし、その他のことも。経営の都合で、勝手に廃止するのだから、もうちょっとていねいなマニュアルを作ってほしい。
 インターネットの基本的な仕組みをきっちり学んでから、サイトを立ち上げている人なんて、そう多くないと思うよ。こういった勉強に費やす時間より、仕事の時間を優先するわよ。
 サポートの電話番号もメールアドレスも書いてない。もっとも電話したって、混んでていつつながるかわからんけど。


1月25日(金)
 再び庭仕事。シマトネリコの根本に油粕を施し、フェンスに引っ掛けてある鉢の土を変えた。
 シマトネリコは砂利を敷き詰めた場所に植わっているので、砂利を部分的に取り除き、小さな穴を7個掘り、固形の油粕を2個ずつ入れた。穴を掘るのがけっこうたいへん。しかし表面が砂利で覆われているせいか、このカラカラ天気にもかかわらず、土は十分に水分を含んでいた。これなら水やりの必要はないと、ほっとした。シマトネリコは水道から遠く離れているので、水やりがひと苦労なのだ。
 フェンスの鉢は、二年間ほっといたので、根がびっしりと鉢いっぱいに張り、鉢底の石をすべて巻き込んでいた。古い土を払い落とすことができないほど、細かい根の束が土をくわえこんでいる。細いシャベルを根の間に差し込み、むりやり土の塊をほぐした。細い根をだいぶ切ってしまった。ベランダも着ているジャケットも土と枯れ枝にまみれ、手は痛くなるし、さんざんでした。
 植え替えが成功したかどうかわからない。これで枯れたら、費やした時間と体力は水の泡なのだ。


1月24日(木)
 冷たい風が吹きまくった一日。インフルエンザも流行っているし、今日は庭仕事はお休みです。
 綺麗な写真なので、脈絡なく載せておきます。ひと月半ほど前、北鎌倉、建長寺(だったと思うけど)で撮ったもの。友達とこの扉の前で、一人ずつかわりばんこに撮影し合い、まああ、扉のきらびやかさに人間は完全にくすんでしまって。
 奥に素晴らしい庭があり、ゆっくり鑑賞できるように、廊下にベンチがあり、靴を脱いでお堂に上がって、足を休めながらひとときを過ごしました。

 

 


1月23日(水)
 今日も奮闘? つるバラに施肥をした。バラの根本から30センチくらい離れたところに、直径20センチ弱の穴をふたつ掘る。深さは約30センチ、シャベルが縦にすっぽり入るくらい。地面が芝で覆われているので、枯芝を剥がし、ひたすら掘る。小石がたくさん埋まっているので、作業しづらい。
 十分な深さになったら、油粕100グラム、リンやカリ等が入っているバラの肥料を100グラム、腐葉土を穴の7~8分目くらいまで入れ、掘り上げた土をかぶせて、しっかり押し付ける。
 これを二穴分やったら、もううんざり。予定ではシマトネリコの施肥もするはずだったが、明日に回した。
 園芸サイトには、冬のバラの施肥に骨粉を入れると書いてある。骨粉にはリン酸が多く含まれており、バラの肥料の袋をミたら、成分の中にリンが入っているので、代用したのだが……。これでいいのかなあ。
 苗木を植えて、ほぼ一年。去年はツルはどんどん伸びて、いちばん長いので3メートルくらいになったが、花はいまだ咲いていない。中心がクリーム色で、まわりが濃いローズピンクの、大輪の花が咲くはずなんだけど……。




1月22日(火)
 植え替えたミニバラ。鉢がだいぶ大きくなった。伸びそうもない細枝をどんどん切った。昨日買ってきたばい菌防止剤を、切り口に塗った。薬はチューブに入っていて、ササッと塗れます。ベタベタした薬で、切り口が完全に塞がります。これでひと安心。




1月21日(月)
 明日はつるバラの剪定をする。根が休眠期に入っている冬の間にしなければならない。切り口に殺菌が入るのを防ぐ薬を塗る。島忠ホームズでその薬やら、油粕やらを購入。園芸サイトに、溶かした蠟を塗るとか、蠟にサラダ油を混ぜて塗るとか、書いてあり、自分で作ることを考えたら腰が引けたが、いろんな商品があるのだ。
 鉢植えで使った土を再生させるための肥料も、数種類売られていた。土は一般の家庭ゴミに出すことができないからだ。今まで、使い古しの土を日光消毒し、それに腐葉土を混ぜて、そんなに大切じゃない鉢植えに使っていた。この肥料を使うほうが、間違いなさそう。
 肥料、土、薬品……実に多種多様の商品が売られている。日本人は事細かに商品を開発していくのだ。こんな国って、他にある?


 
 
 


1月20日(日)
 あれこれと用事をこなし、一日が矢のように過ぎる。20日前は元旦だったなんて信じられなーい。
 ミニバラの植え替えをした。一年目は美しく咲いたが、植え替えをせずに2年目に突入したら、花の付きが悪く、葉に黒い斑点ができ、新しい葉が出ても、すぐ落ちる。アブラムシの被害も多い。調べると、ミニバラは下方に根を伸ばし、鉢の中が根でいっぱいになり、根詰まりを起こすので、毎年植え替えたほうがいいと書いてあった。さても、面倒なこと……。でもこのまま放っておくわけにはいかず、今日は幸いあったかかったので、実行した。
 枯れ枝をだいぶ切った。鉢いっぱいに根を張っていたので、取り出すのが一苦労。根を切ってはいけないと思うので、ゴム手袋をはめた手で、少しずつ土を掘り出し、固まった土をほぐし、たぶん20分くらいかかって、ようやく鉢から引っこ抜いた。太めの根の先に、ひげのような細い根が束になって生えている。これを切ったものかどうか思案し、結局少しだけ切って植えた。
 ちゃんと咲いてくれるかしらねえ。



1月19日(土)
 写真家の岩合光昭さんは、野良猫のことを野良猫と呼ばず、自由猫と言う。野良なんていう見下した言い方が嫌いなのだろう。野良猫は庭に糞やオシッコをするから、嫌われる。隣の家のご主人、穏やかないい人だけれど、ネコの糞には神経質みたい。ウチに来るネコどもが、隣の庭でもウンチをするので、ネコが来ないように何やら白い粉を撒いたり、それが効かないと、トゲがびっしり付いたゴムのシートを敷いたり、それでもダメらしく、赤いランプが点滅する機械を二個設置した。
 花に水をやるとき、隣の様子が見えるのだ。
 犬もたぶん嫌いで、妹が犬の散歩をしていると、すれ違っても知らん顔をしているそうだ。なんでも以前の住まいで、隣接する家の飼い犬が絶え間なく吠え、それが原因で引っ越してきたとか。うるさい犬から離れようとしたら、運悪く隣の私達が犬を飼ってしまったのだ。ウチのプードルはまったく吠えないけれど。
 ものには好きずきがある。こればっかりは仕方がない。ウチの庭に来る自由ネコのことも、苦々しく思っている……。




1月16日(水)
 ビオラと、名前を忘れたが、可憐な草花が、茶色く冴えない庭の唯一の彩りだ。
 この草花、植えたときは弱そうだったけれど、今やビオラを侵食しつつある。ビオラは可愛い姿に似ず、たくましい花だが、このちっちゃな花の群れは、それを上回る。芯の強い女の子って感じだ。



1月15日(火)
 冷たい雨が降っている。
 餌をやっている野良猫のマダは、ネコ用のハウスの中で、ほとんど一日中過ごしている。アメリカンショートヘアと何かの雑種で、毛並みはアメショーそのままだ。性格は気弱そうだが、顔はややキツく、精悍な表情も見せる。
 マダの食べ残しを狙って、黒猫がやってくる。黒猫は生きる力が強いらしく、どうかすると気弱なマダは追い出されそうになる。未熟児だったから、この子の面倒を見ることにしたので、黒猫がのさばり始めると、マダを守ろうと、こちらも必死になるのだ。




1月13日(日)
 保護犬を飼い始めて、3ヶ月。3ヶ月間の変貌をご紹介。

 今月7日に、ようやくヘアカットできました。口の中の手術をしたので、傷口が塞がるまで、顔をいじれなかったのです。
 質の良いドッグフードと、毛や皮膚に効果のあるサプリメントのおかげで、毛が密に生えてきました。ようやくプードルらしくなったよ。




 これが10月の頃の状態。これからうちに来るところ。ブリーダーのところで、栄養状態が良くなかったので、体の毛が抜けています。




1月11日(金)
 冬の庭。芝は枯れ、アイビーやハツユキカズラは葉を赤くして縮こまり、バラもジューンベリーも裸の枝を伸ばすばかり。でも、よく見ると、ジューンベリーの枝の先に、芽がたくさん付いている。これからが冬本番というのに、木は早くも春の用意をしている。




1月10日(木)
 インフルエンザが猛威をふるっている。お茶が良いというので、こまめに飲み、ややビクビクしながら暮らしている。ウィルスはマスクを通過するから役に立たない。外出から帰ったら、すぐにお茶を飲み、口の中のウィルスを飲み込む。ウィルスは胃酸で死ぬから、この方法がいちばんいいらしい。
 朝のモーニングショーで、出演しているクリニックの先生が、ていねいに教えてくれる。
 インフルエンザの予防注射を打ったら、具合が悪くなったという知り合いがいるので、なんとなく不安で、一度も予防注射を打ってもらったことがないのだ。ああ。

1月5日(土) 
 ラナンキュラスの球根を掘り出し、夏の間保存して、去年の12月の初めに植えた。ひと月もたたないうちに緑の芽を出し、現在、この状態。
 球根は長さ1~2センチの、朝鮮人参が何本かくっついたような形をしている。このちっちゃな球根を、深さ3センチ程度に、適当な間隔を置いて埋め込む。使う土は、再生土。花が終わったあとの鉢植えの土を、残った根やゴミを取り除き、陽に干して殺菌し、それに腐葉土などを混ぜ込む。
 こんな面倒なことをせず、春になったら新しいラナンキュラスのポットを買ってきてもいいのだけれど、植えた球根が冬の気温に負けず、こうして緑の葉を広げていくさまを見たいのだ。草花の力ってすごいでしょ。こんなに小さいのに、寒気にさらされながらも、着実にしっかりと伸びていく。




1月4日(金)

 あけましておめでとうございます。
 気を引き締めて、充実した日々を送り、成果を上げよう!
 カベに腰を据えて立ち向かい、困難をひとつひとつ乗り越えていこう。
 自分にとって何が正しい道か、じっくり見極めよう。
 そして思いきり遊ぼう。

 


  2018年

12月30日(日)
 なんとまあ、あと一日ちょっとで今年が終わる。恐ろしいほどの速さだ。
 今年は、うちに犬が来た。これは大変化だ。一匹の小さなプードルが、ウチの空気を変えてしまった。ワンコ、恐るべし。




12月25日(火)
 来週の火曜日は、元旦だ。なんとまあ、時のたつのは早いこと。
 年賀状をやめようと思っている。と言って、年賀状やめます宣言のハガキを出すのも、これまた面倒で、年が明けて、来た年賀状に返事を出すだけに、とりあえずする。それを続けたら、だんだん年賀状が来なくなるはずだ。そうしてフェイド・アウトする。
 年賀状が一枚も来ないお正月というのは、ちょっと寂しい気もするけれど、メールもラインも、フェイスブックもある現在、人とつながる手段には事欠かないのだから、年賀状の意味や価値は急速に薄れていると思う。仕事のURLを住所の下に入れているが、宣伝効果は期待できない。
 今まで自分の作品の写真を入れた年賀状を、パソコンで作っていたので、その手間がなくなった今年は、時間がたっぷりあるように思える。あーなんという開放感!

12月24日(月)
 「これ、ツバキじゃなくて、サザンカだって知ってる?」
 鎌倉を歩いていたとき、友人が言った。
「ツバキは花びらが一重でしょ。これはほら、花びらが幾重にもなってる」
 なるほど、生け垣に華やかに咲くこの花は、花びらが多い。なんとまあ、この歳になるまで、私はサザンカをツバキと思い込んでいた。パッと見にはツバキだ。葉はツバキそのものだ。
「私もつい最近、知ったの。サザンカ、サザンカ咲いた道って唄のイメージが変わった。華やかなイメージになった」
 友人はサザンカを、もっと地味な花だと思っていたのだろう。
 私はといえば、サザンカがどんな花なのか、これまで考えたことすらなかった。唄の続きは「焚き火だ、焚き火だ、落ち葉焚き」だから、冬を迎えて木は裸になり、寒さが増す道端に、ようやっと咲いている植物、漠然とそんな印象を持っていた。
 くすんだ植物が、友人の言葉で、いきなり艶やかな花になった。醜いアヒルの子が、ある日突然白鳥になったように。





12月22日(土)
 御岳山の御師の家。御師というのは、御嶽神社の信者さんを泊める宿のことだが、普通の旅館とは違い、神社と深く結びつき、格式があるらしい。代々受け継がれた、古い家柄が多いようだ。
 ロープウェイの駅からきつい上り坂を神社をめざして歩いて行くと、途中に御師の集落がある。多くは普通の建物だが、中には写真のような立派な構えの家がある。
 この家は馬場という表札がかかり、現在は使われていない。文化財として残すのだろう。注連縄があるので、通りすがりに見ただけでは、宿ではなく神社かと間違えてしまう。
 浅田次郎の短編集に、御嶽神社と御師の家を舞台にした小説がある。浅田次郎の母の実家が、御嶽神社の神主さんで、御師でもある。浅田家だけでなく、他の御師達も、当主は神職を兼ねているのかもしれない。

 峻険な御岳山。御師の集落や、山を覆いつくす鬱蒼とした杉木立。ここには独特の雰囲気が漂う。厳しく、透明だけれども、暗いものがうっすらと立ち込めた、神の不思議な世界への入り口のようだ。
 
 
 

12月18日(火)
 鎌倉に住もうかと、本気で検討したことがある。暇なとき、考え事で頭がグチャグチャになったとき、静かなお寺の境内を歩き、山を眺め、整った庭の前で時を過ごす。崖の窪みに置かれた石仏の風情が、特に好きだ。
 草や木にほどよく覆われた鎌倉の崖は、心地よい湿り気があり、心が落ち着く。いつまでもその前にいたくなる。鎌倉は暗いと言う人がいたが、植物のみずみずしさに満ちた、このほの暗さは、渇いた心を潤してくれる。



12月11日(火)
 先週の金曜日、友人と鎌倉に行った。北鎌倉で電車を降り、円覚寺、明月院、建長寺と歩き、さすがに疲れて、バスで小町通りに向かい、重くなった足をなんとか動かしながら、つい欲に駆られて、服や小物を見て歩いた。
 陽もだいぶ傾き、柔らかな曇り空の向こうに、鶴岡八幡宮の大鳥居が聳える。トビが数羽、空の高みを悠然と旋回している。毎日、こんな風景を見て暮らせたら、どんなにいいだろうと、鎌倉の良さをしみじみ感じた一日でした。

 写真は明月院。近頃あまり触れていなかった日本の美を目の当たりにし、その細やかさ、繊細さが心に沁みました。
 


12月5日(水)
 街にクリスマスツリーが飾られ、近所の家の玄関やフェンスに華やかな電飾が煌めく。
 我が家の玄関ドアにも、赤一色のリースがつけられ、温かみを添えている。
 ミルは出会う人たちに癒やしを与えている。
 小さな幸せが、私を取り巻いている。


 


11月27日(火)
 ボジョレーヌーボーを飲む会が、主催者の母上が亡くなったために中止になった。
 享年95歳。大往生だ。ご冥福をお祈り申し上げます。
 人生100年時代と言われているけれど、周りを見回しても、長寿の人は本当に多い。食生活が豊かになったからだろう。
 長寿を慶ぶいっぽうで、100歳まで生きることに不安を覚える人も多い。経済的にやっていけるだろうかと、友人が漏らしていた。独身の知り合いは、どんな状態で人生の最期を迎えるか、まったく予想がつかないから、考えないことにしていると言った。
 私も長生きに怯える一人だ。


11月26日(月)
 午前中、散歩に連れ出すと、ミルはリードの先でゴムまりのように跳ねる。散歩が嬉しくて仕方がないというように。道路脇をクンクン嗅ぎ回り、右に左に動き回り、電信柱や塀の際にせわしなくオシッコをする。犬の尿で電柱の根元が腐ったというニュースが以前流れていたので、園芸用のスプレーを持ち歩き、オシッコのあとにいちいち水をかける。糞はもちろんビニール袋に入れて、持ち帰る。犬の散歩は忙しい。
 子犬のように跳び跳ねるので、ミルは若く見える。子どもをたくさん産んだ体は、7歳半になっても、ちっとも衰えていない。根が丈夫なのだろう。すれ違う近所の人は、たいてい、子犬ですかと聞く。
 他の犬におおいに興味を示す。犬だけでなく、時々、人間にも強い関心を持つ。おばさん、若い女性、どんな基準でミルが注目するのかはわからない。せわしなく走り回っていたのが、ピタッと立ち止まり、視線をまっすぐ定めて、相手を凝視する。かつて出会った誰かに、その人が似ているのかもしれない。ミルを拾ってくれたボランティアの人とか。男性には今のところ興味がないようだ。



11月24日(土)
 ミルには、穀物の入っていないフードを与えている。犬はそもそも肉食で、穀物を食べない。穀物の消化は、穀物を基本的に食べない肉食動物には、負担になるということらしい。ミルが食べているフードには、肉以外に少量の果物が混ざっている。これは野生の肉食動物が、草食動物を捕食した場合、草食動物の胃の中には草や木の実などの未消化の残留物があり、肉食動物は獲物の肉とともに胃の中身も食べるという考え方に基づいている。ドッグフードを、なるべく動物の自然の状態に近づけて作っているということらしい。
 ほとんどが肉のフードは美味しいらしく、ミルは毎回、ガツガツ食べる。与える分量は、穀物入りの缶詰のフードより少なく、いつももっと欲しそうな顔をしているが、適正な分量を超えるのは良くないので、我慢してもらう。
 ペットの食べ物も、ずいぶん研究が進んだものだと感心する。私が子供の頃、飼い犬には前日の余ったご飯に味噌汁をかけて与えていた。たまに魚の食べ残しなんかも混ぜたかもしれない。それが一般的な飼い方だった。圧倒的な塩分過多の、穀物中心の食事をさせて、犬は今よりずっと短命だったかもしれない。
 ご飯におかかとお醤油をかけたのを、ネコまんまと言うけれど、ネコたちのご飯も昔はそんなものだった。まったく恐ろしいことだ。


11月23日(金)
 ミルはブリーダーに酷使されていたために、歯が抜け、毛も薄くなっていた。うちに来たときは、まばらな毛を透かして、か細い足の筋肉が見えていた。背中の毛も少なく、体のラインがはっきり見え、触ると背骨がゴツゴツと指先に当たった。
 市販の安い缶詰をやめ、値段は張るが、犬の体作りを研究して作られたフードを食べさせた。
 ミルと暮らすようになって一ヶ月以上たち、毛はどんどん多くなった。今では体のラインが透けて見えることはなく、毛むくじゃらで、ようやくプードルらしくなってきた。
 ミルが来る前、状態をペットショップの人に話すと、成犬だから毛が生えるのは難しいと言われた。食べ物によって、犬の毛はどんどん生えるのだと、今さらのように食物の大切さを感じている。


11月22日(木)
 犬の名前を変えた。ボランティアさんがチョコちゃんと名付けてくれていたが、タ、チ、ツ、など音がきつい名より、マ、ホ、ヨ、といった柔らかい音の名前のほうが、犬の性格が優しくなると、ある人から言われた。可愛い名前にしたくて、ミルクという名が浮かび、ミルク…ミルキー…ミルキーウェイ…うん、ミルキーウェイがいい、ということになり、正式名ミルキーウェイ、通称ミル、となったのです。
 ミルは社交的で、出会う犬に興味津津、かまってもらいたくて、しっぽを激しく振りながら寄っていこうとする。人間にもしっぽをパタパタさせながら、甘えかかる。近所の美容室の先生からは、セラピードッグみたいねと言われた。知らない人に撫でられても、おとなしくしている。犬仲間同士のお喋りが延々と続くと、傍らに座り込んで、話が終わるのをじっと待つ。
 誰からも可愛がられている。
 番犬にはならないねと、妹と笑いあった。番犬には小さすぎるし、怪しい人物が家に入ろうとしても、例のごとくしっぽをふりふりさせながら寄っていくからだ。


11月10日(土)
 保護犬が来てから一ヶ月弱。私と妹は犬に夢中だ。
 保護犬はつらい経験をしている子が多いから、慣れるのに日数がかかる場合があると聞いていたが、来たその日から私たちに甘え、何ヶ月も前からここにいるかのように、くつろいでいた。
 親バカのつぶやきにしか聞こえないかもしれないけれど、利発で外交的で、かと言ってワガママではなく、瞳が純粋で、あたかもこの家に天使が舞い降りてきたかのようだ。




 
10月11日(木)
 今度の日曜日に、神戸から犬がやって来る。
 神戸の保護犬ボランティアに引き取られていたトイ・プードルだ。
 ブリーダーの繁殖犬で、7歳になったので、繁殖犬の役目を終え、お払い箱になった。
 子供を産めない年頃になると、ブリーダーは犬を捨ててしまうのかと、はなはだ疑問に思った。
 ボランティアさんがチョコちゃんと名付けたその犬は、これまで一度も散歩をしたことがないそうだ。家庭の温かみを知らない子だと、この度、はるばる神戸から犬を届けに来てくれる人が、ラインに書いていた。
 相当に酷使されたのだろうか、その子は体毛が抜け、歯も全部抜け落ちている。歯がないから舌が口から出ているけれど、それでもいいかと聞かれた。さらに、口の中の上顎に穴が開き、鼻まで貫通している。穴を縫う手術と、避妊手術の費用を負担することが、里親になる条件だった。手術と聞いて、初めは気持ちが引けたが、医者もボランティア値段で施術するので、避妊と合わせて5万数千円で済んだ。
 ボランティアさんとやりとりをしているうちに、ブリーダーへの憤りがふつふつと湧き、気持ちを抑えることができなくなった。